みんなが大好きな女性

 

ずっとアシャンテママで働いているスリアさん。


すごくおっとりした女性で、不平不満を一切言わず、とても働き者で、いつもニコニコしている女性です。


昔、まだ若かった娘さんを亡くし、娘さんの旦那さんは音信不通になり、残された3歳だったお孫さんをずっと引き取って育てています。

 

息子さんの一人は、以前、知り合いに殺されて道端でご遺体が見つかりました。


数年前、みんなで畑で作物を育てていた時は、時計がないこともあって、いつも太陽が昇るより前にきて、雨の日でも少しぐらいの雨ならとずっと一生懸命耕してくれているような女性です。


ご高齢なので、あまり無理をして欲しくないのですが、今は週に2日、アシャンテママの教室でお掃除やお料理のお手伝いをしてくださっています。


ゆっくり話をする機会があると、


「ずっと今までアシャンテママのおかげでみんなと一緒に笑い合って働くことができてとても嬉しい。いただいているお給料で食べ物を手に入れることができて、両親のいない残された孫を育てることができて本当にありがたい」と、感謝の言葉をいつも伝えてくれます。。


年齢はご自身もわからないけど、笑顔を絶やさずみんなに好かれている女性です。


【写真】畑を耕してくれていた時に撮った一枚

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(0)

4つ目のアシャンテママの教室までの道

 

この間のブログに書かせていただいた、雨期で道が悪く、たどり着くことができなくなってしまった、去年開校したアシャンテママの施設。

 

98人の子供達が通っていますが、去年はその中でも60人以上が子供達が小学校に通わずにいる子達でした。

 

今年は一人でも多くの子が教育に触れる機会ができればと思っております。

 

 

【写真1】新しいアシャンテママの施設は、町から20キロ離れた場所にあります。乾期の時期にそこに向かう道端で撮った写真です。今は大雨の影響で通行できない場所もあり。。

 

 

【写真2】川ではみんな洗濯をしてその場で服を干しています。この写真の中で、主食になるトウモロコシの粒も川で洗っているように見えます。。(衛生的によくないです。。)。ワニはいない川のようでそれは良かったです。

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

小学校入学手続き支援

 

毎年2月はモザンビークでは、新年度の始まりです。今年も一人でも多くの子供達が教育を受ける機会を。。と思っております。

 

ただ、数カ月間、奥地の畑を耕しに働きに行っている子供達が、奥地から戻ってこず。。携帯電話など持たないため、連絡の取りようもなく。。

 

日付の感覚もあいまいなので、今が2月になったということに気づかずに、畑を日々耕している人々もいると思います。

 

アシャンテママにはいつでも登録できて学べますが、政府の学校はこの登録時期を逃すと、学校にまた1年通えなくなってしまうので、畑に行く前にご家族の皆さんを招いて話し合いをしました。その成果が出るといいです。

 

アシャンテママの4つ目の施設がある村までの20キロの道、雨期でぐちゃぐちゃになり、軽い泥沼のようになってしまう場所もあり、、

 

自転車、車、乗合ワゴンや、荷台に乗せてもらうトラックも、ぬかるみにはまってしまって抜け出せず、数日間その場から動けなくなってしまうこともあります。

 

そのため、アシャンテママの教室にスタッフたちもたどり着けず。。安全を考えて雨期が終わるまで様子をみることになりました。

 

どうするか今後の課題です。

 

 

【写真】マラウィのアシャンテママの子供達、プレミオとしていただいたサンダルを履いて。

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

マルタさん

 

約1年前までアシャンテママで働いてくれていた

マルタさんという女性が亡くなったと連絡が入りました。

 

奥地にある畑を耕して生活をしており、

乾期の時期は町に戻って、その間、子供達は学校に通って、

マルタさんはアシャンテママの畑で働いていました。

 

私と同じぐらいの年の女性で。

旦那さんを子供達がまだ小さな頃に亡くし、ずっと一人で5人の子供達を育てていました。

 

体調が悪くなり亡くなってしまったと。

 

心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

いつもアシャンテママに通っている子供達、

働いているスタッフたちと接する時、考える時、

もしも私がこの子達だったら。。と思います。

 

私はたまたま、

水道ガス電気がある家庭に生まれ、

食べる物はいつでも冷蔵庫を開ければ何かしらあり、

整った医療制度がある国で、

産まれた場所も当たり前のように病院で、

6歳になれば当たり前のように学校に行ける国。

夜も遅くまで歩くことができるなど、

ある程度の安全がある国、

警察も裁判所も、もしもの場合はすぐ頼ることができ、

賄賂なども日常生活の中で接したこともなく。

 

国力がある国に産まれたんだなぁと。

 

現地の貧しい女性たちに「自立支援を。。」

と言ってしまっていましたが、

少し違った見方をすれば、

人間として自立しているのは、

彼女たちのほうじゃないのかな。。と。

 

現地の貧しい人々は、電気もガスも水道もない家で暮らし、

大雨で家が崩れてしまわないように、泥の壁を塗り、

わらの屋根を補強し、水を運び、料理をするための薪を探し、

機械には頼れず、川や井戸から汲んできた水で手で洗濯をし、

畑を耕し、主食になるとうもろこし、おかずになる野菜を育て、

食べ物が充分にない時は誰に文句を言うわけでもなく、

水を飲んで空腹をしのいで。

時には、出産も一人で産み落とすこともあり、

理不尽なことがあると神に祈り。

 

ただこの生活はとても痛みを伴うものだと、

現地に約12年間暮らし、みんなの日常をすぐそばで見させてもらい

心底思いました。

 

「NPOの最終目標はNPOが解散すること」

と言う言葉。

 

アシャンテママもいつかこの活動が必要なくなる日が来ること、

現地で厳しい生活をしている子供達が安全な日々の中で、空腹に苦しむことなく、

教育を受けれて、人を思いやる気持ちを忘れずに、無事に成長できる日がくればと思っております。

 

広い世界の小さな活動ですが、ご理解をいただき

ご支援を下さる皆様に心からお礼を申し上げます。

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

4つ目のアシャンテママの教室

 

アシャンテママはモザンビークの町に2010年に1つ目の教室、

2015年に2つ目の教室、2016年にはマラウィの村に3つ目の教室を開かせていただきました。

 

この度4つ目の教室を、週に1日になりますが、

シュアイアと呼ばれる村に開かせていただくことができました。

1つ目の教室のある町から、がたがた道を20キロ進んだ先にある電気もない小さな村です。

 

ここの教室でも遺児や、病気、障がいを抱える子供達が主になります。学校に通ったことがない子供達も受け入れています。

 

今現在95人の子供達が通ってきています。

 

ご支援をくださる皆様に心からお礼申し上げます。

 

 

写真

大きなバオバブが教室の前にあります。

渡させていただいたノートと鉛筆を持った子供達、教室の前で。

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

アリマ

 

現地にいても、現地から離れていても

まだ夜が明ける前に、

ルーシアさんや現地のスタッフから電話がくると、

いつもとても緊張します。

 

今回も夜明け前に電話がきて、

アシャンテママの教室に6年間通っていたアリマが

亡くなったという電話でした。

 

お父さんがいない子で、

とても貧しいわらと泥の崩れそうな小さな家に住んでいました。

 

上のお姉ちゃんに連れられて、

小さい頃からアシャンテママに遊び+お昼ご飯を食べに来ていて、

無事に小学校入学手続きを手伝い、今年は小学校4年生でした。

 

 

1週間前まで元気にアシャンテママに通っていたのに、

早朝、アリマのお姉ちゃんがアリマが亡くなったと、

泣きながらルーシアさんに伝えに来たそうです。

 

アリマ、熱が出て、病院に連れて行ってそれでも

数日後にはあっという間に亡くなってしまったと。

 

お葬式でも病名は誰も話していなくて

(ここでは珍しいことではないです。)、

マラリアやその他の感染症だったのではと思います。

 

 

 

少し前に、休まずに多くの日数を通った子供達に

ノート、鉛筆、下着、学校のユニフォーム、蚊帳などを

それぞれ渡したプレミオの日も、

アリマも嬉しそうに受け取っていたと、

ルーシアさんから聞きました。

 

どうすればアリマは

亡くならずにすんだのだろう、、

もっと何かできたのでは、と考えています。

 

アリマ、どうか心地よい天国で安心して暮らしていますように。。

 

 

残されたご家族を思うと心が痛いです。

 

 

3か月前に撮った写真

 

日本のお父さんお母さんへ(日本からご支援してくださる皆様のこと)の手紙を持つアリマ

 

お手紙(内容を追記させて頂きました)

 

私の日本のお母さんへの手紙

 

こんにちは。日本のお父さんお母さん。

私は今年は2月16日からアシャンテママに通っています。

私は家族と暮らしています。

私の先生はアイーデ先生です。

お昼ご飯はお米とお豆をここで食べます。

私はアリマアミデです。

ありがとう。マナさやか

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(5)

ワラの屋根

 

先進国の方が、

貧しい人たちが住む地域のワラと泥で作った家をみて、

 

「ワラの屋根は夏涼しいから、

現地の方々はワラの屋根にしている」

と思っていた、と聞きましたが、

実際は、みんなトタン屋根のお家にとても憧れています。

 

ワラの屋根は、毎年雨期が来る前にワラを総入れ替え、

あるいは付け足さないと、大雨で家が崩れてしまうことも多く、

ワラも遠くまで歩いて探しにいって頭に乗せて運んでくるか

路上のマーケットで購入しないといけません。

 

トタンの屋根は、ワラの屋根に比べて丈夫です。

 

ただ日々の食べ物にも困る人々には、

トタンの屋根を購入するお金は、

そう簡単に手に入るものではなく。

 

今、現地は一番暑い時期で

これから長い雨期(約5〜6か月)に入ります。

この雨期の時期の大雨で

みんなのお家が崩れてしまいませんように。。

 

それに、世界中で人を一番殺す生き物の蚊が媒介するマラリアが

多く発生する時期です。

 

皆様からのご支援で協会の子供達は、蚊帳の中で眠ることができ、

マラリアを予防することにとても役立っています。

 

心から感謝申し上げます。

 

 

写真 アシャンテママに通う子供達のおうちの写真です。

   

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

教室(クラス)の増設

 

モザンビークのアシャンテママに通う子供たちのなかには、

食べるものを手に入れるため、

家族と遠くの村に出掛けたり、

奥地にある畑で仕事をするために、

公立の学校にしばらく通えなくなってしまうことがあります。

 

そのような子供たちが町に戻ってきたとき、

アシャンテママの教育施設(教室)に通い、

少しでも教育を受けられるようサポートをしています。

 

1年の半分以上を奥地で畑を耕したりして暮らし、

通学できないまま年を重ねてしまっている子供たちには、

いつか公立の学校に入学できるように、

町にいる間は、短い日数でもアシャンテママに通い、

次の年の学校への入学時期には

一人でも多くの子供たちが入学できるようにと、

手続きのサポートをしています。

 

アシャンテママに新しく登録する子供たちもいますが、

ずっと何年も通っている子供たちは、

無事に高校生になっている子供たちもいます。

 

そのため、

それぞれの学年のレベルに授業を合わせられるように、

このたびモザンビークのアシャンテママの二つ教室に

それぞれ1クラスずつ増設させていただきました。

いつもご支援ありがとうございます。

 

ちょうど10年前2009年10月にアシャンテママを立ち上げました。

あれから10年、今振り返ってみると、

アシャンテママに通っている子供たち、

モザンビークやマラウィの人々との出会い、

日本でご支援してくださる皆様とのとてもありがたい出会い、

本当に感謝しかないです。

 

ある方が「アシャンテママは、教育を受ける機会のなかった子供たちにその一歩を踏み出すお手伝いをしていますね。0から1にすることをしているんですね。」と。

 

時間はどんどん流れていって、

残念ながら、亡くなっていってしまった子供たちもいますが、

それでも現地でも厳しい環境で暮らす多くの子供たちが教育を受ける機会を

皆様のおかげで変わらずできております。

 

この子供たちが大きくなって

いつか困っている子供たちを支援する側の立場になってくれたらと

願っています。

 

東南アフリカに来てから、

何人もの人に「世界は弱肉強食」と何度も言われましたが、

そう思う人が少しでも減ってくれれば、と思っています。

 

 

温かいご支援心から深く深く感謝申し上げます。

 

 

 

写真

 

最初に建てたアシャンテママの教室には4クラスありますが、

このたび5つ目を増設しました(建築中の写真)

 

 

そして2クラスある2つ目の教室には、

3つ目のクラスを増設しました(建築中の写真)

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

無事に退院できたジョージ

 

モザンビークの2つ目のアシャンテママの教室に通っている

ジョージと言う男の子がいます。

 

両親は、もう亡くなっていて、小さなわらと土の家に

おばあさんと弟と暮らしている子です。

 

12歳のジョージもHIVに感染していることがわかり、

抗HIV薬を毎日服用しています。

 

ジョージがずっとアシャンテママの教室を休んでいて、

奥地に畑を耕しに行っていると聞いていたのですが、

奥地から戻ってきてもずっと具合が悪いと家族が伝えに来ました。

 

お家を訪ねると、

外のボロボロのござの上にジョージがつらそうに横たわっていて、

体にハエもたくさんたかっていて。

 

2か月ぐらいずっと具合が悪くて、

食べ物もほとんど食べれず、やせ細りもう一人で歩けなくなってしまっていて。

 

8−10キロ離れていてる

町の中心部にある大きな病院で診てもらう必要があることを伝えても、

一緒に暮らしているおばあさんは、

大きな病院は怖がってなかなか連れていきたがらず、

なんとか説得して、リツアン号で急いで緊急病棟に運ぶとすぐに

重度のマラリアにもかかっていて輸血が必要と。

 

ここでは病院の血液のストックがなくなってしまわないように、

輸血が必要な患者さんの家族が必要な分だけの献血を

すぐにし、輸血をするシステムです。

 

家族がHIVも含め何かの感染症や、栄養失調などで輸血する人が見つからない場合、

誰でもいいから献血してくれる人を探してその人にお金を払うことが一般的です。

 

今回、ジョージの場合も輸血してくれる家族が見つからず、

私が献血しようと病院に向かうと、近くの村からいとこが来て献血してくれて

2度目の輸血を無事に受けていました。

 

入院中、ジョージと泊まり込みで付き添っているおばあさんたちに食事を運び、

ジョージは、3度の輸血も受けて、徐々に体調が回復していき、

しっかり話せて、食事もでき、歩けるようにもなりました。

そして約2週間の入院のあと無事に退院出来、今では

またアシャンテママの教室に元気に通っています。

 

おばあさんに、「もしあの時、大きな病院に連れていかなかったら

きっとジョージはあのまま死んでいたと思う。」と

とても感謝されました。

 

 

ご支援をくださる皆様本当にありがとうございます。

 

 

 

写真 休み時間にも遊びながら勉強する子達

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

子供達のお布団

 

 子供達の眠っているお布団。

 

 竹でできたベットで眠っている子、

 わらが中に詰まってまわりをずた袋何枚もで縫い合わせたマットのようなもので

 眠っている子達(ずた袋もたくさん買うにはお金が必要でみんなが持てるものではない)もいますが、

 

 多くの子供達は、電気のない家で地面にそのままござやずた袋をひいて毎晩眠り、

 雨期の時期は、わらの屋根から雨漏りして水のたまった地面を避けて

 みんなで固まって横になり。眠っているとネズミが手足を血がでるまでかじってくることもあり。

 今夜もどうか強盗たちが来ませんようにとお祈りしながら眠りについたり。

 

 子供達が亡くなってしまう高い原因のマラリアにだけは

 せめてかからないように、休まず通った子達には、蚊帳を渡させていただいています。

 

 みなさまのご支援心から感謝申し上げます。

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)
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