カタール




日本からモザンビークに戻る飛行機、
カタールの首都ドーハで乗り換えでした。

前も確かバングラデッシュからトルコに移動したときに
カタールで飛行機を乗り換えました。

空港の中だけでもイスラム教の衣装をした
女の人も男の人も子供たちもたくさんいて、
アジアから始めての
中東で見慣れていなかったので
なんだかびっくりしたのを覚えています。

カタールは世界で一番裕福な国だと聞いていました。

国土は秋田県ぐらいの広さで
大部分は砂漠のような荒れた土地で、
国の人口の割合、カタール人は13パーセントしかいなくて
あとは全員、外国の移民のかただそうです。

夜歩いていてもとても安全だと
住んでいる人たちが感じる世界一の国だとネットででていました。
(ちなみに日本は27位だそうです。)

中東の国にいく場合、
外国人でも髪の毛とか肌をなるべく隠さないといけないのか、
足の形がでてしまう普通のズボンは履いても問題がないのか
調べるようになりましたが、カタールはドバイなんかのように
モダンで近代的な感じで全然問題はなかったです。
(イエメンとかオマーンは肌はなるべくださないようにしてました。)


カタール空港のエレベーターで一緒になった男性に
私があまりに大荷物でエレベーターのドアに
荷物はさまってたりして一人で慌てていたら、

「どこの国からきたのですか」と聞かれました。

私が「日本からです」と答えると
この男性は

「私はヨルダンからです。 日本とヨルダンは
少し前にとても悲しいことがありましたね。」
と悲しそうな顔をして言いました。

私は思わず、こんな風に言ってよかったのかわからなかったけど、
とっさのことで、悲しそうにした年配の男性の顔を見て、
ヨルダン人で亡くなってしまったかたのお悔やみを伝えたあとに、
「ヨルダンのみなさまが心配なさってくれたと聞きました。
私たちは感謝しています。」と言いました。

そしたら彼は

「日本はいつも昔からヨルダンを助けてくれていてヨルダン国民も
 とてもありがたく思っています。 ありがとう。」
と笑顔で言ってくれました。



あんなに素晴らしい国に感じたシリアそれに
イエメンまで内戦になるかもしれないとモザンビークのニュースでも
やっていました。

数日前も、ウクライナ出身の子でモザンビークの
別の州に住んでいる子から電話がきて、

「私のウクライナの家族は問題の地域からとても
離れた場所に住んでいて安全だけど
やっぱり心配、ウクライナこれからどうなるんだろう」って。

国が平和であること、安全がある程度あること、
これは何にも変えがたいことだといつも思います。

そう思うとこうして普通に生きていること、
大げさかもしれませんが、
奇跡を生きているのかもしれないと思ってしまいます。



写真。

カタールの首都ドーハの
旧市街のような感じのマーケットの写真。

近代的な高層ビルもたくさんで、
市内のモスクもライトアップされていてきれいでした。




栗山さやか * 国などについて * 23:59 * comments(6) * trackbacks(0) * - -

シリア


2006年の4月ぐらいに
トルコからシリアに陸路で入りました。

私は60か国ぐらい行きましたが、
バックパッカーで知り合った子たちは100か国以上
回っている子達もいて、そのいう子たちの中でも
特に行って良かった国に、シリアとかイエメンが入っていました。

私もこの2か国を含めて、中東は行く予定も全くなかったし、
想像していなかっただけに実際行ってみたら、
雰囲気,それに人々がとても素晴らしかったです。

60か国ぐらい行った中でシリアが一番、あんなに
現地の人たちに笑顔で挨拶された国かもしれないです。

シリアのアレッポやハマという町でも「ウェルカムトゥシリア」ってたくさんの現地の
人たちが道ですれ違ったときなんかに声を掛けてくれました。
当時は、外国人のうちらも夜普通に街を歩けました。

ただの短期間の一旅行者としては
とても平和で穏やかな国に感じました。

あれから8年以上経って
アレッポの町がボロボロだと聞いてとても悲しく思います。
現地の人たちどうか元気でいてくれたらと思います。

突然、自分の町が戦場になってしまうということ。
家族を殺されるということ。 そういう状況で大人になるということ。



写真は(1枚目)アレッポという町のアレッポ城(紀元前10世紀に建てられた)
というお城からアレッポの町を撮った写真です。

(2枚目) このくるくる回ると広がるドレスが人気みたいで
町中でみんなが楽しそうにみていました。

(3枚目) 迷路みたいになっているスークと呼ばれる
マーケット。きれいなランプや布なんかなんでも
売っていました。








栗山さやか * 国などについて * 03:23 * comments(10) * trackbacks(0) * - -

エボラ出血熱


モザンビークでもエボラ出血熱の感染は報告されていません。
モザンビークの首都マプトに住むギ二ア出身の友人から
電話が来て、去年の終わりぐらいから感染が拡大しているエボラ熱
いつ終焉するのかなぁって心配していました。
 
彼は貿易の仕事をしていて、
「中国へにんにくの買い付けに行きたいけど
ビザ発給拒否されてしまったって言っていて、
彼はギニア出身でギニアのパスポートですが
ケニアに長く住んでいてギニアにはもう10年近く帰っていないけど
それでもやっぱりギニアのパスポート持っているだけで
今はビザ発給は難しいって言われた。」って。
 
ギニアから南アフリカに来た友人も空港で入国拒否されてそのまま
ギニアに戻っていました。
 
モザンビークに住んでいるギニアのほかの友人は南アフリカとの国境で、
入国拒否されてでもしつこくお願いすると
「ビザ発給はできないし、パスポートに入国スタンプ押せないけど」って
言われて、賄賂を渡してそのまま通してもらったそうです。
 
「南アフリカ国内で、警察とか移民局の人に
パスポートとビザの提示求められたらどうするの?」って聞くと、
 
「黒人警官だったら、モザンビークの
警察みたいに賄賂渡せば全然大丈夫だと思うけど、
白人警官だったらきっとアウトだね。。無事に帰ってこれるといいけど。。」
 
ギニアでは、エボラ熱の原因は、
「白人がアフリカ人を殺すために
わざとまいているウィルスだっっていううわさもあるし、
外国の製薬会社が、もうけるためにわざと
ばらまいたウィルスだってうわさもあるよ。
だってコンピューターのウィルスも毎年色んなウィルス出現しているけど、
それ作っているのアンチウィルス販売している会社が
もうけるためにしているんでしょう。きっと
それと同じだって言ってる人いるよ。」
って言っていました。
 
日本でもたくさん報道されていると思いますが、エボラ出血熱、
感染してしまったかた、そのご家族、治療に当たる医療従事者、
一日も早い回復、感染の広がりが抑えられることを願っています。

 
栗山さやか * 国などについて * 01:56 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

ゴミ山のこと。



モザンビークにはたぶん、しっかりドラマとか映画を作る会社とか
ないみたいで(ここの州で放送してないだけかもしれませんが)

外のマーケットでナイジェリアやアンゴラの映画のDVDが売っています。

かなり前に買ったとき一枚240円?ぐらいだったと思います。

ハリウッドの海賊版?(字幕が中国語だった)も

途中で見れなくなったりしますが、買えます。
 

テレビ今は3チャンネルも見れますが、
ポルトガルや、メキシコ、ブラジルのドラマがやっています。

ときどきモザンビークのドキュメンタリーみたいなのもやっています。

 

前にもドキュメンタリーがやっていて、

首都でごみを漁って暮らす人々の生活が流れていました。

 

漁ったごみを映していたのですが、

大量のハエに囲まれながら、

大きな大ぶりのチキンを拾っておいしいーってほうばる若い男の子が

写っていて、あまりにもそのチキンの足の部分が立派で私も

おいしそう。。と思ってしまいました。

 

ネットで写真が載っていたので載せますね。

(ポルトガル人の写真家さんが撮られたそうです。)

 

http://www.mdig.com.br/index.php?itemid=20400

 

 

http://www.joseferreira-photographer.com/19192/184078/projects/trash-land

 
写真を撮ったかたが、腐った犬の頭を食べてた人もいて
とても心が痛んだとCNNのニュースでも言っていました。

 

インタビューに答えていたゴミ漁ってた子が、

拾ったゴミを売っていい日は1日で3000MTs稼いだりもするって。。。

 

3000MTS= 9000円!!! です。

 

ここの人たちの政府が定めた最低の1か月のお給料は8250円です。 

 

この仕事につける人は本当に一握りでほとんどの貧しい人たちは

自分で小さな畑を鍬一本で耕してそれを食べてなんとか暮らしています。

薪やわらを奥に行って切ってきて路上で売ったりもしています。
子どもがたくさんいる女性は1日一人あたり、20円以下とかで暮らして
いたりもします。1か月に1000円を稼ぐことも
難しいかたがたくさんいます。


物価もここで採れるかぼちゃの葉、さつまいもの葉とかは
まだ安いけど
普通のちょっといいものは値段、
日本より高かったりします。

 

工場で作られた、粉ミルク1缶(400g)660円とかコーヒーの粉(250g)
1330円とか
チーズ、1200円! コーラ1缶90円から120円。

全然可愛くない一番安い自転車7800円。
 

全部首都や南部の工場で作られていたり、モザンビークにはなくて

隣の国の南アフリカから陸路でローリーなんかで運ばれてくるので

運搬費がかかるためここではとても高くなってしまいます。

 

一度、この町までの道が大雨で悲惨な状態になって

ローリーとかトラック、車が通れなくなってしまって

その時、町中の砂糖が品薄になりふつう1K120円で買えるのに

この時は一気に240円にまで値上がりしました。

 

このゴミを漁って生計を立てている人たちの映像、
新しいごみを載せたトラックがやってくるとわーってみんな群がって
我先にとまだ走ってるトラックの荷台のごみに飛び乗って漁っていて

たまたま一緒に見ていたここの町に住む友人は、
じーと見ていて、

 

「こんなゴミ山あったらここの人たちももっと生活楽になるのにね。

食べるものや売れるものが探すだけで毎日手に入るなんて首都はいいね。

ここのゴミだめは、食べ物なんて落ちてないもんね」って。

 

日本にいたとき、どこかの貧しい国でゴミ山で暮らしながら

生活している家族のテレビがやっていて

なんて悲惨でかわいそうなんだろうって

思ったの思い出しましたが、臭いもすごいだろうし、
衛生上の問題、細菌感染等々問題は大ありですが、
それでもうらやましいっていう発想があることに
また考えさせられました。

 

人が食べ終わって捨てた地面に落ちている

マンゴのたねの部分とか、さとうきびのかすとか拾って
さらに吸ったり
腐ったおいも集めて

空腹を満たそうとする子達がいること、

それはここでは珍しいことじゃないこと。

 

あと何年経ったらこういう状態は変わっていくのかなと

思います。。

 

私ももっと頭を使って考えていきたいです。

   

 

 

写真。

 

レタスはここでも売られていますが、

高価な野菜です。

1個で売られているんじゃなくて、

数枚がちぎって15円からで売られています。

 

貧しいみんなにはもちろん買う余裕はないです。

 

勉強小屋の前の年の終わりの会でも
レタスを買わせていただきましたが、

予算、けちってしまって、
小さいくしゃってなったレタスの葉
1人一枚ずつしかあげれなくて、

去年の終わりの会には奮発して
1200円分ものレタスの葉を買わせていただいて、

みんなで食べました。みんな大興奮でした。

 

みんなのレタス付きのご飯を食べている嬉しそうな
写真を撮ろうと思ってカメラ持ってうろうろしてたら

写真の女の子、
私が地面に落ちたものは食べちゃダメーっていつも言っているので

落ちていた腐りかけの部分をばれないようにこっそり拾って

自分のコップにいれて、勉強小屋の隅で食べていました。

あとで「レタスおいしいよね。 でもこれはもう食べれない部分だから

おかわりもらおうね」って言って

おかわりをあげたらとても喜んでいました。 

ご寄付についてのご質問いただき本当にありがとうございます。
日本には協会の受け皿がないため、ソニーデジタルさんが
ボランティアでご協力してくださっています。
毎月、月末にいただいたご寄付の全額を
送ってくださっています。

また詳細ゆっくり書かせてください。

 

 本当にご支援、コメントもありがとうございます。。


  

 





栗山さやか * 国などについて * 21:46 * comments(11) * trackbacks(0) * - -

花火の音


 

日本のこの時期は、きっとまだ暑い毎日で、
おそーめんとかアイスクリームとか、

夏のおいしい食べ物を想像したり、夏祭り、プールとか海とか

お盆休み、花火大会とかだったなぁっと
思って子どもだった頃よく色んなお祭りとかに連れて行って
もらったなぁと思います。


そういえばアフリカで空にあげてみる花火も
自分でやる花火も一度もみたことがないです。

でもアフリカでもきっと首都とか

とてもまれだと思いますが、

都会だと花火をあげたりする場所もあるみたいです。


 

前に、ビザの関係でモザンビークからマラウイに行ったときに

ちょうど年明けのときで、夜爆竹の音が鳴って、

外でマラウイの人たちがみんなでお祝いしていて、

「お祝いの爆竹だねぇ。」なんて一緒に行ったモザンビークの子達に

のんきに言ったら、、モザンビークの人たち
みんな爆竹の音、すごい怖がっていて、

一気に無言になってそれぞれ急いで

宿の自分の部屋に戻っていってしまいました。
 

お祝いのただの爆竹の音なのに、みんなは子供だった頃、
内戦でいつも聞いてた銃声の音を思い出して

危険だ危険だって。

 

いつだったかモザンビークの別の栄えている州に住む友達も

大統領訪問にあわせて花火を何発かあげたみたいで

でも現地の人たちは、花火をあげる音が内戦のときの音を思い出すみたいで

みんな花火がきれいって見上げるんじゃなくて、

ただ怖がっていたんだよーって言ってたことを思い出しました。

 

時々見るテレビのニュースで、

エジプトや、シリア、政治の問題とかで、とても危険になっているって聞いて

バックパッカーしてた頃、すごく町の雰囲気、人たちの雰囲気がが良くて
数日間いた町で殺し合いがひどくなってるって聞いたりして

本当に悲しく思います。


特にシリアの首都や町なんか、
本当に安全で夜遅くまでみんな普通に歩いていたし、

外国人のうちらも普通に夜、外にご飯食べに歩いて行ったり、

現地の人たちもモスリムの格好で
女性は目だけでてるブルカ?ニカブ?とかだったけど、

みんな道をすれ違うと笑顔で挨拶してくれて、

いままでいった60か国ぐらいの国で、唯一たくさんの人が

「ウェルカムシリア」って全然知らない人たちなのに

町ですれ違うと笑顔で言ってくれたりしていて。

 

こういう国の問題、政治の問題で巻き込まれて行ってしまう人たち

安全でなくなってしまうこと、
今までの普通の日常生活ではなくなってしまうこと

そういう環境で育つ子供たちが受ける心の影響。

 

平和とか普通の毎日がある幸せ本当に大切だと思わされます。

 



色んな国で安全な毎日が過ごせている人たちが

どうか増えてくれますようにと思うばかりです。。

 

 

 

写真。

協会の子どもたちもイスラム教の子たちが多いです。
この町には立派なモスクもあります。

2枚目の写真は、町のはずれのモスク、
やっぱり入口には、入る前にしっかり
手足を洗うように水がめが置かれています。


3枚目の写真。

 協会の女性たちの畑に肥料になるとうもころしのかすを
 子どもたちも大きなずた袋を頭に乗せて運ぶの手伝ってくれました。

 ここでは、イスラムの女性たちが被るのをブイブイっていいます。
 つい最近、モザンビーク政府もフランス政府とかほかの国みたいに
 学校とかでこのブイブイ使用の禁止を発表しましたが
 すぐイスラム教の人たちが大激怒して、今後一切政府と関わりをもたないって
 声明を出して、それを聞いた政府は急いですぐ撤回したようです。。









栗山さやか * 国などについて * 16:28 * comments(9) * trackbacks(0) * - -

トイレットペーパーと読み書きのこと。


 
北部のモザンビークにきたばかりの頃、
1MT(モザンビークの貨幣) が5円!もして、
物価の高さにおののいていました。


バックパッカーしてた頃、いつもどこの国でも
普通に安く買えたトイレットペーパーも
ここでは高くて (お金持ち層の人しか買えないものだし、貧しい人たちはマーケットで
売られているのを見てもなんに使うかも知らないです。。)
うすっぺらいちゃっちいトイレットペーパーが一個75円もして
1ヶ月で自分で使えるお金の額をしっかり決めて
やりくりしていたので、買える余裕がなくて、
ここの公用語を覚えるために
ノートに書きまくってた使い終わったページをやぶって
くしゃくしゃにしてそれでお尻ふいていました。。


世界中の人がトイレットペーパーとかティッシュを使うようになると
世界中にある木が1日?数日?で
全部無くなっちゃうって聞いたことありました。

アラブ系やインド人の友達は
お金持ち層でもトイレットペーパーを使う習慣は
あんまりなくて、水を使ってお尻きれいにします。

前にモザンビークの別の州で一緒に生活していた、
仲良しのインド人の友達は、

「トイレットペーパーより
手を使って水できれいにしたほうが
絶対お尻きれいになるよー。」って断言していました。
(鼻かむときとかは、彼たちもトイレットペーパー
 使ってました。)


アフリカの子達も水できれいにするか、それかそのままなにもしないようです。


アラブ系の国は、
水洗トイレの横に小さなシャワーホースみたいなのが
備え付けてあります。(ボタンを押すとブッシューって水が出てくる)

でもやっぱり一度またトイレットペーパーを買ってしまって
使うようになったらその使い心地の良さに感動してあと
1MTも3円ぐらいまで下がったので
もう最近ではトイレットペーパー命になってしまっています。
なるべくちまちま使うようにしています。

トイレットペーパーを
ひとつ使い切ってしまうとまた新しいのを買いたいから
あー出費ってがっかり思ってしまいますが、
逆にノートとか、ペンを使いきったときは小さな幸せを感じます。


私は自分が読み書きができるように
教育を受けさせてもらったことは
本当に特別なことでありがたいことだったんだなぁって
アフリカに来てからいつも思います。

だからペンを無くすこともなく使え終えると
自分の読み書きの能力を無駄にしてない気がして
なぜかほっとします。


今回、本を出させてもらって父親と電話で話していたときに

父親が 私の兄にも本を渡してくるって話していて
私はそのとき最初に思ったことは、
私のお兄ちゃん、字読めたっけ。 ってふと思いました。

そのあと、当たり前だよーーって我に返りました。

日本だったらきっと100歳のかたでも
読み書きが出きて新聞とかも読めて
それって今思うとすごすぎることだと思います。

昔日本にいたとき
テレビに出ていたアフリカ出身のひとが
「日本人の100%の人が読み書きが出来るって聞いて
びっくりして倒れそうになったっ」って話しているのを聞いて
私のほうがそんなの当たり前だよーってテレビみながら
思ってたこと思い出しました。


私の住んでいる州では、
きっと女性だと20%ぐらいのかたたちしか
読み書きできる人がいないと思います。
(州の統計で男の人も合わせた全体で
35%って言っていたような。。これからあがっていくとは
思いますが。。)

村だけだとさらに恐ろしく確率は下がります。。

鉛筆やペンを今までの人生の中で
握ったこともない人たちもとても多いと思います。

そういえば、
54カ国あるアフリカの国で、独自の文字が存在した国は、
エジプト、リベリア、エチオピアなどの数カ国だけだって聞きました。

アフリカは1900年頃、ほとんどの国は
ヨーロッパに支配されていった中で、
エチオピアとリベリアは唯一、
ヨーロッパの国々に植民地されずに
撃退できた理由は
文字が存在して国民が読み書きができる優秀な国だったからって
エチオピア人のお医者さんたちが嬉しそうに言っていました。
(6年ぐらいイタリアに占領されただけみたいです。
モザンビークはポルトガルに500年以上支配されていた。)

ほとんどのアフリカの国は、
ひとつの国の中にたくさんの言語があっても
文字というのは存在しなかったようです。


植民地時代にヨーロッパの言語が入ってきて
それで現地の言葉をアルファベットを当て字っぽくして使ったり。
マラウィのチェチェワ語もアルファベットを使っています。

話す言葉は存在するのに、それを書くのはできないって
不思議な感じがします。
だからアフリカには
色んな大昔の歴史の資料が圧倒的に少ないみたいです。




ここの私と同年代の子達は、内戦の影響があって、
昔は、みんななかなか学校に通うことは難しかったり
あとは学校へ行くよりも、
水汲みや薪、わら集め、小さな兄弟たちの世話、
貧しさから食べ物確保のために畑を耕したりして
子供時代を過ごしていた人たちがたくさんです。


今もたとえ学校に通っていても、先生ちょーいい加減だったり、
1人の先生に100人ぐらいの子供たちが地べたに座っていて
授業になってなかったりして、
高校生になって初めて
自分の名前書けるようになったとかも聞きます・・。

勉強小屋で協会の子供たちに読み書きを教えていたときも
先生をしてくれていた高校3年生だったルーキア
たまたまだと思いますが、「お母さん」のつづり間違えてたり
アルファベット最後までかけなかったり。。。

協会の女性たちも
ほぼみんな学校に通う機会のなかったかたたちなので
近くにあるキリスト教の教会で
政府認可の大人の人向けのクラスを開いていて
そこにみんな登録をするように進めています。

この間無事に修了テストがあって、数人の女性たちが嬉しそうに
その答案用紙を持ってきてくれました。

私と同じ年のぐらいの方達がたくさんの子供たちを育てながら
小学校3年生クラスとかで頑張っているのを見て嬉しく思います。

やっぱりいくつになっても勉強をすることはいいことだなぁと思います。

写真。
 小さな兄弟のお守りをしながら勉強しています。



栗山さやか * 国などについて * 11:58 * comments(3) * trackbacks(0) * - -

アフリカと中国。

   

   モザンビークの首都に行ったとき、
 なかなかおしゃれな新しい建物がどんどん建設中で、
 「すごいねぇーますます都会になるねぇっ」て
 一緒にいた首都出身の友達に言うと、
 「ほとんど中国の人たちが建ててくれてるよっ」て。

 ピンクの壁の洋風なアパートとか、
 モザンビークで一番高いビルは33階らしいです!(中国のかたが建てた?のかは
 聞くの忘れちゃいました。)
 東京と比べたらへーって感じですが、アフリカで、33階はかなりすごいと思います。


 ここ数年で、アフリカ大陸のすみからすみまで
 中国が援助に乗り出しているって前にも聞きました。

 コンゴ人の友達が、アフリカ全部で54カ国あるけど、その50カ国ぐらいと
 中国は強いつながりを今では持っていて、援助という名の、
 将来を見据えたビックビジネスな感じだよーって。


 アフリカは自分たちの国の会社が、道路や建物を建てたりする技術などが
 まだまだなので(南アフリカは別)、中国から莫大な援助のお金と
 技術、労働力が来ているってききます。

 「お金の援助も技術援助もすごく助かっているけど、
 援助と引き換えに色んなビジネスの権利?とか
 石油とかの資源の権利?とかをかなり獲得していってもいるよーっ。

 アフリカにたくさん怪しい危険な核?とか作れる資源とかあるから
 それが中国のものになっちゃったらだいぶ怖いかもね。。」って。

 あと逆に中国からの輸入品、食べ物とか、
 先進国には検査とかあるからなかなか難しいけど、
 アフリカ検査する場所もないし、売れなかった余ったちょっと危険な
 食べ物とかアフリカに大量に投げ売りそうだよねって。。

 誰かがアフリカは昔のヨーロッパ諸国の植民地化から、
 今はアメリカ、インド、中国の影響力が大だねって。

 これからも特に中国のアフリカへの進出はますます広がっていくようです。

 
 中国製品が安すぎて
 現地の小さな会社が潰れてしまう。。っても聞いたりもしますが、
 中国からの大量の安い輸入品のおかげで、
 アフリカの貧しいひとたちにも
 色んなものが安く手に入るようになっています。
 (大切な情報源になる電池で聞けるラジオとか)
 
 ちなみに、ここでは、中国の映画のDVDがたくさん売られています。
 戦いものばっかりですが、アフリカのひとたちは、空手とか戦いもの大好きだし
 あと言葉がわからなくても殴り合いのシーンばっかりだから
 楽しめるからみんな大好きです。
 時々、残酷すぎるシーンがあり過ぎるような気もしますが・・。(レイプシーンとか。。
 みんな笑ってみてたりもする・・。しかも女の子たちも。。)

 ちいさなわらでできた小屋とかの中に小さなテレビとDVDがあって
 1回4円で、映画館みたくなっています。
 地べたにみんなで座ってみてます。 

 電気がきてない村でも、裕福なうちのかたが、
 自家発電器を使ってたりします。
 子供たちも大人のひとたちにとっても映画、すごく大切な娯楽のひとつです。

 なんかの中国の映画のシーンで
 犬とかへびを食べるシーンが時々あるみたいで
 前に1人で道端歩いてたときに、かわいい犬がたまたまいて、
 じーと見ちゃってたら
 そばにいた、おばさんに「食べたいの?」って聞かれました・・。
 「中国人は犬、食べるの好きなんでしょ?映画でみたわよっ」って。。

 この町にもついに中国人の女性が旦那さん?と一緒に引っ越してきて、
 中国の雑貨やさんをしています。
 
 ヨーロッパにたくさんある中国人のかたが経営している
 1ユーロショップより、質も品数もがくんと落ちますが、
 たぶんここ内陸部なので、商品運ぶのの運搬費がばかにならないからか
 値段はかなり高いです。。
 でも、なかなか色んなものが売っててみてるだけで楽しいです。

 中国産のおしょうゆが売っていました。1本500円もしたけど、
 またいつか買って目玉焼きを作って食べたいです。

 この雑貨やさんの中国の女の子とも少し会話しましたが
 感じがとてもよかったです。
栗山さやか * 国などについて * 06:50 * comments(2) * trackbacks(1) * - -

コンゴのこと。

 

 近所の友達の一人にコンゴ人の難民としてモザンビークで
 暮らしている子がいます。

 この友達みたいに、難民として隣国に逃げてきたかたが
 アフリカの色んな国にはたくさんいると思います。

 モザンビークには難民として、入国してきたソマリアや、
 コンゴ民主共和国のかたが多いんじゃないかなって思います。  
 逆にモザンビークのかたも内戦のときに、
 隣国のマラウィやジンバブエに逃げたかたがたくさんいます。

 コンゴ人の友達も、最初は、タンザニアに逃げて、
 他の大勢の難民の人たちとテント暮らしを5年間して
 それからモザンビークに入って、
 今はキリスト教のかたたちのところでボランティアをしています。

 お昼ご飯に招待してくれて、
 一緒に固いパンと温かいお茶を飲みながら、
 いろんな昔の話をしてくれて、
 テント暮らしたいへんだったよね。。ってなんとなく聞くと

 「刑務所の中に何年間もいた気がするよ」って。

 1ヶ月で数キロのしま(主食)の粉
 (普通1ヶ月一人15キロぐらいは必要だと思います。。)と
 ひとつのせっけんと、少しの油が支給されるだけで。
 何をするにも監視されてて。
 テントに何百人と生活して。

 22歳から27歳までテントで暮らしていたよって。
 そこでみんな子供も大人もたくさん死んでいったよ。って。


 コンゴ(旧ザイール)は
 ベルギーの植民地だったから
 公用語フランス語とあとは現地の言葉で、
 地下資源にたくさん恵まれている国です。

 なのでその地下資源をめぐって紛争が
 今年の2月まで続いて
 今でもとてもとても不安定で危険なようです。


 北朝鮮とか中国と仲がいいみたいです。
 コンゴがめちゃくちゃになったのは、
 欧米諸国のせいもたくさんあるんだよって。

 「国際援助なんかもきてるけど、
 結局誰が陰でこの紛争の軍、援助してるの?
 どこの国が戦うための武器を売っているの?
 アフリカには武器を作れるだけの工場も知識もないんだよ。」って。
 (超発展している南アフリカにはあるみたいです。。)

 コンゴ、読み書きできる率もとても高いし(80%ぐらい?)、
 教育制度はモザンビークとは比べ物にならないぐらいいいよって。
 モザンビークの人たちの生活は本当に貧しいし、生活水準も全然違うよ。
 コンゴは紛争さえなければ、、って。

 でも内戦とか紛争が起こったときに、
 住民の人が一番怖いのは、
 敵とか味方とか関係なく、
 国の兵士の人たちが
 がんがん家の中に入ってきて
 持っている銃やナイフで殺していって、
 家中のもの奪ったり、焼き払ったり、子供たちを誘拐して、
 戦闘のための軍の一員として育てあげてたり、
 女性も小さな女の子たちもレイプして。
 政府の軍も組織の軍も兵士にお給料なんか払わないから、
 兵士も生きていくために、
 食べるものとストレスのはけ口で
 普通の人たちを襲う生活をずっと続けて。

 彼もしっかり大学で勉強していたのに
 そういう国の事情で勉強を諦めて
 持てるものだけもって死にものぐるいで
 国を出るってどういう気持ちなんだろうって思いました。。

 ソマリア人の難民の友達も、
 ソマリアに警察なんか存在しないよ。
 泥棒がいれば、殺して、
 家族の誰かが殺されれば、
 こっちの家族もその殺したやつを殺しにいくんだよ。
 復讐のために殺し合いだよって。

 今でも、たくさんのコンゴやソマリアの人たち、
 難民として色んな国で生活していて、
 彼も何年も家族とばらばらになってしまったままで。

 彼と話す前、友達に誘われていった日曜日の教会で
 前のほうに立ってた彼はじめて見たとき、
 なんかこの人、大声で歌って踊ってて幸せそうだなぁって
 ぼんやり思ってた
 自分こそがどんだけ幸せもので
 ぼけっとしてんだろうって思いました。

 自分が生まれた場所がたまたま安全な国だったこと
 自分の意志で生活できてることに感謝していくこと
 忘れちゃいけないなとまた改めて考えさせられて気づかされました。
栗山さやか * 国などについて * 07:45 * comments(2) * trackbacks(0) * - -

イスラエルのこと。



  スワジランドでイスラエルの男の子と一緒になって
一緒に移動していました。

イスラエル、前に行ったとき、
パスポートにモスリム系の国のスタンプあると入国審査で
すごい色々聞かれるよって
聞いていて、確かに色々聞かれました。
このときあったどっかの国の男の子も
アフガニスタンに行ったことがあって、
6時間ぐらい待たされた上に
荷物さんざん調べれたけど
無事入国できて喜んでいました。

逆にイスラエルのスタンプがあると
アラブ系のいくつかの国は、
入国拒否されて入国できません。

首都のジョルサレムと少しガザ地区にいっただけでしたが、
一箇所の旧市街の中に、
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の
聖地があって

ユダヤ教の格好した男の人たち
黒い服装に黒い長い帽子でこめかみのとこの髪の毛
伸ばして三つ編みみたくしてて、
ここの髪の毛は神様と
つながってるから滅多に切らない?とかなんとか聞いたような。。

イスラエルは男の子は3年、女の子は2年
 全員に兵役の義務があって拒否した場合、
特別な刑務所に入れられるって前に聞いていました。

普通高校卒業したら、兵役に数年行って
それから大学に入ったり就職したりするようです。

兵役が無事終わった後に、数ヶ月バックパッカーで
アジアにいったりする子が増えているみたいです。

どこに配置されるかにもよるみたいですが、
ほぼ全員女の子も男の子も
銃の使いかたと戦車の運転を覚えるって聞きました。

確かにイスラエルの美人な女の子たち、
ばっちりネイルと化粧しつつ、
軍服に大きい拳銃かついで町なか歩いてたなぁって思いました。

パレスチナの問題いつまで続くのかなって聞くと、
たぶん、ずっと終わらないよ。って。 小さな国なのにねって。

ガザ地区に住んでいるかたたちは、
そこから出る許可をとるのはとても難しくて
ガザ地区内の病院環境もいいとはいえないと思うよって
言っていました。

日本はいつ出来たのってはじめて聞かれて、
ちょっと戸惑いました。

イスラエルはイスラエルが出来て
今年でちょうど60年経ったそうです。
栗山さやか * 国などについて * 22:16 * comments(4) * trackbacks(0) * - -

スワジランド。

しばらく移動移動していて、
今は南アフリカから、スワジランドっていう
アフリカの中で一番小さな国にきました。

もしかしたら、いつかやられるかもって思っていた
銀行カードコピー、
ちょっとだけいた南アフリカでやられていて

お金たくさん知らない間に誰かに引き出されてて
ショックでくらくらしながら、
急いで日本の銀行に電話できる場所探して、
現地の警察の証明書もらわないとって思って警察に行って、
そしたら警察の人すごく親切でしっかりしていて倒れそうでした。


モザンビークとか周辺の国何回も出たり入ったりして、前にも書きましたが、
モザンビークの警察の人のだめだめさと
行ったら危険な場所ってイメージが
警察にはあったので
スワジランドはどうなんだろうって思って
一瞬警察署行くの悩みましたが
全然モザンビークとは違いましたっ。

北部のモザンビークでは警察の人に
道端でいきなり荷物検査されて、
これちょーだいって言ってきたり、
荷物検査してあげた代請求されたり、
現地の子達も、みんな警察が泥棒だから気をつけてって言います。

前にも知り合いのインド人のおうちにも泥棒が入って
家中のもの全部盗まれちゃって警察呼んだら

犯人追跡するためのガソリン代が必要ですって言われて
次の日、犯人は南アフリカとの国境沿いにいて
ガソリン代がまたかかるのでってまたガソリン代請求してきて、
それからその後も警察の人電話してきて、
色々とお金の請求が延々と続いて、
結局犯人捕まんなくて
お金たくさん警察に払っただけで
そのインド人の友達、警察呼んだの大きな間違いだったって
残念がっていました・・。

この間、モザンビーク出てくるとき乗った大型のローカルバスに
友達のコンゴ人の旦那さんが
たまたま乗っていて、
大きな町に入る手前、
警察の検問で警察の人がたくさん
バスに乗り込んできて、
そしたら旦那さんのコンゴ人の弟さん
なんにも悪いこといもしてなくてビザもあるのに、
警察の人に無理やり連れて行かれてしまって。。

残された旦那さん大きな声で、
どうしてモザンビークの警察はこうなの?って
叫んでいました。

こういう場合、前にソマリアの子たちから聞きましたが
意味なく恐ろしく汚い刑務所にいれられて、
数日後に高額な釈放代を請求されることがあるって聞きました。。

本当に理不尽だと思います。

今泊まっているスワジランドのバックパッカーの宿にも
モザンビークへ行く場合の注意点って張り紙があって、
マラリア、地雷、警察官って書いてあって本当だよーて
思ってしまいました。

隣の国マラウィだと、みんな道とか行きたい場所
わからなくなったら警察に聞くといいわよって
言って、警察のかたもとても親切なのに。

スワジランド、
HIV感染率の割合が世界で一番高い国って
聞いたことがありましたが、
国の50パーセントの人がHIVポジティブなんじゃないかしらって
現地の看護婦さんと施設を管理しているかたに聞きました。
でも識字率(読み書きできる率)80パーセントで、
HIVの薬もしっかり服用しているかたも
他の東南アフリカ諸国に比べてとても多いようです。

スワジランドの人すごく親切で
みんな一生懸命働いているイメージです。

都会にしかいなかったからわかりませんが、
でっかいショッピングモールもあって、
移動のバスから見る風景も道
どこもしっかりアスファルトで舗装されていて、
パイナップル畑とかきれいな畑で
荒れた土地はほとんどなかったような気がしました。

スワジランドの王様は、奥さん16人いるそうです。
王様の前でたくさんの女の子たちダンスして、
その中から王様ときどき選んで奥さんにするみたいです。

そういえば、昨日、宿で1年ぶりの日本の人だって
思ってはりきって挨拶したら
中国の子で、日本出てからはじめて
中国人バックパッカーの男の子と会いました。
異様に感激しました。 


栗山さやか * 国などについて * 22:13 * comments(1) * trackbacks(0) * - -
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