マトーラさんのこと
いつものように日曜日の午後、
協会の勉強小屋で女性たちに
健康や栄養、病気についての授業をしていました。
みんなそれぞれ1束のわらを
奥地に行って頭に乗せて運んでこようと決めていて、
協会の1人の女性、いつもにっこりしている
マトーラさんも、「明日は薪を運びに遠くのブッシュにいくから
わらは火曜日でもいいー?」なんて聞いてきていて
いつものようにのどかな日曜日でした。
マトーラさんは、協会の畑のメンバーでもあり、
協会が出来た当時からいつも一緒にいて、
私もとても信頼している女性でした。
「マトーラさんが病院に入院してしまったよ」と連絡が入りました。
肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいになってしまっていました。
マトーラさん大丈夫かなと心配しながらも
病院の面会時間に間に合わず、2日間経ってしまって、
他の協会のメンバーたちが面会に行ってくれました。
病室に会いにいこうと思っていました。
はやく夕方にならないかなぁとそわそわしながらいて、
朝の休憩時間にお見舞いに行ってくれていたメンバーに連絡を入れると、
泣きながら「マトーラさんが亡くなった」と伝えてくれました。
通っている医療学校のすぐ隣にある
遺体保管所に向かいました。
勤務されている方に事情を伝え許可をもらい、冷凍保存の遺体が安置されている場所の
ロッカーのようになっている引き出しの一つを引くと
横たわったマトーラさんが入っていました。
数日前まで笑いながら、
ワラを運ぶ日をみんなと一緒に決めていたのに
冷たくなったマトーラさんの動かない体、開いてくれない目、
涙で目の前がみえなくなりました。
彼女は30代後半ぐらいで数年前に旦那さんを亡くしていて、
6人の子供たちを1人で育てていました。
彼女の小さな子供たちも協会の勉強小屋で勉強していました。
残された子供たちのことを思いました。
彼女の18歳で中学2年生の長男も遺体保管所にきて、
彼は、家計を助けるために、夜間の中学校に通い、
朝から夕方までは、路上のマーケットでタライを売るお仕事をしていました。
彼は、私を見ると、
「お母さんいきなり死んじゃった。
誰かに呪いをかけられて死んだ。」と言いました。
マトーラさんからいつも話は聞いていたけど、
初めて見るマトーラさんの一番大きな息子さん、
マトーラさんに本当に似ていて。
HIV、エイズ、マラリア、栄養失調、細菌感染が頻繁な
彼女たちには、少しでも体調が悪くなったら病院に行くように。
といつも私は伝えていました。
マトーラさんも具合が悪くなった日、
勉強小屋のルーシアさんのところにきて、
お腹がとても痛くて、具合がかなり悪いって言って、
協会で援助している病院代を持って
病院に向ったそうです。
そして3日後には亡くなっていってしまいました。
3日前まであんなに元気で、
あまりに突然のことで、今でも亡くなった事実が信じられないです。
私でも数日間、放心状態で、残された彼女のまだ小さな子供たち、
お父さんもお母さんも亡くしてしまった子達のことを
気持ちを思うと胸が苦しくなりました。
残された6人の子供たち、一番小さな子は4歳になったばかりです。
半分の子達は、親せきのおうちに引き取られました。
残りの半分の子供たちは、長男が育てることに決まりました。
ですが、親せきのおうちにもたくさんの子供たちが住んでいて
食べ物が足りず、 マトーラさんの子供たち、
「おまえたちの分までの食べ物が足りないから、
自分の家に戻りなさい」って言われてしまって
長男が1人で育てることになり、
まだ18歳の男の子に6人分の子供たちの食糧確保は難しく、
協会で主食の乾燥とうもころこしの粉を援助することを決めました。
1バケツ時期によっても値段は変わりますが、
約450円です。1バケツ、6人の子供たちが約1週間分食べれます。
4歳のマプもいつも協会の勉強小屋に来て日本から送っていただいた
絵本を眺めたり、落書きしたり他の小さな子達と遊んでいます。
12歳のカティアは、奉公に出されることになりました。
奉公先で性的虐待を受けたり、食べ物をほとんど食べさせてもらえなかったり
奴隷のように扱われたりすることが
ここでも問題になっていますが、
彼女はしっかり学校に通わせてもらえているって
聞いて安心しました。
元気に育ってくれますようにと思うばかりです。