きれいな薬屋さん

 


 

 

また少しひどい結膜炎(片目だけですみましたが)にかかってしまって
コンピューターの画面を見るのが辛く,
しばらくブログの更新が空いてしまいました。
協会の報告がまた出来ていず申し訳ないです。。


東京は雪が降ったみたいですね。
ものすごく寒いんだろうなぁと思います。
それと雪すごくきれいなんだろうなぁと思います。


ここは、やっと大雨期の時期に入りました。
大雨が降るとよく停電してしまうのですが、 
今回は停電が久しぶりに5日近く続いて(うちの近所だけですが)、
やっ と直してもらえました。

停電になるといつでも電気がある生活に
もう慣れてしまっていたので不便は不便ですが、
たまには、夜ひとりでしーんと
一本のろうそくで過ごすのも悪くないなぁと思います。

ただろうそくの明かりだけだと蚊がよく見えなくて
プーンって蚊がいつも自分のまわりにいて、
それがちょっといやだなぁと思います
電気が戻るとなんでもよく見えるし、
やっぱりかなり嬉しくてそれだけですごい幸せを感じます。


今月は、子供たちの身分証明書取得の手続き、
政府への学校登録への手続き等があって
自転車で色んな場所を走り回ってたら、
泥道にはまって転んで足にできた小さな傷、
家帰ってから消毒しようと思っていたら
ハエたちが傷口にたかって、やばいなぁって
思って急いで持ってた紙切れを当てたのですが、
数日後やっぱり痛み出して、傷も大きくなってきて、
感染してしまって今治療中です。 早く治るといいなぁと思います。
みんなに悪い例として勉強小屋で話しました。。情けないです。。


最近町に都会的な薬やさんができました。
 ここで手に入るお薬は、
 日本のお薬とは違ってそこまで即効性がなかったりしますが、
 インド製なんかのお薬が主です。

でもこの町では今まで手に入らなかった絆創膏が
手に入るようになって感動しています。
これもインド製のもので1枚15円です!
協会の子供たちが怪我したとき用に買わせていただきました。

ときどきなる結膜炎もここでは目薬は手に入らないことが多くて
小さなチュープの目に塗るタイプの薬で、
目薬と全然違って目に塗るのかなり痛いし、
最初はかなり慣れるまでたいへんでした。
でもこの新しいきれいな薬やさんで
目薬タイプが売っていてそれも嬉しかったです。


町は色んなお店やさんも出来て、
どんどん発展していて、建設ラッシュな感じです。
首都までの飛行機も今は週に4便もあるようです。

町が大きくなるのは嬉しいですが、
貧富の差がさらにどんどん広がっている気がしてしまいます。。




写真。
 協会の畑で働いてくれている女性たちは今は19人です。
子供たちの勉強小屋のあとに残った食べ物を、
畑帰りに小屋に寄った女性たちと食べました。
ここでの主食のしま(乾燥したとうもろこしをお湯で混ぜたもの)
 とお豆のおかずです。手づかみで食べます。

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(9)

アミララートさんのこととHIVのこと


  アシャンテママの教室に通うの女性たちでHIVに感染してしまっている方達がいます。
 やはりお年寄りではなくて若い女性たちです。
 
 ここでは、HIVに感染していることが他の人にわかってしまうと
 差別されてしまう対象になってしまうことが多くあるので
 みんな一生懸命秘密にしています。


 そんな中、私にこっそり報告してくれる女性たちがいて、
 そのかたたちにはしたい仕事の希望を聞きつつ、
 畑仕事が出来る体力がある女性たちには
 畑で働いてもらって
 
 抗レトロウィルス薬をしっかり飲んでいても
 栄養のある食べ物が必要なので
 畑仕事のお給料以外にも、他の女性たちにはわからないように
 食べものの援助をこっそりしています。

 体の免疫力が下がってしまい、
 体力がそこまでなく
 畑仕事が難しいかたにはマイクロファイナンスで、
 (小額のお金を貸してあげて自分で商売を始めて、
 そのあとお金を少しず つ返済してもらう)
 炭売りなんかをして収入を得るきっかけになればと思っています。

 

 みんな、HIVに感染していても
 男の人に奴隷みたいにして扱われてしまったり
 売春のようなことを繰り返してなんとか生きていくよりも
 自分で働いてそのお金でなんとか生活ができるようになって
 本当に嬉しいと。。


 畑仕事、小さな物売り、
 それも難しくなってしまったかたには、
 勉強小屋に通って病気のことなんかを勉強して
 プレミオ(食べ物援助)をこっそり多めにもらったり
 勉強小屋まで通うことも出来なくなるぐらい体力が
 無くなってしまったかたには
 定期的に家を訪ねて、お話したり、
 栄養のある食べ物の援助や、薬の投薬の確認等をしています。


 その中の1人、
 薬の影響もあってかふっくらした女性がいました。

 アミララートさんという女性で、
 勉強小屋から歩いて1時間半以上はかかる離れた地区から
 一生懸命通ってきていました。

 でも数ヶ月前から体調が思わしくなく、
 いつも誰かに栄養のあるちょっとした食べ物を
 彼女の様子と薬の服用の様子をみがてら、届けてもらっていました。


 先週、彼女の様子を見に行ってくれた協会の別の女性が

 「アミララートさん、昨日の夜寝ているときに、
  さやかの夢を見たって。
  私の体もうすっかり良くなったよーって
 さやかに報告している夢だったって言って
 すごく嬉しそうだったよ」って。


 あぁ、嬉しいな。時間を見つけて
 彼女の家にお見舞いに行こうと思っていた矢先に
 亡くなってしまったって連絡がきてとても悲しく思っています。。


 2011年、協会の女性たち、子供たち
 亡くなっていってしまった人達は12人です。 
 協会のみんなの家族、親戚で亡くなっていってしまった人たちは
 この1年で100人は越えていると思います。

 
 
 こっちではある程度、高齢と呼ばれている50歳や60歳以上のかたの
 場合ももちろんありましたが、
 出産の際に出産した女性も赤ちゃんも亡くなってしまったり、
 病気で子供たちが亡くなったり、
 たった1ヶ月の間に家族のうちの3人が病気や出産によって、
 あっという間に亡くなってしまったり。


 以前、私のうちで働いてくれた女性も、
 家族10人以上で住んでたのに、
 みんな病気で数年の間にどんどん亡くなっていってしまって
 残ったのがおばあちゃんとまだ小さな女の子だけになってしまい。。


 やっぱりみんなを通してみても、
 何よりも死因の原因になるのは、エイズだと思います。
 HIVに感染して、さらに栄養不足の体は抵抗力がさらに弱くなり
 日和見感染症、マラリア、結核等にもかかりやすく亡くなっていってしまいます。



 これはモザンビークだけではなくて、
 たくさんのサハラ以南のアフリカの国で
 20年前とかよりもどんどん平均寿命率が
 エイズのせいで下がっていると聞きます。
 (私がエチオピアから南下して通過してきた国々の
 人たちからもよく聞きました)


 ここでも
 「昔はこんなに人がしょっちゅう死ななかった。。」と。。
 町なので人口が増えたって言うのもあると思いますが。
 

 昔は今より、病院も学校もさらになく、
 衛生環境も今よりももっと悪かったと思うし、
 水だって乾期の時期はさらに手に入りずらかっただろうし、
 飢饉、内戦、マラリアだってあり。
 コレラの大流行もあったようですが
 そういうのを含めても
 今のほうが小さな子供たちも若い人たちも亡くなっていっているかもしれない。。と。


 ここの州はHIVの人の割合が8パーセントって
 言われていますが 
 ここの町だけで考えたらそれはないんじゃないかなと。
 (国全体では12パーセントから
 15パーセントぐらいと統計が発表されています。
 これも実際もっと高いのではないかと言われています)

 この数値は、病院に来て検査をした人のみの割合なので、

 この州の人たちはモザンビークの中でも
 一番考え方など更に遅れているといわれている場所です。

 病院よりも呪術医さんを信じている人たちも多いので、
 病院に行かずにそのまま亡くなってしまう人、
 呪いのせいだっていって病院にはいかずに
 呪術医さんに頼ってそのまま亡くなって言ってしまう
 人たくさんいると言われています。

 
 少しでも亡くなっていってしまう人たちを減らせるように
 これからもみんなに正しい情報と、自立の支援を、
 子供たちに教育を。。と
 思っています。

 
 私のしていることは、「きりがないよ。。」って
 言われることもあって悲しく思ったりもしますが、
 少しでも。。と思って、

 私自身もまだ生きている時間を大切にして
 活動させていただきたいと思っています。

 

 拙著の紹介をブログやツイッターで
 なさってくださったかたがいらっしゃって
 本当にありがたく思っています。


 感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 写真。
  年の終わりの会の写真。
 
 「今年も1年まだ無事に生きていられたね。」と言って

 みんなで年の終わりをしみじみ感じます。。

 







栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(12)

2011年も本当にありがとうございましたっ。




  2012年、あけましておめでとうございます。

 2011年のお礼の挨拶が出来ずに2012年になって 
 しまいました。。。申し訳ないです。。

 今年の日本のお正月はどんな風でしょうか。。


 小さい頃から年越しの日はいつも
 夜中の12時まで起きて新年のお祝いしていたと思うのですが、
 今年は、お金持ちの子達の集まりに誘われていましたが、
 なんだか出掛ける気もお金も節約しなくちゃで
 夜まで家で片付けや整理をして
 今年の年越しは1人だったから
 夜10時前には疲れてたのもあって眠ってしまいました。
 
 夜中に、はって目が覚めてあー年が明けたなぁって
 思いながら家の中をほうきがけしてたとき、
 私が小さい頃から日本には、家に普通にあった掃除機とか
 やっぱ日本はすごいなぁとまたぼけっと思っていました。


 クリスマスの夜も結局1人で家にいて、
 たまった書類関係とかの整理をもくもくとやってたら
 たまたまベトナム人の友達が家に寄ってくれて
 マタケンニャを取るの手伝ってもらったりして過ごしました。
 


 でも協会で、みんなで年の終わりの会を
 開かせていただきました!

 子供たちに、読み書きのクイズ(正解したら粉ジュースと鉛筆1本の
 プレゼント!)をしたりみんなで歌ったりして、

 お昼ごはんは、お米と半分ずつのお魚を
 みんなで食べて粉ジュースも飲めました。

 途中で大雨が降ってしまって勉強小屋もひどい雨漏りで
 塗れちゃったりしたけど楽しく過ごせました。

 25kgのお米を
 子供たち約120人、女性たち40人でいただきました。
 貧しい人たちはお米は高価でなかなか食べれないし、
 おかずのお魚もここではお魚は高くて
 みんなめったに食べれないから大喜びでした。

 

 予算6000円ほどかかりましたが、
 今回のお祝いごとのお金は私の貯金からと思って
 ジャストギビングさんを通して協会に寄付しました。
 

 ジャストギビングさんを通してご寄付をしてくださったかたに
 お礼のコメントの入れ方がいまだにわからず、
 ずっとお礼を伝えることが出来ないままになってしまっていて
 申し訳ないです。 (調べて必ずお返事書き込みますね。)
 

2011年も色んなかたがたに暖かいご支援をしていただき
心からの感謝を伝えさせていただきたいです。


本当にありがとうございます。


今年の目標は、自分自身に甘えのないように、もっと頭を使って
どうすることが一番いいのかを常に考えていきたいです。


2012年は、世界中の人たち、子供たちにとって
平和で安全で、少しでも苦しみが少ない
幸せが多い一年になりますように。。



写真。
 
 お祝いの会の写真です。
 
 みんなで読み書きゲームをしています。

 大雨が降って小屋雨漏りで
 足元びしょびしょになってしまいましたが、みんなで
 わいわい楽しく過ごせました☆












栗山さやか | お知らせなど | comments(3)
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