亡くなってしまう原因

 


活動を始めたマラウィの村で
勉強小屋に通ってきている100人ほどの子供たちの
お宅を順番に訪問させてもらっています。

 

勉強小屋に通っているのは、

両親あるいは片親を亡くした村の貧しい子達です。


その子の健康状態や、

親御さんが亡くなってしまった原因など、

その子にかかわること

一人一人のお宅でなるべく聞かせてもらっています。

 

村の人々は協会の勉強小屋が出来たこと

すごく喜んでくれていて、

みなさんとても温かい雰囲気です。

 

子供たちの親御さんが亡くなってしまった原因は

以下の通りです。

 

 

1. HIV・AIDS
2. マラリア・大脳マラリア
3.コレラ
4.黄熱病

5.淋病
6.がん(喉頭がん、肺がん)

7.病名不明あるいは原因不明で死亡 (胃の痛み、足の痛み、耳の痛み、頭痛等の症状の後に死亡など)
8.母親が出産時に赤ちゃんとともに死亡

9.大雨で家が崩れ下敷きになり死亡
10.川でワニに食べられ死亡

11.サイに襲われ死亡

12.象に襲われ死亡

 

モザンビークの協会の子供たちの場合は、

「殺害され死亡」  があったり、

「黒魔術をかけられ死亡」(とご家族が思っている)
場合もありますが、

マラウィでは今のところ聞いておりません。

 

 

子供たちへの小さな教育支援をしながらも

様々な視野から活動について

考えていけたらと思っております。

 

 

温かいご支援をいただき、

心から深くお礼申し上げます。

 


写真  マラウィの協会の子供たちのご自宅訪問

   

 

 

 

栗山さやか | いただいたご質問 | comments(6)

今後も気を付けたいこと

 

 


モザンビークの別の州に数日いたときに

日中、町中の人ごみの中を歩いていたら、
知らない男の人に腕を突然つかまれて体が一瞬固まりました。

 

その時にちょうど前から女性警官のかたが歩いていました。

 

何回も腕を振り払うと、
その男の人は腕を離して、どこかに行ってくれました。

 

女性警官も少し離れた場所からその様子を見ていて、
そして私に向かって歩いてきてくれたので少しほっとしたら、

 

私を見て一言、

「身分証明!」と一言だけ怒鳴るように言いました。

 

急いで、外国人査証を見せると、
別の場所に連れていかれました。

 

私の腕をつかんでいた男の人については何も聞かれず、

私の査証を見て、
 

「この査証が発行された州はここの州ではなく、
あなたがその州から出て、この州にいるのは違法」と言いました。

 

「あなたはこの州に何日間滞在しているか」
「一体何の目的でこの州にいるのか、
誰と一緒なのか」と聞かれました。

 

国内情勢が不安なため、知らない間に法律が変わってしまったのかと思い
一気に不安になりました。

 

とっさに、
「現地の友人に連絡をしてもいいでしょうか」とお願いすると
ぶっきらぼうに私を睨みながら

「行ってよし。」と一言、言われ解放されました。

 

後から思うと大したことではないのですが、
その時はなんだかとても怖く思いました。

 

そのことをモザンビークで法律に詳しい友人に話すと、
「外国人だからと言って、許可なしに別の州に行くことは違法じゃないよ。
でも色々と気を付けてね。」と。

 

先月、協会の勉強小屋の近くに住む家族の男性も、
夜に別の村から町に戻ってくるときに、警察の検問所で
何かしらで警察官と揉めてしまい、

車に乗っていた全員が撃たれてしまったと聞きました。
(この件はしっかり裁判にかけられるようです。)

 

貧しい人々は、盗みなどの揉め事などの際は
土地のリーダーへ相談に行く人々が多いです。

 

でもこの間、

無事に人さらいにあった女の子が戻って来れたとき、
警察が探す捜査などはしてくれなくても、
売られていた女の子が村で見つかったときに、
しっかり対応してくださったから女の子も戻って来れました。

 

犯罪がとても多い国では、

警察のかたが、時に厳しい対応をするのは
仕方がないことなのかもしれないと思いました。


今後とも落ち度がないように気を付けていきたいです。

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(8)

変な世界

 

 

数年前までモザンビークに住んでいたインド人の友人がいました。

 

 

彼はインドの裕福な家庭出身で

インドの資源会社(宝石、石炭など)で働いていて、

その関係でモザンビークに数年間住んでいました。

 

 

彼はいつも四駆の大きな車に乗り、現地のスタッフを連れて、

ブッシュの中によく資源調査のために行っていました。

 

 

その時にモザンビークの中でも特に貧しい村と呼ばれている人たちの生活を

よく眺めていたようでいつも驚いていました。

今はインドに戻り、大きな都市にあるオフィスで働いています。

 

                                                                                                                                 

彼が

 

「ねぇ、僕たちって変な世界に生きていると思わない?

多くの貧しい環境に生きる子供たちは、

食べ物や水を得るためにやせ細った体で何キロも日々歩いていて、

多くのお金持ちの人たちは、食べ過ぎてしまって

ダイエットのために何キロも歩いたり。 

変な世界だね。」 と。

 

 

深い意味もなくただ何気なく言った一言だったんだと思いますが、

なんだか少し心に残る言葉でした。

 

 

 

写真 モザンビークの夕焼け

 

 

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(5)

ノートの心配

 

 

マラウィ側にいながらも、
モザンビークの協会で働いてくれている
ルーシアさんたちと頻繁に連絡を取っています。


ルーシアさんが、

「今年もまた子供たちが協会の畑で働いてもいい?って
聞いてきているけどどうしたらいいかな」
と尋ねてきました。


モザンビークは毎年今の時期(1月下旬)が
新学期が始まる時期です。


新学期に学校でも必要なノートを
子供たちみんなとても心配していて
畑で働きたいと毎年この時期に聞いてきます。

 

ノートや鉛筆がどうしても手に入らなくて
学校に通うのを諦めてしまう子供たちもいます。

 

毎月休まず勉強小屋に通った子には、
プレミオでノートや鉛筆、棒石鹸、お米一コップなどを
支給させていただいています。


ただ学年が上がるにつれて、科目数も増え
必要なノートの数も多くなります。

 

今はモザンビークは情勢が不安定なことに加え、
経済悪化でほぼすべての物価が2倍以上になってしまい
ますます苦しい状況です。

 

ノートも鉛筆もモザンビークの現地のお金では、

2倍の値段になってしまいました。

 

両親、あるいは片親を亡くした子供たち、
父親を知らずに育った貧しい暮らしをしている子供たちが
安心して勉強できるように
畑である程度お手伝いしてもらったら
今年もノートを数冊それぞれの学年に必要な分だけ
援助させていただけたらと思います。


6歳や7歳の子達も、協会の勉強小屋の授業が始まる前に
早くきてお掃除やゴミ捨てなどを手伝ったり、

ミニテストでいい点数とったら、
スタンプカードにはスタンプを押して
いくつスタンプがたまったら、
ノート一冊や、鉛筆一本プレゼント!など
ともさせていただいています。

 

朝7時半においでと言っても
家に時計のない子供たちは、
時間がわからず、

みんな張り切り過ぎてひどいときは

夜が明けたばかりの薄暗い朝5時過ぎに

(危険だからそんなに早く来ちゃダメだよと伝えます。)

 

遅くても朝6時過ぎにはもう勉強小屋に来て、
掃除を楽しみながらみんなで協力してやってくれています。


 

なまけものだった自分の子供時代と比べると
こういったところでも、
みんなすごいなぁと感心してしまいます。

 

 

写真

 

支給してもらったノートは、

バックを持っていない子達は、

手に入ったお砂糖の空袋や、

何かのビニールに入れて

雨期のこの時期、塗れてしまわないように大切にしています。

 

1、2枚目 子供たちとノート

   3枚目 子供たちとスタンプカード

 



栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(11)

大反省

 

 


数日前に大反省することがありました。


日本のかたからご質問たくさんをいただけたのですが、
もうなんであんなことばかり言ってしまったんだろうと
数日間とても落ち込みました。

 

きれいななめらかな日本語を話そう、

尊敬語、謙譲語など間違えてはいけないなど
様々なことが頭をぐるぐる回りはじめてしまいました。

 

緊張していたこともあったことに加え、
昔の辛かった時期のことについて話をしていて、
最近、道端で警察官に捕まってしまったこともあって、
だんだん発言がネガティブなことばかりなってしまい
自分でも一体何が言いたいのかわからなくなり・・。

せっかく日本のかたがたとお話しさせていただく
機会をいただけたのに。。

 

もっとモザンビークで経験させてもらった素晴らしいこと、
何年も前から一生懸命働いてくれているルーシアさんたちのこと、
医療学校で出会ったすばらしい先生たちのこと、を話すべきだったのに・・。


緊張していて何を自分で言いたいのか、
言っているのかよくわかりませんでした。

自分の未熟さがはっきりわかって
悲しくなり、ご質問してくださった方に対して
なんて失礼だったんだろうと自分自身に失望しました。


ですが、
《失敗したあと、その後どうするかが大切》と聞き、

これからは、必ず同じ間違いは繰り返さないよう、
いつでももっと相手の立場に立って考えられるようにと思います。


今年は嫌なこと悲しいいことがあってもそこから学んで、
良かったことをいつまでも覚えているようにしたいです。


1か月以上風邪が長引いていて
ぐずぐず体調が悪かったのですがやっとやっと完治しました。


皆様もこれから寒さがますます厳しくなると思いますが、
どうかお気を付けくださいね。

 

お正月のんびり、ごろごろできていますように。。

 

 

 

 

 

栗山さやか | お知らせなど | comments(11)

スイスに住んでいる女性

 


以前、モザンビークの首都ににいたときに
泊まっていた安宿で
スイスに住んでいるという女性と一緒になりました。

 

ビーチサンダルが壊れちゃったから
新しいのを道端で売っている子から買ったと
話していました。

 

「300円だと言われたんだけど、
でもその男の子、ボロボロの服着ていて
しっかり接客してくれて、
お釣りはいらないって700円払ったの。」

 

私と一緒に話を聞いてた欧米系のバックパッカーの人が

 

「えーそんなことしたら外国人はいいカモだと思われて、
次から外国人みたらその値段で売り始めるかもよー。」って言いました。

 

その女性は、

「しっかり接客してくれたし、チップみたいなものかな。

それに、それもしょうがないんじゃないかなって
言うぐらい所得の差があるよね。

 

私は、休みをとって飛行機に乗って別の大陸の国に行ける、

この子は、ボロボロの服を来て
道端で大切そうに数足のサンダルだけ並べて売っている。

 

私、スイスにずっと住んでいて、
仕事にもつけて何カ月か節約をすれば
旅行も行けるようになったの。

 

でももともと私も私の家族も

トルコで政府に虐げられた民族出身、
宗教を信仰していて、小さいころに難民として
スイスに受け入れてもらえて今があるの。

 

自分たちも困ったときにとても助けられたから、
だからどこかで誰かが少しでも普段より
いい食べ物、買えたらいいなぁと思って。
ただそれだけ。。」と教えてくれました。

 

私はそういうことについて
もんもんと考えてしまうことも時々ありましたが、
この話を聞いて単純になんだか心が温かくなりました。

 

 

 

写真 首都の道端

さとうきびジュース売りのかたと

手動絞り器

 

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(3)

2017年明けましておめでとうございます。

 

2017年明けましておめでとうございます。


遂に新しい年になりましたね。

 

今は日本はお雑煮がおいしい季節ですね。

 

マラウィは暑いクリスマス、お正月です。

 

ただ雨期に入ったので、もう気温もだいぶ下がり、
活動している村でも最高温度が35度ぐらいまで下がって
かなり過ごしやすいです。

 

2017年もみなさまにとって
幸多き、素晴らしい年となりますように。。。

 

 

協会の活動も、私自身もまだまだ
情けない部分が多いですが、
今年も活動を続けさせていただければと思います。

 

本年もどうかよろしくお願い致します。

 

 

 

写真。 モザンビークのアシャンテママの教室1の子供たち。

 

栗山さやか | お知らせなど | comments(2)
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