難民キャンプ


別の州にある難民キャンプを
コンゴ民主共和国出身の友人と数日間訪れていました。

数千人が生活する難民キャンプに入るには、
市内にある政府の事務所で許可証を発行してもらう必要があり
面接がありました。

厳しい顔をした担当官から
聞かれた質問に答えていき、

難民キャンプ内で写真は絶対撮ってはいけないこと。
難民の人たちに質問は一切してはいけないこと。
を約束し、市内から30キロほど離れたブッシュの中にある
難民キャンプにトラックに揺られて向かいました。

第二次世界大戦後最悪の死者数、約600万人が亡くなった
と言われるコンゴからの難民のかたが多くいて、
ソマリアのかたも多く見かけました。

自分の国から追われる、自分の国に帰れないって
どういう気持ちか。

コンゴ民主共和国では、
多くの天然資源がありすぎたために
色んな国の思惑(コンゴ民主共和国人の友人は
アメリカが特に。。。と言っていました)があり。

私も昔、マラウィにいたころ、
ジンバブエの大統領が、自分がコンゴ民主共和国に
所有するダイヤモンドの鉱山を守るために
ジンバブエの軍隊を何万人?も送っていて
それも問題になっている記事を読みました。


この州から自分の州に戻るワゴン、
難民としてモザンビークで暮らす
コンゴ人の子たちみんなで帰ってきて、
休憩も取らずに車で走り続けても
ぼこぼこ道だったため、16時間以上かかってしまい(距離は600キロほど)
全身埃まるけになりながら
ずっとコンゴの歴史、戦争の話、ひどい殺され方の話、
難民キャンプ内での犯罪、
難民の人たちの辛い経験を聞きながら帰ってきました。

「国際的に大々的に報道されているのはうそが多いよ。
裏があるのに。。。」って。

「どうしてピグミー族を一回でも食べた人が
人食いだっていて
国際裁判にかけられるのに、
こんなにたくさんの人殺しをした人たちが
裁かれていないの?」って。


今はコンゴ民主共和国、
やっと平和に近づいてきているそうです。






 

栗山さやか | 国などについて | comments(8)

女性の日



あっという間に6月で、
季節もあっという間に変わっていきますね。

日本はかなり夏に近づいてきて暑い日も増えて
きたんだろうなぁと思います。


モザンビークでは6月1日が子供の日で、
4月には女性の日があります。

お金持ちの家庭は誕生日をお祝いしますが、
ここの貧しい人たちは自分の生まれた日を知らないので、
誕生日を祝う習慣がないです。
そのかわりに割礼の儀式が終わって家に戻ってきた日、
こどもの日や、女性の日はとても大切です。

女性の日は、
男性は女性にきれいで派手な布をプレゼントしなければ
いけないようになっている日で、
別名、布を買わなければいけない日だとも(男の人たちにかげで)言われています。


毎年この日は布を買ってもらえなかったり、
一夫多妻のご家庭が多いので
別の奥さんたちや愛人の子達と修羅場になったして
けがややけどをおってしまう人たちがいて
(普通に殴られたり、熱くした油を顔にかけられて
 おおやけどをおってしまったり、
 顔噛まれたり、指噛みちぎられたり。)


去年もこの日に勉強小屋のある地区で
旦那さんにこの日に布を買ってもらえなかった女性が
自分の子供を殺してしまいました。

ここでは、キリスト教の人たち、お金に余裕がある人たちは
亡くなるとしっかり棺にいれて土葬します。

イスラム教のかたや、貧しいかたたちは
そのまま真っ白い布やござに遺体をくるんで土葬するのが
一般的です。

この女性は、自分の子どもを殺した理由は
「女性の日に私に布を買ってくれなかったから、
私たちの子供が死んだら
白い布を買うか知りたかったから」って。

協会に通っていた16歳だった女の子、
彼女の赤ちゃんも亡くしてしまって、彼女自身も
数年前に亡くなっていってしまいました。

このあいだ、その子のお母さんが、
警察官だった旦那さんに
銃で撃たれて病院に運ばれたと聞きました。

旦那さんには二人の奥さんがいて
1週間ぐらいずつ行き来していて
ある日、彼女のお母さんが他の男の人を
家に泊めているのを発見してしまって、
彼女の肩と足に2発発砲したそうです。

一命はとりとめて病院に入院して
治療を受けています。


銃の犯罪はこの町では、
強盗が家に来たとき銃を持っていたとはときどき聞いたり、
町中にある刑務所や拘置所から脱走を図る人たちに威嚇で発砲したり
銃を持った見張りの人が強盗とかに発砲したりとかは聞きますが、
最近では本当に撃たれたというのは年に何回か聞くか聞かないかぐらいです。

このあいだ、うちから歩いて30分以上かかる地区で、
炭を売りに村から自転車で引いてきた男の人に
警察官が、「自転車証明書」を見せるように言って
その男の人が見せずにそのまま行こうとして

怒った警察官が発砲してその人を殺してしまって
それを見た周りの人たちが逆に警察を襲って
暴動のようになり数人が亡くなったと聞きました。

学校のすぐそばで起こったため、
たまたま通りがかった一人の生徒も居合わせて、
撃たれてしまって亡くなってしまったと聞きました。


子供たちも大勢その現場にいて目撃していて
こういう出来事が日々の中にあると
どんな影響を子どもたちに与えてしまうのだろうと
いつも思います。



写真 妹のおしめを替えている写真。

 お母さんが亡くなってしまっても
 みんな、残されたまだ小さい兄弟たちの
 お世話をしています。









 
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(8)

成長した女の子達の写真




4年ぐらい前に朝日新聞の記者の女性が
南アフリカからわざわざ協会の勉強小屋に寄ってくださったときに
撮ってもらったポラロイドの写真を女の子たち大切に
ぼろぼろのお砂糖の袋にいれて保管していて
見せてくれました。

2枚目 成長した今の写真

 最初のうちは、協会の子供たち写真とかカメラを知らなかったから、
カメラ向けても怖がったり
固まってしまっていましたが、今はカメラが何かわかり、
笑顔になります。












 
栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)
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