アナのこと。


  勉強小屋に通っている女の子で10歳ぐらいの女の子アナがいました。


アナはお母さんしっかりいましたが、お母さんは別の男の人と住み始めて
アナはおばあちゃんに引き取られていました。


アナのおばあちゃんも協会の勉強小屋で勉強していて、
今年からアナも小学校に登録して、小学校1年生になれて
嬉しそうに勉強小屋と小学校に通っていました。


アナ、この間、朝起きて頭が痛いって言って吐きたくても何もでてこなくて
お昼すぎには亡くなってしまったって連絡が来ました。


死因の確認はできるお医者さんも、機械等もここには揃ってないと思うので
結局アナが亡くなった原因はわからずじまいです。

ここでは人が亡くなっても一体何が亡くなってしまったのか
わからなかったり、病院で調べたりもしない場合が多く、
それでみんなが呪いのせいだって信じてしまうことも多いように思います。



アナが亡くなってしまったことを勉強小屋で子供たちに報告しているときに
みんなしーんてしている中で一人だけ10歳ぐらいの女の子、笑っていました。

友達が亡くなった悲しい報告なのに。。って私は
「よくないよ」って怒ってしまいました。


アナが亡くなったとき、病院の遺体保管所に運ばれて
その日はアナの家族遺体保管所には誰も行かずにみんな家で泣き崩れていて
次の日に、遺体保管所に家族が行くと、そこで働く人が
「昨日誰もアナの体を洗いにこなかった」って怒っていて、
(遺体保管所では遺体が腐ってしまわないように冷凍庫に入れますが入れる前に
 その前に家族が来て遺体を洗わないといけない)
 遺体を保管する冷凍庫にはいれずにそのまま放置されていて
悲しんでいる家族に向かってアナの遺体を「これはごみだわ。」って
吐き捨てるよう言われたって。(ここで働く人たちは
ご家族が体を洗うの手伝ってくれます。そのとき、ゴム手袋をした
指を遺体のお尻の穴に入れて汚物を掻き出してくれます。 毎日たくさんの遺体が運ばれてきて
忙しくていらいらしてしまっているのもあったかもしれないなぁと思います。)


おばあちゃんのおうちに、少しのお米を持って会いに行ったときに
悲しそうにそのことも話してくれました。


協会の子供たちにも人が亡くなってしまったりしたら
悲しむ気持ちとかそういうのも人として当たり前の気持ちを
持ってほしいとなぁと思いました。

アナのお母さんは25歳ぐらいですが、4人いままで子供を産んでいて
今回のアナを含めて2人の子供はもう亡くしていて。


アナのおばあちゃんもHIV感染者ですが、
しっかり毎日飲まないといけない薬忘れずに飲んで
協会でマイクロファイナンスをして路上のマーケットで、じゃがいもを
売っています。


写真。

 ジンバブエにいたときに
 たくさん咲いてたきれいな花。









栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(8)

子犬が産まれました。

 


 協会の勉強小屋で飼っている犬が子犬を6匹産みました。
 ぷくぷくしててとてもかわいいです。

 ここの貧しい暮らしをする人々は、犬を触って遊んだりする習慣はほぼないと思います。
 道端とかで子供たちが子犬とか猫とかに石思いっきり投げたり蹴り飛ばしたり
 いじめてたりしているのを見かけるのも多く、 (犬も痛いんだよー。だめだよーって
 いつも注意してます。)
 子供たちもそれが普通だと思っている場合が多いですが、
 私が勉強小屋で飼っている犬や猫たちの頭をなでたり
 抱っこしたりしているのをみて
 子供たちも真似するようになってきています。

 犬を通して弱いものを大切にすることを
 子供たちも学んでくれたらと思っています。
(ここでは狂犬病があるので知らない犬には絶対に近づいてはいけないとも伝えています。)

子供たちの頭のはちまきは、はちまきの色で分かれてグループを作ったり、
はちまきには子供たちの名前が書かれていて、
毎週新しい子達が人づてに何人か来たりするので
名前を憶えるための意味もあります。

それでも離れた村にある畑を耕しに家族と一緒に行かないといけなかったり、
水汲み、歩いて片道1時間以上かけてブッシュに行かないといけない
薪さがし等の家のお手伝いがあってこれない子達もいるし、
家が遠くてくるのを諦めてしまう子達もいるし、病気がちの子達もいます。

子供たちの家族のかたは、学校に通った経験がない人たちがほとんどで
自分自身も学校には行ったことがないので、
学校とはどんなところか知らなかったり
大切さも知らない方も多く、
子供たちを勉強小屋に登録するときに家族のかたに、

「子供たちの一番のお仕事は勉強することだから、
どうか薪さがしなんかは、学校が終わったあとにお願いします。」と
いつも伝えています。

協会に登録してある子達は150人以上ですが、
常に通っているのは日によってばらばらですが
60人から90人ほどです。
小さい子達赤ちゃんも含めると毎回100人弱ぐらいの
子供たちが協会の勉強小屋に通ってきています。



写真。 別の州に住むインド人の友達たちがこの州にやってきたときに
勉強小屋にも寄ってくれました。
インドの言葉(こんにちは。ようこそ。ありがとう)を覚えてみんなで言ったらとても喜んでくれました。



 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

塾のこと。



   


週に2日、正規の学校になるのを申請中の
お金持ちの家庭の子たちが通っている塾でアルバイトのようなことをしています。


私が教えているのは、小学校1年生から高校3年生までです。
  といっても少人数制でさぼってこない子もいるので、
  小学校1年生から小学校6年生までの子達は
まとめて一つのクラスで午前と午後で
  子供たちのレベルも高くはなく、
  中学生から高校生までの子達もまとめて一つのクラスで
  簡単な中学生レベルの英語を教えています。

ひとクラス多いクラスで15人ぐらい、
少ないクラスは4人だけとかの日もあります。


ここの州出身の子たちは少なくて、
ほとんどもっと栄えている別の州の出身の子たち、
父親の転勤でここに1年とかだけ住む子たち、
あとはいろんな国の子達がいて、
インドの子、パキスタンの子、マラウイの子、チュニジアの子、
  短期間でしたが、オーストラリアの小さな子もいたことがあって
その子には逆に簡単なポルトガル語を教えていました。

月謝が月に4500円(貧しい人たちにはこの金額のお給料ですら
もらえる仕事には全然つけないです。)もするので、
本当にこの町でお金持ち層の家庭の子供たちです。

協会の子供たちと比べてしまうと、
やっぱり持っているものや身なりも話す会話も、全く違うなぁと思います。。

普通に携帯電話持ってたり、
家にあるコンピューターの話をしたり
   飛行機に乗った時の話をしたり。。

授業が終わったあとは、
それぞれお手伝いさんやお迎えの車が来ます。

生まれた家庭が違うだけで同じ町に住んでいるのに、
   協会の子供たちとは全く違う生活環境です。

 生徒の子に
「どうして週に2日しか教えにきてくれないの?」って
   聞かれたことがあって、
貧しい人たちの協会で働いていることを伝えると
   みんなは不思議そうに聞いていました。


ものが溢れる家で育っているみんなには、
  お金が家になくて食べ物が食べれないとか、
鉛筆を買う余裕がないって
   いうことが理解が難しかったみたいでした。


お金持ち層の人たちにしてみたら、
貧しい人たちはよくわからない危険な人たちって
  思っている方たちもいるみたいで、


 私も日本にいたときに新宿駅のとことかで夜中よく見ていた、
 段ボールで眠っているホームレスの人たちを
 そういう風にみていたのかなって ふと思いました。


 少しでも毎日を幸せだなぁって思える人が
 いろんな国で増えたら
 それは素晴らしいことだなぁと思います。


 私たちのさせていただいている、活動を通して、
 そういう人たち子供たちを一人でも増やせれたらと
 勝手に思っています。


 その子供たちが大きくなったときに
 いい影響をほかの人たち子供たちにも
 与えてくれたら。。とこれも勝手に想像しています。。


  毎日を大切に丁寧に生きていきたいなぁとまた
  改めて思いました。


写真。

生徒の子どもたち。








栗山さやか | 日々の暮らし | comments(6)

白玉、せんざいおいしかったです。


   ここ数年は、日本を含めアジア諸国とアフリカ諸国の
   関係強化がさらに盛んのようです。

 
 この町にもここ数年で東アジアの人を見かけるようになりました。
 私が住み始めた2008年の終わりには
 東アジア人はほとんどみかけなくて、
 ほかのアジアの国の人たちは、
 商売をしているインド人、パキスタン人(先祖の代から住んでいる人が
 多く見た目は、インド人でインドの文化も引き継いでいる場合が
 多いけど、モザンビーク生まれ育ちのモザンビーク人のかたたちが多い) が主でした。


 でも去年からモザンビークで
 新しい携帯会社設立のために来ているベトナム人の子達、
 隣の州と結ぶ道を作っている中国人のかたがたが
 ここから300KM以上離れたブッシュに大勢で住んでいます。


 貧乏バックパッカーしてた頃、
 どこの国に行っても
 安宿にはいろんな国からの貧乏バックパッカーの人たちや
 日雇い労働の方たちなんかがいて
 よくお互いの国の話をしていました。
 珍しいなって思った国はイラク人の子たちや
 国の名前もよくわからなかった中米からの子たちです。
 今まで一度もあったことがなかった国のかたって
 ぱっと思い浮かぶのは、北朝鮮のかたです。


 でもこの町に、政府間の援助のような形で
 北朝鮮からの
 お医者さんたちが数人います。
 やっぱり国から出るには相当の手続き、審査等があるようで、


  「ずっと海外で働くことを何年も希望をして
   やっと叶って外国にこれたっ」って
  仲良くなった北朝鮮のご夫婦はおっしゃっていました。



食べ物の話になって、
犬はやっぱり好きなようで、他の北朝鮮のお医者さんたち、
「一応、強盗対策のために犬を家の外で飼っているけど
食べたくてたまらないよ。 北朝鮮に帰る日がきたら殺して食べるよ。 
足の病気になったときは猫を丸々食べるといいよ。」って。



 前にこの町に住んでいて仲良くしていたフィリピン人の友達も
「犬のお肉を食べると体が熱くなっていいんだよー。
 性交する前に食べるといいよー」って。


 あとフィリピンでは、犬が遠吠えをすると
 不吉なことが起こるって言われているみたいで
 ペットとして飼っている犬でも遠吠えしたら
 殴り殺したりしてそのあと食べる家の人たち多いよ。」って。

 
 食文化はそれぞれ国によっても地域によっても
 いろいろだなぁと思います。。

 
 中国人、韓国人、ベトナム人の友達も犬を食べるって言っていたから
 アジアの国は犬を食べる国が多いんだなぁって思いました。 

 
 フィリピン人の友達がうちに来た時に、
 私の飼っている犬たちをみて
 太ってておいしそうって。。


 でもフィリピンでも犬のヘアサロン
 (ペット用の犬と食べる犬は種類が違うそうです)
 とかもどんどんできはじめているようです。

 

 今回鬼丸さんからお荷物を送っていただいたときに、
 一緒にありがたくいただいてしまった、
 白玉とせんざい、ここでは手にはいらないので、
 きっと東アジアのかたたちも恋しく思っているだろうなぁって思って、
 いつか誰かと食べさせてもらおうと決めていました。

 この北朝鮮のご夫妻と、ウクライナ人の友達、
 インド系のモザンビーク人の友達とうちで一緒に食べました。
 やっぱり北朝鮮でもあんこの大福とかも食べるみたいで
 「おいしいね。おいしいね」って。

 

「ここの人たちは子供たちも、若者もたくさん死んで行っちゃうね。
北朝鮮だったら普通80歳ぐらいまでみんな生きるよ」って。。


 おうちに遊びにいかせてもらったとき、
 やっぱりおうちの壁には
 この間亡くなった金正日さんと
 そのお父さんの金日成?さんのすごく美男子に書かれた
 大きな肖像画?が飾ってありました。 


 やっぱりいつもご夫妻に会うときは二人の上着には
 金日成さんの顔バッチがついています。
 平壌に住む二人の娘さんの写真、二人の服にもこのバッチがあって、
 国のみんなつけないといけないんだろうなぁって思いました。




 なんだか見た目が似ているし私の母親と年も同じぐらいで、
 片言の言葉で話してくれる奥さんのしぐさや会話が
 とてもほんわかしてて

 「さやかー早くいい男見つけて結婚しなさいよーっ」って
  いつも言ってきて

 うちの母親に言われているようで
 心が穏やかになります。

 

 

写真。

  ベトナム人の友達たち。
  

  何人かいるお手伝いさんたちを
  わざわざ飛行機にのせて、モザンビークの首都で
  ベトナム料理を習わせるために行かせていたのに
  衛生上に問題があるっていって、
  結局みんなでいつもお料理しているみたいで
  
 「男の人でもみんな
  料理できるんだね」って聞くと、
  
 「料理が作れないと結婚したときに奥さんに殴られるー」って
  言っていました。

  ベトナムの人たちもお箸を使う文化で
  何年かぶりにお箸が使えました!
  お肉も食べさせてもらえて嬉しかったです。

 


  
  子どもたちの写真。


  鬼丸さんが送ってくれたアルファベットチョコレートです。

  みんな自分のチョコレートに書かれている文字にも
  興奮していました。

  家に帰ってから食べるってしっかり大切そうに一粒のチョコレート、
  持って帰る子や
  我慢できなくてすぐ食べちゃう子いろいろで見てて
  可愛かったです。
  

  本当に本当にありがとうございました。。

 

 







栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

折り紙をいただきましたっ。





  私の父親のコンピューターの先生の河田さんのご友人の
  静岡で小学校3年生の先生をなさっている
  鬼丸さんが素敵なお荷物を送ってくださいましたっ。

  2回に分けて送ってくださった
  大きな段ボールを開けると、
  協会の子どもたちへ
  折り紙、飴玉、消しゴム、鉛筆、
  アフファベットチョコレート、たくさんの絵本など、
  
  そして私にもって、
   お味噌汁、 さっぽろラーメン、コーンスープ、
   せんざい、白玉粉などを送ってくださいました。。

   日本の食べ物が食べたいなぁって
   考えてしまうことも前に比べたらやっと減ってきて
   時々、夢に出てきたりしますが
   朝目が覚めると夢の中で食べれたおそばとか納豆の味、
   その余韻に浸ったりしていました。
 
   いただいた日本のおいしい食べ物、
   どれもこれもとてもとてもおいしく、
   心も芯から温かくなり元気をいただきました。。

   同封してくださった温かいお手紙も涙涙で
   読ませていただきました。。
   ありがとうございます。。


   協会の子どもたちとさっそく折り紙会を開きましたっ。
   みんなにひとつひとつ折り方説明しながら
   紙袋?と紙飛行機を作りました。

   カラフルな折り紙を見た瞬間から
   みんなおおはしゃぎでたいへんでしたっ。
   
   きれいに作れた紙袋に一緒にいただいた
   牛乳飴を一粒ずついれてあげたり、
   折った紙飛行機にみんな自分の名前をそれぞれ書いて
   誰が一番遠くまで飛ばせるか大会もしました。
   そんな子供たちをみて私も嬉しかったです。

   折り紙の折り方の本まで一緒に送ってくださって
   私はかなり不器用なので
   その本を参考にさせていただいていますっ。
  
   
   鬼丸さんから 

   「今日も友人と話しましたが、人生って本当に不思議です。
   
   神様がいるとしたら、きっと人が生まれたときから
   神様がその人の行く道を決めているのかも・・・って。
   偶然は一つもなくて、いつもそれはなるべくしてなったのだと・・・。

    今まで私が周りから受けた恩恵を、
    こうして少しでも恩返しできたらと思います。
    さやかさんは、私に人として大事なことを気付かせてくれました。」
    とメールを送ってくださり、また涙涙でした。。


   その温かいメールを読ませていただいて、
   私も子どもの頃から
   自分ではあんまり気づかずに受けてきた恩恵、
   今もみなさんからこうして受けている恩恵を通して
   こうして今もここで
   活動をさせていただけているんだなぁと
   つくづく思いました。。

   鬼丸さんや、河田さん、
   お散歩会のみなさん、
   ご寄付をしてくださったかたたちに
   こうしてご支援していただいて
   温かいお気持ちをいただけて、私もここで
   そういう気持ちを
   周りの人たちにあげれるように。。と思っています。。


   
  いつもいつも同じになってしまいますが、
  本当にありがとうございます。。





  写真。

   
   たくさんの折り紙をおくっていただいたので
   時間がとれる土曜日の午後にこれからも
   折らせていただきたいですっ。








栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

お皿を100枚買わせていただきました。



5月になりましたね。
 日本はもう桜の時期が終わって初夏の季節かな。と思っています。

 毎年、春になると、日本中のみんなできれいに咲いた桜を
 眺めたり楽しんだり、桜の話をしたり、
 すごい素敵なことだなぁと思います。
 

 ここでは現地の人から「花がきれいだね」って
 話しかけられたことそういえば一度もないです。

 町の中心部には、ジャカランダ?の木が
 道端に植えてあって
 雨期のはじめの頃になると
 紫のきれいな花がいっせいに咲いたりして
 きれいだなぁといつも思います。


 町の一番はずれにある協会の畑、まだ草ぼーぼーだった頃、
 きれいな白い花があって「きれいだきれいだ」って
 私が言っていたら、
 「これは食べれないよ」って。

 みんなかぼちゃの黄色い花は食べます。
 私もよく食べますが、花よりかぼちゃのはっぱのほうが
 おいしいです。

 あとは、安く手に入るさつまいものはっぱや、
 お豆のはっぱをいつも食べます。

 
 お豆自体はなかなか高くて手がでないこと
(1コップ時期によっては18円から30円)があるので
 みんないつもはっぱと主食のしまとかこの時期は、さとうきびかじったりしています。

 時々、お金の余裕があるときに干したしょっぱい小さな魚とかが
 買えたりします。(卵、生の魚、鶏、やぎ、鳩、ウサギ、牛等のお肉は
 とても高くてみんなはめったに食べれないです。)

 ここは気候がいいので、
 1年中手に入るお野菜なんかは、
 トマト、レタス、じゃがいも、レタス、たまねぎとか
 果物はバナナがあります。
 
 あとは季節がめぐるたびに色んなお野菜と果物が食べれます。
 かぼちゃ、さつまいも、おくら、マンゴ、グアバ、 さとうきび、
 アボガド等です。

 勝手におくらは日本の食べ物だって思っていたので
 初めておくらを路上のマーケットで見つけて食べたときは、
 嬉しかったです。

 それでも貧しい人たちは、トマトすら買う余裕は毎日はなくて
 ひたすら茹でたはっぱだけだったりします。。


 協会の女性たちへのプレミオ
 (週に1度の授業2ヶ月以上しっかり勉強したらもらえる仕組み)も、
 予算とそれぞれの値段を考えながら、月によっては、
 干した小さな魚の代わりに生のお魚や鶏の頭と手足に
 変えたりもしています。


 協会の勉強会の日、
 みんなでお昼を食べますが、
 子供たちへは、栄養が少しでもあるように
 お豆と主食のしま(1皿分2.9円ぐらい)
 女性たちへは、乾燥したとうもころしを
 お湯で練ってお砂糖をいれたおかゆ(1皿分1,4円ぐらい)です。

 お皿は各自家から持ってきてもらっていたのですが、
 お皿の底穴が開いていたりして、
 食べる前に汁がこぼれてしまっている子達もいたので、
 お皿を100枚買わせていただきました。
 赤いプラスチックのきれいなお皿(1枚33円)です。

 ありがとうございます。。


 今までのご支援していただいた
 協会へのご寄付の合計の詳細です。

  http://bit.ly/ImbHKO

 
 みなさまの温かいお気持ちとご支援 対ここのみんなへの効果を
 いつも考えて活動させていただいています。。


 
 心からのお礼を申し上げます。。

 

 写真。 

 協会の子供たちがいつも食べているお豆のはっぱ。
 
 
 ルーシア(協会の勉強小屋に住んでいてくれて
 働いてくれている女性)が
 お魚だよって持ってきてくれたウタカっていうしょっぱい干した
 小さなお魚。
 ちょこんとお皿に乗せてもってきてくれて思わず写真を撮りました。

 
 みんな大喜びだった買わせていただいた赤いお皿。
 
 
 







栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(5)
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