アレルヤ

 

以前ブログに書いたアレルヤ。

 

 アレルヤの体調

 

ずっとこの数か月、病院へ入退院を繰り返していて、

彼女のお母さんは、

悲しくなるぐらい痩せ細り、

歩けなくなってしまった彼女を背中におぶって、

泥道を歩き、教会へ通って祈りを捧げていたと聞きました。

 

先日、アレルヤの具合がとても悪いから

車を使って病院に運びますとルーシアさんから

連絡がありました。

 

ですが病院について翌日には亡くなってしまったと。。

 

ショックを受けていると、

彼女のお母さんが、どうか二千円、貸してほしいと。

 

アレルヤを包む白い布代のためでした。

 

ここでも棺桶はものすごく高価なもので貧しい人は買えないので、

白い布でご遺体を包んだり、ゴザで包んだりして

土葬します。

返さなくていいからと、布代を渡しました。

 

闘病を頑張っていたアレルヤ、

亡くなってしまう数日前に

ルーシアさんがバナナとお米を持って訪ねたときに、

「何か他に食べたいものある」って尋ねると、

 

「これで十分です。ありがとう。。」と言って

その場でゴザの上で横になりながら、

バナナをゆっくり食べていたと。。

 

 

アレルヤが今は天国でゆっくり休めていますように。

 

 

エチオピアの施設でボランティアしていた時と変わらず、

12年が経った今も、子供たちが亡くなっていってしまうたびに、

いつも何かもっとできたんじゃないかと

考えてしまうことを繰り返しています。。

 

 

写真:一番前のピンクの服を着た女の子がアレルヤです。

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(5)

マラウィのアシャンテママの子供達

 

モザンビークもマラウィも

今は雨がたくさん降る雨期の時期です。

 

雨期の時期に入り始める頃の毎年12月ごろに、

みんな来年の5、6月ぐらいに

収穫できる主食のしまの素となる

白いとうもろこしの種を植えるために

一生懸命家族総出で畑を耕します。

 

3歳ぐらいの子たちも

薪集めをしたり、

小さなくわを使って家族と一緒に耕す練習?を始めていたり

小さめのバケツに水をいれて頭の上にのせて上手に運んだり。

 

 

収穫の時期が来るまでの

今のこの時期から4月ぐらいまでが

1年で一番食べ物に困ってしまう時期だと思います。

 

マラウィでもアシャンテママの教室に通っている

遺児、病気、障がいを抱えて生きる子供達、

空腹で過ごす時間が多いので

アシャンテママの教室でお昼ご飯を食べられること

みんなとても喜んでくれています。

 

 

暖かいご支援、いつも心から感謝致しております。

 

 

写真

みんなの大好きなお米と卵のお昼ごはんと飴玉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | マラウィでの活動 | comments(0)

強盗に入られないためのドア

 

先日、ルーシアさんが近所の路上マーケットに行ったときに

知り合いの10歳ぐらいの女の子をみかけたとき、

女の子の顔がひどく腫れてしまっていて。

 

どうしたのか尋ねてみると、

夜中に強盗がやってきて、家族みんなで暴行を受けたと。

 

強盗たちは、斧でドアを壊してはいってきたようで、

銀行からおろしてきたお金を出すように要求したそうです。

 

その日の昼間、確かに家族の一人が

町中にある銀行からお金をおろしていて。

 

昼間、銀行から後をつけられて、

夜中になるのを待って入ってきたようでした。

 

強盗たちは銃も持っていて、

命乞いをして、命だけは助けてもらったそうですが、

ひどい暴行を受け、家族の何人かは病院に入院していて。

 

この10歳の女の子ですら一緒に暴行をうけてしまって。

 

恐ろしい思いをした、

ご家族みなさんが早く完治しますようにと

思っています。

 

 

アシャンテママのお金の管理をしてくれている

ルーシアさんたちも、

どうか危険な目に合ってしまわないようにと

いつも願っています。


 

写真は、

アシャンテママの教室の敷地内に住んでくれている

ルーシアさん、ルーシアさんの親戚の子供達が

眠る部屋です。

 

ドアを斧で壊されてしまわないように、

鉄格子をつけさせていただきました。

 

これがあるだけでだいぶ

安心するといっていました。

 

来月現地に行くとき、頑丈なタイプの南京錠を

こっちで買って持っていきたいと思います。

現地に着いたら、

安全対策の強化ももっとしっかりしていきたいです。

 

いつもご支援ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

お正月にお米を渡したときの動画と写真

 

お正月、

みんなの大好きでみんなにとってはとても高価な食べ物のお米、

一人3コップずつ渡させていただきました。

 

みんなとてもとても喜んでいたそうです。

 

雨期に入ったこの時期は、

家族に連れられて町を離れ、

遠く離れた村やブッシュの中で

畑を毎日耕して生活をしている子供達が多いです。

 

その子たちには、町に戻ってきたら

渡させていただきます。

 

温かいご支援、心から深くお礼申し上げます。

 

 

※動画です。音がでるのでご注意ください。

 

 

 


 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

2019年明けましておめでとうございます。

 

 

2019年 あけましておめでとうございます。

 

日本で過ごすお正月、紅白歌合戦、年越しお蕎麦、

除夜の鐘、初詣、おせち、お雑煮とかを想像して

幸せな気持ちになっています。

みなさまどうか穏やかな元日を過ごせていますように。。。

 

 

以前に、約9年ぶりに日本へ一時帰国したときは12月でした。

 

モザンビークは夏の暑い時期だったので、

冬服をあまり持って来ずに、日本に戻ったのですが、

実家に戻ると、私の中、高校の頃の服が

たんすに入ったままでした。

 

25年ぐらい前、中学校の頃はやっていた

シャカシャカズボンなどそのまま中学校の頃なんかの恰好で

実家で過ごしていました。

(渋谷の店員時代の服は派手派手すぎて

一体、なんでこんなの着ていたのかな。。と思い

着れませんでした。派手なハイビスカス柄とか。。)


実家には私が幼稚園の頃、給食に持って行っていた

私の名前が書かれたプラスチックコップ、給食袋、

うちの兄が小学校の家庭科で縫ったクッション、

母が小学校の頃に編んだマフラーもまだ使っていました。。

(55年以上前のマフラー)

 

「もったいなから捨てられない。。」と言う母の言葉、

日本に住んでいた頃は、あまり思わなかったと思いますが、

今は、とても分かります。。

 

私が中学でソフトボール部で着ていたユニフォームや、

中学・高校の頃のジャージ、

25年経ってもチャックも壊れていないし、

素材も立派ですごいなぁと思いました。

 

モザンビークに持って帰って、プレミオとして渡しました。

簡単には穴があきそうもない、しっかりした固い素材で、

すごく気に入ってくれて、受け取れた子供達、

毎日毎日着てくれています。

 

 

写真 私の中学、高校時代のジャージ、ユニフォームなどです。。

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(4)
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