子供たちが政府の学校へ通い始めたこと。


  今は新しい新学期の時期です。

政府の学校へ通うための協会の子供たち85名分の学校登録を
無事にやっと終えて
みんな、政府の学校に通い始めました。

協会の子供たちを政府の学校に・・って1年ぐらい前から
望んでいたことがやっと実現することができてほっとしています。


ここでは、小学校5年生までなら法的な書類がなくても
暗黙の了解(のようなもの?)で学校に通うことが出来て、
小学5年生までなら教育費は無料です。

ですが、最初に学校に登録するときに、子供一人につき、
登録票を一枚提出しなくてはいけなくて
その値段が一枚30円です。

登録票は、そこらへんで売っていて、子供たちの家族が自分たちで
買ってきて記入して学校の登録所に持って行って登録手続きになります。


その登録票代の30円が難しかったり、
(子供が6人いる女性は全部で180円もしてしまいます。)
あとは、登録票は、子供の名前や親の名前等を書いて
提出しなくてはいけないのですが、家族中や近所のかたでも、
誰も読み書きができる人がいないがために
登録票記入が出来なくて諦めてしまったりします。

あとは何よりも子どもたちを学校へ通わせることに全く関心がなかったり、
学校に通わせるよりも、水汲みや薪拾い、小さい他の兄弟たちの世話、
あとは近所の家で仕事をさせて
お金を稼がせたほうがいいに決まってるって思っている家族の人たちもまだ多いです。

内戦の影響や、学校がもともとなかったのもあって、
自分自身が学校に通ったことがないから、
学校に通うことの大切さや、
学校とは何かを知らない家族のかたたちがほとんどのようでした。


勉強小屋で女性たちに子供が学校に行くのはとても素敵なことって
色々具体例を出して学校に通わなかった子の将来と
学校に通った子の将来を一緒に想像したりしてきました。
今回協会の子供たち、無事に通えることが出来て一安心しています。


鉛筆(1本4円)やノート(よれよれの一番安いもので13円)も新しく渡して
みんなとても大喜びでした。



ですが学校へせっかく通っていたのに
学校へ行くのを辞めてしまう子供たちも多いです。

その理由はやっぱり、家族に家での仕事やマーケットなんかでずた袋持ちの
仕事をしてお金を稼いでくるように強要されたりします。

「学校なんか行かずに言われたことしろ」って、
ぼこぼこに気を失うまで殴られて亡くなってしまった子がいたり。


あとは
いつもいつもお腹がすき過ぎて、
一日たったの3時間の学校の授業、我慢ができなかったりします。
(たったの3時間のわけは、教室の数も先生の数も足りないし
 もちろん政府も予算がなく給食も存在しないです。)

子供たちを見てると、栄養失調やフックワームの症状のひとつで
異食症(先進国の人たちにも貧血等が原因でなるかたがいます。)になって、
地面の砂とかわら、灰を 無意識に食べたりしています。

数年前、ここでも雨が全く降らなくて農作物が取れなかった年があって、
そのときみんなお腹を少しでも満たしたくて灰くずをお湯に入れてお茶みたくして
飲んだりしていたよってことも前に聞いたことありました。

学校で給食を食べさせてもらえる国はやっぱり本当に限られていて
給食の大切さを考えさせられます。

自分が小学生だった頃、食べ物が学校で食べれて、
おかずも何種類かあって、牛乳までついてて、
あれはすごいことだったんだなぁって改めて思います。。

政府の学校は朝10時半からはじまるので、
週に2日、朝7時半に子供たち勉強小屋に集まって勉強して、
それからみんなで朝ごはんの野菜たくさんの温かいおかゆを食べて
みんなを政府の学校に送り出します。


今まで一度も学校へ通うチャンスがなかった15歳の子ぐらいの子達も、
小学1年生として嬉しそうに学校に通い始めてくれてとても嬉しく思います。

女性たちに相談を出来る場所と
正しい知識、自分で収入を得る手段を、
子供たちには、少しでも飢えない日が増えるようにと、
教育を・・と思っています。


みなさんの温かいご協力をひしひしと感じて活動させてもらっています。









栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

泥棒と警察のこと


  この間もうちのすぐ近所のおうちに夜、
 泥棒2人組みが入りました。


 でも家族15人ぐらいで住んでいるおうちだったから
 みんなでぼこぼこに殴って撃退したっと聞きました。

 ここでは、もし警察に泥棒や強盗を引き渡せたとしても
 捕まった人たち、お金をこっそり払って見逃してもらったり
 警察に知り合いがいたりしてすぐ釈放されることが多いとみんな話しています。
 あるいは報復が怖くて、証言者がおらず、証拠不十分で釈放されてしまうケースがとても多いと聞きます。

 そして釈放されてまた強盗や泥棒を繰り返していると聞きます。

 別の州に住むインド人の友達の会社に泥棒が入って、
 コンピューターとか色んなもの盗まれたときに、
 インド人の友達、急いで警察に行ったら
 警察の人に「あんた外人。金あるでしょ。また買えば。」と言われたそうです。。



 中国人の友達も、前に強盗に入られて、
 警察の人たちに来てもらうために車で迎えにいったそうです。


 その場所に連れて戻ったら、警察の人たち、

 

 「ここに入った強盗たちは
 また今夜ここに戻ってくる可能性が高い。


 私たちが朝までここにいてお前たちをガードしてあげる。
 値段は一人当たり10万円。
 6人いるから60万円払って」と言われてしまったと。。

 他の中国人のかたも、
 一度銀行から100万円ぐらいを下ろした帰り道にお金盗まれてしまったそうです。


 でも警察が犯人たち、国境で捕まえることが出来て、
 この州の警察は優秀だーってラジオでも放送されたそうです。

 
 実際は、犯人たちは捕まえれたけど、
 警察が30万円分ぐらい?をしっかり抜き取って
 残りのお金は返してくれたみたいです・・。

 しっかり真面目に働いている警察のかたも
 たくさんいると思います。

 

 ですが、現地のみんなも警察を当てにできない場合も多いので、
 現地の人たちは自分たちで強盗たち捕まえて
 集団リンチを加えたりします。

 強盗たちに火をつけて焼き殺してしまうのは、
 昔は毎日のように国全体であったようですが、
 今は時々ニュースで聞くぐらいです。

 その燃やしかたは、
 使えなくなった古いタイヤ?とかを強盗たちの首にかぶせて、
 そのタイヤの内側にガソリンとかが流し込んで、
 火をつけるそうです。


 うちの近所では、人の家からタライを泥棒した人、
 小さな女の子が持っていた、トマト代の20円を奪われてレイプされそうになったときは、
 犯人は、近くにいた人々に裸にされて殴られているをみたことがあります。
 

 交通事故で人を跳ねてしまった場合、
 車運転していた人たちは、
 警察に捕まるのが怖いのではなくて、
 それよりもその周りにいた人たちに、
 集団リンチで殺されるのが怖くてそのままその場から
 ダッシュで逃げることもあるそうです。



 前にも少し離れた村で、
 子供を轢いてしまった事故がありました。

 

 運転手さん子供死んでしまったと想い、
 みんなからの集団リンチを恐れて、
 車はそのままそこに放置して、
 自分はブッシュの中に何も持たずに逃げ、
 2,3日ブッシュの中をさまよっていたそうです。


 村にまた食べ物を求めて
 こっそり戻ってきたときに
 子供の命は助かったことを知って安心して

 警察に連行されていったみたいです。

 泥棒や強盗にやられるばかりではなくて、
 みんな自己防衛や仕返しもします。

 私の友達の家のお手伝いをしていてた男の子が
 2万円ぐらいのお金を家から盗んでしまって、
 大激怒した友達のお兄さんが、
 その男の子の足に火をつけて燃やしてしまっていました。

 一緒に働いてくれているベニルデの叔父さんも、
 強盗に夜、家までの帰り道で襲われて、
 襲われた棒みたいなのを
 強盗から奪いとって殴り返したそうです。

 

 次の日その強盗その場で
 死んでいて自分が殺したこと知ったっていってました。

 あとはアイロンを使用するとも聞きます。


 強盗に入られた女性が、
 強盗を家族みんなで捕まえて、
 その場で強盗の体をアイロンがけして
 制裁を加えたっていってました。
 強盗、おおやけどを負ったみたいです。

 英語を教えていた学校の生徒の子達とも
 強盗について休み時間話していたら、

 12歳の女の子が、

 

 「うちの家にも強盗が夜入って、
 家族のみんなと追い出したよ。
 私もきね、(太い棒)で強盗殴ってやっつけたよ」って。

 あとこの町で聞くのは、
 強盗を捕まえて、強盗たちの両耳の中に
 缶のコンデンスミルクを少し流し入れます。
 そうすると、10歩も歩けずにそのまま倒れて死ぬっと言われています。



 強盗や泥棒のことは書き出したら
 止まらなくなりそうです。。


 今回とても悲しい報告がありました。

 
 ベニルデが別の州から今日戻ってきました。
 
 先週、彼女の親戚のおばさんとその2人の子供たちの家に
 強盗が入って3人とも遺体で発見されて。
 
 12歳と8歳の男の子たちの性器は
 切断されて持っていかれてしまっていたそうです。

 襲われた次の日の朝、近所の人たちが発見したとき、
 まだおばさん生きていて
 病院に運んでもらうように
 何回も警察に電話したけど来てくれたのは数時間後だったようで
 おばさん、治療受けるのが遅れてしまって
 「もし警察がすぐ来てくれたら
 おばさんだけは助かっていたかもしれない」って。
 

 おばさんたちは町から30KM離れた小さな町に住んでいたから
 周りの人たちも車を持ってないし、
 あとは、事件のあと、他の人は勝手に現場を
 動かすと犯人だと疑われるので
 みんな何も出来ずに待っていただけになってしまったようです。

 ここでは救急車の数が足りず、ガソリンなどの経費が足りず?
 救急車を呼んできてもらえる確立は恐ろしく低いと聞きます。


 ベニルデも旦那さんを亡くしていて、
 残された双子の二人の子供一生懸命育てています。


 この殺されたおばさんも去年、

 旦那さんを亡くしてしまったばかりで。

 本当にやるせないと思います。。

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(0)
このページの先頭へ