自分の贅沢


  
  私の住んでいる町は、首都から2500kmほど
 離れていて、一番遅れているださい州だって
 発展している別の州の人たちに言われていますが、
 私がはじめてこの州に来た4年前よりも
 すごい勢いで発展しています。
 
 どんどん発展して大きくなっている町の中心部と
 その周りに広がる貧しい人たちが住む地区があって、
 町の中心部には、信号機とかエレベーターとか、
 自動ドアとかはありませんが、
 それでも限られたほんの一部の裕福層のかたたちは、
 オーブンとか電子レンジを持ってたり
 (掃除機とか洗濯機はまだみたことないですが)
 そこまで日本と変わらない生活をしているかたたちもいます。


 町の中心部は、ATMがある銀行が4つも出来て、
 車だってたくさん走っているし、大学だってあるし、
 ほとんどのものが揃う大きなお店もあるし、
 インド人のかた経営の高級スーパーマーケットは
 レジでなんとバーコード!使ってます(商品の値段高すぎて
 ほとんどお客さんいませんが。。)
 高級ホテルもあって、(1泊1万円ぐらいもするようです。)
 アフリカ人以外の外国人のかたたちも
 かなり見かけるようになりました。


 かわいいカフェもできて、
 (壁に薄型テレビ!があってCNNも見れます。)
 そこでおいしいピザも食べれます。
  なんて高価でおいしい食べ物なんだろうって
 思いながら
 1枚800円もしてしまうので数ヶ月に1回の楽しみです。
 (食べ終わったあと、なんて贅沢をしてしまったって
 後悔してしまいますが。。)


 ですが、ほとんどの人たちが住む、
 町のまわりに広がっている地区は、
 みんなわらの屋根とどろ壁でできた家で
 電気も水道ももちろんなく、炭を買うお金もなく、
 ほとんど何もないとても清潔とはいえない家で、
 家の中の床もどろを乾かしただけのものです。

 ブッシュの中から集めてきた薪で
 火をおこして何とか手に入れたはっぱやお豆を
 使い古しすぎて底にもう穴が開きそうなおなべなんかを
 大切に使ってお料理したり、 寒くないように暖まったりしています。

 

 同じ町になのに生活状態に100年以上差がある気がして
 いつも考えさせられます。

 

 自分の生活も
 眠る場所とどんな食べ物でもあるだけで充分だと思っていたはずなのに
 少しずつ裕福層のお友達や外国人の友達が増えるにつれて
 影響を受け始めてきてしまっていて, 
 時々誰かが家に遊びに来てくれるたびに
 とてもきれいとはいえなくて、
 なんにもない自分の家の中が
 ずっとこの4年間、そんなこと思う必要ないのに
 恥ずかしく思ってしまったりして、(といっても今は
 前に住んでいた家よりもかなりいい家に引越ししてしまいました。現地の窓もない泥でできた
 貧しいかたたちの家に比べるととてもとてもいい家に住んでいます。)
 
 いつまでも自分の貯金もあるわけじゃないのに、
 数ヶ月前に別の家に移動してから
 家の中にトイレを作り始めてしまったり
 家の中のこまごまとしたものを買ってしまったりして
 すごい贅沢をしてしまっている気がしています。

 
 それと同時に、私は日本で数年間貯めたお金で
 まだここで生計を立てることができて、
 ここで同じ町に住む、たった15円のお金を手にすることも難しいかたたちを
 見ていると自分の恵まれた状態によくわからなくなって
 自分が矛盾しているような気がしてこんな風で本当にいいのかなと
 考えてしまいます。



 この町にはまだ一つも工場はなく、
 会社自体もとても少なく、ほとんどの人たちは畑を耕して生計を立てています。
 ですが、土地の問題もあるし、くわ一本で採れる作物は限られています。。

 この町の近くで、天然資源(宝石とか炭)とかがまた見つかって
 これからどんどん外国企業もやってきたり、会社も増えると思います。

 将来、ここにいる貧しく厳しい暮らしの中で生きる子供たちが、働いてお金を手に入れて、
 飢えや栄養失調に苦しまなくていい日がやってくるように
 アシャンテママに通う子供たちに読み書き、勉強することの大切さ、
 約束を守ることや道徳心をと思って、
 だめなことはだめって怒ったり、
 一緒にわーわーしながら過ごしています。


 写真。 アシャンテママの子供たち。

     1個 7,5円のパンもみんなにはなかなか手がでないので
     協会で受け取れるときみんなとても嬉しそうです。





栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

日本の女子サッカー優勝!


 日本の女子サッカーが世界で一番になって
 本当に感動しています。

 モザンビークでもテレビで放送されていて
 決勝戦の試合、1人ですごい楽しみにしていたのに
 その日の夜停電してみれませんでした・・。

 停電することも最近かなり減っていたので
 まさかの停電ですごいショックでした。。



 でも、携帯電話のメッセージで首都に住む現地の友達や
 ケニアに住むギネアの友達がおめでとうーって
 連絡をくれて日本が優勝したことを
 暗闇の家の中で知って、すごいすごいって1人で
 猫たちに話しかけて喜んでいましたっ。

 次の日、電気が戻って、
 試合の詳細とか選手のかたたちの頑張りを
 インターネットのニュースで読んで
 本当に素晴らしいなぁ。。 と思って、
 震災で苦しい生活をされているかたたちも
 きっととても嬉しくてみなさんで
 喜ばれているだろうなぁと想像して私もますます
 じーんとしています。



 私もまた元気をもらえて、
 自分にできることを少しずつでも
 頑張ろうと思いパワーをいただけました。

 
 
 
 写真 
 1枚目。 村の子供たち
 
 2枚目。  協会で渡した蚊帳の入っていた袋がバック代わりです。

  3枚目。 協会の子供たち、
      バックを買う余裕はないので
      日本の昔の人たちみたいに
      布を使って風呂敷みたいにして荷物をここでも 
      運びます。







栗山さやか | 雑記 | comments(0)

辛かったときのこととアナのこと。

 
 2年以上ぶりぐらいに昔の現地のかたの知り合いに会いました。
 私をみて、
 「あなた、前よりふっくらしたね。
 前会ったときは病人みたいだったのに。」と言われました。

 日本に住んでいた頃は、体重計が家にあったから
 お風呂上りに毎日体重チェックして、体重が増えた減ったで
 一喜一憂していた気がしますが、
 日本出てきてからほとんど体重計に乗れる機会もあまりないです。


 なので自分が太ってんだかどうなのかもよくわからなかったですが、
 2年ぐらい前、本当にまいることがあって、
 食べ物がしっかり食べれなくなったことがありました。


 いつだったか
「文化も考えかたも全然違う別の国で
 一人で長く生活して本当に難しいのは、
 あんまり落ち込み過ぎないように
 自分の感情をコントロールし続けること」

 って聞いたことがあって、
 そうかもしれないなって思っていました。

 ブログを作ってくださった
 中国に長く住まれているふじもとさんも、

「中国に住み始めて最初の2年ぐらいは
中国の人のことが嫌いになるばっかりだった。
でも自分にとってプラスになるように見ることをして、
我慢とか辛抱よりは、そこにある流れをつかんで、太極拳を
している人のように流れと一体になるといいよ。」と
アドバイスをくださって。



 前にアナ(この町に住んでたアメリカ人の友達)が
 働いていたここの現地のNGOのこと書きましたが、
 アナはもともとアフリカにくる前、
 アメリカの赤十字で、いいポジションで働いていました。

 でもどうしても、アメリカのきれいなオフィスの中じゃなくて、
  アフリカの現地で働いてみたいって思って
  アメリカの政府のボランティア(ピースコープ)で
  この町に来ていました。


 アナの家はしっかりきれいでしたが(家賃12000円)
 おトイレは外で穴トイレでした。
 
 夜は危険なのでアナの家もバケツトイレでした。

 私のうちは洗面器トイレだったので、
 中腰になってする小さなバケツトイレに私はなかなか慣れてなくて
 よく尿がバケツからはみ出してしまい 床に飛び散って一緒に拭いてくれたりしました。
 懐かしいです。。
 
「 どうしてもアフリカをこの目で見たくて、
 赤十字の仕事辞めて、ボランティアでいいから
 現地で働いてみたいって思ってアフリカに来たの。

 最初はナミビア(南部アフリカ)で2年働いて、
 プロジェクトも成功してすごくいい時間が過ごせて、
 もう1年だけアフリカにいたいって思って
 延長してモザンビークにきたの。

 でもモザンビークはナミビアとは、全然違った。

 私ポルトガル語話せるからモザンビークでは
 現地の人ときっとたくさんコミニケーションできるって
 すごく楽しみにしていたのに。。

 NGOで一緒に働いている人たちの
 お金の横領も本当にひどい。


 いつでもどこでも知らない人たちにじーと注目されること、
 お金を貸してほしいと色々な人から頼まれること、嘘を何度もつかれること、
 危険でいつもびくびくしていないといけないこと、
 外を歩いてるだけで知らない人たちから
 いきなり死ねって叫ばれること。


 肌の色が違うからって道も歩いてちゃいけないのかなって気分になる。。
 生まれて初めて人種差別される側の立場に立ったって思っちゃった。。

 小さないやなことが全部積み重なって
 毎日毎日すごくストレスに感じるの。

 同僚たちと彼たちのお金の横領の件で私揉めているけど、
 お金使いこんでる一人の人、に何かの罪で昔、刑務所に入っていたことがあった人ってことも聞いたよ。

 もし私が彼に殺されて、
 ここの奥地のどこかのブッシュの中に埋められても誰にも発見されるわけないしね。


 さやか、実は私ね、
 今はもう人助けなんてどうでもいいって思っちゃうの。
 私、子供たち大好きだったのに、
 今はもう、ここの隣の家の子供の泣き声が
 聞こえるだけでいらいらしちゃうの。
 アメリカにいたとき、
 あんなに何年もアフリカの貧しい子供たちを
 助けれたらってずっと思っていたのに。。

 私、今の自分大っ嫌い。
 私はなんのためにここにいるんだろう。。。」


 二人で自分たちがどうすればいいのか
 よくわからなくなって落ち込んでいました。


 アナは、お金を横領を続けるひとたちに
 はっきりそれはいけないって伝えたから、
 どんどん一緒に働いている人たちから避けられるようになって、
 仕事に行けない状態に最後はなってしまって。

 契約期間を早めてアメリカに戻って行きました。


 最後の日空港まで見送りにいって、
 二人で涙目になりながらバイバイしました。

アメリカに帰ってからしばらくして彼女がメールを送ってくれました。

「安心がある毎日がすごく幸せだよ。
 家族と信頼できる友達に囲まれて生活できることがどれだけ
 ありがたいかわかったよ。
 
 モザンビークにいたのときの私は
 とても幸せなんて思えなくて
 まだあんまりモザンビークでの生活してたあの時期のこと、
 どう表現していいかわからないけど勉強になったんだと思う。

 人助けなんてことはちっぽけもできなかったけど。。
 これからは自分の人生を大切にしたい」って。


 あれから2年以上経った今でもよくメールや電話をくれて、

 「ねぇ、さやか、大丈夫なの? 危険な目にあってない?
 アフリカで貧しい人たちに囲まれていても
 自分の安全と幸せを一番に考えることは罪じゃないからね。
 まず自分を大切にしてあげてね。。。」って。


 私も今からちょうど2年ぐらい前も
 また本当に傷ついて悲しいことがあって
 ますますまわりの人たちに対して人間不信になったことがありました。


 1ヶ月以上ものがうまく食べられなくなり、
 食欲が全くないから、自分でもわかるぐらい体力もなくて、
 この時期、なかなか眠ることもできなくて、やっと眠れてでも
 夜中に何回も目を覚ましてまた眠れなくなっていました。


 毎朝、布団の中で目が覚めるたびに、
 また1日が始まっちゃうんだって、
 目が覚めてしまったことに本当にがっかりして
 何も考えなくてすむから
 ずっと眠っていたかったっとまで思っていました。

 まだ生きていれて健康なだけどんだけ恵まれているか
 もう十分過ぎるほど、
 アフリカにきてからわかっていたのに
 それでもこのときは、異様に精神的にやられてしまっていました。

 モザンビークで生活するようになって、
 自分の性格がどんどん悪い風になっている気が
 もうずっとしていたときも長くありました。(今も時々ですが。。)
 

 誰に対してもすごく疑い深くなってしまったし、
 はじめて会う人を見たらまず怪しむところからはいるようになって。


 そういう思考回路になってしまってる自分がすごい嫌で、
 あんまりに脅されたり、騙されたり、嘘つかれてばかりの環境にいると、
 さらに被害妄想もマイナス思考も大勃発していました。


 自分もいつもなんでも正直かと言ったら、
 そうでもないのに。

  昨日、この辛かった時期にあったきり
 ずっと会ってなかった彼女に会って
 一気にアナのこと、自分が精神的に辛かった時期を思い出して、
 今でもあのときのことを思い出すと心臓がどきどきします。

 
 でもあのときがあったから今があるんだろうなぁとも振り返ってみると思えます。


 坂之上洋子さん(http://blog.sakanoue.com/)の本にも
 書いてあったように

 Even the hardest experience will turn out to be a great memory."
「どんなに辛い事でさえ必ず懐かしい想い出になるよ」

 その通りだなぁと思います。


 どこにいようと何をしていようときっとみんなそういう経験をして
 生きていくものなんだろうなぁと思って、
 まだ生きている時間を大切にしていかないといけないなぁと
 改めて思いました。

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

朝日新聞さん。

 


  とても嬉しいことがありました。
 本当は、前に書きたかったのですが、
 コンピューターの調子も悪く
 またご報告が遅くなってしまいました。

 なんと8日の日の朝日新聞さんの朝刊に
 私たちの協会のことを載させていただけました。


 朝日新聞さんのかたが私の母にお電話までしてくださって、
 母からとても喜んでいるメールが来ていました。


 朝日新聞さんは、毎年7月にアフリカ特集の記事を載せているようで、
 今回はその一部として扱っていただけたようでありがたいと心から
 感謝をしています。

 本当に本当にありがとうございます!!



 今は一年で一番寒い時期です。
 最低気温4度ぐらいだと思いますが、トタン屋根だけで
 天井がないからかすごく寒くて隙間風も身にしみます。
 家の中でもとても寒くてぶるぶる震える日々です。

 特に寒い夜は、雪だるまみたいなるぐらいたくさん服を着込んで
 靴下も二枚履きして20円で買ったなかなかかわいいマフラーをします。
 家の中ですが、ゴムの黒い長靴(履くと温かいです。)
 がぼがぼ履いて過ごしています。


 防寒ができるだけの暖かい服を持っている私は
 とても恵まれているなぁと
 現地の貧しいかたたちを見るといつも思います。

 アシャンテママの女性たちで
 毛布がなくて寒くてどうしようもないから
 プレミオで配給した蚊帳をかぶって寝ているかたたちもいます。


 特に病気のかたたち子供たちには
 毛布(安いもので540円からです。)の
 貸し出し支援をさせていただこうと思います。
 子供たちには上着(140円〜)をと思っています。


写真。


協会の子供たちのおうちの写真。

2枚目。右側に協会のプレミオで取り付けたドアが少し写っています。
協会の1人の女性、私と同じぐらいの年ですが、
6人の子供たちがいて最初の旦那さんは亡くなってしまって、
その後は彼氏ができても
妊娠したのがわかったらその彼たちはどこかに行ってしまったりして
残された子供たちを1人で育てています。

ここでは特に女性が仕事を見つけることがとてもとても難しいので
子供たちが飢えに苦しまなくていいように
こういう彼女たちの収入にと思って出来る仕事をしてもらっています。















 

栗山さやか | お知らせなど | comments(4)
このページの先頭へ