金の星社さん。



 今月の末にまた本を出させていただけることになりました。
 

 金の星社さんからです。http://www.kinnohoshi.co.jp/
 

 
 前に岩波ジュニア書店さんからださせていただいた
 「なんにもないけどやってみた」とは、
  本の雰囲気がだいぶ違うと思います。 
 (ブログに書かれている内容や、エチオピアの患者さんたちのことは
  また載せてくださっていますが。)



 今回の本は、日本からアフリカにくるまでの
 バックパック背負ってうろうろしていた旅での
 小さな出来事や感じたこと、
 あとちょっとくだらないような話なども書いてあります。
 (本までくだらなくなっていなければいいのですが。。)
 


 どうか宜しくお願い致します。
 

 「渋谷ギャル店員ひとりではじめたアフリカボランティア」
 http://www.kinnohoshi.co.jp/shop/result.php?keyword=%B7%AA%BB%B3%A4%B5%A4%E4%A4%AB

  アマゾン
 http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB%E5%BA%97%E5%93%A1%E3%80%80%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%9F%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2-%E6%A0%97%E5%B1%B1-%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8B/dp/4323073208/ref=sr_1_1_twi_1_tan?s=books&ie=UTF8&qid=1430207896&sr=1-1


写真。

 日本にいたときもずっと文章の書き直しにいやな顔せず
 何日も一生懸命付き合ってくださり、たくさんの
 写真の中から丁寧に本に載せるものを選んでくださったり、
 編集してくださった真純さんが
 出来上がった本の写真だけでもと送ってくださいました。
 本当にありがとうございます。


栗山さやか | 雑記 | comments(9)

2013年賃借対照表及び活動計算書になります。



2012年、2013年の賃借対照表及び活動計算書になります。
ご報告が遅くなってしまいたいへん申し訳ありませんでした。
200910月から現地の2人を雇ってはじめた
シャンテママの活動ですが、
5年経った今ではみなさまからご寄付、ご支援をいただいて

活動を続けさせていただくことができています。

本当にありがとうございます。 
いつもあとどのぐらいこの活動を続けさせてもらえるだろうかと
毎月節約を心がけて活動してきました。
 
今月に入り、今の勉強小屋がある場所から歩いて1時間ほどにある
5500人ほどが住む小さな集落にもうひとつ、
勉強小屋を新たに作らさせていただきたいと準備をしています。

この集落でも、両親を亡くしてしまったり、
父親あるいは母親を亡くしてしまったり

貧しさから学校には行けずに、
薪拾い、水汲み、畑仕事に追われる日々の子供たちが
多くいて、
知識がなかったために、亡くなっていってしまう子供たち、人々を減らせたらと思っています。
学力、知識、知恵は多くの感染症があるこの場所で、命を守り、
子供たちの可能性を広げる大きな力になると思っています。 
支えてくださるみなさまに心から感謝を申し上げます。


アシャンテママ 栗山さやか


栗山さやか | お知らせなど | comments(0)

2012年賃借対照表及び活動計算書です。

2012年の協会アシャンテママ
賃借対照表及び活動計算書になります。

とても遅くなってしまって
本当に申し訳ありません。

みなさまのご支援心から感謝申し上げます。







栗山さやか | お知らせなど | comments(0)

とても嬉しかったこと。


 協会の勉強小屋で
 子供たちの授業が終わって、
 みんなが家に帰る時間の午後4時前に、


 「まっすぐ家に帰るんだよ。襲われないように
  人通りのある道を帰るんだよ」って
 いいながら見送っていると
 一人の男の子、ラジャブがそばに来ました。
 
 ニコニコしながら、

 

 「学校でね、テストがあってね
  国語95点だったよ。 算数は90点だったよ。」って。

  「わーすごいすごい!がんばったねー。」って言うと
 とても嬉しそうにまたにっこりしました。

 私が抱っこしていたラジャブの妹を渡しながら

 

「おうちは大丈夫?
  おじさん、おばさんたちとの生活は最近どう?」って
 いつもの口ぐせのように聞くと、


 「大丈夫だよ。心配ないよ。」って言いながら
 ラジャブ、自分の背中に布でしっかり赤ちゃん背負って
 もう一人の妹の手をひいて、

 手を振りながら帰っていきました。
 
 前にも書いた亡くなったヴィクトリアさんの子供たちです。
 
 お母さん(ヴィクトリアさん)が病院に入院していて、
 ある日の朝早くラジャブ、

 おかゆを作って病院に持っていってあげようとして、

 病院に向かう途中の道でお母さんが今亡くなったと聞き、
 そのまま勉強小屋に来ました。
 
 勉強小屋に着いたラジャブ、何も言葉を発せないぐらい
 大泣きしていて、他の子供たちも
 勉強小屋で先生もしていてくれたラジャブのお母さんが

 病気が悪化してラジャブがいつも面倒をみていたのを知っていたから
 すぐラジャブが泣いている原因がわかって、
 他の子たちもショックで泣きだしてしまいました。

 
 もうみんな授業どころじゃなくなって、
 子供たちみんなでラジャブの家向かって。

 私はこのとき医療学校にいて、休憩時間にその話を
 聞いて、胸が痛くて痛くて。

 ラジャブ、小学校5年生だったけど、
 長い間、ずっとお母さんのお世話と同時に、

 まだ小さい兄弟たちのお世話もしていました。


 ビクトリアさんが亡くなってしまってからも
 引き取られた親戚に連れられて遠く離れた畑で
 働かなくてはいけなくて、
 最初に引き取られた親戚のうちでは、
 ぼこぼこに殴られてて。
 
 ラジャブたちを引き取ったことで
 その親戚のご家庭の食べるものが
 減ってしまうので
 それでひどい扱いをうける子達の例が

 とてもここでは多いので
 それをなんとか防ぐために両親が二人ともいない子たちには
 協会でそのご家庭にある程度のもの
 (油、石鹸、お砂糖、服など)の支給をしていますが、

 
 その食べ物をラジャブたちに届けに言ってくれた別の女の子が
 ラジャブのまだ小さい妹がぼこぼこに殴られているのを
 目の前で見てしまって
 泣きながら戻ってきました。
 なんとかできないものかと、顔見知りだった
 ほかのご家族に相談して 
 別の親戚のご家庭に預けられることになりました。

 でも小学校にも通えなくなり
 落第してしまいましたが、協会の女性たちが
 時々食べ物を持って様子を見に行くたびに、
 「どうか学校だけは
 通わせてあげて」と言い続けてくれ、
 今は暴力も受けずに、今年は学校に
 しっかり通えていて、そしてクラスでトップの
 成績をとれたと今回聞き、とてもとても嬉しかったです。

 
 まだ小さい子供たち、
 父親も母親も亡くしてしまうというとても悲しい現実があっても
 これからも人生は続いていって、また別の辛い現実も起ったりしてしまうし、
 それでも勉強も頑張っていたり、
 しっかり小さな兄弟たちの面倒みたり
 少しずつですが、素晴らしい子たちに成長しているなぁと思っています。

 みなさんのご支援がとても支えになっていて
 そういうことを私はもっとみなさんと共有しないと
 いけないと思っています。
 
 心からお礼申し上げます。


写真。 生前のヴィクトリアさんと子供たち。

 














3枚目の写真。左端が赤ちゃん(スマイリ)とラジャブ。
赤ちゃんもすくすく成長して、ラジャブたちが
授業を受けている間も静かに一緒に聞いていたり眠っています。
 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(5)

ゼノフォビア


ゼノフォビア(外国人嫌悪)と言う言葉は
モザンビークで暮らすようになってから初めて聞きました。

数年前、モザンビークとの国境でジンバブエとだったか
マラウィとのだったか忘れてしまいましたが、
乗り継ぐバスをさがしていたときに、
大型バスの屋根の上に荷物をこれでもかっていうぐらい
載せていた、何台もの連なったバスが国境で止まっていました。
「なんの人たちの移動?」って聞くと

「ゼノフォビアが南アフリカで起きたから、
南アフリカから脱出してきた
外国人たちだよ」って。


(あとで調べたら2008年のことで
 外国人だからという理由で南アフリカで約70人の外国人たちが
殺された)

最近もまた南アフリカで勃発して
外国人襲撃が起り、略奪や
外国人だからという理由ですでに10人以上が殺されて
南アフリカで暮らすマラウィ人全員も退去すると
ニュースで見ました。


モザンビーク人も先週子供も含め数人殺されてしまったようで
在南アフリカモザンビーク大使館の職員のかたが、

「強制退去勧告は出しませんが、自分で判断してください。
棺おけの中に納まってわが国に戻ることになって
しまわないように。」

と話している映像が流れました。

モザンビークで石炭開発などが盛んな別の州にいた
千人以上の南アフリカの人たちも、逆に
モザンビーク人からの報復を恐れて
南アフリカに先週急遽戻っていったようです。


最近もジンバブエの91歳になるムカベ大統領
(ジンバブエが1980年にイギリスから独立してから
ずっと35年間大統領)が
「白人の顔などみたくない」と白人のかたを見て発言したとか、

南アフリカのズマ大統領の息子が「外国人にはこの国から出ていってほしい」と発言したと

ニュースになっていました。


南アフリカは、アフリカ大陸の中で
アフリカのヨーロッパと言われています。


ヨハネスブルクに何回か行ったことがありますが、
街並みなどは、本当にヨーロッパみたいで,「虹の国」と呼ばれるだけあって、
色んな人種のかたがいて人々も洗練されていてとてもおしゃれなイメージでした。


アフリカのほかの国出身のたくさんの人たちが
仕事を探しに、南アフリカにいきたがっていて、
でも逆に南アフリカでは、安い賃金で働いてくれる(不法就労のことも多いと聞きました。)
他の国々の労働者のせいで自国民の失業率が上がる一方で賃金もあがらないという不満があると
よくニュースや人々から聞いていました。

協会の畑での問題で、証人のひとたちを待っていたときに
近くの土地の持ち主とその話になって

この男性(モザンビーク人)は、モザンビークが内戦になったときに
家族みんなで南アフリカやジンバブエ、ザンビアに10年以上逃げていたそうで、

「いまどき、外国人なしで成り立つ国がどこにあるのかって
 感じだよ」って言っていてなんだかほっと安心しました。


早くこういった問題がなくなってくれればと思います。











 

栗山さやか | 国などについて | comments(3)

モザンビークの良いところ


  この間の夜、停電していたときに、
  少しだけ家のすぐ外に出てみたら
  町中が停電していたので
  空に星がいっぱいで、ちかちか光っている星も
  あって本当にきれいできれいで感動しました。

  日本とかでもきっと山なんかにいけば
  同じようにきれいなんだろうなぁと思います。

  モザンビークは星とか月、
  停電していなくてもかなりきれいなほうだと
  思いますが、夜、家の外にでることはほとんど
  ないのでなかなか実はゆっくり見れる機会が
  ないんだなぁと思いました。


  日本にいたとき、
  モザンビークの良いところはどこですかと聞かれて、
  そういえばなんだろうと考えてみました。
 
  自然が多いところ、変な服装してても誰も気にしないところ、
  みんなあんまり細かいことは気にしないこと、 
  グアバとかマンゴ、アボカド、
  さとうきびが季節によってはとても安く手にはいること、
  物がないならないなりになんとかするところ、子供たちも女性たちも含めて
  みんな身近な人を頻繁に亡くしていてそれでも前向きで強いところかなぁと思います。
  
  それにここでの生活、人々を通して、
  色んなことを学ばさせてもらっていると思っています。

  まだまだありますが
  また思いついたら書きたいです。

  でも戻ってきたばかりなのに日本、とても恋しいです。。。
  また次に戻れるときがとても楽しみです。
  それまでモザンビークで頑張りたいです。

 
栗山さやか | 雑記 | comments(2)

土地の問題の解決



 モザンビークに戻ってきてから1ヶ月以上が経ちました。
 日本はもうすぐゴールデンウィークですね。
 

 こっちに戻ってからすぐ病院勤務の予定だったのですが、
 政府から発行されるはずの納税者単独番号取得に時間がかかっていて
 (別の州では外国人でも早いようですが。。
  この州では外国人は時間がかかるという話も聞きました。。)
 まだ勤務開始ができていないです。

 でもこれは素晴らしい機会だと思って
 医療学校に通っていたときに思うように全く
 協会の仕事ができずにいたので、今は病院勤務がはじまるまで
 1日1日を大切に活動させていただいています。

 一緒に医療学校卒業したクラスメート、
 派遣先の病院で12人で一部屋に住まされて
 病気になって戻ってきてしまったり、
 配属先までの道にある橋が決壊してしまって
 たどり着けなかったり、
 配属先病院が反政府軍の活動地域
 (去年、その地域で警察署を襲って
 警察官を5,6人殺害したりしていた)で
 家族が無理やりお金を送って
 その土地から戻ってきたりの人たちもいますが、
 勤務を無事に開始しているほかのクラスメートたちが
 電話をしてきてくれました。

 日本にいたときにニュースで聞いていた
 モザンビークのお葬式で飲んだお酒で75人が亡くなったニュースを、
 そこの地域に配属された子からも電話がきたときにいまさらながら聞くと、

 「わにの胆汁が原因とかいわれているけど、結局、南アフリカとか
 ポルトガルとかに検査にだしてもその結果まだうちらには
 届いてないよー。」 って言っていました。
 
 医療学校卒業したばかりなのに
 いきなり小さな村なんかの
 診療所の所長になったりしている
 クラスメートも何人かいて、
 えー大丈夫?と思ってしまうのですが
 まだまだ奥地なんかの村では
 医療従事者が足りていない事実があるし、
 命にかかわる患者さんは
 直ちに設備など整った町の病院に搬送するようには徐々になって
 きてはいると思います。 

 
 揉めていた、協会の畑の件、
 ルーシアさんがかなり土地のリーダーに脅されたり、 
 ルーシアさんの名前入りの呪いの紙
 (アラビア語で書かれていた)が
 バナナの木に貼られていたりして揉めていたのですが
 やっと無事に今日解決できました。

 解決するために待ち合わせしても
 証人の人たちも必要なので
 すっぽかされる日がもう何日も続いていましたが
 やっとなんとかなりました。

 昨日もまたすっぽかされてまちぼうけで
 お昼前に家に帰ってきてから
 頭痛がひどく、具合が悪くて
 ものも食べれず今日の朝まで寝込んでしまいました。

 でも今日は元気になり、土地の問題も解決して
 本当によかったです。

 活動のご支援いつも本当にありがとうございます。

 


 
栗山さやか | 雑記 | comments(0)

子供たちの写真と熱帯性マラリア。

 

 


アシャンテママの子供たちの写真です。
みんな元気です。

先週、私の家からアシャンテママの教室に行く途中にある道で
朝方死体が見つかって、
若い男の子で、性器も切断されて持ってかれていて、
両目もくりぬかれて持っていかれていたそうです。

うちから歩いて5分ぐらいのところに住む男の子でした。

夜8時過ぎに暗くなってから一人で歩いている本人も
悪いってみんなは言います。

通っていた医療学校も教室の数が少なくて
助産婦科の子達は、午後2時から夜9時までの授業でした。

その帰り道に襲われてしまっている子達もいました。

中学校も高校も教室の数、先生の数が足りなくて
夜間の授業になっている学校が多いです。
(日中は小学校になっている)

治安がもっとよくなればといつも思います。

協会に新しい子供たちも入ってきました。

勉強小屋に来ていた一人の3歳の女の子、
一人で育てていた17歳だったお母さんが
突然亡くなってしまって、17歳のお母さんだった子も
お母さんはもう数年前に亡くなっていたので
20代前半のお姉さんが育てています。

この女の子、マラリアに罹ってしまっていて
辛そうだったけどしっかりお薬を飲んで容態も安定してきていました。

ここでは、特に5歳以下のまだ免疫力が弱い子達は
風邪にかかるようにすぐにマラリアになってしまいます。

重症になるとあっという間に亡くなってしまいます。

時々会っていたこの町に住んでいた私と同じ歳のブラジル人の女性、
モザンビークに来て1年少ししか経ってないのに、
1歳の女の子を残して重度のマラリアになってしまい

亡くなってしまいました。

日本にいるのと見た目も全く一緒の蚊で
マラリアに感染した蚊に刺されるとマラリアに罹ってしまいます。

発見が早くて脳マラリアなどの重症にならなければ、
3日間飲み薬を飲むだけで良くなります。

ただ治療が遅れてしまったり重症になってしまうと
あっさりと命を奪っていきます。

みなさまのご寄付で今回も
首都マプトに滞在したときに丈夫な蚊帳が買えました。

蚊は夜活発に動き出すので
蚊帳はとても大切です。

本当にありがとうございます。


写真。

アシャンテママの子供たち。







 

栗山さやか | 病気などのこと | comments(6)

Ready FORでご支援してくださった皆様へ

 


2012年から医療学校に通い始めてから卒業するまで
アシャンテママとの活動の両立がかなり難しくて
時間がなくて妥協したり、
できないままに なってしまった部分が多くありました。

そのひとつにREADYFOR さんを通して ご寄付なさってくださったかたがたの
お名前を新しく援助で建てさせていただいたレンガの教室の壁に
お名前を彫らせていただくことがありました。
教室の建設費用を安く抑えるために
自分たちでできるところは自分たちでと思っていたので
さらにますます時間がかかってしまい。。
時間がどんどん過ぎていってしまい心苦しく思っていました。


本当はお名前の書かれたプレートを飾るということだったのですが、
あまりにも高額になってしまうことがわかり、そのままお名前を
壁に彫らせていただき、その部分に黒のペンキを入れました。

子供たちが自分たちでみなさんのお名前書きたいといったので
みんなで失敗しないように最初に地面で何回も練習しました。

いよいよ本番になり、
高い台にのぼり、壁に塗ったコンクリートが乾いてしまう前に
間違えてしまわないように
一文字ずつ確認しながら嬉しそうに書いていました。

お名前、ものすごくいびつになってしまったのですが
子供たちは大満足していてみんなでとても喜んでいました。


そして、去年の十二月やっと全ての作業が終わって、
写真を撮り、日本に帰ったときに
お写真と子供たちからのお手紙を送付させていただきました。


約9年ぶりの日本でばたばたしてしまい、
ゆっくり落ち着いた気持ちで送付作業をしようと
思っていたら、あっという間に時間が過ぎてしまい、
日本を出発する数時間前に
あぁ、これだけはしなければ出国してはいけないと思い、
送付作業を慌ててしました。

そのとき、手伝ってくれた優しい友人でさえ、
「なんか壁の名前きれいじゃないね。
喜んでくれるといいけど不安だね」と言われ、
ものすごく申し訳ない気持ちになりました。

本当は私からもお一人お一人に手書きで
遅れてしまったことのお詫びと
感謝のお手紙を書きたかったのですができず
本当に申し訳なく思いました。


モザンビークに戻ってきてから
そろそろみなさんに着いた頃かな、
1年以上も待たせてしまったのに、
きれいなお名前に仕上がってなくて
がっかり思ってしまわれたらどうしよう。。と
不安に思っていました。

ですが、ブログにコメントをくださったり、
ながもとさんは、FACEBOOKにアップしてくださいました。

そしてなんとお礼のお手紙をくださった女性がいて。。

きれいなお花とつくしの絵が書かれた便箋で
温かいお言葉をくださり、サポートしてくださっている
お散歩会の幹事のみなさまへのお礼も書かれていて。。

本当にありがたく思います。

ブログを読んでくださっているようなので
この場でお礼を伝えさせてください。

本当に本当にありがとうございました。

そしてご支援してくださるみなさま、
いつも感謝感謝の気持ちでいます。。


活動計算書も
近日中に載せますね。

ものすごく遅くなってしまっていて
本当に申し訳ないです。



写真。

壁に書く日本のかたのお名前を
地面で練習したときの写真。




日本のかたから子供たちに、
送っていただいた服に
日本語で「可愛い孫です」って
書かれていて、
それを教えてあげると
とても喜んでいました。




 

栗山さやか | お礼 | comments(2)
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