実習のこと。



1年前期の病院実習では、、外傷の手当て、血圧、心拍測定等、
注射、点滴、採血、輸血、血液検査、
レントゲン診断、ギブス、診察(問診、視診、触診、
打診、聴診)を学びました。

 

今は1年後期で今している病院実習は、
尿カテーテル、皮膚縫合、、胸水、腹水の排水、
鼻や口へのチューブ、酸素ボンベ、浣腸、
局部麻酔をして皮膚切開排膿、細針吸引穿刺、腰椎穿刺
出産前検診、赤ちゃんの取り上げ、
内科、外科、産婦人科での診察から診断、

それぞれの検査指示、薬の処方を学んでいます。

 

患者さんの体の全ての問診、視診、触診、打診、聴診をして
血液検査等なしで、仮の診断結果をだし、

それに応じた検査を指示し、薬を処方し、診断書を作成します。

A4の紙6枚ぐらいに小さい文字でびっしりすべてを書きます。

そのあと外科ではそれに応じた処置をします。

 

技術的なことも多く、お医者さんたちに大きな声で
怒られながらもみんなで

いっぱいいっぱいになりながらも必死に学んでいます。

 

ここの病院のお医者さんたちは、
モザンビークの大きな都市で学んだり、

キューバで医学を学んだモザンビーク人のお医者さんや、

派遣されてきているキューバ人、コロンビア人、
コンゴ人、北朝鮮人のお医者さんたちです。

 

実技試験も患者さんのベットの番号が書かれた、
紙を一人一人くじで引いて、

制限時間内に担当の患者さんの
すべてを診察して診断書を作成します。

 

そのあと生徒一人ずつ、別室に呼ばれて、

お医者さんたち、看護婦長、
学校の校長、学校の担当の先生のみんなの前で

自分の書いた診断書を読み上げて、その後質問の嵐です。

 

自分の出した仮の診断にいたった経緯、疾患についての質問、

なぜその薬を処方するのか、それぞれの薬の作用、副作用、禁忌、
延々と
30分近く色んな質問をされ、激怒、叱咤ありで

緊張で緊張で本当にいつまで経っても慣れないです。。
クラスメートの間では、この別室に呼ばれると、
自分も呼吸困難になりそうだって冗談で
言い合っています。。

 

キューバで育って医学の勉強をして帰国した

モザンビーク人のお医者さんが、

 

「君たちの学部は、
たったの2年半で臨床医にならないといけないんだよ。

看護師さんや、助産師さんに指示を出す立場になるんだよ。
ひたすら勉強をしていないといけないよ。
患者さんを自分の診断ミス、技術ミスで
殺してしまうことになるんだよ。
もっと本を読んで、もっともっと学力を深めなさい。」

って怒鳴りながら言われました。

 

でもそのあとに、

「好きで怒鳴っているわけじゃないんだよ。
君たちのため、患者さんたちのためになるから言っているんだよ」っ

て言ってくれて。

 

 

学校に入学してからもうすぐ1年が経ちます。

いつ退学になってしまうかわかりませんが、

こうしてまだ学ばさせてもらえる環境に

本当に感謝して1日1日大切に
学んでいきたいです。

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | 勉強 | comments(7)

寿命

 

 

前にアフリカに来る前だったと思いますが、

サハラ以南のアフリカに15年後にまた戻ってくると

きっと知り合いだった人が半分以上は亡くなってしまっているって

いるって聞いたことがありました。


モザンビークの平均寿命も死亡届もみんな出さないし、
病院にもいかず家で亡くなってそのまま埋めてしまう
場合もかなりあるので正確な数字はきっとわからないんだと
思いますが、資料によってまちまちですが
32歳から43歳ぐらいって言われているようです。

 

最近も顔見知りだった現地のまだ若い子たちが相次いでエイズで

亡くなり、病院でもお年寄りの入院患者さんもいますが、

ほとんどが子供たち、10代から30代の若い子達です。

 

極度の栄養失調、重症のマラリアの子達もいますが、

入院患者さんたちの多くがHIVに感染していてそれからくる合併症、

日和感染症、エイズが発症してしまったかたたちが多いです。

 

 実習で自分が問診した、エイズになってしまった若い痩せ細った男の子、

「やっと仕事が見つかったのに

病気になって働きにいけなくて、くびになっちゃったらどうしよう」って

自分の体のことより仕事のことを心配したまま、

亡くなっていってしまって。

 

病院の状態は、日本に比べたらあまりにも違いすぎますが

それでも年々、改善はしていっているんじゃないかなと思います。

 

HIVで亡くなる若い方たちが圧倒的にいるので

撲滅する薬ができるまで、協会アシャンテママでは、

すでに感染してしまっている人たちには

治療の詳しいことや、精神面でのサポート、

ネガティブのかたたちには、感染予防の指導をこれからも力をいれていきたいです。

 

みなさまのご寄付、一番苦しんでいるかたたち、困っている方たちのために

なる方法を模索して大切に大切に使わせていただきたいといつも思っています。

 

心からお礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(8)

お散歩会本当にありがとうございました。


たいへん遅くなってしまいましたが、
5月11日行ってくださった鎌倉へのお散歩会に
ご参加なさってくださったかたがた、
幹事のみなさま、本当にありがとうございました。 


なんとよーこさんのご友人のお料理の達人の女性が、
モザンビークのお料理を
懇談会で作ってくださったようで、
本当にありがたい気持ちでいっぱいで
私も毎度のことながらぜひご一緒させていたただき、みなさんにお礼の気持ちを

お伝えしたかったなぁと思っております。

 

その日は、毎週土曜日の日課の、医療学校にある畑仕事急いでして

学校会議や、講習会がその日はないことがわかって、

すぐに協会の勉強小屋に向いました。

                                                                                  

もし早く勉強小屋に着けたら、日本との時差も考えて、
お散歩会のみなさんにお電話を

と思って、子供たちと一緒にどきどきしながら電話をかけました。

ご参加なさってくださったみなさんが帰られあとだったのが

残念でしたが、お片付けで残ってくださっていた

協会の幹事のみんさまににお礼を直接

協会の子供たちとみんなで伝えれて嬉しかったです。

 

いただいたご寄付、91000円受け取らせていただきました。

 

本当に本当にありがとうございました。

 

 

それと今週の週末に私が通っていた静岡県の池新田高校で

河田さん、同窓生や、先生がた、ボランティア部の生徒さんたちが

ご協力くださり、私たちの協会のことを展示なさってくださるようです。

 

本当にありがとうございます。

 

池校生だった頃、野球部のマネージャーを亡くなった親友の子と

していて毎日一緒にグランドの草むしったり、ボール縫ったり、

スコアーブックつけたり。

 

25歳で亡くなってしまった親友のひらちんは、もし病気にならなかったら

今頃どんな風な女性になっていたんだろう。

 

ずっと、「いつかする結婚は早めがいいな。
そして赤ちゃんが欲しい」って小学生の頃から
言っていたからきっと
優しい明るいお母さんになっていただろうなと思います。。

 

 
今はちょうど病院の産科病棟で実習をしていて、

赤ちゃんを取り上げています。


妊婦さんを診察して、
妊婦さんの体、お腹の赤ちゃんの体の状態を確認して
赤ちゃんを取り上げて、生まれたの赤ちゃんが

しっかり呼吸できるように対応して、へその緒を切って、胎盤をとって。

 

初めて赤ちゃんが生まれてくる瞬間を見ながら、

赤ちゃんの取り上げかたの指導を受けていたとき、

ひらちんや亡くなっていった人たちのことが頭に一瞬浮かび、

そしてとても小さくて、真っ青で泣かない赤ちゃんだったけど、

蘇生をして肌の色が明るくなり、泣き声をあげて無事に生きていてくれて

感動しました。

 
たくさんの
赤ちゃんの生まれてくる瞬間のお手伝いができて、

小さな赤ちゃんの胸に聴診器をあてて心音の確認をしながら

この赤ちゃんたちはこれからどんな人生を歩んでいくんだろうと思っています。

13歳、14歳のお母さんたちもいて。

 

 

毎週金曜日には実習試験があり、落ちたら最終総合実習試験に進めないので

なんとか頑張りたいです。
 

池新田高校での文化祭の展示の様子を

河田さんがあとで写真で送ってくださるようなので

またブログに載せさせてください。

 

更新がしばらくできずにいましたが

短い日記でも協会の様子が伝わるように

書いていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | お散歩会 | comments(5)
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