前から考えていた豚のプロジェクトを進めています。 


女性の収入源になるお仕事をと思って、協会を立ち上げた頃から                              協会のみんなで編み物をみんなで覚えて、それをマーケットで売ったり。                          私自身も勉強のため、収入を得るためにたくさんの炭を村で買ってきて、                          それを小分けにして家で炭売りをしてみたり。(情けないですが失敗して廃業してしまいました。。)


みんなでお釣りの計算からはじめて、
商売の勉強をして、マイクロファイナンスをしてみたり。                                
 チャレンジし続けていますが、残念ながらまだ結果は出せていません。                           マイクロファイナンスに対してもまだまだ勉強が必要だと思いしばらく中断しています。

強盗に入られたり、家族が病気で苦しんでいたり、亡くなってしまって
商売がまわらなくなってしまったり、

借金を返すために借金を重ねてさらに貧しくなってしまったり。 

畑は今もみんなで耕しています。

天候に左右されてしまうこと、せっかくできた作物、盗まれてしまうこと、
色々な問題に向き合いながらも
みんな一生懸命働いています。

HIVに感染してしまっている女性たち、
体に障がいを抱えた女性たちを優先的に働いてもらっているので                              効率がいいとは全く言えませんがみんな頑張っています。

 十分な額ではないけど、一生懸命働いて、
次の月の決まった日には決まったお給料をもらうことができる。                              
それがみんなにとってどれほど安心できることで、ありがたいことなのか。

 本当は売った作物で
その人件費をすべて補えて商売として成り立たせることが一番とは
わかってはいるのですが。。まだ達成できていません。申し訳ないです。。。

 数年前からみんなで考えていた、豚プロジェクトを始めています。
木の切れ端を遠くから探すところからはじめて、
今週、やっととんかちでとんとん豚小屋を作りだしました。

 イスラム教の人が多い土地だから問題もあるのですが、
お金持ちの人たち、町のレストランで豚のお肉は高い値段で売れること、
豚は盗まれる可能性が他の動物より低いこと。
一度にたくさん産んでくれるし、
豚の食べるえさも安上がりなこと、
豚のふんを畑の肥料として使えること、
病気で全滅することも鶏などに比べて低いことなど
考えて始めさせていただきました。

 ヤギもいずれ育てて、
それはヤギのお肉をお金持ちの人たちに売るためではなくて、

ヤギのミルクを、貧しい人たちもなんとか買えるぐらいの金額で売れたら、
栄養失調で苦しむ子達が減るのではと思いました。

 前に病院で実習をしていたとき、
小児科病棟で、栄養失調の子供たち専用の病室を担当していました。
がりがりに痩せてしまった子供たちやクワシコル(タンパク質不足が原因)といって、
全身浮腫がでてしまう栄養失調になってしまったたくさんの子達が
ベットの数が足らずに、ひとつのベットを2、3人で使っていました。

みんな免疫力の低下も激しいため、
いくつかの種類の感染症にも同時にかかってしまっていました。


その子達には、治療に加え、
専用のミルクや、栄養価が高いプランピーナッツなどが
当たえられて経過をみるのですが、
日経っても体重が増えず、痩せ細りぐったりしている男の子がいました。

 お母さんはもう数年前に亡くなってしまっていて、
お父さんがお見舞いに来ていました。

プラスチックのコップに入れられて支給されたその子のミルク、
お父さんがこっそり飲んでいるのを見てしまいました。

「お父さん。だめですよ。これはこの子が良くなるためのミルクですよ。」と伝えると

ぼろぼろの服をきたこのお父さん、
「こんなにおいしいもの今まで飲んだことがなくて。。。」と言いました。

 私もこの町に住みはじめて7年目になりますが、
生の牛乳買う勇気があったこと1回あったかなかったかと思います。

高いことに加えて、買ったらもったいないからちびちび飲みたいし、
でも冷蔵庫がうちにはないから腐ってしまうかもしれないし、
それだったら、まだ安くて保管ができる粉ミルクをいつも飲んでいました。

貧しいかたたちは、粉ミルクももちろん買う余裕はないです。

 ヤギのミルク、色々問題も出てくるだろうし、
今はまだなんとなく候補として考えている段階です。

 

写真

豚小屋作り。




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クラスメート


 
 
 医療学校で一緒に勉強していた
 近くの席に座っていた女の子。

 クラスメートは、男子生徒が多くて、
 女子生徒は私も含めて
 7人しかいず
 その中でもよく話す子でした。

 卒業する少し前に
 
 「さやかー。私、病気になっちゃったよー」って。


 医療学校は、朝6時40分から学校始まりました。

 外で整列し国旗をみながら国歌を歌い(この時体は一切動かしてはだめ)

 朝7時きっかりから授業が始まります。

 
 朝9時からの15分休みに
 食堂で一人、パン1個とお茶一杯を飲むことができました。
 

 ひとりひとり、パンにジャムを塗るときに
 多く塗りたいがためにスプーンを使う人がいましたが、
 ジャムが全員分行き届くように、
 スプーンを使ってジャムを塗るのは禁止されていました。


 ナイフで薄くのばしてパンに塗ることになっていて、
 違反してスプーンを使った人は罰則として
 畑耕しの罰や、井戸の水汲みの刑があったり。

 最初の頃は、みんな食べ物のことで揉めてけんかによくなっていて
 その雰囲気が苦手で私は食堂にはいつもいかずにいました。
 
 あとその15分ももったいなくて、授業の復習したり、
 よくわからなかったところを読み返したりしていて教室に残って
 勉強していました。

 その女の子、寮生活していたから
 お腹がすいているはずなのに、
 その時間、教室の机で顔を伏せてよく眠っていました。
 
 痩せている子だったし、
 「食べにいかないの?」って心配して
 ときどき聞くと、
 「食欲ないよー」って。

 卒業してその子は別の州に配属になったのですが、
 病気が悪化していて病院勤務開始できていないと聞きました。

 私が少し前にいた州の病院に彼女が入院していると聞き、
 お見舞いに行こうと思った日の数日前に彼女の 
 具合がとても悪いと聞きました。

 お見舞いに行こうと決めていた日の早朝、電話が鳴って、
 彼女が亡くなったと連絡が来ました。

 クラスメートの中でも一番若い子で
 まだ21歳でした。
 
  
 数年先輩にあたる医療技術師のかたいつだったか

 「僕のクラスメート、卒業して最初の1年で3人がエイズで亡くなったよ。
  君たちのクラスで、最初の1年で誰も亡くならなかったらすごいことだよ。」
  って言われたこと思い出しました。

 
 国家試験合格したときに彼女、

 「やっとやっと試験地獄から抜け出せたね。本当に辛かったよ。
  卒業、ものすごく嬉しいね。」って泣きそうな笑顔で言っていました。


 卒業後、この数か月間、入退院を繰り返して

 すごく苦しんでいたと聞きました。
 

 命の長さは、幸せに比例するわけじゃないと

 聞いたことありますが
 それでもなぜなんだろうと思ってしまいます。

 どうかどうか
 彼女が安らかな場所にいますようにと願うばかりです。。


 


 









 
 
 
 
 
 

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今年はそこまで寒くないです。



一年で一番寒い7月ですが今年はそこまで寒くなってなくて
(といっても家の中に暖房がないし隙間風が
ひどくて朝夜は家の中がとても寒いですが。)

日中は太陽が出ている日が多く嬉しいです。
乾期で砂ぼこりがすごいです。

 
去年、うちから歩いて5分ぐらいの
パキスタン人のお宅に強盗が来て、家中のもの持ってかれたとか、
キリスト教の布教できているアメリカ人、オーストラリア人のお宅が
夜中に強盗に入られてしまっていました。

そのお宅には、南アフリカ?だったか、首都のマプトから空輸までして
高額で購入した今までみたこともないぐらい
ものすごく大きな番犬2匹(でも人懐っこかった)もいるし、
窓に鉄格子もされているし、見張りの人も雇っていたのですが、
8人の強盗たちが、斧で木のドアそのものを叩き割って入ってきて、
腕に向って斧を振り下ろされたけど偶然にも腕に当たる瞬間、
斧が歯が斜めになって少しの傷で済んだって。
現金とコンピューター、携帯電話などを盗んでいかれたそうです。


1年以上前だったと思いますが
この町のはずれに住む南アフリカ人の白人のご家庭も
強盗たち、外にいた見張りの人を縛り上げて、
斧でドアを叩き割って入ってきて、拳銃持っていて、
まだ小さな子供たちも裸足で近くのブッシュに逃げて、
レイプなどはされずに全員無事でそれはよかったと言っていました。

歩いて20分ぐらい離れたコンゴ人の友人のお宅にも強盗が来て
外で拳銃発砲されて、運が良かったことに
隣の家に住むお金持ちの家の拳銃持ってる見張りの人が
拳銃を何発か撃ち返したら逃げて行ったそうです。
数年前の話だったけど、彼は別の夜に、夜道端で襲われて
携帯電話奪われたりもして、襲われた場所の道沿いの家の
見張りの人に助けをもとめても無視されたことに
憤慨していました。(でもモザンビークの友人にそのことを言ったら
見張りの人が見張っているのは、家とその家の住人だからね。
それはしょうがないよ。。。って。)


4か月ぐらい前、
この町の他の地区に住む商売をしているモザンビーク人のかたのお宅も、
夜中に、物音で目が覚めて、
窓の鉄格子を強盗たちが、ギコギコ道具を使って壊していて、
家族全員が目を覚まして、みんなで助けをもとめるために叫んだり、
携帯電話で近所の人警察に電話をしたのですが、それでも強盗たちは入ってきて、
お金を要求し、逃げて行った後に警察や近所の人が到着したそうです。

強盗たちは、手錠で旦那さんの手を動かせないようにして、
警察がその手錠を調べたら本物で
手錠の番号を調べたら、
税関所属番号で、結局一人の職員が捕まったと聞きました。
 
私は窓の鉄格子と犬がいれば、
家に入ってくる強盗はある程度防げると思っていたので
その話を聞いたときショックでした。
 
外国出身の友人たちに、
「まだ安全な町の中心部でもない場所で
 見張りの人を雇わずにここで女一人暮らししているの?」って驚かれますが

1人暮らしだともしかしたら
雇った見張りの人に逆に襲われてしまったり、
見張りの人が1人で暮らしているっていう情報を
強盗たちに流して強盗たちがやってきてしまうかもしれないし、
拳銃を持った見張りの人を雇ってもその人が、
襲われて拳銃奪われてさらに危険なことになってしまうかもしれないし。
何よりもお金がかかってしまうことがネックなのはありますが・・。

強盗が自分の家に入ろうとドアや鉄格子を壊そうとしている音を聞いたら
まずすることを現地の人たちからよく教わっています。
 
女性だったらまずズボンを何着か履いてレイプを簡単にはされないように、
でも逃げづらくなるまで着込んではだめ。

レイプされそうになったら男性性器を全身全霊の力を込めて思いっきり引っ張る。
(これで男性ショック死するとよくみんな言っています。)

近所の人たちに助けに来てもらうように電話をかけまくる。

来てくれる可能性を信じて警察にも電話する。

家の電気を消して、入ってこようとするところのすぐそばに凶器を持って隠れ、
入ってこようとした瞬間にカタナやハンマーなどの凶器で頭を狙う。
(これは一緒に住んでいる家族がたくさんいる場合でみんなで戦う)

拳銃を持っていたり、大人数過ぎて勝ち目はない場合、

盗まれるのは諦めて、
金目のものを目立つところに置いて、自分は隠れる。
そして金目のものを盗んですぐに出て行ってくれることを祈る。
 
捕まってしまった場合は、

出来る限り、言うとおりにする。
なるべく強盗たちと目を合わせない。
急に体を動かさずじっとする。
 
でもここ3か月ぐらい、周りで家に強盗が来たって
話を聞かないので安心していたら

先週、勉強小屋に住んでいてくれるルーシアさんの
すぐ目の家に二人の泥棒たちがきて

1人でその家に住んでいた男の人が携帯電話で、
助けてのショートメールをルーシアさんに送ってきて、
でもルーシアさんも
「申し訳なかったけど、
怖くて助けにいけなかった」と言っていました。
でもその強盗たちは小さな木の机を盗んでいっただけで
危害はなかったそうです。


勉強小屋の壁も高くして、
有刺鉄線をつけさせていただきました。

ルーシアさんに、協会のお金を使わせていただいて
見張りの人雇おうかと聞いても、

「お金もったいないから絶対やめて。
 今は親戚の子供たちを引き取って5人で住んでいるし
、マーク(犬)も吠えてくれるし大丈夫だから」って。

確かに信用のおける見張りの人を探すのも難しい現状もあります。

犬も今は1匹だけになってしまったので
売っている場所をさがして見つかり次第増やそうと思います。
 
でも、昼夜問わず、人通りのない道で襲われたりは聞きますが、
日中は、こっそり物を盗む泥棒はきても、
家の中まで銃とかカタナを持った強盗に入られたというのは
聞いてないのでそこは安心しています。

お金持ちの現地のかたたちでも
一度も道端でも襲われたり、盗まれたりしたことがなく、
「この町はとても安全に感じる」というかたもいるし、
本当に運と人によると思いますが、
念には念をと気を付けています。

何かが起こってしまって、
日本大使館や色んなかたに迷惑だけは
かけないように今後ともきをつけて暮らしていきたいです。



写真。

勉強小屋で飼っているマーク。メス。
夜間、怪しい音がしたら吠えてくれます。
おすわり、お手などはできないけどかわいいです。



 
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(5)

「順子さんの会。」ありがとうございました。



昨晩の「順子さんを想う会」
お忙しい平日の夜にお集まりいただいたみなさま、
本当にありがとうございました。。。

お名前出さないように書かせてくださいね。

2010年10月に一番最初のお散歩会に
順子さんとともにご参加なさってくださったかた
(0歳でご参加してくださった息子くんは
今は5歳になる頃かなぁと思います。。)
本当にありがとうございます。

兵庫県!からご参加なさってくださって、
ブログも読んでくださり、ご寄付までなさってくださっているかた、

大阪府!からいらっしゃったよーこさんたちのご友人、

もう何年も前にメールをいただいて
励ましていただいたり、お散歩会、
1月の報告会にもいらっしゃってくださったNGOで働かれるかた、

順子さんのフラダンス教室に通われていたかた。。。

よーこさんのファンのかたがた、

ブログを時々みてくださっていらっしゃるかた、


いつもボランティアで準備から
当日までご協力くださる幹事のみなさま。。。

お食事とワインを寄付してくださった
ソニーデジタルエンターティメント、福田社長さま。

場所と2次会のお食事までご提供いただいた英治出版、原田社長さま。

心からお礼申し上げます。。

とても暖かい会だったと聞きました。


順子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


ご参加、ご協力なさってくださったみなさま、
本当に本当にありがとうございました。。






写真。
順子さんのお父様、お母様からのメッセージカード。


栗山さやか | お礼 | comments(0)

新しい勉強小屋の土地


新しいアシャンテママの教室の準備、この土地のリーダー、政府の土地管理の場所から
やっと許可が出て、(最終的な公式書類はまだ途中です。)
井戸掘りの男の人に頼んで、井戸を掘り始めました。
値段は1メートル毎に540円から人によっては720円ぐらいです。

井戸は中をセメントで固めたりせずにそのままです。
乾期の時期に掘ります。

今はたいだい3メートルぐらい掘ったところ(写真)だと思いますが、
この場所は、10メートルぐらい掘れば水がでてくると思います。

数年前、今の勉強小屋に井戸を掘ってもらった時に
お願いした男の人は、
1日目は掘る場所を丸で囲んで決めただけ、
2日目は、15センチくらい掘ってどこかに行ってしまって帰ってこず、
3日目に、「ここでお昼ご飯出すからもっと早く掘ってほしい」と伝えると
4日目には、朝早くから彼の奥さんと小さな子供たち全員、そしてがりがりに痩せた子犬まで連れてきて
この旦那さんが掘っている間、火のそばでみんな静かに座って待ち、
みんなに朝ごはんとお昼ごはんをちょうだいと笑顔で頼まれました。

あぁ、、と思ったけど、この地域では犬を大切にしている人は珍しいので
少し嬉しかったです。



写真 井戸の写真。
   井戸のまわりの写真。
   早く水が出るといいです。。






 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(5)

7月16日木曜日、永井順子さま。



2010年の10月の
協会アシャンテママの一番最初に開いてくださったお散歩会に
ご参加なさってくださった
永井順子さまが突然お亡くなりになったと連絡がありました。

いつもご支援してくださるよーこさんの
ブログにも書かれています。

永井順子さんのこと

私は一度もお会いさせていただくことができなかったのですが
連絡を取り合っていた友人が、

順子さんはフリーライターをされていて、
通訳をなさったり、フラダンスの先生で
よーこさんのファンで、
お料理が上手で、優しくて、髪の長い美しいかたで。

と教えてくれました。

私どもの協会それにアジアをはじめ、
色々な国で活動されているNPOのご支援もされていらっしゃって。


感謝と心からの
ご冥福をお祈り申し上げます。


急になってしまいますが
よーこさんのご提案で、
7月16日、来週の木曜日に恵比寿にある
英治出版さん(今回もまた無料で場所をご提供くださるとのことです。)
で永井順子さんのお話をしたりしながらの
永井さんがご支援なさっていたいくつかのNPOへの
チャリティーパーティを開いてくださるそうです。

永井順子さんを想う会で
みんなで集まればきっと順子さんが
天国で喜んでくれるような気がする。。
とよーこさんのお気持ちです。

私もそう思います。
参加できないのが残念です。


詳細、お申し込みはこちらからお願い致します。
先着順になるそうです。
どうかよろしくお願い致します。


https://ssl.form-mailer.jp/fms/bb1129b5375327


 
栗山さやか | お礼 | comments(4)
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