パーティで読んでいただいた文章です。
長くなってしまいますが、先日のパーティで
みなさんに書かせていただいた手紙です。
ご出席できなかったかたもいらっしゃると思うので
ブログにも載せさせてください。
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本日は、お忙しい中お集まりいただき、心から感謝を申し上げます。 READY FOR さんでご支援をなさってくださったかた、以前、お散歩会にご参加なさってくださったかた、今日初めてきてご参加なさってくださったかた、本当にありがとうございます。
どんな方々がお集まりになってくださって、どんな雰囲気かなと想像を膨らませながら、どうかみなさんが素敵な時間を過ごされていらっしゃればと思っております。
日本は今、どんな季節でしょうか。 きっと寒い冬が近づいている時期だと懐かしく思い出します。 ここでは、雨が全く降らない乾期の時期と、数時間のどしゃぶりの雨がほぼ毎日降る大雨期の時期にわかれていて、いつもここでの季節が少しずつ変わるたび、日本は今どんな季節かなと思い、日本の季節の食べ物、町や外の雰囲気、人々の雰囲気、日本の全てが恋しいです。
2006年の2月、親友の一周忌を終え、日本をバックパック一つで出てきてから、もうすぐ8年になり、あのまま日本に一度も帰ることがないとは当初はもちろん考えていず、ふらふらと旅をしながらも、サハラ以南のアフリカは病気も怖いし、強盗にすぐ襲われそうだし、ハエがすごくてどこも汚そうだし、絶対行くのは避けようと思っていましたがエチオピアで7か月のボランティアをはじめ、東南アフリカを旅し、今はモザンビークで1人暮らし初めて数年が経ち、協会あしゃんてままの活動は、ちょうど4年が経とうとしております。
ただ通りすがっただけのモザンビークで暮らすようになってから、アフリカの貧しい現実だけではなく、エイズやマラリアなのでたくさんの人がいつも亡くなって孤児の子達のあまりの多さ、泥棒や強盗、殺人、レイプの被害、黒魔術をほとんどの人が信じていること、理不尽で地位やお金がなければ、警察でも病院内でも公平であることが難しい現状を目の当りにし、そんな日常が生まれてきたときから当たり前のここの子供たちをみて、小さなことでもいいから何かできることはないかなと思い、モザンビーク政府の正式な認可がおりるまで2年近くかかってしまいましたが、協会を立ち上げました。
身分証明書も持たず、学校へ一度も通ったことがない女性たちに生きていくうえで大切な知識を、病気で体に出る色んな症状を黒魔術や呪いをかけられたからと信じきっている人たちに病気のことを、ここで猛威をふるっているエイズ、マラリア、結核等の伝染病、栄養失調で命を落としてしまわないように、そういう勉強会、 HIVになってしまっていても畑で働ける体力がある人たちには協会の畑で働いたり、縫い物を教えて飢えに苦しまないように食べる物を得る収入を、両親や片親がもう亡くなっていたり、貧しさのために、小さな頃から食べ物確保のためのくわで畑を耕し、井戸や川への水汲み、遠くのブッシュに何時間もかけての薪集め、家が大雨期の時期に崩れてしまわないように屋根にするわら集め、他人の家に奉公にだされたりして、勉強する機会を奪われてしまった子供たち。身分証明書すら持たない子供たち。 こういう子供たちに1人でも多く勉強をする機会を、いつか、ここで勉強している子供たちが大きくなったときにまた別の子供たちにいい影響を与えて、困っている人を助けてあげれる気持ちを持ってくれればと思い、そして本当にもしものときに頼れる場所をとも思っています。
今もまだこうした活動を続けさせていただけるのも、日本のみなさまが一生懸命毎日働いて手にしたお金、それを協会のみんなのためにご寄付をなさってくださっているおかげです。ご寄付と一緒に温かいご支援の言葉も受け取らせていただき、みなさまからいただいたこのような温かい、他の人を想う気持ちを私もここで貧しさや病気で苦しむ人たち、子供たちへあげれたらと思っています。
自分にもっと賢い頭があればまた別のもっといいやり方で苦しむ人たちを援助できるかもしれない。そういう葛藤も常にありますが、日々自分に今できることをと思い活動しています。 現在は、この町にあるモザンビーク政府の医療学校にも通っていて協会の仕事と両立をしながらここの伝染病、熱帯医学を勉強し、医師不足のモザンビークで医師の代わりに診断したり処置をする医療技術士を目指しています。
今年のはじめ、日本のテレビの番組のかたがここまでいらっしゃってくださり、協会の女性たちにインタビューをしていて、母親を亡くしてしまった9歳の子供を育てている1人の女性が、協会のことを尋ねられて、
「さやかがね、ここにきて、日本のかたがご寄付をしてくれて助けてくれているのは私たちが食べる物がなくてあんまりに苦しんでいたからきっと神様がさやかをここに送ってくれたんだと私たちは思うの」と泣きながら言ってくれて。
日本人の人に会えるのは、2年に一度、遠く離れた日本大使館に行ったときのみだった時期もあり、いまだに1人で勝手にはじめたこの活動を見ず知らずの私のことを信用してくださり、日本のみなさんにご支援していただいているのは、本当に奇跡のようなことでありがたい気持ちでいっぱいでまだまだ頑張ろうという気持ちにさせていただいております。
映像にある紙に書いた言葉は、協会の子供たちと決めて子供たち、何回もきれいに書けるように書き直していました。
勉強小屋に通う子供たちは、片親、または両親を亡くしてしまった子達が主ですが、みんなに「離れているけどみんなには日本人のお父さんお母さんがいるからね」とみなさんのことを話させていただいています。
まとまりのない、乱文になってしまって申し訳ありません。
ただ今回、感謝をしてもしきれない自分の気持ちを伝えさせていただけたらと
思いました。
本日はお忙しい毎日の中、時間を作ってくださり、お越しくださいまして
本当に本当にありがとうございます。
心からの感謝の気持ちを込めて。
協会アシャンテママ
栗山さやか