日本の消防士とここの消防士

 

以前、テレビのニュースで、首都のマプトの繁華街みたいな場所で、
火事がり、急いで消防車を呼んだら1時間後にやっとやってきたと思ったら、
消防車に火を消すための水が入ってなくて
消火活動どころの話じゃなかったって
繁華街の人たちが起こっているニュースが流れました。

この間も、別の州の大きなお店で火事があって、
またものすごく遅れながらやっと消防車が来たと思ったら、
その燃えてたお店の火が来なかった場所の倉庫から
商品の石鹸とかビスケットのダンボール箱が無くなってしまっていて。
そしたらそのダンボール箱、消防車の中から見つかったっと。

この消防士の方々、火事で危ないからってみんなを外に追いやって
自分たちはお店の倉庫にあったもの盗んでいこうとしたみたいです・・。

この町でも自分の家が火事だから(裕福な家庭ののかたたちの家だったら来てくれると思いますが)といって
消防車が来てくれることは不可能に近いと思います。
(近所の人に手伝ってもらって自分たちで消すしかないと思います。。)

村なんかだと消防車はもちろん存在しないし、
この町に住む貧しい人でも消防車を呼ぶことはないです。

呼ぶための電話も持っていない場合が多く、消防車がコネもなく
貧しい人の家に来てくれるわけがないってみんな思っています。

この間、この町にあるたくさんの畳2畳ぐらいの小さなお店が
ひしめき合ってる外の大きなマーケットでも夜中に大火事がありました。
1500円ぐらいの売上金たまたまお店に忘れてしまったと
戻った男の子が焼死してしまったみたいです。

そのときも消防車、ものすごく遅れてやってきて、
しかも着いたら着いたで、
マーケットにあるそばの大きなお店の人たちが
自分たちのお店に火が来ないようにせかしたら
「お金くれないと無理」と。。

しかも消防車の中にやっぱり
水が何にも入ってなかったみたいで・・・。

この消防車がやっと来たと思って、放水ー! てなったときに水入れ忘れてて
水が一滴も出ず、って話何度か聞きました。。


それに、マーケットの火がまだ届いていなかったお店の人たちに
警察の人が
「お前たちの店にも火がやってくるかもしれないから商品運び出したほうがいいっ」て言って
無理やり運び出させて彼たちが運び出したら、
そこらへんにいた人たちと一緒に
暗闇の中で彼たちが運び出した商品みんなかっぱらって逃げていってしまったみたいで・・。

結局火は、彼たちのお店のところまで来ず、
商品運び出したからそのせいでみんなに奪われて
お店の人たち運び出すんじゃなかったってかなりがっくりしていたと。

自分が小学生だったとき、社会見学で消防署に行ったとき
のこと思い出しました。

小学校の校庭にあったのぼり棒みたいなのが
待機している2階の事務所の床と
1階の消防車がある場所の天井につながってあって
もし出動の電話がかかってきたら
階段などは使わずに
のぼり棒にしがみついて1階の車庫に行って、

1秒でも火事の現場に早く着くためって言って実演してみせてくれて
どれだけ早く火事現場に行くことが大切かを教えてくれました。

日本人の仕事に対しての姿勢は本当にすごいなぁと
海外に来てから特に思います。

最近、新しい携帯会社設立のためにやってきた
ベトナム人の子達が6人ぐらいでこの町に住み始めて
仲良くさせてもらっています。

彼たちともよくお互いの国のことを話しますが、
日本はすごいねぇ。って。

それは日本製のものはすごく丈夫だとか
ベトナムで大人気の日本のアニメだったり
日本の高校生の制服がかわいいとかもありますが、

この間、
「ベトナムにたくさんの日本の会社があるんだけどね、
友達がそこで働いていて、日本人の社長、
社長なのに毎日誰よりも早く会社に来て、
しかも会社の門の前まで出て出勤してくる従業員の僕たちに
挨拶をしてくれるんだよ。
そしていつも誰よりも遅くまで働いているんだよ。本当にすごいよーー。」って。

私はただ日本人だからということだけで、
他の外国の人たちから
日本のことをほめてもらえる時があり単純に嬉しくなります。

この間日本のかたに数名お会いしました。
日本のかたに会えるのは、アフリカに来てからあんまりなく、
特にモザンビークのこの町に住み始めてから
一番近くに住む日本人でも600KM離れた別の都市に住む人たちが
いるらしいってことを聞いたことがあるぐらいで、

日本の人に会えるのは1年か2年に1回、
遠く離れた首都にある日本大使館に何かの用事で行くとき、
それに事務的な会話の5分のみで。
(一度パックパッカーのかたが通過したこの町で警察に捕まって
拘置所にいたことがあって会いにいったことはありますが)

日本の方にお会いする機会があるとき、
日本語を間違えてはいけない、変な人と思われてはいけないというプレッシャーもありますが、
日本に戻ったみたいで懐かしく楽しい時間です。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(8)

編み物教室のこと。




協会の女性たちに手に職をと思って
 編み物教室を開いています。

 年配のかたは老眼で手もとが良く見えないので
 若い子達だけと子供たちですが、
 みんなかなり上手になってきました。

 赤ちゃんのニット帽と靴下は120円で売っていて、
 糸は半分使う(60円)ので
 ニット帽と靴下を作って60円の収入です。

 マーケットで置いてもらっていますが
 なかなか思うようには売れず。。で
 何か工夫が必要だなぁっと思っています。


 それでもみんな少しずつ習って、
 自分で編み物をして
 それを売れるのが嬉しいみたいで
 「いつも編み物棒を持ち歩いて、道歩いてるときでも
 編んじゃうよー。 夜もろうそくがあるときは
 ろうそくの明かりでひたすら編んでるよー。
 なんかいつも編んでないと落ち着かなくちゃったよー。」って。

 編み物教室の先生をしているのは、
 協会の女性のグラッサです。

 彼女は小さい頃、ポリオ(だと思います。でも本人は誰かに呪いを
 かけられたからって言っていましたが)に罹ってしまって
 松葉杖なしじゃ歩くことも立ち上がることもできないです。

 一応、旦那さんは居ますが、別の村に他の奥さんと住んでいて
 年に数回、彼女と子供たちに会いにくるぐらいです。

 彼女が13歳ぐらいだったとき、キリスト教の布教のために
 きていたポルトガルの女性が彼女に編み物を教えてくださって
 それが彼女の生涯の仕事になっています。


 協会でも彼女に先生をしてもらっているので
 彼女の6人の子供たちを養っていくには全然充分ではない額
 ですが、それでも毎月900円のお給料を支給しています。

 グラッサは公用語も話すし、
 とても前向きな考えかたを持っていて
 私の良き相談相手にもなってくれます。。

 今まで一緒に働いていてくれていた子達にも
 たくさんのもの盗まれてしまっていて
 毎日一緒に働いていたのに信用が全然出来なくなって
 悩んでいたときも相談に乗ってくれました。


 協会も少しでも自立ができるように
 マイクロファイナンス、畑、編み物売り、鶏育て
 力を入れていきたいです。

 お散歩会のみなさんが、12月の12日の夜7時半から
 また集まりを計画してくださっています。
 150名ほどの集まりでみなさんでクリスマスパーティと
 デートオークションを計画なさってくださっています。
 とってもゴージャスな夜になりそうな感じです。
 ぜひご参加いただけたらと思います!


 詳細は追ってご連絡させてください。
 どうか宜しくお願い致します。


 写真。

 編み物教室の先生のグラッサたち。













栗山さやか | お知らせなど | comments(3)

トイレットペーパーと読み書きのこと。


 
モザンビーク北部に来たばかりの頃、
1MT(モザンビークの貨幣) が5円!もして、
物価の高さにおののいていました。


バックパッカーしてた頃、いつもどこの国でも
普通に安く買えたトイレットペーパーも
ここでは高くて (お金持ち層の人しか買えないものだし、貧しい人たちはマーケットで
売られているのを見てもなんに使うかも知らないです。。)
うすっぺらいちゃっちいトイレットペーパーが一個75円もして
1ヶ月で自分で使えるお金の額をしっかり決めて
やりくりしていたので、買える余裕がなくて、
ここの公用語を覚えるために
ノートに書きまくってた使い終わったページをやぶって
くしゃくしゃにしてそれでお尻ふいていました。。


世界中の人がトイレットペーパーとかティッシュを使うようになると
世界中にある木が1日?数日?で
全部無くなっちゃうって聞いたことありました。

アラブ系やインド人の友達は
お金持ち層でもトイレットペーパーを使う習慣は
あんまりなくて、水を使ってお尻きれいにします。

前にモザンビークの別の州で一緒に生活していた、
仲良しのインド人の友達は、

「トイレットペーパーより
手を使って水できれいにしたほうが
絶対お尻きれいになるよー。」って断言していました。
(鼻かむときとかは、彼たちもトイレットペーパー
 使ってました。)


アフリカの子達も水できれいにするか、それかそのままなにもしないようです。


アラブ系の国は、
水洗トイレの横に小さなシャワーホースみたいなのが
備え付けてあります。(ボタンを押すとブッシューって水が出てくる)

でもやっぱり一度またトイレットペーパーを買ってしまって
使うようになったらその使い心地の良さに感動してあと
1MTも3円ぐらいまで下がったので
もう最近ではトイレットペーパー命になってしまっています。
なるべくちまちま使うようにしています。

トイレットペーパーを
ひとつ使い切ってしまうとまた新しいのを買いたいから
あー出費ってがっかり思ってしまいますが、
逆にノートとか、ペンを使いきったときは小さな幸せを感じます。


私は自分が読み書きができるように
教育を受けさせてもらったことは
特別なことで本当にありがたいことだったんだなぁって
アフリカに来てからいつも思います。

だからペンを無くすこともなく使え終えると
自分の読み書きの能力を無駄にしてない気がして
なぜかほっとします。


今回、本を出させてもらって父親と電話で話していたときに

父親が 私の兄にも本を渡してくるって話していて
私はそのとき最初に思ったことは、
私のお兄ちゃん、字読めたっけ。 ってふと思いました。

そのあと、当たり前だよーーって我に返りました。

日本だったらきっと100歳のかたでも
読み書きが出きて新聞とかも読めて
それって今思うとすごすぎることだと思います。

昔日本にいたとき
テレビに出ていたアフリカ出身のひとが
「日本人の100%の人が読み書きが出来るって聞いて
びっくりして倒れそうになったっ」って話しているのを聞いて
私のほうがそんなの当たり前だよーってテレビみながら
思ってたこと思い出しました。


私の住んでいる州では、
きっと女性だと20%ぐらいのかたたちしか
読み書きできる人がいないと思います。
(州の統計で男の人も合わせた全体で
35%とのことで。。これから上がっていくとは
思いますが。。)

村だけだとさらに恐ろしく確率は下がります。。

鉛筆やペンを今までの人生の中で
握ったこともない人たちもとても多いと思います。

そういえば、
54カ国あるアフリカの国で、独自の文字が存在した国は、
エジプト、リベリア、エチオピアなどの数カ国だけだって聞きました。

アフリカは1900年頃、ほとんどの国は
ヨーロッパに支配されていった中で、
エチオピアとリベリアは唯一、
ヨーロッパの国々に植民地されずに
撃退できた理由は
文字が存在して国民が読み書きができる優秀な国だったからって
エチオピア人のお医者さんたちが嬉しそうに言っていました。
(6年ぐらいイタリアに占領されただけみたいです。
モザンビークはポルトガルに500年以上支配されていた。)

ほとんどのアフリカの国は、
ひとつの国の中にたくさんの言語があっても
文字というのは存在しなかったようです。


植民地時代にヨーロッパの言語が入ってきて
それで現地の言葉をアルファベットを当て字っぽくして使ったり。
マラウィのチェチェワ語もアルファベットを使っています。

話す言葉は存在するのに、それを書くのはできないって
不思議な感じがします。
だからアフリカには
色んな大昔の歴史の資料が圧倒的に少ないみたいです。




ここの私と同年代の子達は、内戦の影響があって、
昔は、みんななかなか学校に通うことは難しかったり
あとは学校へ行くよりも、
水汲みや薪、わら集め、小さな兄弟たちの世話、
貧しさから食べ物確保のために畑を耕したりして
子供時代を過ごしていた人たちがたくさんです。


今もたとえ学校に通っていても、先生がいい加減だったり、
1人の先生に200人近くの子供たちが地べたに座っていて
とても騒がしく先生の声ももちろんうまく聞こえず、

ほとんど勉強をする環境になっていなくて。


高校生になって初めて
自分の名前書けるようになったということも聞きます。

アシャンテママの教室で子供たちに読み書きを教えていたときも
先生をしてくれていた高校3年生だったルーキア
たまたまだと思いますが、「お母さん」のつづり間違えてたり
アルファベットを最後までかけなかったり。。。

協会の女性たちも
ほぼみんな学校に通う機会のなかったかたたちなので
近くにあるキリスト教の教会で
政府認可の大人の人向けのクラスを開いていて
そこにみんな登録をするように進めています。

この間無事に修了テストがあって、数人の女性たちが嬉しそうに
その答案用紙を持ってきてくれました。

私と同じ年のぐらいの方達がたくさんの子供たちを育てながら
小学校3年生クラスとかで頑張っているのを見て嬉しく思います。

やっぱりいくつになっても勉強をすることはいいことだなぁと思います。

写真。
 小さな兄弟のお守りをしながら勉強しています。


栗山さやか | 国などについて | comments(3)

ジャストギビングさん.



   

 今は乾期の終わりです。
これから半年ほどの長い雨期,大雨期に入ります。
数時間だけですが大雨と雷がほぼ毎日になります。

その影響で停電も増えてしまうと思いますが、
それでも停電しても同じ日か次の日には電気、
去年ぐらいからすぐ戻るようになって
ネットの回線がかなりの割合であるようになり、
スピードも前に比べたらとてもとても速くなったので
協会をご支援してくださっているみなさまに協会が
今はどんな感じかご報告ができるように
ブログしっかり書いていきたいと思い、
それと、もう来月の途中で
今ある協会の活動費が全部終わってしまうので、
ジャストギビングさんに、私自身も協会のために挑戦できるというのを
知って、ぜひにと思いおこがましいとは思いますが、
このブログ更新を挑戦させていただきたいです。

 

(JustGivingさんは、
オンライン上で寄付を募ったり、
 寄付ができたりするファンドレイジングです。
チャレンジャーさんが何かに挑戦して、
そのチャレンジを応援するかたがご寄付をして、
そして集まったご寄付をどこかの団体に寄付するという
ユニークなものです。


JUST GIVINGさんのホームページです。

http://justgiving.jp/

ブログの横にも貼り付けてくれてあります。

協会名は
「アシャンテママ」で登録させていただいています。
 以前に9名のかたがたにチャレンジしていただき
 ご寄付を募っていただき本当に本当にありがとうございました。。

 ご寄付をなさってくださったかた、
 心からお礼を申し上げます。。

 

 今回私のチャレンジは、
「週に3日、朝4時に起きてブログの更新。。」 と思っております。

いつも毎日朝5時すぎには起きているので、1時間早く起きて
ブログを書く時間にしようと思います。

前に
「ブログ、誤字脱字も多く
 意味もわかりづらくとても読みづらいです」って
コメントをいただいたことがあって
気にして書くようにしたらブログを書くのに
すごく時間がかかるようになってしまって、
週に3日は朝の1時間ブログを書く時間にしたいです。

 http://justgiving.jp/npo/334#commentSection


朝5時までに更新を目標にして、日本との時差は7時間なので、
日本時間のお昼の12時までに更新!と思っています。

どうか宜しくお願い致します。


ご寄付は、協会の運営費
(月に全部で9万円ほどです。。)にと思っています。

今回のお寺の集まりで、
来月半ばまでの活動費はご支援していただくことが
できとても感謝しております。

来月半ばからの活動費を。。と思っています。
お願いばかりで申し訳ないです。。


子供たちがどんどん増えてしまっているのもあるのと、
あと1月にある子供たちの学校への登録料(1人30円)、
身分証明書登録料(身分証明書がないと小学校へ通えない)
子供1人150円ですが、
家族の誰かの身分証明書も必要でここの貧しい人たちは
持っていないのでそれはさらに別で1人300円もしてしまいます。(畑で働いてもらいますが。。)
それに、女性たちへ仕事をと思い
みんなで畑を耕していますが、
4時間働いて1日あたり、90円のお給料です。
月に全員分で27000円ほどです。
(収穫時期になったら、
それを売ってなんとかやりくりしたいと思っていますが
まだまだ難しそうです。。)

予算がまわらなくて、
働く日数や、働ける女性たちを増やすことが出来ずにいますが
働きたい貧しい女性たちがたくさんいて、
増やすことができたら。。と思っています。。


協会の主な毎月の運営費は月によってだいぶ異なりますが、
だいたい以下のような感じです。

女性たち。

プレミオ費            25000円
お昼ごはん費           2500円
お葬式援助費           2000円
緊急援助費            2000円
編み物教室費           1000円
雑費               1000円
病院費援助             1000円
マイクロファイナンス投資費     2000円
自転車修理費            1000円
事務費                300円
通信費               4000円
畑人件費  (現在21人分)         27000円
人件費(2人分)         16500円


子供たち。

プレミオ費     4500円
お昼ごはん代                      8600円
雑費                              2000円
緊急援助費            1500円


来週からはじめたいと思います。
どうかよろしくお願い致します。

 

栗山さやか | お礼 | comments(7)

栄養失調のこと。



 ここでは、体格のいい人たちを見ると、
 お金持ちの証拠だとみんな思っています。


 実際、お金持ちの人たちはかなりの確率で
 体格がよかったり、太っている人がとても多いと思います。
 
 甘いものや油ものお肉みんな大好きです。
 でも最近はダイエットとかエクセサイズっていう
 言葉も裕福層の人たちと話していると
 聞くようになりました。


 なんと、別の都会からこの町に住み始めた裕福な人たちは、 
 朝明るくなってきたらジョギング!をしてたりします。
 そういう習慣がここにもきはじめて、なんだか驚きました。

 アフリカのだいたいの国は、
 少し前まで太っている人が、セクシーって言われていて
 男女ともにもてたそうです。
 
 ここでも、太っている男の人はお金持ちに違いないから
 もてたり、女の人も太っているとすぐには死ななそうだからって
 もてるようです。


 それか、貧しい人で
 体格がよかったり太っている人たちは、
 HIVの薬を服用しているからと噂話が経つと聞きました。
 (薬の副作用で体格が少しふっくらするようです。)


 貧しい人たちには、お肉関係の食べ物、
 牛、やぎのお肉、うさぎ、鶏、お魚、
 (干した小さな魚はまだ安いです)
 全部高価でめったに食べれるものではないです。
 
 卵1個ですら、
 安くても1個18円もしてしまってかなり高価な食べ物です。


 協会のプレミオでは、
 栄養分が少しでも補えるように、卵4つと
 鶏の頭と手足だけの部分なら、
 90円で売っているので
 それをプレミオの一部として渡しています。



 モザンビーク全体で
 成人の55パーセント以上の人が栄養不良で
 70パーセントの子供たちが慢性の栄養失調、

 栄養不良だって言われていると前に聞きました。

 

 協会の子供たちもほとんどの子達がきっと慢性の栄養失調で、
 極度の貧血や、体の免疫力も弱いので、しらみがすごかったり、
 皮膚の感染症、寄生虫、色んな病気になりやすいし、
 しょっちゅうマラリアにかかってしまったり、
 亡くなる原因にもなる下痢がかなり続いてしまう場合があります。


 15歳の女の子(本人は20歳だっていってたけど、ご家族は15歳って言っていました)
 が連れてきた彼女の1歳5ヶ月の赤ちゃん、
 栄養失調の症状が出ていました。


 栄養失調の症状は色々あって、
 お腹が腫れあってしまう浮腫や、
 一見、ぷくぷく太って見えるのですが、
 手足や顔のむくみも栄養失調の症状です。
 (前にも書きましたが、
 現地の人たちは子供のお腹の浮腫や体のむくみを見て、
 食べ過ぎって思ったり、
 この子のお母さんがまた妊娠した証拠と思っていることが多いです。)

 きゃっきゃっするはずの年頃の子供なのに、
 症状がひどくなってしまうと、もう遊んだりもせず、笑いもせず、
 いつも辛そうな苦しそうな顔をしています。


 この小さな子(ファティマ)も
 この症状がでてしまっていて、お腹も足もぱんぱんに
 腫れてしまっていました。

 腕の上の部分を巻尺ではかって確認します。
 1歳から5歳未満の子が12,5cm未満だったら
 栄養失調の証拠です。

 この赤ちゃんも、
 顔も足も腫れてしまっていましたが、腕はかなり痩せていて、
 巻尺で測ってみると、12,3cmで、
 すぐに病院に行くように伝えました。

 すぐ入院することになって、
 ファティマが好きだっていった
 おいもや粉ジュースを持って
 時間を見つけては病院にお見舞いに通っていました。

 入院してから10日ぐらいが経ったとき、
 いつものように会いに病室に行くと
 別の赤ちゃんがベットに眠っていて
 そしたら隣のベットにいた女の子が、

「あの子なら昨日死んじゃったよ。」って。

 亡くなる1日前の日に
 お医者さんに診てもらえたとき、
 お医者さん、ファティマを見て、

 「この子はもうしっかり良くなったよ。明日は退院だ。」って
 言ってファティマのお母さん喜んでいたばかりなのに・・。

 その次の朝に亡くなってしまって。


 呆然としていると、その女の子が

 「この病室にいた子供たち
 この1週間でほとんどみんな死んじゃったよ。。」って。

 「私の赤ちゃんは大丈夫かなぁ。。」って、

 抱いていたかなりやせ細った彼女の赤ちゃんを
 見せてくれながらぼそって悲しそうに言いました。



 前に村にいたときに、子供たちを病院へ連れて行って診察の
 順番を待ってたときに、
 隣に赤ちゃんを背負った女の子が座っていて、 

「私の赤ちゃん具合が悪いの」って話かけてくれて、

 赤ちゃん見せてもらおうとして、
 彼女の背中に布で背負われていた赤ちゃんを見たら、

 赤ちゃん、薄っすら目を開いたまま
 苦しそうな顔してもう亡くなってしまっていて。

 彼女、病院に向かって歩いているときに、
 もう赤ちゃん亡くなってしまったみたいで。。


 ここでみんながたくさん亡くなっていってしまう理由は、
 HIV、マラリア、コレラ、結核、下痢、
 貧しさからくる生活環境の悪さや不衛生、
 お金を得ることがとても難しいから食べ物も満足に食べれないし、
 それで慢性の栄養失調で病気になりやすいことも原因です。

 普段から栄養不足の小さな体は、
 本当に弱く
 あっという間に亡くなっていってしまいます。

 少しでも栄養のある食べ物の援助、 自分たちで収入を得る手段、
 それに何より子供たちの世話をしている
 お母さんたちに栄養失調のこと
 病院に行くのが遅れてしまわないように
 正しい情報や知識をといつも思います。




 写真。

 亡くなってしまったファティマと
 ファティマのお母さん(ローザ)の写真。

 栄養失調かどうか確かめるために
 腕の太さを測ります。

 写真だと少しわかりずらいですが、
 栄養失調の症状でお腹、顔、足が腫れてしまっています。

 ファティマ、亡くなってしまう前、こんなに小さいのにかなり苦しんでいて。。
 まだこんなに小さな子達がうーうー言って苦しんでいる
 声を聞くのはとても悲しいです。




  


栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

お寺の集まりありがとうございましたっっ。


  昨日のお寺の集まりにご参加なさってくださったかた
 お寺のかたがた本当に本当にありがとうございましたっ。

 私は昨日の朝は、自分が行けるわけでもないのに
 一昨日の夜11時に寝たのに、緊張からか
 朝の2時半には目が覚めてしまって

 「今、日本は、朝の9時半だなぁ。 お寺に行かれる方は
 今日はお寺だぁーて思われている頃かなぁ。。」

 なんて1人でどきどき嬉しく思っていました。
 
 日曜日は朝6時から夕方5時まで修理とかのために電気が
 停電することが多いので、
 数年前はよくあった、数日間停電しっぱなしに比べたら
 全然ましですが
 昨日も停電で、むむむっでしたが、
 電気が夜戻って、
 「住職さんからとてもいい話が聞けて、
  いい集まりになったよ。」て
 ご報告のメールを受け取れてとても嬉しく思っています。 

  もう来月からの活動費が全く残っておらず、 
 しばらくは自分の貯金でなんとかやってみなければ
 と思っていたので本当に本当にありがたいです!!


 本当に本当にありがとうございますっっ!!



 来月からは、ここの政府や他の大きな組織に
 活動費を援助してもらうために回ってみようと思っています。
 どこも予算がなくて不可能に近いかもしれませんが、
 試すだけでも。。と思っています。


 いままで、あんまりそういう人たちに協会のことが
 知れ渡ると逆に問題が生まれたり、ややこしいことになったり、
 協会を閉めなくてはいけなくなるかもしれないって
 いう恐怖心があって
 (別の組織の人が、私のしていることは法律に反するからあなたの
  持っている予算をうちの組織に全てよこしなさいって
  勉強小屋にきたことがあったりした。。)
 
 躊躇してしまっていましたが、
 アルバイトしている塾みたいな学校が
 長い夏休みに入るので
 やっとやっと時間の余裕もできそうなので
 試してみようと思います。

 本当にご参加してくださったかた、
 ご寄付をなさってくださったかた
 日本がとてもたいへんなときに、
 遠くここに住むかたたちの援助を、
 と思ってくださって心からお礼を申し上げます。
 
 みなさまの暖かいお気持ちを大切にさせていただきながら、
 何が一番少しでも亡くなっていってしまう子たち人たちを減らせて
 みんなの今の暮らし、将来に役に立てるのか、 
 もし自分が彼女たち、子供たちの立場だったら
 を常に頭にいれて活動を続けさせていただきたいです。

 本当に本当にありがとうございましたっ。
 
 
写真。

 勉強小屋で犬を飼いはじめました。
 イスラム教の家庭の子が多いし、
 最初はみんな怖がっていたけど最近は少し平気です。
 みんなが少しでも自分より弱いものを大切にする気持ちが
 持てればと思います。
 

 でもここでは狂犬病があるので、
 「石を投げたりする必要はないけど、
 知らない犬に近づいちゃだめだよー」
 とは言っています。










栗山さやか | お知らせなど | comments(8)

フロリンダさんのこと


  協会では、新しい女性が勉強小屋にきて
 名前を登録するときに、
 まず彼女たちの家の状態、状況、
 子供たちの数、等を考慮して、
 勉強小屋での勉強に参加を決めます。

 人数が増えすぎてしまうと予算的に厳しいため
 ここで暮らす人々の中でも更に貧しい人たちを。。と思っています。

 協会に通ってきている女性は、勉強小屋がある貧しい地区の人たちが
 多いのですが、離れた地区から通ってきている人たちもいます。

その中でもとても離れた地区、歩いて片道2時間はかかるところから
通っている女性がいました。

彼女の家の確認に行くには、待ち合わせをしても
ここの貧しい人たちはもちろん、時計を持たない人たちなので
太陽のなんとなくの位置で待ち合わせをしたりします。

彼女はかなり前から、勉強小屋に通っていたのですが、
家がとても離れていたし、時計を持ってなく何時っていう感覚が
あんまりない彼女との待ち合わせがうまくいかず、
登録がかなり遅れてしまっていましたが
それでもやっとこの間の月曜日、
初めてプレミオがもらえる日で楽しみにしていました。

出席カードに10日分のスタンプがたまったら、勉強小屋で習ったことの
口頭テストを出してそれに受かったらプレミオがもらえる仕組みです。

「やっとプレミオの日だー。空のペットボトルもって来なきゃー(プレミオのひとつの
1Lの油入れるため)。 無事テスト受かるといいなぁーー。」って
楽しみにしていました。

「じゃぁ月曜日にねー。」と言って別れて、
でも月曜日に彼女、勉強小屋に来ませんでした。

おかしいなぁっあんなに楽しみにいてたのにどうしたのかな。。って心配していたら
彼女がブッシュ中で遺体で発見されたって連絡が来ました。

誰かに毒を使って殺されてしまったらしいとのことでした。。

ここでは、警察も人が殺されても犯人を見つけ出すことは
かなり難しく、指紋とか足跡が、などの調査はしないと聞きました。


道などに監視カメラはないし、目撃者がいないと結局犯人はわからずじまいで
そのままになる場合がとても多いと聞きます。

首都では一応指紋調べたりするらしいと聞きました。


首都に住む富豪層の現地の友達が、
殺人事件かなにかのハリウッド映画をDVDで見たようで

「指紋とか足跡、髪の毛、体液など調べたり、
 殺された部屋中を何人もの調べる人たちが
 慎重に何日もかけて調べてて、とてもびっくりしたよ。

 
 人が1人殺されたらそこまで調べるの?
 あれって本当?」と聞いてきたこと思い出しました。

彼女を殺した犯人も見つからないままです。

以前、家探しを必死にしていたときに、なかなか家が見つからなくて、
別にわらの屋根の家でもいいかなと思い、一緒に働いてくれていた子に話してたら、

「やめたほうがいいよー。絶対。とたんの屋根にしなきゃ。わらの屋根だと
誰かに恨まれたりしたときに火つけられちゃうから。」と。

協会の女性たちもみんなわらの屋根の家に住んでいるので、
何か揉め事がだれかとあったときに、
わらの屋根に夜、放火をされてしまったって話も聞いたことがありました。

人を殺せる毒もここでは簡単に手に入るようで、

「誰かが料理してくれたら絶対、
その料理してくれた本人と一緒に食べないとだめだよ。
毒が入っているかもしれないからね。」 とも。

みんな誰かに呪いをかけられることをとても怖がっていて、
人を信用することがかなり難しい気がします。

この殺されてしまった女性、いつも同じ布を身につけていて
とても貧しい生活をしていて、一生懸命片道2時間以上かけて
通ってきてくれたのに。。

彼女の娘さんが、彼女の代わりに勉強小屋にこれから通う予定です。
彼女が受け取れなかったプレミオ、彼女に明後日渡す予定です。

写真

協会の男の子たち。





 

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(3)
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