北朝鮮の医師のみなさん

 

 

※ 知り合った北朝鮮の方々とのことを書きましたが、もしかしたらその方々が

北朝鮮に戻られた後に何か問題になってしまう可能性もあるのではとアドバイスをいただき、

以下のブログの内容のいくつかを削除させていただきました。

 

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北朝鮮は1975年にポルトガルからモザンビークが独立する前から

支援をしていてモザンビークと関係がなかなか深い国の一つです。

 

今年に入ってから悪化している襲撃などに対応するため、
中国軍、ベトナム軍だけではなく、北朝鮮の軍事専門家も
モザンビークにきていると言われています。

 

少し前には、北朝鮮の外交官がモザンビークのサイの角、象牙などを
密輸をしていて捕まったというニュースもありました。

 

北朝鮮からモザンビークに派遣されている医師の方々は、
3年ごとの契約で交代で派遣されているようです。
子供は連れてこれないけど
結婚している場合は奥さんは連れてきていました。

 

北朝鮮の方々は見た目が日本人にやっぱり似ていて
アフリカの人々の中にいると、
自分にそっくりなので親近感がわきます。

 

この北朝鮮のお医者さんとその奥さんたち10人ぐらいに
初めて知り合った時の第一印象はあまりよくありませんでした。

 

自己紹介をした際、
「日本人です」と言うと

 

「君は日本人かい。 日本はアメリカの犬だからね」と
いきなり言われてしまい。。

 

みなさんの上着の胸元には、将軍様のバッチがつけてありました。

 

片言の日本語をみなさん知っていて、
「我々は〜」など知っている日本語を教えてくれました。

 

病院で実習をしていた頃、グループ全員で病院に忘れものをしてしまったときは
わざわざ医療学校まで来て、「忘れものだよ。」と持ってきてくれた
北朝鮮の医師たちもいてなんて優しいんだろうと

モザンビーク人のクラスメートたちと感動しました。

 

今回、モザンビークに来たことが、
初めての海外で、なにもかもあまりに違ってびっくりしたそうです。

 

一緒に大きなお祝いごとに呼ばれていったときも
林家パー子さんみたいに写真パシャパシャ撮っていて

モザンビークの人たちとみんなで踊ったりして
すごい陽気なご夫妻でした。

 

おいしい北朝鮮の料理を作ってくださったり、

お宅に遊びに行って私が帰るときも、いつも家の前の道まで出て、
私が自転車こいで見えなくなるまで手を振ってくれて

見送ってくれてとても優しいご夫妻でした。

 

 

今は無事に北朝鮮に戻り、
3年ぶりにご自身の子供たちに会えて、

わいわいされているんだろうなぁと思います。

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(12)

干ばつの影響

 

今年は、マラウィ、モザンビークを含めた南部アフリカ全体で、

5カ月ほど続く雨期に降るはずの雨がとても少なかったです。

 

地域にもよりますが、

井戸の水、川も干上がってしまってかなり遠くまで水を汲みに行く

貧しい人たちが今の時期とても多いです。

 

みんな頭の上に水の入ったバケツを乗せて運びますが
マラウィ南部では、気温が32度から

ひどい地域は毎日43度ほどありとても暑いです。

そんな中での水汲みはかなりの重労働です。 

 

今年は干ばつがあったために、

主食の乾燥トウモロコシなどの収穫が例年に比べかなり少なく、

値段がとても上がってしまい
みんな更に食べる物に苦しい状況です。

 

マラウィ南部の貧しい村でも両親、あるいは片親が亡くなってしまって
苦しい生活をしている子供たちがとても多く、

何かここでも少しでもサポートができればと思っています。

 

  写真  マラウィ南部の村の子供たちと、

モザンビーク北部の水汲み場 

 

小さい子達も自分が運べるだけの水を運んで家族を助けます。

 

 


 

 

 


栗山さやか | 日々の暮らし | comments(2)

日本語でのニュース


日本語では報道されていないようですが、
英語圏、フランス語圏、ポルトガル語圏の国々では

今年になって更にひどくなってきている

モザンビーク国内で起こっている襲撃、殺害が
時々ニュースになっています。

 

欧米人の知り合いから

「日本ではこの襲撃のことニュースになってないの?」と聞かれました。

 

どうしてかなと思って聞くと

 

「日本人のバックパッカーに
モザンビーク中部の町の安宿で偶然知り合ったんだよ。

モザンビークからマラウィに入国するって言っていて

そのルートが襲撃が相次いでいるルートを通ると言っていて、

念のため別のルートを通るように伝えたよー。

モザンビーク中部で紛争が相次いでいること

知らなかったみたいだけど。。」と。

 

そのルートでも、

すべての車が襲われているわけではないし、
そのルートを通った友人たちから何事もなく

通過できたから大丈夫という話もよく聞くし、
逆に別の友人からは、襲われている車、

火をつけられている車を横目で見ながら

自分たちは逃げた、とも聞いています。 

 

ただ念には念をいれて

避けれるのなら避けたほうがいいと思います。

 

中部地方では、危険ルートを通過したい車は、
朝4時ぐらい(だったかなと思いますが)集合で、
政府軍の車が間にはいり一斉にすべての車で列を作り
護衛されながら移動することもしています。(それでも襲われてしまうことはある)

 

色々なルートで小さな襲撃も含めると増えていますが、
特に気を付けたほうがいいと言われているルートは、

 

ゴロンゴザ周辺(ソファラ州)
ゴロンゴザからモクバ(ソファラ州、ザンベジア州)
テテ市街からマラウィまでの国境(テテ州)

ザンベジア州からマラウィまでの国境(ムワンザ国境)

テテ市街からシモイオ市街までのルート(テテ州、マニカ州)
シモイオ市街からベイラ市街(マニカ州、ソファラ州)
マルパからクアンバ(ニアッサ州)
ナンプラ、クアンバ間の列車(ニアッサ州 数日前に襲撃あり、

列車のスタッフが太ももを撃たれた、死亡者なし)

 

たまたまバスに乗っていたフィリピン人の

女性教師も襲撃の流れ弾で亡くなっています。

(ザンベジア州 モクバ近郊)

 

報道されていない襲撃もあると聞きます。


逆に政府の警察から60人以上のマラウィの人々が突然、
身柄拘束されてしまったように
よからぬ容疑をかけられてしまう懸念もあります。

 

私の住んでいる町でもアメリカ人の女性が警察官からの持ち物検査を受け

手錠をかけられてしまったこともありました。

 

外国人であること、この国の法律をしっかり知らなかったり、

知っていてもやり取りの際に誤解を生んでしまい
こういう情勢の中では、

すぐに身柄拘束につながってしまうこともあります。

 

あまり政府のことなどブログで

書かないほうがいいと思っていましたが
モザンビーク情勢のニュースが日本語ではあまりネットでは

出てきていないようなので
旅している人たちのもしもの情報になればと書かせていただきました。


モザンビーク政府も情勢を少しでも良くしようと動いています。

 

ご家族がモザンビークに住まれているかたもいらっしゃるかと思います。

不安もあおるようなことを書いてしまいましたが、

ブッシュの中の道以外で

襲撃が起きているのは主に小さな町や村にある政府関係の施設のため(警察署、検問所、病院など)

普通に生活をするには問題ないと思います。

 

モザンビーク南部や、北部でもカボデルガード州は今のところ安全で、
どの州でも州都や大きな町にいれば全く問題ないと聞いています。

 

 

ただどうかモザンビーク中部、北部、
陸路での移動、そしてご自身の行動、政治的な発言は、

もしもの場合を考えて

十分気を付けていただけたらと思います。

 

 

栗山さやか | 国などについて | comments(6)

マラウィのニュース

 

 

私の今いるマラウィはタンザニア、ザンビア、モザンビークに囲まれた

内陸国になるので、ガソリンなどはモザンビークの港から陸路で

タンクローリーで運んできます。

 

数カ月前に、このマラウィのタンクローリーも

マラウィに向かってモザンビークを通って運搬中、
モザンビークの民族抵抗運動軍に何回か襲撃されました。


火をつけられタンクローリを燃やされたこと、襲われて連れ去られてしまった人、

その他にもマラウィ人が4人ほど一度に射殺されてしまったり

人が乗ったままの車に火をつけているのを目撃したり。

 


マラウィのニュース

https://malawi24.com/2016/05/31/malawians-risk-killed-mozambique/


 

http://www.malawipunch.com/business/3-tankers-attacked-mozambique/

 

 

 

マラウィの人々に私がモザンビーク北部から来たというと、

襲撃がひどい地域に住むモザンビークの人々が

1万人以上マラウィに逃げて難民キャンプで生活していることもあり、

 

「モザンビークの内戦は大丈夫なの? 

モザンビークの中部、北部はとても危険でしょう」と聞かれます。

(実際は、州都や大きな町に住んでいれば問題ないです。)

 

マラウィからモザンビーク、ジンバブエを通過して

南アフリカまでバスで移動ができます。

 

そのバスがモザンビークを通過中に

バスに乗っていた60人以上のマラウィ人が理由も言われずに

モザンビークの警察に1週間以上身柄を拘束されてしまっていました。


激しく暴行を加えられたり、パスポートを含めた個人の荷物も没収されてしまったそうです。


ニュース


http://allafrica.com/stories/201609100436.html

 


私の住んでいる州でも、30人ほどの武装した民族抵抗軍が
乗り合いワゴンを止めたそうですが、

ワゴンはそのまま来た道を戻るように言われたそうですが、

誰も襲わず、奪わず

ただ政府の軍隊、警察の人がいないかを確認していたようです。

 

 

マラウィからの国境とモザンビークの私の住んでいる町までは

そういったことは聞かず、トラック、バス、乗り合いワゴンの行き来も

通常通りです。

 

一番襲撃が激しい州に住む現地の友人が、

 

「この襲撃、紛争が近いうちにおさまるとは思えないけど、

反政府軍が国が半分に分断して統治することもないと思うよ」と話していました。

 

この民族抵抗運動軍を裏で一体誰が支援しているのか

(アメリカ、南アフリカなどの国と言われている)

ということもたびたび話題に上っています。

 

まだまだモザンビーク中部北部の情勢が不安定ではありますが、

どの州でも町中に住んでいる一般の人々には、

民族抵抗運動軍からの襲撃などの問題はないと思います。

 

ただこの紛争などによって、色々な影響が出ていますが、

海外から何度も仲介者の方々が来て平和的に

解決しようと話し合いの場も持たれています。

 

早く平和な日々に戻るといいと思います。。

 

栗山さやか | 国などについて | comments(0)
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