医療学校、2年の後期が終わりました。



無事に2年の後期が終わりました。

 

2年の後期の臨床実習は、

3人チームになり、ここの州立病院、市立病院の

色んな入院病棟、外来を1週間交代で回りました。

 

男性病棟

女性病棟
緊急外来

外科病棟

小児科病棟

新生児病棟

小児科外来

乳児の予防接種、

HIV幼児感染者の外来、

HIV感染者の母親とその母親から生まれてきた赤ちゃん専用外来の

合計で2ヶ月間の実習でした。

 

2年の後期は、老人医学、泌尿器学、小児科医学全般を

勉強したので主に子供たちの診察、診断等の臨床でした。

 

 

毎週金曜日にそれぞれのセクターで臨床試験があり、

最後の最後に臨床本試験がありました。

 

 

臨床本試験は小児科病棟で数人ずつ行われて、

またいつものように、一人ずつくじを引いて

くじに書かれたベットの番号が担当患者になります。

 

問診(100個ぐらいの質問をする)をし、データを取り、

頭の先からつま先まで患者さんのすべての体の器官を

視診、打診、触診、聴診し

診察をした時点で

この段階のみで考えられる診断結果を書き、

そして、ラボにまわす各検査、ラボ結果を想定して

それぞれの処方箋、薬だけでなく、その他の必要なケア等を

書きます。

 

制限時間以内にカルテを作成し、

それから一人ずつ、個室に呼ばれて、

30分から1時間もの間、

数人の医師や医療技術士からの口述試験になります。

 

それぞれの疾患についてや、

その疾患にともなう合併症、それぞれの検査所見、血液、造血器疾患の指標、赤血球、白血球、血小板、好中球、好酸球、好塩基球、リンパ球、単球、

ヘモグロビン等の数値、貧血の種類の見分け、巨赤芽球、続発性、溶血性、再不良性等
AST/ALT
、CRT, PH、CD4の数値とパーセント、尿、便、痰、胸水や腹水の検査、脳脊髄液検査、レントゲン、エコー検査・・などなど)

 

HIVの段階評価、各患者に合った抗レトロウィルス薬の組み合わせ、

投薬の薬の量、禁忌、 副作用、

抗生物質ならなぜこの患者にこの種類の抗生物質の投与を選んだのか、

その薬の性質について、各々細菌やウィルス等の性質など

ひたすら質問されます。。

 

私が試験で担当したのは、

男性病棟では、

立ち上がることすらできなくなった骨と皮だけになってしまった

ひどい栄養失調で梅毒にかかっていた男性。

外科病棟では、前立腺炎、カポシー肉腫のエイズ患者の男性。

小児科病棟では、

9ヶ月の赤ちゃんで、細菌性の下痢が

続き、肺炎、呼吸困難、脱水症状、

貧血、カンジダにもかかった女の子でした。

 

どのような投薬、用量、ケア、

酸素ボンベ(生理食塩水と、サルブタモール)いっぱいいっぱいでした。

  

でもなんとか無事に合格することが出来き、

先週待ちに待った5日間の冬休みでした。

 

私が昔通っていた東京のお気楽だった短大といまだに比べてしまうことが

あって、「あぁ、私が通っていた短大だったら、夏休み2ヶ月、冬休み1ヶ月以上、

さらに春休みもあったのになぁ」と思ってしまいますが、

今回クラスの半分近くはこの試験に落ちて、みんな休み返上で

病院で臨床実習をしていました。

 それに比べれば数日でしたがお休みをもらえて嬉しかったです。

 


そして今はもう新学期の3年前期がはじまりました。

そしてとても寒いです。。。(といっても最低気温6、7度ぐらい?)

 

毎年同じこと書いているような気がしますが

家の中が外と同じぐらい冷えるので

それが朝晩辛いです。。

 

 

この時期はみんな寒さをしのぐために使用量が増えるから

値上がりする炭、節約と思いたいけどあまりに家の中が寒いので

毎晩もう使ってしまっています。

 

寒いからと布団の中で勉強しようと思っても、

気づいたら勉強するどころかすぐに眠ってしまって 
朝目が覚めて青ざめることがとても多かったのでもう炭に頼ってしまっています。


 

炭が燃えて炭が赤オレンジ色をしていてとてもきれいで

ぼーと見入ってしまいます。。

栗山さやか | 勉強 | comments(9)

二人の叔父さんの死。




協会の勉強小屋に通っているマリアとアトゥカという
10歳と7歳の姉妹がいます。
 
特にアトゥカはとても痩せていて、最初にあったときから
心配していましたが、数年経った今も元気です。
 
二人はお父さんもお母さんも小さかった頃に亡くなり
亡くなったお母さんのお姉さん(20代後半のアラビアさん)
とお兄さんに育てられています。
 
この二人を引き取って育てているアラビアさんは、
協会の畑でもう何年も働いてこの子達を育てています。
 
数日前に、勉強小屋にアラビアさんが来て、
2週間前にいとこのまだ若い男の子が、
協会の勉強小屋から歩いて数分の場所で殺されて遺体で見つかり、
それを伝えにお兄さんのいる畑に行ってもみてもお兄さんの姿が見当たらず、
家に何日も帰ってこなくて心配で、どうすればいいかと
相談に来ました。
 
ラジオで、放送してもらおうと決めて、
この町にある小さなラジオ局に行く日を決めました。
 
そして今日の朝早くに
お兄さん、遺体で見つかったと連絡がありました。
畑の近くで、ひどい暴行を受けたあとがあり、
お兄さんが大切にしていた自転車、盗まれていました。
 
遺体があまりにもひどい状態で
運ぶにも無理があったため、警察も呼ばず家族で
その場で地面を掘って埋めたそうです。
 
貧しい人たちにとって
ぼろぼろの中古でも6000円もして、新品だと9000円以上もしてしまう自転車は
とても高価で憧れのものです。
 
あとは狙われるのは携帯電話です。
携帯電話はだいぶ安く手に入るようになりましたが、
それでも毎日食べるものを手に入れることで精一杯の貧しい人々にとったら
買う余裕はなかなかないし、携帯電話を充電する電気も家には通ってないです。

それを狙っての殺人がこの町のはずれでとても多いです。
協会の勉強小屋の地区、そこから歩いて20分ぐらいにある地区
私が聞いただけでもここ数ヶ月の間に6回目の殺人です。
半径数キロ以内でこれだけの殺人が短期間で起こり、
一体この町全体、 この州全体、この国全体だったら
どれほどの人たちが殺されているんだろうと思うとぞっとします。


一生懸命畑で育てた作物で引き取った子供たちを
育てていたお兄さん。私と同じ年ぐらいです。
 

残されたご家族、それに両親をすでに亡くして、親代わりだった二人の叔父さんまで
数日間の間に殺されてしまい、残された二人の女の子を思うと本当に胸が痛いです。

 
栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

ありがとうございます。。



 

遅くなってしまいましたが、7月4日のよーこさんにゆるくご相談会に

ご応募、ご参加なさってくださったみなさま、本当にありがとうございます。

 

写真をみさせていただきました。(さちよさんありがとうございます!)

とても素敵な雰囲気が垣間見え嬉しく思いました。

 

以前にも何度か書いていますが、

よーこさんの書いた本「犬も歩けば英語にあたる」(英治出版)が

海外に出るきっかけくれた本で、色んな国を、安宿泊まりながら移動する

バックパッカーなんて自分の周りにしている人は誰もいなかったし

自分に出来るかわからなかったけど、やってみようと

勇気をくれた本でもあります。

 

そして8年以上経った今は、一度も会ったこともない

単なるよーこさんのファンだった私や協会の活動を信じてくださり、

活動を支えてくださって今でも信じられないような気持ちです。

 

そして色んなかたが集まってくれお散歩の会の幹事をなさって

くださって、ご参加くださるかたがたがいらっしゃって。。

ご寄付をなさってくださるかたがいらっしゃって。。

 

お礼の気持ちで胸がいっぱいです。。

本当に本当にありがとうございます。。

栗山さやか | お礼 | comments(0)

よ〜こさんへゆるくご相談できる会のお知らせ。


 
今週の金曜日になんと、いつも協会へのサポ-トをしてくださっている
よ〜こさんがご相談できる会を開いてくださります。
 
 
先週に決まり、数日で締め切りになってしまったのですが、
(私もネットのメールが開けていず、確認が遅れてしまって、
私のブログで募集のお願いを出来ずに申し訳ありませんでした。)
突然のことだったのにもかかわらず、多くのかたがご応募なさって
くださったようで。。
 
本当に本当にありがとうございます。
  
ご相談の会は、
みなさんにしたいご質問もってきてもらって、それに、よーこさんが自分だったら、
こうするな〜みたいなお話をする予定だそうです。

されるご質問は、仕事でも恋愛でもなんでもOKだそうです。


中国に住まれますますお忙しい中お時間を作ってくださるよーこさん、
ご協力いただく英治出版の原田社長、ご応募なさってくださったみなさま、
ご参加くださるみなさま、心からお礼を申し上げます。


みなさんが毎日一生懸命働いて得たお金を
日本からとても離れた協会アシャンテママにご寄付をいただき心からお礼申し上げます。
 
 
お一人お一人にお礼のメール、お電話ができずにいて
たいへん申し訳なく思います。
そして感謝の気持ちでいっぱいです。。
 
 よーこさんのブログ。
 
http://blog.sakanoue.com/

金曜日どうかどうか素敵なご相談会になりますように。。
 


 
栗山さやか | お散歩会 | comments(0)

ヴィクトリアさんのこと



数ヶ月前にブログにも書いた

ラジャブのお母さんのヴィクトリアさん、

私と同じぐらいの年で

公用語のポルトガル語が話せ、

読み書きも少し出来ました。

彼女に仕事をと思い、

子どもたちのアシャンテママの勉強小屋で

1年生の先生として働いてくれていました。

 
彼女はHIVに感染していて、抗レトロウィルス薬を服用していました。
ここ数ヶ月ずっと具合が悪く、

いつも協会で働いてくれているルーシアさんに

 

「協会の畑へ行った帰りに彼女の家に様子を見に寄ってね。

食べる物なにも無くなっちゃったら、必ず

協会のお金から、油やお砂糖、お米、栄養のある食べ物を

節約を考えなくてもいいから使っていいからね。」と伝えていました。

 

ヴィクトリアには5人の子どもたちがいてそれぞれの子供たちの年齢はわからず、

身分証明書取得(日本で言うと戸籍のようなもの)サポートをしたときに

背格好でだいたいで年齢を決めた子たちです。

貧しさから親戚の家に引き取られている14歳ぐらいのの小学六年生の男の子、

一家の大黒柱となって頑張る13歳?の小学5年生の男の子

お母さんが病気になってから赤ちゃんのお世話、火を起こすための

薪探し、水汲み、料理、洗濯で忙しく学校に通えなくなってしまった10歳?の男の子、

口数のとても少ないおとなしい8歳?の女の子、

そして9ヶ月の栄養失調で痩せてしまった赤ちゃんがいます。

 

旦那さんはいず、

この赤ちゃんのお父さんも、妊娠がわかったとたん

逃げてしまったそうです。

 

彼女はエイズを発症してしまい、入退院を繰り返していました。

 

今回も急に具合が悪くなり、意味不明な言葉を話し、

病院に運ばれました。

 

夕方、医療学校が終わってから急いで病室に行くと、

目は開いているけど、もう意識がない状態で

脱水症状、低血糖、栄養失調、

エイズによる脳症にかかってしまっているようでした。

 

急いで冷えきっている体に厚地の服を着せ、

毛布を買ってきました。

 

少し前に、彼女にあげた布、(カプラーナ)

大切そうに握っていて。

  

次の日の朝、急いで病棟に会いに行くと、

もう息を引き取っていました。

 

ちょうど1ヶ月ほど前、

様子を見にヴィクトリアさんのおうちを尋ねたとき、

 痩せ細った体で横たわっていて、

「早く元気になってまた勉強小屋(アシャンテママの教室)で働きたいな。

働けなくなっても、ルーシアがいつも食べ物を運んでくれてね。

私も子どもたちも飢えずにいられる。

マナさやか、いつもありがとう。」って言って。

 

彼女のお葬式、

 彼女の子どもの8歳の女の子のジャネッテ、離れたところで 

地べたにずた袋を引いて、ぼろぼろの布を頭からかぶって

一人でぽつんと座っていた姿があんまりに悲しくて、

 

もっと助けてあげていればと」お葬式の帰り道、

何回も私がつぶやくと、

 

ルーシアさんが、

「ヴィクトリアね、いつもね、私がもし死んだら、

近所の人たち親戚たちは、お魚やお米を持って私の親戚の家に行くでしょう。

 

でもね、私が体が弱ってしまって食べ物が家に何もなくて苦しんでいても

親戚も私の兄弟も誰も助けてくれない。

 

いつも私や子どもたちへの食べ物助けてくれるのは、

さやかたちの協会なの。」って

いつも言ってたよ。

 

「協会は長い間彼女たちを助けたよ。」と。

 

数ヶ月前にブログにも書いた

12歳のラジャブ(彼女の息子さん)が書いた

国語のテストの回答を思い出しました。

 

教育について。

 

―僕はしっかり勉強を頑張って、病気のお母さんと妹たちを
助けなければなりません。ー

 

 

ヴィクトリアさんの残された子どもたち、

協会で出来る限りサポートしていきたいです。

 

――援助は自立心を壊す。――

 

よく言われる言葉です。

 

 

こうして貧しい人たちをそばで何年かだけですが

見させてもらって、それはないように思います。

 

みんな汗を流して仕事をして、それで食べ物を手に入れる。

それがみんなが望んでいることだと思います。

 

ただ、もうどうしようもない状況、

病気の悪化、極度の栄養失調、命にかかわってしまうときは、

どうしても無償の援助は必要だと思っています。

 

みなさまからの大切なご寄付、

これからも使わせていただきたいと思います。。。

 

心からお礼を申し上げます。

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)
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