モザンビークの良いところ


 
この町には、町中を巡回するバスとか
乗り合いワゴンはまだないです。


でも別の町までの移動は朝4時からあります。
(満員になるまで出発しないため、出発するまで3時間待ちとかもありますが。。)

大型バスや中型バスもありますが、
まだ主流は、乗合ワゴンや
トラックの荷台がここでは一般的な乗り物です。

乗合ワゴンは日本から中古で売られてきた
トヨタのハイエースです。 ドア壊れてたり
窓がなくて埃が入ってきてしまうからその部分は段ボールを
貼っていたり。

日本だと9人乗りのものに
22人から25人ぐらいで乗ります。
中はものすごくぎゅうぎゅう詰めです。
 
でも運転手さんもできるだけたくさんの人を乗せて少しでも
お金を稼ぎたいのです。
 
移動の道はぼこぼこだったり、体制が変えられないし、
縮こまって乗っていないといけないしなので辛いし、
喧嘩がはじまったり、すりにあったりもありますが、
ほほえましいなぁ、いいなぁと思う光景も見れる時があります。
 
 
子供を連れたお母さんたちは、子供の分の料金を払いたくないので
子供を自分の膝の上に乗せます。そうすると
1人で座る場所に2人で座っているわけだから
子供運賃全くとられないことがあります。
 
これは、たぶん私が通ってきた東南アフリカの国々は
1人のお母さんに、数人の子供たちがいる場合は、
隣に乗り合わせた人の膝に乗せてもらっていることがあります。
 
「どっかいけ、しっしっ」てやる男の人もいますが、
女性だったらかなり乗せてあげています。
(私も乗せてます。ただ、膝の上でおしっこされると悲しいですが。)
 
男性も嫌がる男性よりも普通に乗せてあげる男の人のほうが
多いかなと思います。すごいときは3時間とか他人の子供が自分のひざに
乗りっぱなしのときもあって(まれなことだとは思いますが)
子どもだからしょうがないね、節約したいだろうしねって
いう雰囲気があるような気がしました。
 
それは東南アフリカ(他の国のアフリカの国でも
まぁまぁそうなんじゃないかなと思います)の素晴らしいところだなぁと思います。

※ 追記 ごめんなさい。。 私なんかよりも昔からずーと頻繁に乗り合いワゴンに
乗っているモザンビークの友人や、ケニア、モザンビークに長く住んでいるギニアの友人に聞いたところ
そんな風に他人の子どもを自分のひざに座らせてあげる人はたぶん全体のの
4,5パーセントという回答でした・・。

小さな子が泣き出したら怒鳴りつける人もいるし、
子どもが自分のひざの上に乗っていて
自分がなんか食べたい時に
その子にもあげないといけないとか無理でしょ。って・・・。

みんな自分の荷物誰かに盗まれないか膝の上で荷物抱えている場合が多いし、
だいたい病気で遠くの町の病院に連れて行かないといけないとかだったらわかるけど
何人もの子供を引き連れて
ぎゅうぎゅうづめの乗り合いワゴンに子どもを乗せる母親に問題があると思うよって・・・。

私はよく膝にのせてあげてる人見かけたよーっていうと
絶対たまたまだったに違いないって言われてしました。。。
もう少しみんなに聞いてみます。すみません・・・・。 )


あとみんなフレンドリーで銀行のATMで並んでいるときに
全く知らない人同士が突然、「お腹すいたねぇ」とか話しだすのも普通です。
(これも結構他の国でもあったかな。。)
 いきなり「仕事なんかない?」とか
「あなたの髪の毛切ってちょうだい」とかいろいろ言われます。
 
世界中きっとどんな国でも、問題や良くないところはあって、
でもそれぞれにいいところもあって。
 
「住めば都」と言う言葉は本当だなぁとも思います。
 (もちろん内戦などがある場合は別です。。)
 
危険なことや色々悲しいことも多いですが、
モザンビークの素晴らしいところなども
ブログに書いていきたいです。





写真1枚目
モザンビークで好きな花。
うちの外にもあります。

写真2枚目
うちの犬。
紫の花が地面に落ちて
きれいです。伝統治療でお茶にして飲むと
腹痛が治ると言われています。
食べれないかなぁってちょっと食べてみたら
苦かったです。。





栗山さやか | 国などについて | comments(6)

難民キャンプ


別の州にある難民キャンプを
コンゴ民主共和国出身の友人と数日間訪れていました。

数千人が生活する難民キャンプに入るには、
市内にある政府の事務所で許可証を発行してもらう必要があり
面接がありました。

厳しい顔をした担当官から
聞かれた質問に答えていき、

難民キャンプ内で写真は絶対撮ってはいけないこと。
難民の人たちに質問は一切してはいけないこと。
を約束し、市内から30キロほど離れたブッシュの中にある
難民キャンプにトラックに揺られて向かいました。

第二次世界大戦後最悪の死者数、約600万人が亡くなった
と言われるコンゴからの難民のかたが多くいて、
ソマリアのかたも多く見かけました。

自分の国から追われる、自分の国に帰れないって
どういう気持ちか。

コンゴ民主共和国では、
多くの天然資源がありすぎたために
色んな国の思惑(コンゴ人の友人は
アメリカが特に。。。と言っていました)があり。

私も昔、マラウィにいたころ、
ジンバブエの大統領が、自分がコンゴに
所有するダイヤモンドの鉱山を守るために
ジンバブエの軍隊を何万人?も送っていて
それも問題になっている記事を読みました。


この州から自分の州に戻るワゴン、
難民としてモザンビークで暮らす
コンゴ人の子たちみんなで帰ってきて、
休憩も取らずに車で走り続けても
ぼこぼこ道だったため、16時間以上かかってしまい(距離は600キロほど)
全身埃まるけになりながら
ずっとコンゴの歴史、戦争の話、ひどい殺され方の話、
難民キャンプ内での犯罪、
難民の人たちの辛い経験を聞きながら帰ってきました。

「国際的に大々的に報道されているのはうそが多いよ。
裏があるのに。。。」って。

「どうしてピグミー族を一回でも食べた人が
人食いだっていて
国際裁判にかけられるのに、
こんなにたくさんの人殺しをした人たちが
裁かれていないの?」って。


今はコンゴ民主共和国、
やっと平和に近づいてきているそうです。






 
栗山さやか | 国などについて | comments(8)

ゼノフォビア


ゼノフォビアは、
英語でもポルトガル語でもつづり、発音はちょっと違いますが
外国人嫌悪 って言う意味で
(今調べたら日本語でも読み方同じみたいです。)
モザンビークで暮らすようになってから
初めて聞きました。

数年前、モザンビークとジンバブエだったか
マラウィだったか忘れてしまいましたが、
乗り継ぐバスを国境でさがしていたときに、
屋根の上に荷物をこれでもかって
載せていた連なった何台もの大型バスが国境で止まっていて、
「なんの人たちの移動?」って聞くと

「ゼノフォビアが南アフリカで起きたから、
南アフリカから脱出してきた
外国人たちだよ」って。


(あとで調べたら2008年のことで
 外国人だからという理由で南アフリカで約70人の外国人たちが
殺された)

最近もまた南アフリカで勃発して
外国人襲撃が起り、略奪や
外国人だからという理由ですでに10人以上が殺されて
南アフリカで暮らすマラウィ人全員も退去すると
ニュースで見ました。


モザンビーク人も先週子供も含め数人殺されてしまったようで
在南アフリカモザンビーク大使館の職員のかたが、

「強制退去勧告は出しませんが、自分で判断してください。
棺おけの中に納まってわが国に戻ることになって
しまわないように。」

と話している映像が流れました。

モザンビークで石炭開発などが盛んな別の州にいた
千人以上の南アフリカの人たちも、逆に
モザンビーク人からの報復を恐れて
南アフリカに先週急遽戻っていったようです。


最近もジンバブエの91歳になるムカベ大統領
(ジンバブエが1980年にイギリスから独立してから
ずっと35年間大統領)が
「白人の顔みたくない」と白人のかた見て言ったとか、
南アフリカのズマ大統領の息子が
「外人に出てって欲しい」と発言したことがニュースになっていました。

南アフリカは、アフリカ大陸の中で
アフリカのヨーロッパと言われていて
ヨハネスブルクに何回か
行ったことがありますが、
街並みなんかは本当にヨーロッパみたいで,
「虹の国」と呼ばれるだけあって、
色んな人種のかたがいて
人々も洗練されていてとってもおしゃれなイメージでした。


アフリカのほかの国出身のたくさんの人たちが
仕事を探しに
南アフリカにいきたがっていて、
でも逆に南アフリカでは、
安い賃金で働いてくれる
他の国々の労働者のせいで
自国民の失業率が上がる一方で
賃金もあがらないという不満があると
よくニュースや人々から聞いていました。

協会の畑で、証人のひとたちを待っていたときに
近くの土地の持ち主とその話になって

この男性(モザンビーク人)は、モザンビークが内戦になったときに
家族みんなで南アフリカやジンバブエ、ザンビアに
10年以上逃げていたそうで、


「いまどき、外国人なしで成り立つ国がどこにあるのかって
 感じだよ」って言っていて
 なんだかほっと安心しました。


早くこういった問題が
なくなってくれればと思います。











 

栗山さやか | 国などについて | comments(3)

カタール




日本からモザンビークに戻る飛行機、
カタールの首都ドーハで乗り換えでした。

前も確かバングラデッシュからトルコに移動したときに
カタールで飛行機を乗り換えました。

空港の中だけでもイスラム教の衣装をした
女の人も男の人も子供たちもたくさんいて、
アジアから始めての
中東で見慣れていなかったので
なんだかびっくりしたのを覚えています。

カタールは世界で一番裕福な国だと聞いていました。

国土は秋田県ぐらいの広さで
大部分は砂漠のような荒れた土地で、
国の人口の割合、カタール人は13パーセントしかいなくて
あとは全員、外国の移民のかただそうです。

夜歩いていてもとても安全だと
住んでいる人たちが感じる世界一の国だとネットででていました。
(ちなみに日本は27位だそうです。)

中東の国にいく場合、
外国人でも髪の毛とか肌をなるべく隠さないといけないのか、
足の形がでてしまう普通のズボンは履いても問題がないのか
調べるようになりましたが、カタールはドバイなんかのように
モダンで近代的な感じで全然問題はなかったです。
(イエメンとかオマーンは肌はなるべくださないようにしてました。)


カタール空港のエレベーターで一緒になった男性に
私があまりに大荷物でエレベーターのドアに
荷物はさまってたりして一人で慌てていたら、

「どこの国からきたのですか」と聞かれました。

私が「日本からです」と答えると
この男性は

「私はヨルダンからです。 日本とヨルダンは
少し前にとても悲しいことがありましたね。」
と悲しそうな顔をして言いました。

私は思わず、こんな風に言ってよかったのかわからなかったけど、
とっさのことで、悲しそうにした年配の男性の顔を見て、
ヨルダン人で亡くなってしまったかたのお悔やみを伝えたあとに、
「ヨルダンのみなさまが心配なさってくれたと聞きました。
私たちは感謝しています。」と言いました。

そしたら彼は

「日本はいつも昔からヨルダンを助けてくれていてヨルダン国民も
 とてもありがたく思っています。 ありがとう。」
と笑顔で言ってくれました。



あんなに素晴らしい国に感じたシリアそれに
イエメンまで内戦になるかもしれないとモザンビークのニュースでも
やっていました。

数日前も、ウクライナ出身の子でモザンビークの
別の州に住んでいる子から電話がきて、

「私のウクライナの家族は問題の地域からとても
離れた場所に住んでいて安全だけど
やっぱり心配、ウクライナこれからどうなるんだろう」って。

国が平和であること、安全がある程度あること、
これは何にも変えがたいことだといつも思います。

そう思うとこうして普通に生きていること、
大げさかもしれませんが、
奇跡を生きているのかもしれないと思ってしまいます。



写真。

カタールの首都ドーハの
旧市街のような感じのマーケットの写真。

近代的な高層ビルもたくさんで、
市内のモスクもライトアップされていてきれいでした。




栗山さやか | 国などについて | comments(6)

シリア


2006年の4月ぐらいに
トルコからシリアに陸路で入りました。

私は60か国ぐらい行きましたが、
バックパッカーで知り合った子たちは100か国以上
回っている子達もいて、そのいう子たちの中でも
特に行って良かった国に、シリアとかイエメンが入っていました。

私もこの2か国を含めて、中東は行く予定も全くなかったし、
想像していなかっただけに実際行ってみたら、
雰囲気,それに人々がとても素晴らしかったです。

60か国ぐらい行った中でシリアが一番、あんなに
現地の人たちに笑顔で挨拶された国かもしれないです。

シリアのアレッポやハマという町でも「ウェルカムトゥシリア」ってたくさんの現地の
人たちが道ですれ違ったときなんかに声を掛けてくれました。
当時は、外国人のうちらも夜普通に街を歩けました。

ただの短期間の一旅行者としては
とても平和で穏やかな国に感じました。

あれから8年以上経って
アレッポの町がボロボロだと聞いてとても悲しく思います。
現地の人たちどうか元気でいてくれたらと思います。

突然、自分の町が戦場になってしまうということ。
家族を殺されるということ。 そういう状況で大人になるということ。



写真は(1枚目)アレッポという町のアレッポ城(紀元前10世紀に建てられた)
というお城からアレッポの町を撮った写真です。

(2枚目) このくるくる回ると広がるドレスが人気みたいで
町中でみんなが楽しそうにみていました。

(3枚目) 迷路みたいになっているスークと呼ばれる
マーケット。きれいなランプや布なんかなんでも
売っていました。








栗山さやか | 国などについて | comments(10)

エボラ出血熱


モザンビークでもエボラ出血熱の感染は報告されていません。
モザンビークの首都マプトに住むギ二ア出身の友人から
電話が来て、去年の終わりぐらいから感染が拡大しているエボラ熱
いつ終焉するのかなぁって心配していました。
 
彼は貿易の仕事をしていて、
「中国へにんにくの買い付けに行きたいけど
ビザ発給拒否されてしまったって言っていて、
彼はギニア出身でギニアのパスポートですが
ケニアに長く住んでいてギニアにはもう10年近く帰っていないけど
それでもやっぱりギニアのパスポート持っているだけで
今はビザ発給は難しいって言われた。」って。
 
ギニアから南アフリカに来た友人も空港で入国拒否されてそのまま
ギニアに戻っていました。
 
モザンビークに住んでいるギニアのほかの友人は南アフリカとの国境で、
入国拒否されてでもしつこくお願いすると
「ビザ発給はできないし、パスポートに入国スタンプ押せないけど」って
言われて、賄賂を渡してそのまま通してもらったそうです。
 
「南アフリカ国内で、警察とか移民局の人に
パスポートとビザの提示求められたらどうするの?」って聞くと、
 
「黒人警官だったら、モザンビークの
警察みたいに賄賂渡せば全然大丈夫だと思うけど、
白人警官だったらきっとアウトだね。。無事に帰ってこれるといいけど。。」
 
ギニアでは、エボラ熱の原因は、
「白人がアフリカ人を殺すために
わざとまいているウィルスだっっていううわさもあるし、
外国の製薬会社が、もうけるためにわざと
ばらまいたウィルスだってうわさもあるよ。
だってコンピューターのウィルスも毎年色んなウィルス出現しているけど、
それ作っているのアンチウィルス販売している会社が
もうけるためにしているんでしょう。きっと
それと同じだって言ってる人いるよ。」
って言っていました。
 
日本でもたくさん報道されていると思いますが、エボラ出血熱、
感染してしまったかた、そのご家族、治療に当たる医療従事者、
一日も早い回復、感染の広がりが抑えられることを願っています。

 
栗山さやか | 国などについて | comments(0)

ゴミ山のこと。



モザンビークにはたぶん、しっかりドラマとか映画を作る会社とか
ないみたいで(ここの州で放送してないだけかもしれませんが)

外のマーケットでナイジェリアやアンゴラの映画のDVDが売っています。

かなり前に買ったとき一枚240円?ぐらいだったと思います。

ハリウッドの海賊版?(字幕が中国語だった)も

途中で見れなくなったりしますが、買えます。
 

テレビ今は3チャンネルも見れますが、
ポルトガルや、メキシコ、ブラジルのドラマがやっています。

ときどきモザンビークのドキュメンタリーみたいなのもやっています。

 

前にもドキュメンタリーがやっていて、

首都でごみを漁って暮らす人々の生活が流れていました。

 

漁ったごみを映していたのですが、

大量のハエに囲まれながら、

大きな大ぶりのチキンを拾っておいしいーってほうばる若い男の子が

写っていて、あまりにもそのチキンの足の部分が立派で私も

おいしそう。。と思ってしまいました。

 

ネットで写真が載っていたので載せますね。

(ポルトガル人の写真家さんが撮られたそうです。)

 

http://www.mdig.com.br/index.php?itemid=20400

 

 

http://www.joseferreira-photographer.com/19192/184078/projects/trash-land

 
写真を撮ったかたが、腐った犬の頭を食べてた人もいて
とても心が痛んだとCNNのニュースでも言っていました。

 

インタビューに答えていたゴミ漁ってた子が、

拾ったゴミを売っていい日は1日で3000MTs稼いだりもするって。。。

 

3000MTS= 9000円!!! です。

 

ここの人たちの政府が定めた最低の1か月のお給料は8250円です。 

 

この仕事につける人は本当に一握りでほとんどの貧しい人たちは

自分で小さな畑を鍬一本で耕してそれを食べてなんとか暮らしています。

薪やわらを奥に行って切ってきて路上で売ったりもしています。
子どもがたくさんいる女性は1日一人あたり、20円以下とかで暮らして
いたりもします。1か月に1000円を稼ぐことも
難しいかたがたくさんいます。


物価もここで採れるかぼちゃの葉、さつまいもの葉とかは
まだ安いけど
普通のちょっといいものは値段、
日本より高かったりします。

 

工場で作られた、粉ミルク1缶(400g)660円とかコーヒーの粉(250g)
1330円とか
チーズ、1200円! コーラ1缶90円から120円。

全然可愛くない一番安い自転車7800円。
 

全部首都や南部の工場で作られていたり、モザンビークにはなくて

隣の国の南アフリカから陸路でローリーなんかで運ばれてくるので

運搬費がかかるためここではとても高くなってしまいます。

 

一度、この町までの道が大雨で悲惨な状態になって

ローリーとかトラック、車が通れなくなってしまって

その時、町中の砂糖が品薄になりふつう1K120円で買えるのに

この時は一気に240円にまで値上がりしました。

 

このゴミを漁って生計を立てている人たちの映像、
新しいごみを載せたトラックがやってくるとわーってみんな群がって
我先にとまだ走ってるトラックの荷台のごみに飛び乗って漁っていて

たまたま一緒に見ていたここの町に住む友人は、
じーと見ていて、

 

「こんなゴミ山あったらここの人たちももっと生活楽になるのにね。

食べるものや売れるものが探すだけで毎日手に入るなんて首都はいいね。

ここのゴミだめは、食べ物なんて落ちてないもんね」って。

 

日本にいたとき、どこかの貧しい国でゴミ山で暮らしながら

生活している家族のテレビがやっていて

なんて悲惨でかわいそうなんだろうって

思ったの思い出しましたが、臭いもすごいだろうし、
衛生上の問題、細菌感染等々問題は大ありですが、
それでもうらやましいっていう発想があることに
また考えさせられました。

 

人が食べ終わって捨てた地面に落ちている

マンゴのたねの部分とか、さとうきびのかすとか拾って
さらに吸ったり
腐ったおいも集めて

空腹を満たそうとする子達がいること、

それはここでは珍しいことじゃないこと。

 

あと何年経ったらこういう状態は変わっていくのかなと

思います。。

 

私ももっと頭を使って考えていきたいです。

   

 

 

写真。

 

レタスはここでも売られていますが、

高価な野菜です。

1個で売られているんじゃなくて、

数枚がちぎって15円からで売られています。

 

貧しいみんなにはもちろん買う余裕はないです。

 

勉強小屋の前の年の終わりの会でも
レタスを買わせていただきましたが、

予算、けちってしまって、
小さいくしゃってなったレタスの葉
1人一枚ずつしかあげれなくて、

去年の終わりの会には奮発して
1200円分ものレタスの葉を買わせていただいて、

みんなで食べました。みんな大興奮でした。

 

みんなのレタス付きのご飯を食べている嬉しそうな
写真を撮ろうと思ってカメラ持ってうろうろしてたら

写真の女の子、
私が地面に落ちたものは食べちゃダメーっていつも言っているので

落ちていた腐りかけの部分をばれないようにこっそり拾って

自分のコップにいれて、勉強小屋の隅で食べていました。

あとで「レタスおいしいよね。 でもこれはもう食べれない部分だから

おかわりもらおうね」って言って

おかわりをあげたらとても喜んでいました。 

ご寄付についてのご質問いただき本当にありがとうございます。
日本には協会の受け皿がないため、ソニーデジタルさんが
ボランティアでご協力してくださっています。
毎月、月末にいただいたご寄付の全額を
送ってくださっています。

また詳細ゆっくり書かせてください。

 

 本当にご支援、コメントもありがとうございます。。


  

 





栗山さやか | 国などについて | comments(11)

花火の音


 

日本のこの時期は、きっとまだ暑い毎日で、
おそーめんとかアイスクリームとか、

夏のおいしい食べ物を想像したり、夏祭り、プールとか海とか

お盆休み、花火大会とかだったなぁっと
思って子どもだった頃よく色んなお祭りとかに連れて行って
もらったなぁと思います。


そういえばアフリカで空にあげてみる花火も
自分でやる花火も一度もみたことがないです。

でもアフリカでもきっと首都とか

とてもまれだと思いますが、

都会だと花火をあげたりする場所もあるみたいです。


 

前に、ビザの関係でモザンビークからマラウイに行ったときに

ちょうど年明けのときで、夜爆竹の音が鳴って、

外でマラウイの人たちがみんなでお祝いしていて、

「お祝いの爆竹だねぇ。」なんて一緒に行ったモザンビークの子達に

のんきに言ったら、、モザンビークの人たち
みんな爆竹の音、すごい怖がっていて、

一気に無言になってそれぞれ急いで

宿の自分の部屋に戻っていってしまいました。
 

お祝いのただの爆竹の音なのに、みんなは子供だった頃、
内戦でいつも聞いてた銃声の音を思い出して

危険だ危険だって。

 

いつだったかモザンビークの別の栄えている州に住む友達も

大統領訪問にあわせて花火を何発かあげたみたいで

でも現地の人たちは、花火をあげる音が内戦のときの音を思い出すみたいで

みんな花火がきれいって見上げるんじゃなくて、

ただ怖がっていたんだよーって言ってたことを思い出しました。

 

時々見るテレビのニュースで、

エジプトや、シリア、政治の問題とかで、とても危険になっているって聞いて

バックパッカーしてた頃、すごく町の雰囲気、人たちの雰囲気がが良くて
数日間いた町で殺し合いがひどくなってるって聞いたりして

本当に悲しく思います。


特にシリアの首都や町なんか、
本当に安全で夜遅くまでみんな普通に歩いていたし、

外国人のうちらも普通に夜、外にご飯食べに歩いて行ったり、

現地の人たちもモスリムの格好で
女性は目だけでてるブルカ?ニカブ?とかだったけど、

みんな道をすれ違うと笑顔で挨拶してくれて、

いままでいった60か国ぐらいの国で、唯一たくさんの人が

「ウェルカムシリア」って全然知らない人たちなのに

町ですれ違うと笑顔で言ってくれたりしていて。

 

こういう国の問題、政治の問題で巻き込まれて行ってしまう人たち

安全でなくなってしまうこと、
今までの普通の日常生活ではなくなってしまうこと

そういう環境で育つ子供たちが受ける心の影響。

 

平和とか普通の毎日がある幸せ本当に大切だと思わされます。

 



色んな国で安全な毎日が過ごせている人たちが

どうか増えてくれますようにと思うばかりです。。

 

 

 

写真。

協会の子どもたちもイスラム教の子たちが多いです。
この町には立派なモスクもあります。

2枚目の写真は、町のはずれのモスク、
やっぱり入口には、入る前にしっかり
手足を洗うように水がめが置かれています。


3枚目の写真。

 協会の女性たちの畑に肥料になるとうもころしのかすを
 子どもたちも大きなずた袋を頭に乗せて運ぶの手伝ってくれました。

 ここでは、イスラムの女性たちが被るのをブイブイっていいます。
 つい最近、モザンビーク政府もフランス政府とかほかの国みたいに
 学校とかでこのブイブイ使用の禁止を発表しましたが
 すぐイスラム教の人たちが大激怒して、今後一切政府と関わりをもたないって
 声明を出して、それを聞いた政府は急いですぐ撤回したようです。。









栗山さやか | 国などについて | comments(9)

トイレットペーパーと読み書きのこと。


 
北部のモザンビークにきたばかりの頃、
1MT(モザンビークの貨幣) が5円!もして、
物価の高さにおののいていました。


バックパッカーしてた頃、いつもどこの国でも
普通に安く買えたトイレットペーパーも
ここでは高くて (お金持ち層の人しか買えないものだし、貧しい人たちはマーケットで
売られているのを見てもなんに使うかも知らないです。。)
うすっぺらいちゃっちいトイレットペーパーが一個75円もして
1ヶ月で自分で使えるお金の額をしっかり決めて
やりくりしていたので、買える余裕がなくて、
ここの公用語を覚えるために
ノートに書きまくってた使い終わったページをやぶって
くしゃくしゃにしてそれでお尻ふいていました。。


世界中の人がトイレットペーパーとかティッシュを使うようになると
世界中にある木が1日?数日?で
全部無くなっちゃうって聞いたことありました。

アラブ系やインド人の友達は
お金持ち層でもトイレットペーパーを使う習慣は
あんまりなくて、水を使ってお尻きれいにします。

前にモザンビークの別の州で一緒に生活していた、
仲良しのインド人の友達は、

「トイレットペーパーより
手を使って水できれいにしたほうが
絶対お尻きれいになるよー。」って断言していました。
(鼻かむときとかは、彼たちもトイレットペーパー
 使ってました。)


アフリカの子達も水できれいにするか、それかそのままなにもしないようです。


アラブ系の国は、
水洗トイレの横に小さなシャワーホースみたいなのが
備え付けてあります。(ボタンを押すとブッシューって水が出てくる)

でもやっぱり一度またトイレットペーパーを買ってしまって
使うようになったらその使い心地の良さに感動してあと
1MTも3円ぐらいまで下がったので
もう最近ではトイレットペーパー命になってしまっています。
なるべくちまちま使うようにしています。

トイレットペーパーを
ひとつ使い切ってしまうとまた新しいのを買いたいから
あー出費ってがっかり思ってしまいますが、
逆にノートとか、ペンを使いきったときは小さな幸せを感じます。


私は自分が読み書きができるように
教育を受けさせてもらったことは
本当に特別なことでありがたいことだったんだなぁって
アフリカに来てからいつも思います。

だからペンを無くすこともなく使え終えると
自分の読み書きの能力を無駄にしてない気がして
なぜかほっとします。


今回、本を出させてもらって父親と電話で話していたときに

父親が 私の兄にも本を渡してくるって話していて
私はそのとき最初に思ったことは、
私のお兄ちゃん、字読めたっけ。 ってふと思いました。

そのあと、当たり前だよーーって我に返りました。

日本だったらきっと100歳のかたでも
読み書きが出きて新聞とかも読めて
それって今思うとすごすぎることだと思います。

昔日本にいたとき
テレビに出ていたアフリカ出身のひとが
「日本人の100%の人が読み書きが出来るって聞いて
びっくりして倒れそうになったっ」って話しているのを聞いて
私のほうがそんなの当たり前だよーってテレビみながら
思ってたこと思い出しました。


私の住んでいる州では、
きっと女性だと20%ぐらいのかたたちしか
読み書きできる人がいないと思います。
(州の統計で男の人も合わせた全体で
35%って言っていたような。。これからあがっていくとは
思いますが。。)

村だけだとさらに恐ろしく確率は下がります。。

鉛筆やペンを今までの人生の中で
握ったこともない人たちもとても多いと思います。

そういえば、
54カ国あるアフリカの国で、独自の文字が存在した国は、
エジプト、リベリア、エチオピアなどの数カ国だけだって聞きました。

アフリカは1900年頃、ほとんどの国は
ヨーロッパに支配されていった中で、
エチオピアとリベリアは唯一、
ヨーロッパの国々に植民地されずに
撃退できた理由は
文字が存在して国民が読み書きができる優秀な国だったからって
エチオピア人のお医者さんたちが嬉しそうに言っていました。
(6年ぐらいイタリアに占領されただけみたいです。
モザンビークはポルトガルに500年以上支配されていた。)

ほとんどのアフリカの国は、
ひとつの国の中にたくさんの言語があっても
文字というのは存在しなかったようです。


植民地時代にヨーロッパの言語が入ってきて
それで現地の言葉をアルファベットを当て字っぽくして使ったり。
マラウィのチェチェワ語もアルファベットを使っています。

話す言葉は存在するのに、それを書くのはできないって
不思議な感じがします。
だからアフリカには
色んな大昔の歴史の資料が圧倒的に少ないみたいです。




ここの私と同年代の子達は、内戦の影響があって、
昔は、みんななかなか学校に通うことは難しかったり
あとは学校へ行くよりも、
水汲みや薪、わら集め、小さな兄弟たちの世話、
貧しさから食べ物確保のために畑を耕したりして
子供時代を過ごしていた人たちがたくさんです。


今もたとえ学校に通っていても、先生ちょーいい加減だったり、
1人の先生に100人ぐらいの子供たちが地べたに座っていて
授業になってなかったりして、
高校生になって初めて
自分の名前書けるようになったとかも聞きます・・。

勉強小屋で協会の子供たちに読み書きを教えていたときも
先生をしてくれていた高校3年生だったルーキア
たまたまだと思いますが、「お母さん」のつづり間違えてたり
アルファベット最後までかけなかったり。。。

協会の女性たちも
ほぼみんな学校に通う機会のなかったかたたちなので
近くにあるキリスト教の教会で
政府認可の大人の人向けのクラスを開いていて
そこにみんな登録をするように進めています。

この間無事に修了テストがあって、数人の女性たちが嬉しそうに
その答案用紙を持ってきてくれました。

私と同じ年のぐらいの方達がたくさんの子供たちを育てながら
小学校3年生クラスとかで頑張っているのを見て嬉しく思います。

やっぱりいくつになっても勉強をすることはいいことだなぁと思います。

写真。
 小さな兄弟のお守りをしながら勉強しています。



栗山さやか | 国などについて | comments(3)

アフリカと中国。

   

   モザンビークの首都に行ったとき、
 なかなかおしゃれな新しい建物がどんどん建設中で、
 「すごいねぇーますます都会になるねぇっ」て
 一緒にいた首都出身の友達に言うと、
 「ほとんど中国の人たちが建ててくれてるよっ」て。

 ピンクの壁の洋風なアパートとか、
 モザンビークで一番高いビルは33階らしいです!(中国のかたが建てた?のかは
 聞くの忘れちゃいました。)
 東京と比べたらへーって感じですが、アフリカで、33階はかなりすごいと思います。


 ここ数年で、アフリカ大陸のすみからすみまで
 中国が援助に乗り出しているって前にも聞きました。

 コンゴ人の友達が、アフリカ全部で54カ国あるけど、その50カ国ぐらいと
 中国は強いつながりを今では持っていて、援助という名の、
 将来を見据えたビックビジネスな感じだよーって。


 アフリカは自分たちの国の会社が、道路や建物を建てたりする技術などが
 まだまだなので(南アフリカは別)、中国から莫大な援助のお金と
 技術、労働力が来ているってききます。

 「お金の援助も技術援助もすごく助かっているけど、
 援助と引き換えに色んなビジネスの権利?とか
 石油とかの資源の権利?とかをかなり獲得していってもいるよーっ。

 アフリカにたくさん怪しい危険な核?とか作れる資源とかあるから
 それが中国のものになっちゃったらだいぶ怖いかもね。。」って。

 あと逆に中国からの輸入品、食べ物とか、
 先進国には検査とかあるからなかなか難しいけど、
 アフリカ検査する場所もないし、売れなかった余ったちょっと危険な
 食べ物とかアフリカに大量に投げ売りそうだよねって。。

 誰かがアフリカは昔のヨーロッパ諸国の植民地化から、
 今はアメリカ、インド、中国の影響力が大だねって。

 これからも特に中国のアフリカへの進出はますます広がっていくようです。

 
 中国製品が安すぎて
 現地の小さな会社が潰れてしまう。。っても聞いたりもしますが、
 中国からの大量の安い輸入品のおかげで、
 アフリカの貧しいひとたちにも
 色んなものが安く手に入るようになっています。
 (大切な情報源になる電池で聞けるラジオとか)
 
 ちなみに、ここでは、中国の映画のDVDがたくさん売られています。
 戦いものばっかりですが、アフリカのひとたちは、空手とか戦いもの大好きだし
 あと言葉がわからなくても殴り合いのシーンばっかりだから
 楽しめるからみんな大好きです。
 時々、残酷すぎるシーンがあり過ぎるような気もしますが・・。(レイプシーンとか。。
 みんな笑ってみてたりもする・・。しかも女の子たちも。。)

 ちいさなわらでできた小屋とかの中に小さなテレビとDVDがあって
 1回4円で、映画館みたくなっています。
 地べたにみんなで座ってみてます。 

 電気がきてない村でも、裕福なうちのかたが、
 自家発電器を使ってたりします。
 子供たちも大人のひとたちにとっても映画、すごく大切な娯楽のひとつです。

 なんかの中国の映画のシーンで
 犬とかへびを食べるシーンが時々あるみたいで
 前に1人で道端歩いてたときに、かわいい犬がたまたまいて、
 じーと見ちゃってたら
 そばにいた、おばさんに「食べたいの?」って聞かれました・・。
 「中国人は犬、食べるの好きなんでしょ?映画でみたわよっ」って。。

 この町にもついに中国人の女性が旦那さん?と一緒に引っ越してきて、
 中国の雑貨やさんをしています。
 
 ヨーロッパにたくさんある中国人のかたが経営している
 1ユーロショップより、質も品数もがくんと落ちますが、
 たぶんここ内陸部なので、商品運ぶのの運搬費がばかにならないからか
 値段はかなり高いです。。
 でも、なかなか色んなものが売っててみてるだけで楽しいです。

 中国産のおしょうゆが売っていました。1本500円もしたけど、
 またいつか買って目玉焼きを作って食べたいです。

 この雑貨やさんの中国の女の子とも少し会話しましたが
 感じがとてもよかったです。
栗山さやか | 国などについて | comments(2)
このページの先頭へ