エチオピアの基本情報。

今更ですが、エチオピアの基本情報です。

 エチオピア。
 私行く前まで持っていたイメージは、貧困のこと、HIVのこと、ジャマイカと
 関係があるらしい?(ラスタのこと)、南京虫のことぐらいでした。
 
 面積。     日本の3倍ぐらい。
 人口。     7000万人ぐらい。(日本の半分強ぐらいかな。。)
 部族。     たくさん。
 識字率(読み書きできる率。15歳以上)
          40パーセント(いつも思いますが、これってどうやって調べてるんだろう。)
 
 エチオピアはアフリカ諸国がどんどん奴隷貿易や、象牙、金、ダイヤモンド
 などのためにヨーロッパ諸国に、植民地化されていっても唯一、
 独立を守り抜いた国で、数年間だけイタリアに占領された時期も
 ありましたが、すぐにイタリア軍撃退に成功して、そのため、あんまり
 ほかの国の文化が入ってきていません。
 でもコーヒーが発見された国で、コーヒーおいしいです;)
 
 エチオピアは、1年間が13ヶ月あって
 最後の13ヶ月目は5日間だけで
 新年の準備の月です。
 9月の半ばが新年です。
 日付も変わるのが、夜中の12時ではなくて、朝6時で、
 朝6時が0時になるので、エチオピアの子に朝のの9時に
 時間を聞くと、 3時だよーて答えが返ってきます。

 エチオピアの習慣で嬉しかったのが、
 会釈する習慣があることです。
 
 あと、公用語、英語って明記してある本もありますが、これは、きっと
学校教育がグレード1から12までで、グレード4からすべて教科書
英語で書かれています。ワーカーの子たちがお昼休み、教科書を広げて
勉強いつもしていました。 グレード7の子の教科書、見せてもらったとき、
問題から何からすべて英語の数学とか科学で私にはちょー難しかったです。
でもほとんどの子は、英語しゃべれません、でも英語で勉強して
 難しそうな問題解いてます。
 ナースの勉強をしているワーカーの子も、英語あんまりしゃべれません。
 でも英語でちょー難しそうな本勉強しています。
たぶん、話せないのは英語を話す機会が少ないからだと思いますが。
優秀だなぁって思いました。
でも全体的にみると、ケニアや、ザンビア、マラウィに比べると
首都でも英語話す子は確実に少ないです。
 
 イギリスの植民地だったから
 ケニアやザンビアと小さな売店のおばちゃんも英語話すし、
 マラウィも英語でどんどん話しかけてきてました。

グレード1の子たちの教室にいくと、5歳ぐらいの子と一緒に
15歳ぐらいの子が勉強していました。
学校に通える時間と、テキスト代などを支払う余裕ができたときに
はじめて通うことができるから年齢は関係ないそうです。

ワーカーの子達は、朝7時前には、仕事にきて、
夕方6時まで働いて、それから学校に夜間通っている子がほとんどでした。
お昼休みしっかりありましたが、それでも患者さんに呼ばれたら
関係なくみんな患者さんのお手伝いしている子も多く、
睡眠時間大丈夫かなって思っていました。
夜間働いている子は、夕方5時から、朝7時まで働いて、
それから学校にいって、その後睡眠をとっていたようでした。
ワーカーの子は10代半ばから20代半ばの子たちが
多かったですが、みんなたくさん勉強して、たくさん働いていました。
患者さんと同年代の子達が多かったので、
みんな時々けんかもしていましたが、
とても仲良しでした。

ワーカーの子の一人の22歳の女の子。
少し英語ができたのと、いつもいつも患者さんに対して一生懸命、尽くしている子で
私はこの子からたくさん学んだ気がします。

ワーカーの子と外で会うことは禁止されていましたが、(過去にワーカーの子が海外のボランティアの子に
いろいろ金銭的なお願いしたりものをねだることが何度もあったため)
一度だけ私のお誕生日の日泊まりにいかせてもらいました。
近所の子達もきて、プレゼントとケーキの代わりに大きな丸いパンかってくれて
コーヒーとインジェラ作ってくれて。
施設から歩いて30分ぐらいの小さな一部屋だけのおうちにお友達と住んでいました。
台所とか水道、お風呂場とかなく、(みんな空き時間に施設の水使って体洗っている)
おトイレもないので洗面器で、私はこのときはじめての体験だったから
恥ずかしがってたら、じゃ、私もっって一緒に洗面器にして(しかも私の尿捨ててくれた)

施設でみんなが亡くなって泣いてばっかいると、
いつもハグをしてくれながら、
 
「チャラカーみんないつかは死ぬんだよ。 チャラカも私もみーんなみーんな。
 それに死んだらもうみんな苦しくないんだよ。神様のそばにいれるんだよ。」って。

施設でいつも一緒にいたし、いつも助けてくれたり励ましてくれたり。
今でも大切なお友達です。 今もお仕事がんばっている時間帯だなー
なんて思ったりしてます。


 エチオピアは、私がいたとき、1999年でした。
 先月やっと2000年になりました。 (エチオピアは、独自の暦を使っています。)
 きっとアディス盛り上がっていたんだろうなって思います。
栗山さやか | | comments(0) | trackbacks(0)

トラブルと強盗のこと。

 旅して危険だと思うことはだいぶあります。 
 どこにいても危険はつきものだと思いますが、 
 すごい怖い国のイメージの
あったシリアやレバノン、ジョルダンなんかの中東は
ただの一旅行者としては、逆にちょー安全で、
モスリム圏がこんな安全でみんな親切で感動したの覚えています。

一人でいった最初の国、バングラデッシュの安宿で
夜中、ドアどんどんいきなりノックされてちょー怖がっていたら
外のドアにカギつけっぱなしでいてそれを注意してくれただけでした。

アジア圏のどっかの国で、
夜歩いてたら、いきなり話しかけられて腕つかまれて
ひぃーって思ったら、ばっちり腰にまいたつもりの
パスポートも現金も全部入ってるマネーベルト、
腰から外れて落としててそれを注意してくれただけだったり。

シリアでは、道を歩いているとウェルカムシリアってみんな挨拶してくれて、
うれしいなーって思いました。

やっぱり比較するとアフリカの危険さはだいぶだいぶ高いと思います。
たまたまっていうのもあると思いますが、
夜や早朝はだいぶ危険です。
夜になると強盗がうじゃうじゃになるのは、マラウィやモザンビークは高いと思います。
夜6時ぐらいからもう暗くなるので一人じゃ外出ないようにしてます。
エチオピアでもマルタ出身の女性が、何も持たずに明け方歩いていたら襲われて、
殴られて、でも何も持っていなかったので履いてたスニーカー脱がされちゃったり、、
着てた服も剥ぎ取られて、パンツのみになっちゃった男の子や、
被害はとてもたくさんです。

モザンビークの小さな町で
そこで現地の友達の家族のうちに滞在させてもらっていて
午前中にいつもみたく一人でローカルマーケットのそば
歩いてたら20歳ぐらいの現地のでっかい男の子たちに
10人ぐらいに囲まれた。 体押さえつけられて、取り囲んでいる男の子たちはディネーロディネーロ
(お金、お金) っていってて、アフリカでは外に出るときは手ぶらかビニール袋にいれてっていう
教訓、いつの間にか忘れてばっちりいろいろ入ってるバック持っててあっやばいなって思って
人通りあったけど囲まれてるから
みんなに私の姿みえてないなって思って、
そしたらリーダーぽい男の子が私の胸さわってきて、
キスしようとしてきた。
なんでこういう肝心なときに叫び声ってでないんだろ。
でもナイフとか持ってなかったし
深刻な雰囲気なかったからダッシュでなんとか逃げれた。

少し慣れてきた町だったから余計にショックだったし
やっぱり悔しかった。

夜6時を過ぎると街灯がある場所はほんの一部だから
他の場所は月明かりがないと本当にまっくらで
なにひとつ見えなくなります。

この町にいる外国人(アフリカ人以外)はみんな1回は、
強盗やおどしの被害にあっているようです。

現地の子達でも夜はたくさん被害にあっています。
ナイフで刺されて殺されちゃうことも少なくなくて、
そこまで大きくない町なのに
私がいた数ヶ月間で2人が亡くなったってききました。
あとは、臓器売買貿易も盛んで、人が誘拐されていってしまうこと
少なくありません。

 トラブルで悲しかったのが
 道歩いてたら、突然目の前に車が止まってイミグレの人が
 私のパスポート持ってちゃった。
 理由もきかずに没収されちゃったからびっくりして、イミグレいくと
 明日こい。明日はなすからって。
 次の日いってみると、お金要求された。アフリカ滞在2ヶ月分ぐらいの。。。
 日本大使館に連絡してみたけど、何か恨まれる覚えは?って逆に聞かれて
 ちょっとせつなかったです。でも話きいてくれて嬉しかったですが。
 日本大使館のある首都からはすっごく遠いしもうどうしようもなかった。
 ビザがちょうど切れる直前だったから、ビザ切れたら不法滞在で大問題だし、片言の英語で
 お金もってこいって繰り返すだけで。
 頼る場所がなくて自分でびっくりした。こんなに小さな町じゃ警察にいっても
イミグレの人と警察の人が仲良しなのはあたりまえだし。
 一回、目の前で警察の四駆の車が人混みの中スピードだして走ってて
 その弾みで後ろの荷台に乗ってた箱の中から、歯磨き粉が大量に落ちた。
 したら人混みの人たちが、いっせいに奪って走って逃げて、そしたらいっきに
 体格のいい警察の人たちが
 そこまでしなくてもっていうぐらいみんなをぼこぼこに殴ってた。

 少し前に、銀行のATMでお金下ろしたらお金でてこないのに
 ネットで明細しらべたら引きおろされたことになってて、銀行に抗議にいくと私みたいにでてこなかった
 子達みんなで抗議してたけど私の場合日本の銀行にいってくれっていわれて。
 コレクトコールができない国だから、自分で電話して伝えるといつも途中で切れちゃう。
 電話代だけで5000円は使ったから余計とほほで結局お金かえってこないし。
 お金で済む問題だけまだいいのかもしれないけど。
 
 危険なこと、寄生虫にいつもやれること、
トラブルをあげたらどこにいてもきりがないけど
 やぱっり言葉の問題、警察の人を信用できる可能性の低さ、
 時々誰を信じていいかわからなくなることもあって、
 しっかり休憩しているし、自分で決めてここにいるんだし
 それに何より健康なだけありがたいのに、
 ここ数週間やけに疲れていました。

 でも今はインド人の子たちといて言葉が通じるのでほっとしています。
栗山さやか | | comments(3) | trackbacks(0)

モザンビーク

3ヶ月以上更新できずにいました。
コメント返信ができず本当にごめんなさい。
 
今はまたモザンビークにいます。
 
私のパソコンは早速調子が悪く接続ができず
あと日本語読み書きができるネットやさんがずっとずっと見つからず
3ヶ月も経ってしまいました。
 
やっとやっとやっと日本語が読み書きできるネットやさんが
ある町にこれました。
今はモザンビークの北東部、ジンバブエとの国境の近くの町にいます。


しばらくモザンビークの東海岸沿いの町の
前にも書いた施設に戻っていました。
この施設はたくさん子供たちがいて、
病気の子もHIVの子も多く、
深刻な問題をかかえていますが
無邪気な笑顔が本当にかわいくて。

本当はもっと長く働く予定だったのですが、
この施設ではボランティアは寝泊りできないので、
近くの安宿から一人で通っていて、
施設へ行く途中の道で、
1週間に2回も日中襲われて(結局痴漢だけですみましたが)
泊まっていた安宿にも、
夜中蚊と戦いながら寝てたら、叫び声が聞こえて
となりの部屋に泥棒が入って、
犯人はありがちな従業員の男の子たちだったみたいでしたが。

ビザの延長も言葉がうまく通じず、
結局またがんばって移動してマラウィに戻ってビザ申請して
またモザンビークに戻ってきました。

モザンビークの北部の小さな町で知り合った
マラウィの男の子。

彼は一人で現地の人たちを雇いながら
村の子達を救うための活動をしていて、
とたん屋根の6畳ぐらいの大きさの
小さなオフィスだったけど、
彼は大学を南アで2つ卒業していて、
たぶんエリートに入る人なんだと思う。

それでもこの小さな町で、
貧しい子達ために自分も最低限の生活をして
仕事をしている彼に、話をきかせてもらいながら、
すごいなって思いました。

アフリカに1年以上いるけど、こんな風に
アフリカ出身の子がアフリカの子達のためにここまで
一人で活動をしている人をみたことがなかったから。

私が今までみてきたアフリカの
エリートや裕福なうちの子は、
上を上をどんどん目指すし、
やっぱりどこでも良くも悪くも同じかもしれませんが、
お金を手にしたらもっとお金を手にしたくなる人が多い中で、
こんな風に自国や隣国の悲しい問題に向き合えて。

彼は自分の家族はマラウィにいて1年に会いに帰れるのは数回のようで
それでもここで頑張れる理由はなんだろう。きっかけはなんだったんだろうと思ってきいてみました。

彼もマラウィの南西部の小さな村の生まれで、
小さい頃、病気で痛くて苦しくて
泣き叫んでも誰も耳を貸してくれなくて
いつも差し伸べてもらえる手がなくて、

そのことをずっと忘れられずにいて、今こうして働いているよ。
やっぱり子供は一人で大きくなれないからね。
って暑い中、お豆のお昼ごはん準備してくれながら
教えてくれました。

人に2つの手があるのは、 ひとつは自分を守るため、もうひとつは、
人を助けるためって張り紙で見たの思い出しました。

私はただふらふらして、
もうずっと日本のかたにも
バックパッカーのこたちにもあってなくて、
モザンビークは英語もほぼ通じないので、
トラブル続きで
心細くて気弱になったりもしていましたが、
しっかりしなきゃいけないなって思いました。

いまは、モザンビークにあるインドの会社のお手伝いのために
ゲストハウスに滞在させてもらっています。
久々に水道がある環境で、トイレも地面に穴じゃないので
だいぶ贅沢な気分です。

モザンビークは南半球になるのでずっと寒かったのですが、
だんだん暑くなってきて今いる場所は、日中40度以上です。
ハエも蚊もますますたくさんです。
栗山さやか | | comments(2) | trackbacks(0)

日本のお友達からの手紙。

今また、マラウィに戻ってきました。
3回目の入国です。

1ヶ月いたモザンビークから、
マラウィに戻って
それから友達に会うために、
南アフリカに1週間いって
またマラウィきました。

ずっと送ってもらおうか
悩んでいた自分のラップトップ。

北部のモザンビーク、
日本語対応しているパソコンほとんどないし、
あっても常に壊れてて打てないキーがあったり、
ネット代高い割には、
WINDOWS3・1?とか(たぶんすごく古いやつだと思う)、 1クリック2時間待ちとか、
本当恐ろしいほどネット環境悪くて、
エチオピアでホットメール開くまで
30分待ちがまだまだまし
だったんだって思いました。

でも、インターネットやさんがあるだけ有難いですが。。

日本で私のラップトップ
預かっておいてくれた友達が、
アメリカに送ってくれて
アメリカの友達は
今回も、ザンビアのプロジェクトの続きがあって
ザンビア行く前に私と南アフリカで待ち合わせして、
一緒に持ってきてくれた。

少し前に日本へ何通か封筒に
入れたお手紙出したら、
途上国では、郵便局員のひとたちが、
中身金目のものが入ってないか開けたり
切手盗んじゃったりするから
全部届かなくて、
パソコンなんて絶対届かなそうだから本当によかった。
(EMSで日本へは遅れるのに、
日本からのEMSをモザンビークでは受け取れないって
いわれた。。。)

アメリカの友達と無事、
南アのジョハネスブルクで会えて
はい。ラップトップだよーって渡されたとき、
パソコン見るよりも、
パソコンと一緒に送ってくれた
パソコンの付属品とか
説明書の中ごそごそして
日本の友達が書いてくれたってメールくれた、
お手紙ちょー探した。

私が、急にパソコン送って
欲しいってメールしたら、
何分ヶ後にメールの返事がすぐその子からきて
明日の朝10時にすぐ送るからねってメールが入った。
あんまりにすぐ対応してくれて

忙しい中、梱包とか
準備してくれたその子の姿想像して
本当嬉しかった。

日本でてくるとき、
東京の自分の住んでたアパート解約して、
しばらく2人のお友達のマンションに
交互に住まさせてもらっていたときに、
その子のマンションの壁に手書きで貼ってあった

学ぶことの喜びを知ることが一番の進歩である。
やらなければいけないことは絶対に後回しにしない。
体を大事にすることと、
周りの人に感謝の気持ちを忘れずに・・。

私もこのことしっかり頭において海外いこうって
思ってたこと思い出しました。

このお友達は、5年ぐらい前、
初めてあったときに教えてくれた
ジュエリーを学ぶ夢しっかり叶えて、
私に、すごくきれいな指輪を2つ
(ひとつ、盗まれちゃいました・・。本当にごめんね。)と うさぎのかたちのブローチ
1ヶ月ぐらいかけて作ってくれて
わたしのお守りです。
毎晩、ジュエリーの学校の課題とか
教科書必死に勉強していたの覚えてます。

久々に受け取る日本からのお友達の手紙、
たくさんいろんなことかいてくれてあって、
何回も読んで、
嬉しいな嬉しいなっていっていたら、
スティーブンがこんなに長く一人で
旅してるから
君はそこまで友達必要としてないと
思ったけどそうじゃなかったんだね。
って冗談ぽくいってきた。

これからみくしたくさんかいていけそうです。
みかちんありがとうです。
まだまだ書きたいエチオピアの子達のこと
旅のこと、国のこと、思うこと、ちっこい日常のこと
ちょっとくだらないことも。

43年前の昨日(7月6日)に、
マラウィはイギリスから独立したそうです。
昨日は国民の休日で、
みんな歌って踊ってお祝いして嬉しそうでした。
マラウィの人はいつもにこにこしていますが
昨日もにこにこしていました。

みかちんからまたメールがきて、
日本に帰ったらみかちんの宮崎の実家案内してくれる
そうです。
また日本に帰る楽しみができました。
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一人旅のこと。

日本を出てきたとき、短大からのお友達と
一緒に旅をしていました。
たった1ヶ月だけど、一緒にタイ、インド、カンボジア
ベトナム、すごく楽しかったです。

それから、一人で旅をしていて、
といっても途中で同じような旅をしている子にあって
一緒に旅をしたり、現地のお友達に会いにいって
滞在したり。
 
でも、アフリカで女の一人旅は珍しいらしく、
今一緒の宿に泊まっている子達も
危険なこと今までなかった?ってきいてきます。

危険なこと、ナイフで脅されたりとか
そういうのはなかったけど、
ちょっと痴漢みたいなのはよくあります。

ドバイからバスでオマーンに入って、
公衆電話を使っていたら、
真昼間だったのにもかかわらず、
股を思いっきりつままれて逃走されたりしました。

モダンなドバイと
モスリムの厳格なオマーンは
全く違って
洋服着ている人がほとんどいず、
女性は、
真っ黒の服(なんてゆうか忘れちゃいました ブブカ?)
で目だけ出しているか、
仮面までかぶっていたり、
男性も真っ白のロングワンピースみたいなの
きてました。

ズボンをはいていると
足の形が出るのが
どうやら男性は見慣れていなく、
ふしだらにうつるんだよってあとで
教えてもらいました。
 
しっかりそういうことを配慮してこなかった
自分が悪かったなって思いました。
 
バスに乗っても女性席は前の方で分かれているし、
乗客はほぼ男性で女性は3人だけとかで、
女性は家族以外に姿を見られるのは恥って
思っている方々もオマーンにはまだいるようでした。

レストランも男性と女性は食べる部屋が
分かれていて、同伴者がだんなさんでも
一緒のところでは食べられません。
 
バスの休憩の時も、オマーンの女性たちと
一緒に分かれて別の場所で食べました。
 
私がオマーンにいたとき、オマーン、
すっごく暑くて、
女性たちも女性専用の部屋に入ると
「暑いわー」っていって黒いのとってました。

ドバイにいるときもトイレに入ったときに
思ったのですが、
あの黒いマントみたいな中の服は
めちゃめちゃおしゃれです。
 
エジプトの女性の下着やさんが
チョーセクシーだったのも納得です。

エチオピアでも無理やりほっぺにちゅーされたり、
よくわかりませんが、
肌の色にコンプレックスがあるらしく、突然、
腕を舐められたことが何回かあったりしました。
 
ギリシャの下にある
サイプロスっていう国にいったとき、
宿が同じになったイタリア人の
おもしろいおじさんと
お昼ごはん、
一緒にごはんやさんで食べていて、
おじさんが、お手洗いにいったときに、
ささって中年の男の人がきて、
「今日の夜は空いてるの?
あのおじさんとのビジネスは
何時に終わるの?」
っていわれて、
は?って思ってて、
おじさんが帰ってきてきくと
「多分、商売している子だと
思われたんだよ。 
南サイプロスは、
中国の子や、ベトナムの子が
たくさんそういうお仕事して
いるからね。」って。
  
確かに、その前の日も一人で道を
てこてこ歩いていたら
スーツきた男の人が
突然、ハウアーユー? ハウマッチ?
ってきいてきたなーって思い出しました。

次の日も、朝一人で、
コーヒーやさんで
コーヒー飲んでいると
知らない人が目の前に
紙を置いていってしまって、何だろって思って
見てみると
名前と、電話番号、値段、ワンナイトって
かいてあって、ほぉーって思ってしまいました。

サイプロスは、南サイプロスと北サイプロスに
分かれていて、北サイプロスは勝手にトルコが
独立国っていって
町の真ん中にいきなり塀が
あって、二つの国みたくなってます。
 
日本も北サイプロスの存在を認めていなくて、
北サイプロスで何かあった場合、日本大使館も 
ないため、知りませんよーみたく本に書かれていました。

南サイプロスは物価すごく高くて、
リッチな国なイメージーで
1サイプロスポンド
(220円ぐらいだったような。。)
でも北サイプロスも南サイプロスから数時間だけなら
いってよくて入国してみました。

でも出入国のスタンプもらっちゃうと
ギリシャで入国拒否されるらしく、
別紙にイスラエルの入国の時のように
スタンプ押してもらいました。
 
北サイプロスは、 モスクがたくさんあって
アザーン(モスリムの人の礼拝の呼びかけ)
が流れてて。
雰囲気がらって変わりました。

国境のところに、私のだんなは
こういう風にして北の人に殺されましたって
写真が引き伸ばして張ってあって悲しくなりました。

でも今では少しずつ関係が修復されていて
北サイプロスの人たちが、南サイプロスの
建設現場で働いたりしているようでした。

なんだかひとつの国になるのは
数年後のような気がします。
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マサイ族のこと。

日本にいた頃から、マサイ族って聞いたこと
ありました。
ただ、サバンナに住んでて、
背が高いアフリカの人で
よくわからないけど
ジャンプしてるってイメージがありました。

ケニアのナイロビの宿で、現地の従業員の子達と
宿にあった小さなテレビを一緒にみてました。
 
そしたらマサイ族らしき人がでてきて、
あって思って、従業員の子達に、
「マサイ族の人って毎日、何しているの?」
ってきいてみたら、
「食べてる。」
「えっじゃなくてほかは?」
ってきくと、
「寝てる。」
「えー当たり前だよ。ほかは?」
「踊ってる。」

あらーって思って、
お友達になったタンザニアの男の子に
きいてみたら、
 
「マサイ族って言われている人たちは、
ケニアとタンザニアに住んでいる部族のひとつで
結婚するには、ライオンと戦って
ライオンの頭をお嫁さんの
お父さんに持っていかないといけないんだよー。
あと、いつももってる槍みたいなの、 
なんに使うか知ってる?」
 
「えー知らない。戦うの?」 
って聞くと、
「毎日使うのは、女の子のおうちにいって
その家の前に突き刺しておいて自分が今いますよって
いう証拠だよ。ほかの男の子がこないように。
タンザニアのマサイの村では、
男の子はどこの女の子の家でも毎晩、
自由にいっていいんだよ。」

「えっ 女の子にとったら
毎晩誰が来るかもわかんなくて
毎晩襲われているようなもんだよー
ひどいよー。
それに女の子みんな一人暮らしじゃなくて
家族と住んでいるでしょーどうするの?」
ってきくと、
 
「そんなの関係ないよ。だってマサイだもん」って。


だからマサイ族の人たちは
HIVの可能性が高いってゆわれているんだって
少し納得してしまいました。

この男の子が、日本語教えて、って
ゆってきて、
ありがとうってなんてゆうの?
っていうから、ありがとうだよー
って教えてあげると、どうやら、
映画で「ありがとうっ」てきいたことが
前にあるらしく、大興奮してました。

日本語の発音の響きが好きなんだっていっていて
み、つ、び、しー 、とーよーたー
ってずっと歌っていて
見た目とギャップがあって
面白いなって思いました。

どうして結婚してないの?って
きかれて、
結婚するチャンスがあるなら、
もっと自分が成長してたいし、
日本じゃ最近あんまり早く
結婚しないかた多いよ。
っていうと、かなりショックを受けていたようでした。

まだまだアフリカ諸国では、
女性の立場はとてもとても低いようです。

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エチオピアのバスのこと。

エチオピアのぼろぼろ、
ぎゅーぎゅー詰めのバスの中。
かなりアフリカ諸国の中でも過酷ってきいてました。
いすは直角だし、日本の快適バスみたいに
クッッションみたいなのじゃなくて、
とっても硬いし、5分走って、30分動かなくなったり。

アディス周辺は、まだ大丈夫なのですが、
首都から離れれば離れるほど、確かに過酷でした。

生きた何羽かの鶏の足をつかんで
乗ってくる人も多く、
鶏がたまに逃げて、私の頭に飛んできたり、
やぎを10匹以上乗せようとして
ドライバーのことけんかになっていたり。
結局やぎたちは、バスの屋根の上にかわいそうに
12時間以上、まとめてくくりつけられていました。

いちど、バスに乗っていたら、
目の前のバスが止まっていて
乗客らしき人たちが、なんにもない
荒地でみんな暑い中、座っていました。

どうしたのかなって思ったら、
乗客のかたと
ドライバーがけんかして、
ドライバーを刺してしまって
だれもバス動かせなくて、
もう4時間も待っているのよー
っていってみんな困っていました。

噂にきいていたとおり、
地方のエチオピアの子達は、
バスの窓を開けたがらず、
その理由に、若い子達は、風にあたると体の具合が
悪くなるっておもっていて、
地方のお年寄りは、外の空気と中の空気が混ざると
悪魔が生まれるって噂どおり
本当に今だに信じているようです。

バスの中は、暑いし、もわもわして、
失礼ですが、
やっぱりシャワーを1週間や2週間に
1度だけのかたも多く体臭があるのと、
あとバスに長距離乗るのは高額なため
みんなあんまり乗りません。
なのでバスの揺れになれていません。
エチオピアの地方の道は本当にでこぼこで
乗っていても自分の体がジャンプしています。

そして嘔吐する人が必ずいます。
いちど、南東部のエチオピアの街からの
帰り、隣の男の子が私の足に嘔吐しました。
人が吐いてしまうことに施設でもう慣れていたので
あらあらっと思って
ティッシュと、あとビニール袋をあげました。

その男の子はしっかりビニール袋に吐いて、
それを窓からぽいって捨てて、
そしたら 吐しゃ物が
窓ガラスにべちゃってついて、
隅の席で外の景色を
楽しんでいたんですが、
それから、景色がパスタと
緑色の野菜?になってしまってショックで、
バスの中、臭いがあったので、窓を開けても
ささって年配の女性たちが閉めてしまって
エチオピアのバスの過酷な理由は、
道がぼっこんぼっこんだからじゃないんだなって
思いました。

でも時々、エチオピアの山岳地帯や
小さな村で乗ってこようとする人達が
となりの村までの乗車賃、
5ブル(70円ぐらい)が
払えなくて、
無理やり荷物放り出されて、
本人たちも引きずりおろされたりしていて
本当にせつないです。

隣の町といっても何十キロもあったりします。

タンザニアもマラウィもたくさん
日本からの中古のワゴンがたくさん走っていて
それが乗り合いのミニバスになっています。
高校のだったり温泉旅館のだったり、
ディサービスのだったり。

「ねーねー
これね、なんて書いてあるのっー」て

興味深々に現地の子にきかれて、

おトイレきれいにしますってかいてあったり
するとちょっと教えるのにためらいますが・・。

車検もないためかぼろぼろの日本語の書いてある
ミニバスたくさんあります。
ちょっとほんわかします。
栗山さやか | | comments(0) | trackbacks(0)

宿の夜のこと。

リロングウェに来てから、ちょうど1週間経ちました。
マラウィの首都で街もなにげにきれいです。

たくさんのNGOがあるようで、欧米人が
たくさんな気がします。

宿もイギリス人夫妻が経営している
安くて広くて
感じのいいところです。

日本のガイドブックに載っていないけど
ロンリープラネットには載っているようで、
欧米人ばかりです。

ナイロビを出てからまた1ヶ月、
日本のかたにあってません。。

リロングウェイは首都ですが、
街頭がほとんどないため、夜は真っ暗です。
真っ暗闇の中、強盗が多発するため、
夕方6時には日が落ちて真っ暗になるので
宿にみんな帰ってきて、
蚊をばしばしやっつけながら、
停電、毎晩するので、
ろうそくの明かりで
いろんな話をしています。

ソファーがあってくつろぎスペースがあって
旅のこと、アフリカのこと、お互いの国のこと。
旅を出ようと思ったきっかけ。 人生のこと。

「あなた、見た目も日に焼けているし、
態度も私が思っていた日本人とは違うわ。」


「日本の子は口数が少ないイメージだったけど
そんなことないんだね。日本のことで聞きたいこと
がたくさんあったんだよー。」

っていって、みんなたくさん日本について色々
質問してきました。

仕事のこと、自殺者のこと、
天皇家のこと、中国との関係、
どうして長生きなのかのこと、
宗教のこと、原爆のこと、経済のこと、
カプセルホテルのこと、侍のこと、
女子高生が下着を売るのは
本当かのこと、日本赤軍のこと、オウム真理教のこと。
小泉さんは歌手もしていたのかとのこと。

私も色々みんなに聞いてみました。
イギリスのこと。オランダのこと。ベルギーのこと。
カナダのこと。南アフリカのこと。フランスのこと。
スウェーデンのこと。

ベルギーでは、3ヶ国語
(ドイツ語、フランス語、
オランダ語)が公用語で、かといって
みんながみんな完璧に
3ヶ国語話せるわけではないようで、

「いつも3つに自然と分かれて、政治でも
なんでも意見がわかれて言い争いみたくなるんだよー。
首都のブリュッセルを取り合いみたくなってて
ブリュッセルはブリュッセルで、バチカンみたく
独立したがっているんだよーって教えてくれました。

友達もいて2回もブリュッセルにいったのに、
またいろんな話がきけて、人口1000万人の
東京都の人口より少ない国での話しが
私にはとても新鮮でした。

リロングウェイにある孤児院に
いって少しお手伝いしてきました。

たくさんの赤ちゃんから4歳ぐらいまでの
子達がいて、もうかわいくて
かわいくてたまりませんでした。

マラウィは、そこまで貧しくないにしても
それでも出産の際に、
お母さんが亡くなってしまったり
お母さんが病気で亡くなって、
預けにくるかたも多いようでした。

でも家族や親類が全くいない子は
少ないのよ。って
管理の方が教えてくれました。

抱っこしたりした際に、
おきまりで、おしっこをもらい
濡れたまま、ミニバスで宿に帰ってきました。

マラウィはお水はいつも
しっかりあるので感動です。

エチオピアでもらった皮膚病が
まだうじゅうじゅしてて痒くて
夜中に目が覚めて掻き毟っちゃってます。
栗山さやか | | comments(0) | trackbacks(0)

ペットボトルのこと。

エチオピアの施設をでてから、
自分が飲み終わった後のペットボトル、
捨てるとき少し心が痛みます。

施設では
みんな水道の水を
ペットボトルが支給されて
その中にいれて使っています。
そのペットボトルも
使い古しのもので
10年前から使ってたんじゃないかって
いうぐらいぼろぼろの
カビがたくさんの
ペットボトルをみんな大切に使っています。
 
自分の持ち物は
その支給されたペットボトルと
支給された靴だけの子が
多いです。
 
なるべくあんまりに恐ろしい
ペットボトルの子は変えてあげるように
自分や他のボランティアの子が
飲み終わった空のペットボトルを
集めていました。
 
アディスはどうだったか覚えていませんが、
他の町にいくと
ボロボロのペットボトルなのに
たくさん売られています。
 
みんなそれを買って水を入れたり、
大切に使っています。
 
ビニール袋も一緒です。
みんな、ご飯のときに具合が悪くて、
たべれなかったりすると
ビニール袋にあけて、
とっておいて後で食べています。
 
日本のビニール袋みたく
頑丈でいいやつではなくて
すぐ破けてしまう感じの
ものですが、
みんな何回も何回も洗って大切にしています。
 
破けてもその部分を
自分の髪の毛で上手にしばったりして使っています。
 
電車に乗っていたときも、
電車が壊れたり、途中の小さな駅で止まったりしたときに
電車の外にいるぼろぼろの服をきた
はだしの子供たちが一生懸命
「コッポーコッポー」って叫んでいて
 
「コッポーって何?」って友達にきいてみると、

「空のペットボトル、
みんな欲しがっているんだよ」
って教えてくれました。

 
エチオピアをもう出てしまったけど、
このペットボトルがあれば、あの子
喜ぶだろうなぁ・・。とか思っています。

マラゥイは意外に停電します。
エチオピア並かもしれないです。
 
でも町は思ったよりきれいで、
人も穏やかなかんじです。

 
栗山さやか | | comments(0) | trackbacks(0)

結婚のこと。

電車移動の旅のときに、
一緒に旅をしていたケニア人の男の子と
エチオピアの男の子とは全く違って
引き締まった筋肉の遊んでいそうな
タンザニアの男の子と、
ザンビアの女の子と
話をずっとしていたこと書きます。


タンザニアの男の子は22歳で彼女が今は6人いる
ってゆっていて、

「日本でそれしたら大問題だよ〜」
って私がゆうと、

一夫多妻が当たり前のアフリカ諸国には
不思議でたまらないようでした。


20歳でまだ子供もいず未婚の子は
村や地方のアフリカではありえないことらしく、
みんな驚いていました。

女の子はみんな首都にいる子を除いて
結婚は15歳ぐらいが平均のようです。

赤ちゃんの段階で、フィアンセが決まっていたり
13歳で赤ちゃんがいたりするのは珍しくなく、
親同士がほぼ決めます。
まれに男の子が女の子を気に入って
女の子に話しかけるまえに
その子のお家にいって両親に承諾を得て
それから、、っていうのが中流家庭の
ノーマルなパターンのようです。

遊んでそうなタンザニアの男の子だったけど、
電車が止まるたび物売りの子達がくるのですが、
そのときに、
おばあちゃんに。。って小さな玉葱をいくつか
かってあげていて
あらら、ってほほえましく思っちゃいました。

彼もHIVは白人だけってちょっと前まで
思っていたそうです。

タンザニアにいたとき、ピグミー族の人を
みかけました。

小さい時に映画でみたことがあっただけだったので
少し感動しました。

ピグミー族は主に、
コンゴの奥地に住んでいる人たちで、
ブッシュマン(林の中に隠れてすんでいるから)
ともいわれているようです。
長身、1.5M未満っていいますが、
もっともっととっても小さい気がしました。

すごくすごく小さく、でも病気ではなく、
独自の遺伝で、顔はしっかり歳をとっています。
私がみかけたかたは、
5、6歳ぐらいの男の子の背格好だけど
顔だけ50歳ぐらいでした。

コンゴでは別の部族が、食用としていて、
捕まえて
食べてしまうため、
ピグミーの人たちは隠れて移動して未だに服では
なく、動物の皮はきて生活しています。

徐々に変わりつつあるってきいていたのですが、
コンゴの国連で働くインドの子も
そういっていて、そこまで
して独自の生活を守り抜くってすごいなぁって
思いました。

ケニアのルオ族のこともききました。
夫が亡くなったら自動的に、妻は夫の別の兄弟の
妻になります。兄弟に別の妻がいても
1夫多妻なので問題ありません。
妻がなくなったら、妻の別の姉妹が
夫の妻になります。
でも妻の別の姉妹全員が
もう結婚してしまっていたら、
2夫1妻にはならないそうです。

ロシア人の中年の女性で、
ルオ族の人と結婚した女性は、
昔夫が亡くなり、どうしても夫の兄弟の妻になるのが
いやで逃亡したのよっていってました。

どちらかが亡くなってしまっても
性交を最後のお別れの意味なのか亡くなった遺体と
します。

アメリカの次期大統領候補って
いわれている一人の人はこのルオ族出身
だとききました。このかたはUS育ちみたいですが。


ケニアの子は英語、スワヒリ語ぺらぺらだし、
それぞれのマザータンももっている子が多く、
平気でみんなたくさんの
言語しゃべります。
すごいなぁって思います。
栗山さやか | | comments(0) | trackbacks(0)
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