マラウィの村で始めさせていただいた小さな活動

 


マラウィはとても小さな内陸国で、(北海道と九州を合わせたほどの大きさ)
かなり安全な国だと思います。

 

ですが、

食料不足、物価の上昇、貧困、HIVAIDS、マラリアなどの
感染症、干ばつの被害、

昔ながらの伝統的儀式がある地域(10代の女の子たちが儀式で大人の男性と性交をする)など

多くの問題を抱えています。

 

ブログにも少しずつ書かせていただいておりましたが、
色々と縁があった、貧しい電気もきていない奥地の村で
小さな活動を始めました。

 

この村は小さな6つの集落がまわりにあり、
それぞれ土地のリーダーがいて
両親あるいは片親を亡くしてしまった子供たちに援助を。

ぜひそういう活動をしてくれたらと土地も無料で提供してくださりました。

 

その活動に必要な、マラウィのNPO設立にあたっての
法律や情報などを徐々に調べ始めていて、
先日、無事にマラウィでNPO(チャリティ―組織)の

設立手続きが完了しました。

 

この活動をはじめた地域は
干ばつの被害がひどい地域(バラカ県)で、
暑い時期は気温が42度もあります。

 

42度など暑い地域で生活したことはありましたが、
今までの場所は、電気が通っている町で、

暑くても冷えた水やジュースが飲めたり
体を冷やすためにも

水浴びが1日に何回かできた場所でした。

 

そういったことがない、村での
砂ぼこりまるけの42度は、
かなりこたえました。

 

水も置いておくと
お湯のようなになってしまい。

せめて冷たい水が飲みたいと思ってしまったり。

 

外にテントで寝泊まりしましたが、
昼も夜も「暑い暑い」と頭の中でずっと回っていて
体力の消耗も激しく、
ネットも電話もほぼつながらず、

思ったように書類関係の仕事も進まず、
効率をよくするためにも今は町に暮らし、
村に通う形でしばらく活動をしています。

 

週に3日、マラウィのこの村でも勉強小屋を始め、
授業の後にみんなでコップ一杯のお茶と
ビスケットを食べます。

 

やぎもいずれみんなで育てられたらと思っています。

大きな活動ではないですが、
モザンビークの子供たちと同様、
厳しい環境で育つ
両親、片親を亡くしてしまった村の子供たちの可能性が
少しでも広がればと思っております。

 

こうしてまだ活動を続けていられるのも
皆様からの温かいご支援のおかげです。

 

2016年も、温かなご支援をいただき、

心からお礼申し上げます。

 

どうか皆様が今年1年の疲れを十分とられ
穏やかな年末年始を迎えていらっしゃいますように。。

 

 

写真

マラウィで始めた勉強小屋の様子

 

 

 

 

 


栗山さやか * マラウィでの活動 * 15:57 * comments(3) * trackbacks(0) * - -

マラウィ南部に戻りました。

 

モザンビークの私の住んでいる州での襲撃は最近おさまっています。

 

協会のある町は

かなり発展もしてきているし、

いつもの日常がありますが、

 

経済の悪化、急激な物価の上昇、
変わらず殺人を含めた犯罪の多さ、

この紛争に対しての
現地の人々の間で話されている怖い噂話、

 

個人で活動している身としては

不安に思う点は正直まだ多いです。

 

マラウィ南部側に生活拠点を移して数か月経ちます。


時々モザンビーク側に戻り(2か月に1度ほど)
あまり目立たないようにして
協会の活動をサポートしています。

 

私はいない間は、ルーシアさんをはじめ

みんながしっかり働いてくれています。

 

町自体は紛争の直接的な影響は全くなく、
町中にいれば全く平和です。

 

マラウィの国境から

この町までの陸路での移動も問題ないです。

 

しばらくまたモザンビークにいたのですが、
今はまたマラウィ側に戻りました。

 

少しずつブログにも書いていたのですが、
マラウィの南部の小さな貧しい村でも
両親あるいは片親を亡くしてしまった子供たちへの
教育サポートをする活動を始めました。

 

詳細をブログでご報告させていただけたらと思います。

 

 

写真

 

バケツを頭に乗せて運ぶ

練習中の協会の女の子。

 

栗山さやか * 日々の暮らし * 23:34 * comments(6) * trackbacks(0) * - -

帰ってきた女の子

 

 

時々ですが、人さらいのことをこの町でも聞きます。

 

家に突然知らない人がきて
「のどが渇いたから水を飲ませてください」と言われて、
家の中にある水がめに水を取りに家の中に入ったすきに
家の前で遊んでいた子供が連れ去られてしまったことを聞いたり。

 

町のマーケットで、荷物持ちをして働く子供たちがいるのですが
その子達が連れ去れてしまった話も聞きました。

 

数か月前には、協会の勉強小屋の子供たちが多く住む地区で
10歳ぐらいの男の子が連れ去られて
殺され、遺体を解体されて
体の一部が売られていたことがありました。
(黒魔術に使うため)

犯人は同じ地区に住む数人の男性でした。

 

お墓の中から遺体が掘り起こされてしまうことも
時々聞きます。

 

そして今回、協会に通っていた5歳の女の子が
人さらいにあってしまいました。

 

家の前で遊んでいたときに、知らない男の人が
連れて行ってしまったようです。

 

警察に連絡し、ですが警察が日本の警察のように
捜査に乗り出してくれることはここではほぼないため、

 

ラジオでこういう格好をした何歳ぐらいの女の子が
行方不明ですと放送してもらうことが家族ができる唯一のことです。

 

協会でビラを作って配ろうかと思いましたが、ビラ配布許可などの
政府機関への届も複雑で、不透明な手続きのため断念しました。

 

そして最後は、祈ろうとみんなで言い。。

私も毎晩寝る前、「どうか辛い思いをしていませんように、
どうか見つかりますように」と祈って眠っていました。

 

約2週間後なんとこの女の子が
離れた村で売られているのが見つかり無事に戻ってきました!

 

犯人の男性と一緒に60キロほどの
道のりを一緒に歩いてその村にたどり着いたようです。

 

良心のある村人が、魚や乾燥したトウモロコシと引き換えに
女の子を買ってくれたようで警察に連れて行ってくれたようです。

 

警察に、自分の名前と「私は勉強小屋で勉強している生徒です!」と
しっかり伝えたそうです。

 

この女の子は、3年ほど前に母親が病気で亡くなり、
2年ほど前に父親も畑でひどい暴行を受けて

殺されているのが見つかって
両親がいず、貧しいおばあさんに引き取られて
育てられている女の子でしたが
一生懸命休まず勉強小屋に通ってきていました。

 

無事に町に戻ってきて、病院で

処置を受け、協会の勉強小屋にもまた通いだし、

 

「私はしばらくお休みしちゃったけど
プレミオ(協会で渡している休まずに通った子への
お米一コップ分などのプレゼント)はしっかりもらえるのかなー」と心配していて。

 

今回のこと、それに両親が亡くなり、
辛いことが多かったように思う
これまでのこの子の5年の人生ですが、

 

どうかこれから先のこの子の
人生が幸せなことが続きますように。

 

そのサポートができる限り出来ればと

思っております。

 

 

写真

 

プレミオのひとつの棒石鹸

 

この棒石鹸で、服の洗濯も、お皿洗いも体も洗います。

 

棒石鹸ですら手に入らないときは、

代わりに灰を使います。

 

栗山さやか * モザンビークの協会の女性たち。子どもたち。 * 02:53 * comments(5) * trackbacks(0) * - -

同じ町での格差


今もモザンビーク中部のいくつかの地域は安全とは言えず、

まだ危険地帯は、政府軍に護衛されながら

全ての車が決まった時間に

一斉に連なって移動しています。

 

先月も、協会で一緒に働いてくれているスタッフの兄弟が、

その地帯をトラックで移動していたときに銃撃され

トラックが横転して、

隣に乗っていた友人と二人とも肩と足を撃たれ

トラックや荷物その場に放置して

身一つでなんとか逃げきれ戻ってきていました。

 

でもモザンビーク首都の大都会の中にいると

まるで平和な別の国にいるような感覚になりました。

 

高層ビルがたくさん建ち並び

ライトアップされたおしゃれなレストラン、

行き交うおしゃれな人々、渋滞だらけの道路、

東京にいるような感覚にすらなりました。

アジア系、欧米系、アラブ系、

外国人の人々の多さにも驚きます。

 

色々な問題(紛争、干ばつ、IMFの隠された莫大な借金)が

ありながらもどんどん発展している首都がある南部、

発展のペースが南部に比べてゆっくりな北部。

 

協会が活動している北部の州は、

発展が一番遅れていて、

「忘れられた州」「貧民の州」と言われています。

 

首都や他の栄えている州に住んでいる

モザンビーク人の友人たちにも

 

「そんなブッシュの中でよくも何年も住んでいられるね。」

と何年もずっと言われ続けています。

 

私の州の病院には、

キューバ人、北朝鮮の医師などの外国人医師が多いのも

 

「モザンビーク南部出身の医師たちは、

この州では働きたがらないから逆に外国人医師が

この州に派遣されられているんだよ。

本音を言うと僕たちも

首都やもう少し大きな都市で働きたかった」と

キューバ人の医師の方達が言っていました。

 

 

でもこの8年で、立派な地方都市と呼ばれるぐらいに

この町も徐々に発展してきています。

 

町の中心部には、エアコンがかかっている

大きな銀行がいくつかでき、

ATMもずらっと並んでいます。

 

町なかには信号が2つもできました。

 

そして犬のドックフードも売っている

大きなスーパーマーケット

(お客さんまだ少ないですが)も出来ました。

 

マラウィ南部の村と比べると立派な地方都市に感じます。

 

ただこの町の中でも、協会の勉強小屋周辺の人々と

この町の中心部に住む裕福な人々を比べると

何百年も別の時代を生きているのではと

いつも思ってしまいます。

 

この発展が、ただ貧富の格差を更に生み出すだけではなく、

貧しく厳しい環境で暮らす人々の生活にも

いい影響が出ればと思います。

 

 

栗山さやか * 日々の暮らし * 23:45 * comments(2) * trackbacks(0) * - -

おこげのお持ち帰り

 

おこげを持ってかえって食べたい子達は、

自分の服の中に隠して持って帰ったり、

道端で拾った大切にしているジュースの空き缶の中にいれて

持って帰ります。

 

残りのおこげがたくさんもらえた日は

みんなとても嬉しそうです。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか * モザンビークの協会の女性たち。子どもたち。 * 18:59 * comments(4) * trackbacks(0) * - -

協会のお鍋の底

 

モザンビークの協会では、

授業の合間にお昼ご飯をみんなで食べます。

 

メニューは日替わりで、

1主食+1おかずです。

 

主食は、お米かパンかしま(乾燥したトウモロコシを練ったもの)か野菜がゆ、

と、お豆、お魚、葉っぱ、卵(貧しいみんなにとったらとても高価な食べ物です)の

どれかひとつのおかずが一品です。

 

レタスやトマトなどのサラダや、鶏のおかずは高価なので

1年に1度か2度のお祝いの日のみです。

 

牛ややぎのお肉は高価すぎてまだ一度も買う勇気が出ていません。。

でもみんなにとったら、鶏も卵も魚もめったに食べれない

とても嬉しい大好きなおかずです。

(ご支援本当にありがとうございます。)

 

みんないつも授業が終わって、掃除をして、帰りの挨拶が終わったあと

いつも猛ダッシュで駆けていくところがあります。

 

お昼ご飯のお鍋がある場所に、列も作らずに突進して

鍋の底にこびりついた

かぴかぴのおこげを奪い合います。

 

「けんかしないように順番の列を作ろうー」と

おこげをちびちびはがして渡しています。

 

一握りのおこげですが、

まだお腹がすいていて食べたい子や、

家に帰って家族と食べたい子、

晩御飯が食べれない子達もいるので

とっておいて夜こっそり食べたい子達。

あるいは明日の食べ物にする子達。

 

 

自分が子供だった頃、

働いてお金を稼ぐことをしなくても

たいして家の手伝いもせずにいても、

 

毎日毎日3食、昨日の残りのおかず、

たくあんなどの漬物なども含めると

何種類ものおかずが一度に出され、

冷蔵庫があって、開ければつまみ食いできるものがいつでもあり、

さらにおやつまであったこと。

 

日本にいたときは普通の家庭に感じていましたが、

世界的にみると

本当に恵まれていたんだと思います。。

 

 

 

写真。 1枚目。お鍋にみんなで突進している写真

    2枚目。 おなべのおこげ

 

 

 


栗山さやか * モザンビークの協会の女性たち。子どもたち。 * 18:48 * comments(2) * trackbacks(0) * - -

1年ぶりのマプト

 

 

 

 

今はモザンビークの首都のマプトにいます。

日本大使館の草の根援助の会合にありがたいことに

参加させていただきました。

 

マラウィの電気も水道もない
最寄りの乗り合いワゴン乗り場(公共バス)まで

約10キロ離れているとても小さな村にいたので、

 

モザンビークの首都のマプトにきて

たくさんの車で渋滞しているきれいな道路、

見上げるほど高いのビルの数々、

おしゃれにライトアップされたビル、

お店の数々に圧倒されています。

 

1年ぶりのマプトですがますます発展していて

人々は都会的で洗練されておしゃれで丁寧で

テキパキ働いている印象です。

 

 

最近、疲れがたまると

風邪をすぐにひいて、

こじらせてしまうことが多くなりました。

 

先月から風邪をこじらせてしまって、

2週間以上しっかり眠れず、

一睡も全く眠れない夜があったり、咳も止まらず、

体がだるくて辛くて仕方がありませんでしたが、

やっと今日の朝から少し元気になりました。

 

体調が悪いと、精神的にも落ち込んでしまい、

物事を悪いほうにばかり考えてしまうので

やっと元気になれてほっとしています。

ブログの更新が止まってしまっていて

協会の活動報告ができていず、

申し訳ありませんでした。

 

 

日本は今、冬の寒い季節だと思います。

皆さまどうか温かくして過ごされますように。。

 

 

 

マラウィ南部の村の近くの写真

 

栗山さやか * 日々の暮らし * 21:41 * comments(8) * trackbacks(0) * - -

勉強小屋の壁をペンキで塗らせていただきました。

 

モザンビークの最初の勉強小屋の壁をペンキで

塗らさせていただきました。

 

写真1枚目  まだわらでできた勉強小屋だった頃

 

 

写真2枚目  ペンキを塗らせていただく前

(子供たちが持っている青いバック、ノートは

休まずに通った子に渡したプレミオの一つです)

 

写真3枚目  ペンキ塗りが完了しました。

 

温かいご支援心から感謝申し上げます。

 

 

 



 

 

栗山さやか * 協会(アシャンテママ) * 14:21 * comments(9) * trackbacks(0) * - -

北朝鮮の医師のみなさん

 

 

※ 知り合った北朝鮮の方々とのことを書きましたが、もしかしたらその方々が

北朝鮮に戻られた後に何か問題になってしまう可能性もあるのではとアドバイスをいただき、

以下のブログの内容のいくつかを削除させていただきました。

 

+++++++++++++++++++++++++

 

北朝鮮は1975年にポルトガルからモザンビークが独立する前から

支援をしていてモザンビークと関係がなかなか深い国の一つです。

 

今年に入ってから悪化している襲撃などに対応するため、
中国軍、ベトナム軍だけではなく、北朝鮮の軍事専門家も
モザンビークにきていると言われています。

 

少し前には、北朝鮮の外交官がモザンビークのサイの角、象牙などを
密輸をしていて捕まったというニュースもありました。

 

北朝鮮からモザンビークに派遣されている医師の方々は、
3年ごとの契約で交代で派遣されているようです。
子供は連れてこれないけど
結婚している場合は奥さんは連れてきていました。

 

北朝鮮の方々は見た目が日本人にやっぱり似ていて
アフリカの人々の中にいると、
自分にそっくりなので親近感がわきます。

 

この北朝鮮のお医者さんとその奥さんたち10人ぐらいに
初めて知り合った時の第一印象はあまりよくありませんでした。

 

自己紹介をした際、
「日本人です」と言うと

 

「君は日本人かい。 日本はアメリカの犬だからね」と
いきなり言われてしまい。。

 

みなさんの上着の胸元には、将軍様のバッチがつけてありました。

 

片言の日本語をみなさん知っていて、
「我々は〜」など知っている日本語を教えてくれました。

 

病院で実習をしていた頃、グループ全員で病院に忘れものをしてしまったときは
わざわざ医療学校まで来て、「忘れものだよ。」と持ってきてくれた
北朝鮮の医師たちもいてなんて優しいんだろうと

モザンビーク人のクラスメートたちと感動しました。

 

今回、モザンビークに来たことが、
初めての海外で、なにもかもあまりに違ってびっくりしたそうです。

 

一緒に大きなお祝いごとに呼ばれていったときも
林家パー子さんみたいに写真パシャパシャ撮っていて

モザンビークの人たちとみんなで踊ったりして
すごい陽気なご夫妻でした。

 

おいしい北朝鮮の料理を作ってくださったり、

お宅に遊びに行って私が帰るときも、いつも家の前の道まで出て、
私が自転車こいで見えなくなるまで手を振ってくれて

見送ってくれてとても優しいご夫妻でした。

 

 

今は無事に北朝鮮に戻り、
3年ぶりにご自身の子供たちに会えて、

わいわいされているんだろうなぁと思います。

栗山さやか * 色々な国の人々 * 20:33 * comments(12) * trackbacks(0) * - -

干ばつの影響

 

今年は、マラウィ、モザンビークを含めた南部アフリカ全体で、

5カ月ほど続く雨期に降るはずの雨がとても少なかったです。

 

地域にもよりますが、

井戸の水、川も干上がってしまってかなり遠くまで水を汲みに行く

貧しい人たちが今の時期とても多いです。

 

みんな頭の上に水の入ったバケツを乗せて運びますが
マラウィ南部では、気温が32度から

ひどい地域は毎日43度ほどありとても暑いです。

そんな中での水汲みはかなりの重労働です。 

 

今年は干ばつがあったために、

主食の乾燥トウモロコシなどの収穫が例年に比べかなり少なく、

値段がとても上がってしまい
みんな更に食べる物に苦しい状況です。

 

マラウィ南部の貧しい村でも両親、あるいは片親が亡くなってしまって
苦しい生活をしている子供たちがとても多く、

何かここでも少しでもサポートができればと思っています。

 

  写真  マラウィ南部の村の子供たちと、

モザンビーク北部の水汲み場 

 

小さい子達も自分が運べるだけの水を運んで家族を助けます。

 

 


 

 

 


栗山さやか * 日々の暮らし * 04:19 * comments(2) * trackbacks(0) * - -
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