まだ寒い日々です。




ブラジル人の友人が経営するお金持ちの子供たちが通う私立の塾で
以前英語の教師のアルバイトを
2年していました。

病院勤務してないんだったら、
英語を教えられる人がいないからまた働いてほしいと言われていますが、

協会の仕事で書類関係などを早く何とかしたいと思っています。

 もう4年近く前のことになると思いますが、
ここで
働いていた時の同僚の先生、
もともと政府の小学校で働いたのに
くびになってしまってそこの塾で働いていました。

休憩時間によく話していて、
政府の小学校くびになっちゃった原因を教えてくれました。

14歳ぐらいの女子生徒(ここでは14歳で小学生もいる)を
妊娠させてしまったからだったようです。
しかも1人ではなかったみたいです。

 他の先生が他の女子生徒と、彼が他の女子生徒とかそういうのが
よくあることになっていたようでした。

政府の小学校は1年生から進級テストがあって、
いい点をとれない子達は
落第します。 
かなりの数の子達が落第してしまうのですが、

落第してしまうとまた授業料もかかってしまうので
(授業料がかかるのは
中学1年生から)みんな必死です。

だから教師にお金で解決してもらったり、
そういうものだと思って体を使ってお願いしてしまったり
先生から体を要求されたら断れない子たちもいると思います。

(政府はなんとかこういう問題を解決しようと働きかけています。)

 その先生は、生徒とそういう関係になることを悪いことだとは思っていないようで、
「安月給で働いてるんだからそれぐらいおいしい思いしないと」って平然と言っていました。

 「進級させてあげる子どもの選びかたは、
 まず
点数が満点に近いぐらい優秀な子達から選ぶけど、
 お金払ったり、色々した子もだよー。
日本は違うのー」って。

そういう話はよく聞く話で、まだまだ問題になっています。政府はそういうことが
暗黙の了解みたいになってしまわないようになんとかしようとしています。

 

優秀な子でも、お金を払わないと落第させられることもあるようですが、
やっぱり一目置かれるようで

それだったら貧しくて学校すらもいけてなかった子達が
そういう子達になれるように勉強をしっかり教えようとそのとき決意しました。

2010年から勉強小屋を始めて今は5年が経って、
もう何年も勉強小屋に通っている子は、
学校にも行ってなかった、公用語のポルトガル語もさっぱり理解できない子達だったのに、

今では、小学校でも優秀で比較的人気者の子がなるクラス長を務めていたり、
いつもクラスで1番の成績をとっている子もいてとても嬉しいです。

自身が病気がちだったり、両親あるいは片親亡くしてしまっていたり、親がHIVに感染して病気がちだったり
色んな問題も
抱えていますが
みんな水汲みや薪さがしなども頑張りながら
勉強も頑張っていて感心します。

 何年も経った今でもご支援してくださっている皆様に心から感謝申し上げます。

 


栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(13)

解決できてない問題

移民局に行ったときに、

突然受付のいつも怖い男性に、
「君は、協会で働いているのに、州立病院でも働くつもりか」と聞かれました。

この男性は私がここの医療学校を卒業したことも病院勤務になることも前から知っていて
今まで何も言われてなかったのですが、

「外国人なのに2か所からお金を稼ごうなんてありえない。
外国人は外国人なんだから立場をわきまえるように。」と。

協会の仕事はボランティアと知っているはずなのですがやっぱり
そういうものなのかなと思いました。

「もし今持っている在留許可を病院勤務のものに変更したいんだったら
協会の仕事の在留許可書を返却して、
自分の国に一回帰ってからまた戻ること」と言われました。


日本でどこからどんな手続きが必要か聞くと
「自分で調べて」と。

私の持っていた小さなプラスチックバックを見て
「どこで買ったんだ。次、私の分も持ってくるように」と。 

在留許可について以前に確認したときは
病院勤務開始しても今持っているもので
問題なくて用紙に記載と保健省からの労働契約書を添付するだけで
いいと別の移民局の方に言われていました。


でも自分でも変更は必要なんじゃないかなと思っていましたが、
協会は継続するわけだしどうなんだろうと思っていました。

以前現地のNPOから今の協会への変更手続きも
自分の国に戻らなくてはいけないわけではなかったし、
ただ今回、政府の病院になるからかなぁとも思っています。

現地の裁判所で働く知り合いに少し聞いてみると、
「協会の活動は継続するわけだし、
あなたはこの国の医療学校卒業して資格取ったんだから
わざわざ自分の国に戻る必要ないと思うよ。チップが欲しいんじゃない」って。

結局誰の言っていることが正しいのかがわからなくて悩んでいます。

日本にあるこの国の大使館に以前、査証の件で問い合わせをした時も
「そういったことは自分で調べるようにお願いします」と言われました。

いちいち個人個人の問い合わせに対応していたらとても仕事にならないんだろうなぁと
当たり前だったなぁと思いました。

 インターネットで2004年改正版の憲法が
載っていて時間があるとき読んでいっていますが
そのことについての記載はなさそうです。 

現地のお金持ちの人の集まりに顔をもっと出して、
情報収集したほうがいいとわかっていても、
土日は協会の勉強小屋だし、夜の集まりだと危険だし、
もしも何かあったらたいへんだと思い、
いつも日が暮れたら厳重に戸締りをして家に1人でいます。

他の書類関係の手続きの場所での悲しい対応のされかた、
セクハラで体触られたり(数年のうちに数回だけですが、スキンシップの意味もあったかもしれません。。)、
挨拶の両ほほにキスするときに口にされたり(1回だけですが。。)、
セクハラ質問、怪しいお金のこと、
貧しい人を使ってお金もうけしていると思われていたりすることが
多いことに疲れてしまっていました。
(もう何年もここに住んでいるのにまだしっかり慣れることが
できていない自分が問題だとは思っていますが。)

そんな中、ときどき話を聞いてくれるこの町の権力者の一人のようなかたがいました。 

0歳近いと思うのですが、協会の勉強小屋に寄ってくれたり、
「ここの町のお金持ちの人たちは特に、
肌の色が違う外国人を見るだけでお金を連想するからね。気を付けるんだよ」と。

そのかたが「ここの弁護士に頼ってもお金を巻き上げられるだけだよ。 
そういった書類関係の場所に一緒について行ってあげるよ。」と言ってくれてもう
涙がでるぐらいとてもありがたくて

その日がくるのを何日も待ちましたが、
連絡来るのが夕方で「私の家に来たい」と言って、
ずっと断っていたらやっぱり最後は
書類とか助けてあげるから、体をと言われました。

何年も前から徐々に信頼していたかただったから悲しくなりました。
でも話すだけならとてもいいかたなのでこれからも友人関係続くと思いますが
やはり頼ってはいけないと思いました。 

もちろんそういう場所でしっかり対応
なさってくださるかたがたもいらっしゃいます。

ただ、これは自分が悪いのですが、
私もここの法律、憲法をすべて把握しているわけではないので
なにか自分に落ち度があるかもしれないと思うととても怖いです。

なんとかしないといけないことなので少しずつでも解決していこうと思っています。
正規の手続きの手順なんとか調べたいです。

この国でこうしてまだ活動を続けれるだけありがたいと思って
日々、
生活していったほうが自分の気持ちも穏やかになれる気がします。

 (追記 その後首都の労働局に行ったときに相談すると、私の場合は、協会から病院に派遣しているボランティアと言う形になり、その場合は特に在留許可の変更などは必要がないと判明してほっとしました。)

 

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(7)

井戸掘りの男の子達。

 

新しい勉強小屋の井戸掘りの子達、、

水が10Mいかないぐらいの深さで出てきたと連絡が来て、
協会で働いている男の子に確認してお金を払いに行ってもらいました。

そしてそのまま井戸を掘ったその子達が、
勉強小屋の見張りの人が住む予定のわらの屋根と泥の壁の家を作ってくれることになっていて
私が行ったときに泥でレンガ作るからくわ持ってきてと言われました。

道具は全部自分たちがあるって言っていたのにと思いながらも
ルーシアさんが自転車で30分以上かけて、くわを2本届けたら、
バケツも必要だから持ってきてと言われ、自転車で往復1時間もかかるのにまたルーシアさん戻って
運んでくれたそうです。一度に言ってくれないと困ると言ったらぶつぶつ言っていました。

しかも貸したくわの取っ手の部分を壊され、ルーシアさんが修理代を渡すと
そのお金で食べる葉っぱを買ってしまったみたいで、
直してなくて「あのお金は?」って聞くともらってないと嘘をつき・・。

 それから1週間後に携帯電話にSMSでメールがきて、
「泥れんがを作るのに水を運んでくれる人が必要っ」て・・・。

もうてっきり泥のレンガ何個かはできていると思っていたので見に行くと
1個もできていず。。掘ったばかりの井戸の水も干上がっていて。。。

その男の子に連絡をとると、渡してあったすべての道具、
泥のレンガを作る木でできた箱3つ、
新品を渡してあったのにそれを使って他の場所で
別の仕事のために使っていて、汚れて返ってきて、
バケツは壊され、くわはその子のお母さんがいもを掘りに遠くの畑に持って行ってしまっていて、
井戸用の10メートルのひもは誰かに売っちゃったって。。

その子の家に行くと、外に積み上げられた泥のレンガが・・・。
うちらの道具で作ったのは明らかで、がっくりでした。

ここの村の若者の悪いうわさも聞き、もう別の若者を探すのは止めようと思い、
協会でアルバイトしている男の子たちに井戸に入ってもらったら
大きな石が邪魔していることがわかってトンカチで叩き割って水源を確保してもらうことにしました。

来月から授業を始めれたらと思っていたのですがまだ遅れてしまいそうです。



写真
 これは、豚小屋のそばに泥の小屋を建てています。
 協会の畑の見張りをしている男の子が
 泥れんが作ってくれました。






栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

布バックを持った子供たちの写真


縫製の先生を雇ってルーシアさんに教えてもらっています。
もう一人の女性は、ミシンの修理から教えてくれる学校(3か月間)を
見つけることができてそこに通ってもらっています。

来年から逆にルーシアさんたちが
他の女性たちに教えてあげられる先生になれば。。と思っています。

普通のはさみですら見たことも使ったこともない
ルーシアさんでしたがはさみ使えるようになりました。

足踏みミシンも頑張って覚えています。










栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(0)

足ふみミシンプロジェクト


以前に、電気がなくても使える足踏みミシンを2台をこの町で
売っているのを見つけて悩みに悩んだ挙句、購入させていただきました。

協会の女性たちで覚えて、みんなで政府の学校のユニフォームなど作って
安く売って収入を得るのはどうかなぁと思っていました。

政府の学校はユニフォーム着用が義務付けられていますが、
貧しい家庭のみんなにはユニフォーム代はとても手がでないです。

ユニフォームは作られたものが売っていますがそれだととても
高額になってしまうので、みんな布を買ってきて
マーケットにいるミシン屋さんで作ってもらいますが
そのお金ですらとても高額です。子供の体系にもよりますが
布代600円ほど縫製代600円ほど合計で約1200円もかかってしまいます。

地域の学校によってはユニフォーム着用していないと教室にいれてもらえなかったりします。
(特に小学校6年生ぐらいから)

ユニフォームが買えないために学校に通うのを諦めてしまう子達も多いので、
そんなにユニフォームって大切なのかなぁってふと疑問に思ったりもしましたが、

風紀の乱れを防いだり、逆に私服通学だと貧しいボロボロの服、
いつも同じ服なのがばれて貧しい子達は辛い思いをするからその配慮なのかなぁ。
とも思いました。

現地の人に聞いたら、

「通学途中に車に引かれたりして死んじゃった場合、
 制服着用しているとどこの学校の生徒かすぐわかるからだよ。」って。

 あとは、学生布カバンを作って売れたらと思っています。

ここでは、学生カバンのようなリュックサックは高いので
貧しい家庭には手が届かずみんな、
大切な鉛筆やノート無くさないように古びた布にくるんで体に巻いていたりもします。
でもやっぱりバックはみんなの憧れです。

以前、協会でずた袋を縫ってバックを作っていましたが、
やっぱりすぐ破けてしまって、それをまた縫い直したり、ホッチキスで止めたりしていたのですが
かなりボロボロになってしまい、2013年、2014年はその分のお金を使わずにためて、
先日青の布バック(ルーシアさん習い中ですが、縫製の先生がほぼ何日かかけて作った)
を休まず通った子にプレミオとして渡せました。みんなとても喜んでいました。


ご支援本当に本当にありがとうございます。

 

写真
 1枚目 以前の協会のバック
 2枚目 3年以上大切に使ってくれていたずた袋でできたバックと
今回のもらうことのできた新しい布のバック
 






栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(0)
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