写真です。

薪運びしています。
集落です。
友達のお母さんのおうちです。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(1)

家に入る泥棒のこと

  アフリカの人たちは平均的に夜寝るのがとても早いです。
 日が落ちて暗くなったら眠って、
 朝,太陽が昇る前に少し明るくなってきたら起きて。 
 町の人たちでも夜8時、9時には眠っている人多いです。

 ですが夜に、学校に通っている大人のかたたちいます。
 (内戦の影響で昔みんな学校に通えてなかったので
 40代のかたで今中学校に通っていたりもします。)

 学校の教室の数が足りないのと、先生の数が足りず
 朝、昼、夜、って分かれて学校に通ってます。

 夜の部に通っている人たちは夜6時から夜9時ぐらいまでです。
 その帰り道に襲われてしまったりするので
 みんななるべく集団で帰ったりしています。

 路上の飲み屋さんや遅くまでやっているようですが、
 夜9時過ぎると歩いている人ほとんどいないです。

 日本の窓には鉄格子がないのが、
 他の海外の国と比べてもすごいことだと思います。
 見張りの人もいず、ガラス窓だけで
 誰も割って入ってこない国は
 やっぱりまだ平均的に安全なんだろうなぁってふと思います。

 日本で、夜中3時でも平気で歩いて一人で
 コンビニいってたのが懐かしいです。

 ここでは、そういうのもあって貧しいかたのおうちには
 窓ないおうち多いです。(鉄格子代がかかるので)
 私が前住んでた部屋も窓なくて昼でも部屋真っ暗でした。

 家の中にいて一番怖いのは、
 家の中に押し入ってくる強盗の人たちです。

 私の家のドア、私でも体当たりすれば
 倒れそうな弱々しい薄っぺらいドアだったし、
 家の鍵も盗まれちゃったし、
 ドアやっと替えました。木でできていますが
 すこし今回のは厚みがあります。嬉しいです。

 鍵も小さい南京錠だけだったのですが、
 こんなの1分で包丁でだれでも壊せるよって言われて、
 別の鍵に換えました。

 うちから歩いて30分ぐらい歩いたところに
 住んでる女性のお宅に6、7?人組みの強盗が入って、
 その日の夜、たまたま旦那さんは、別の町にいっていて、
 奥さん一人で家の中で眠っていて、
 その強盗たち家の中のもの、服とかお皿とか全部奪って、
 奥さんの腕、刀で切り落とそうとして、
 でも骨が太くて切り落とせなくて、
 その代わり指を2本切り落としていって、
 奥さんはまだ病院にいるようです。

  このお宅、電気もなくわらの屋根の小さなおうちだったのに、
 旦那さんがいないことを知ってて強盗たち入ったぽく、
 犯人、たぶん近所の誰かじゃないかってみんな言ってました。。。

 私の友達のお母さんは40kmぐらい離れた村に住んでいます。
 人づてにそのお母さんのうちに泥棒が入ったって
 情報が入りました。

 急いで友達のお姉さんと一緒に、食べ物持って
 その村に行ってお母さんの話をきくと、
 朝起きたら家の中のものが無くなっていたよって。
 お母さんは目を覚まさずそのまま眠っていて襲われず、
 怪我も負わず大丈夫でした。

 でもやっと畑で取れたとうもろこしや、お豆
 炭、油、お砂糖、服、お皿なんか
 盗まれてしまって、すごく悲しがっていました。

 そのこと近所のひとたちに話すと、
「お前は食べ物に困っていないからだ、、」って
 言われたと・・・。

 お母さん一生懸命毎日朝から晩まで、
 一人で畑耕して生活していたのに。。
 おうちだって、6畳ぐらいの大きさの
 一部屋のわらの屋根のおうちに
 お手洗いはなしで、家のまわりに穴掘って用を足す生活です。

 この近所の人たちが犯人なんじゃないかって
 思ってしまいました。
 なんでこんな怖い思いをした人に
 平気でそういうことを言えるのか
 本当にいつもひどいよーって思って不思議でたまんないです。

 こういう家に入る泥棒や強盗、
 特殊な水を使って入るって言われています。

 お母さんの家は木の枝重ねただけのドアで、
 鍵なかったっていうのもありますが、
 他の家でも、鍵がしっかりあっても壊されたあともなく、
 朝、目が覚めると
 家中のものが盗まれてなくなっていたり。
 
 自分が寝てたベットや布団まで
 盗まれていて自分は部屋の地べたで
 ほっぽり出されて何にも気づかず、そのまま朝まで寝てて。

 家のドアや洗濯物干すひもなんかも
 なんでも盗まれてしまいます。

 クロロホルムとかつかってんじゃないのかなーって
 思ってしまいますが。。

 でもここのみんなの話では、
 「誰かの遺体を洗った残り水使ってる」と。。

 ここでは、人が亡くなるとその亡くなった遺体を洗います。
 その洗ったあとの汚れた残り水をこっそり盗み、
 その水を泥棒に入りたい家の回りに夜撒きます。

 そうするとその家の中にいた人は朝まで何をされても
 目が覚めずに
 死んだように眠ったままになると言われていて。。

 亡くなった人の遺体を洗った水は、買うこともできて、
 病院のとなりにある遺体保管している場所で働く人たちが
 その汚れた水こっそり売ってるっていう噂もあります。


 家族15人とかいたのに、誰も目を覚まさず、
 朝起きたら家の中にほんの少しの盗まれずに残った物たちと、
 自分たちだけいたって話よく聞きます。
 怪我とかなくてよかったって思いますが、やっぱり家財道具一気に
 盗まれるショックはとってもとっても大きいと思います。

 「ドア替えて鍵つけたらどうかなっ」て友達のお母さんに聞くと、
 「鍵があってもなくてもおんなじだよ。
 魔術でどうにでもなるから。」

 それから友達のお母さん、魔術医さんのところへいって、
 泥棒が入らないための怪しげな薬を買ってきて、
 「もうこれで誰も一歩も入らない、
 入ろうとした人の足はその場で捻じ曲がるから、
 もう大丈夫っ」て、はりきっていました。

 確かにそれから数ヶ月経ちますが、
 変わらず鍵のないおうちですが、
 誰もはいってないそうです。

 しばらく行ってないのでまた様子を見にいってきたいです。


 

 

写真。 友達のお母さんのおうち。
    畑へ行くときは、右下に写ってるとげとげ枝をドアの前に
    置いて鍵の変わりにしてます。


    友達のお母さんの住む集落。
 

    枝運び。

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(0)

友達が帰国してしまったこと

 
 一昨日の朝、アメリカ人の友達(ジーミー)見送りに行ってきました。
 彼は、キリスト教の布教のためにモザンビークに来ていて、
 この町に1年とあと別の州に2年、全部で3年間モザンビークにいました。

 3ヶ月前に知り合ったばかりですが、
 3日に1回ぐらいのペースで会って色々話してたから、
 昔からの友達が帰っていってしまうみたいでショックでした。

 彼がうちに迎えに来て、
 段ボール箱4つ分のもの、「家にあったものだけど、よかったら使ってね」
 とくれました。

 小さい空港までみんなで見送りにいって、、
 あぁ、とうとう本当に行っちゃった・・ってとぼとぼ家に帰ってきて、
 彼がくれた段ボール箱、開けてみたら、
 ずっと欲しかったけど、我慢して買ってなかった、たくさんのもの、
 フライパン、ジャム、マーガリン、胡椒(500円以上する)、
 缶詰の食べ物、フルーツジュース、トイレットペーパー、紙ナプキン、
 肌に塗るクリーム、日焼け止めクリーム、
 綿棒、ふかふかしてるタオル、などが入ってました。。
 どれもこれもありがたすぎて、涙がでそうでした。

 前にも私の家にボロボロの木の小さい机とプラスチックの椅子しかないのみて、
 彼が持ってたふかふかした椅子を安く売ってくれました。
 (ここではソファー3万円ぐらいする)

 彼はキリスト教の布教(カトリックじゃなくて、プロテスタント)
 のための仕事をしていて、
 彼の家は、お風呂もシャワーもおトイレも(普通の座る洋式の)
 家の中にあって、広いリビングルーム、台所も普通の水道もあるキッチンで
 オーブンまでありました。
 アメリカの一軒家という感じがしました。
 彼の家は激高家賃、7万5千円と聞き、納得できました。

 彼がうちに初めて遊びにきたとき、目が点になっていました。

 いつも「さやかがこんな家に住んでいることも驚きだし、
 しかもそれで普通に生活してて平気なこともまた驚きだよっ」て。
 日本人なのにねぇ。ってよく驚いてました。

 でも私の今住んでいる家、台所の屋根はわらで水道も井戸もなく、外は屋根のない場所で穴トイレですが、

 家の部分屋根はわらではなく、トタンで、壁は崩れている場所もありますが窓もあり、電気だって通ってるし
 外に物置小屋もあります。裏庭もあるし
 家賃3千8百円にしてはとってもいいと思います。

 それに現地の貧しいかたのおうちに比べたら
 すっごいいい家で贅沢だと私は思いますが、
 外国人の友人たちにはだいぶ驚かれます。

 ジーミーよく、「モザンビーク3年いたけど、
 ここの人の雰囲気や考え方、みんな嘘ばっかりつくこと、
 道歩いてるだけで暴言はかれたりすること、肌の色が違う=金!なること、
 全然自分には合わないし、我慢ができないよ。ここにこのままいたら
 頭も心もだめになりそう、ここにいると自分がどんどん
 いやなやつになってる気がする。」ってこぼしてました。

 しばらく6ヶ月間の休暇でそれから今度は
 ブラジルで布教の仕事をするつもりって。

 彼から色々キリスト教のことも教わりました。
 ジミーに「どうして、世の中こんなに不公平なのかな。」
 って聞いたことがあって
 その答えがきっとこの本にあると思うよって2冊の本をくれました。
 まだ読んでいる途中ですが読み終わるの楽しみです。

 昨日から、ラマダンの月に入りました。
 (イスラム教の太陽が出てる間は、30日間、断食、水も飲んじゃだめ)
 朝、一緒にボランティアしてるモスリムの女の子が、
 「ジェジュ(断食)はじまったよ。
 家にいると、水飲みたいとか食べ物のこと
 ばかり頭に浮かんじゃうよー」って。

 「つばも飲んじゃいけないって聞いたことがあるけど本当?」って聞くと、
 「いつもつば吐いてたらたいへんだよ。それはしないよって。」

 うちのすぐとなりで近所の人たち大勢集まって、
 ラマダン開始の儀式みたいなのやってました。
 
 この町はまだ寒いからいいですが、去年、別の暑い町にいたとき、
 気温37度なのに、日中、水も飲めなくてみんなすごく辛そうでした。。

 ふと、日本にいたときイスラム教で断食をしている人

 聞いたことがありませんでした。モスクも見たことありませんでした。

 モザンビークはたくさんモスリムの方々がいます。昔アラブ商人が伝えたと聞きました。
 フィリピンにもロシアにもたくさん方々がいるそうです。
 
 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

写真です

兄弟です。
一匹は盗まれちゃいました。
こどもたち。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(0)

夜のこと。

 

月に1回聞くか聞かないかですが、
銃声の音で夜中、目が覚めます。

 たぶん、警察や見張りの人が
 強盗とかに発砲しているだけだと思いますが、
 やっぱり怖いです。

 ここの町は、夜暗くなると一気に危険になります。
 現地の人たちもたくさんたくさん襲われています。

 夜9時以降、数人で歩いてても
 大きな刀を持った人たちに
 襲われる可能性だいぶ高いです。

 こういう強盗とか人を襲う人のこと
 なぜかニンジャともいいます。
 (日本語と関係あるのかな。。。刀もカタナっていいます。)

 強盗が銃を持ってて、人を襲うって言うのはこの町では
 聞いたことがないのでそれは少し安心です。

 一度夜9時ぐらいに緊急に病院にいったことがあって
 そしたら私が病院にいた1時間の間に
 別々に3人の現地の人たちが
 襲われてたくさん血流して運ばれてきました。

 一人の女性は、ひざの骨が飛び出てしまうぐらいの
 大怪我で、泣き叫んでいました。

 本当にいつも、友達や、友達の家族や、近所のかたや、
 受け持ってる生徒のご家族のかたなど襲われています。
 
 小額のお金や携帯電話欲しさでみんな人を簡単に襲います。
 他の国みたいに若者の犯罪だったり、
 あと内戦してた頃、兵士として戦っていた人たちが
 国が平和になって仕事がなく、そのまま人を襲うことで
 生計立ててる人たちもいるって言われてるし、
 ただ貧富の差がここでもどんどん出てきてっていうのもあると思います。
 先進国みたいに、お金欲しさに子供が親を殺してしまったり、
 親がお金欲しさに子供を売ってしまったり。

 夜中、どしゃぶりの大雨の音で
 目が覚めるぐらいの日があって、
 次の人朝、
 赤ちゃんを背中に背負った
 下半身裸の女の人の遺体がうちのそばの道端で
 見つかりました。
 
 赤ちゃんは無事でしばらく病院にいて今はもう大丈夫なようです。

 この女の人、その日の夜近所の人に、
 明日食べるものがないから
 仕事してくるっていって、
 男の人がたむろしている
 うちのそばの路上の飲み屋さんにいって
 お客さんを見つけようとして、
 夜、大雨の中赤ちゃん背負ったまま家を出て。

 たぶん、お客さんになった人と
 お金でもめたんじゃないって近所の人たちいってました。。

 うちの近所の7歳の女の子も行方不明になって
 3週間後、別の村で男の人たちと生活しているの見つかって、
 その男の人たち、その女の子を売るつもりだったみたいです。

 目とか鼻とか舌とか性器が切り落とされた死体が見つかったり。
 去年の話しですが、友達のクラスメートの女の子も売春した安宿で
 胸と性器が切り落とされた遺体で発見されたり。

 知り合いの家族も、山の近くに住んでいて、
 夜になるのが早くて夕方6時ぐらい家への帰り道に襲われて
 近くの川で目も歯も舌もとられた遺体で見つかったそうです。

 その体の部分どうするの?臓器売買のためじゃないのって
 聞くと、

 それ以外にも、サメとか、黒魔術のために外国に売られていくんだよって。

 なぜか、サメの体の中には
 高価な石(ダイヤモンドのことみたいです)があって、
 サメを捕るためには、サメの好物の男性や女性の性器が必要って
 言われています。
 あとは黒魔術に使うためって言われています。
 選挙に勝つためには人の鼻を混ぜて作った薬が必要とか。。
 国境でもそのことについての張り紙がはってあるところがありました。

 お腹がすいている人たちに
 札束ちらっとみせて、
 人殺して臓器持ってきたら、
 このお金全部あげるって言われたら、
 そんなお札の束みたことない
 現地の人たち簡単にするんじゃないのかなって。

 警察の人もしっかり指紋とったりとか、現場検証しっかりやっているようには見えないし、
 犯人もとってもみつかりずらいし、適当にあの人でしょーって捕まえたりも
 してるよーって。

 開発や発展も雇用にもつながるし、とても大切だと思いますが、安全対策や警察の管理
 も並行してもっともっとしたほうがいいんじゃないかなぁと思ってしまいます・・。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(1)

近所づきあい

 


 早速、中古で買ったばっかりのコンピューターの調子悪いです・・。


 普通の角度で使うと画面がざーざーになってしまい、

 画面閉まりかけの状態でないと使えず。


 とても使いずらく。。


 ジンバブエ人=教養があって親切というイメージがあり。

 そのイメージを重視して中古品を買ってしまい。。


 ですが、画面閉まりかけの状態ですがなんとか使えるから大丈夫です。
 ネット回線もきてる電気が弱いためか、
 夜遅く(今夜中の3時です。)と朝だけは
 ネットがしっかり使える日が多いです。


 ネットが自分の家でできるだけすごい贅沢だなぁと思いますが、、。

 最近、近所づきあいにもやっと慣れてきました。
 
 前に現地の人たちと一緒に20人近くで同じ敷地内で住んでたとき、
 まだモザンビークに入って少し経ったぐらいのときでした。

  
 誰かに貸したものはほぼ返ってこないし、
 (しっかり返してもらうと逆にとても感激してましたが。。)
 私もたくさん盗まれましたが、一緒に住んでるみんなも、
 すぐ目の前の井戸に水汲みに言ってる間の1分の間に
 部屋の中のものやお金、盗まれたり、夜寝てる間に
  女の子にとったらすごく大切な髪の毛のかつら
  盗まれていたり、いつもみんなで大揉めな日々でした。

 みんな平気ですぐばれる嘘つきあうし。
 このときは小さなことでも、
 とても精神的に参ってました。 言葉も全然まだしゃべれなかったのもあると思います。

 
 外を歩いてると道端でたむろってる人たちに
 じーっていつも見られます。


 すれ違う人たちにも常に思いっきり見られるし、
 他の外国人の少ない国や場所でもそうだと思いますが、
 動物園の動物の気持ちがわかったような気になり。。

 村なんかだと、肌の色が違う人をみたことがない子供たちも多いので
 よく大泣きされたりしてちょっとほほえましいなぁと思ったりもします。

50キロぐらい離れた村に泊まりにいったとき、
知り合いの家の前での火のそばに座って、
さとうきびかじってたら、
村の人たちが100人ぐらい集まりだして囲まれました。


ポルトガル語(公用語)が通じないので
みんなが話す村の言葉、
何言ってるか全然わからなかったけどほのぼのした雰囲気で嬉しくなりました。


村の人たちの反応と町の人たちとの反応は全然違うと思いました。

アメリカ人の友達は、
道で子供たちにあったらすごくびっくりされて逃げられて、
その子供たちお母さんに話しかけてて、
肌の色の違う人をみたことがなかったみたいで
「お母さん、肉が歩いてるっ」って。


 今住んでいる家は、すぐそばに中学校があります。
 毎日そこの前通るとき、
 暇そうにぼぉーと外に座ってる大勢の生徒のこたちに、

 「そこの外人、俺に何か買えー。」「中国人―!」とか
 最初のほうはもう毎日通るたびに、何回もいらいらして。。
 わざとそこ通らないように遠回りしてました。

 学校の近くだけじゃなくて、マーケットの周辺でも体触られたり、
 夕方近くになると散々セクハラ用語を叫ばれるし。
 襲われてないだけまだ全然いいとわかっていますが。。

 朝起きたら知らない人たちが私の家の前で待ってて、
 「あなた外人。お金あるでしょ。お金ちょーだい。」て。

 この家に引っ越してきたすぐ次の日ぐらい、
 家の中を掃除しているときに、頭ぐらいの大きさの小さな窓開けていました。


 窓は、外から中が見えないように布をカーテン代わりにつるしていたのですが、


 いきなり、外から布めくられ、近所の子達に「外人ー死ねー」って
 叫ばれて・・。 しかも何日か続きました・・。
 せめて家の中では差別されずにいたかったって本気で思いました。。

 
 ただからかわれてるだけってことは、わかっていますが、
 毎日毎日だとやっぱきついです。
 今はそういうのにもやっとやっと慣れてきました。
 
 ロシア人の友達は、言い返すみたいです。
 「あなたたちは、とっても黒くてまるで炭ねっ。」・・・。

 今のうちには小さいけどテレビがあるので
 電気やテレビがないおうちの近所の子達が、
 うちにテレビ見せてーってよく来てました。

 でも子供たちでも盗むことを知っている子もここでは多く、
 少し目を離したすきに家の中のもの
 盗まれちゃいます。そういうときはしっかり注意します。

 すぐ隣に住んでいる男性、
 最近見かけないなぁって思ってたら
 知り合いのの家から、くわとか盗んじゃったみたいで
 刑務所の中にしばらくいたと。


 奥さんと仲が悪いようで、奥さんが大声で、
 「殺したきゃ殺せー」って夜、怒鳴ってるのが聞こえてくる夜があり。。


 この奥さんも時々、近所の別の奥さんと道端でけんかしていて、
 自分の履いてた靴、その人に向かって投げてました。

 でも今日、夕方、家に帰ってきたら向かいに住む女の子がうちに来てて、
 生の魚切ったはらわたとかの残りかすの部分を持ってきていて、


 「私の飼ってる犬にあげてって。」とタライにいれて持ってきてくれました。
 うちの犬のこと思い出してくれて本当嬉しく思いました。。

 彼女の家庭はモスリムなのでみんな基本的に犬嫌いだと思います。


 なのにたぶん私が犬好きなの知ってるのもあってか、
 わざわざ気にかけてくれて、じーんとしました。。

 少し前まで近所づきあいって本当に難しい、、って思うことも
 ありましたが最近徐々に慣れてきたように思います。
 
 「家に泥棒が入ったら夜中でも、私に電話していいからね。
 うちの家族15人、総出で助けにくるから」と。
 こんな風にいってもらたこともあり、感謝感謝です・・。
 
 
 犬、大切な番犬になってくれています。一匹120円で買いました。
 お座りとお手覚えました。 犬に話しかけるときは、自然に日本語が
 出てきます。

写真。  もう一匹は盗まれてしまいとてもとても悲しいです。
       
       こどもたち。 

       

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(1)

コンゴ民主共和国出身の友人

 

 コンゴ民主共和国出身で難民として暮らしている友人がいます。
 

 この友人のように、難民として隣国に逃げてきたかたがアフリカの様々な国には多くいると思います。

 モザンビークには難民として、入国してきたソマリアや、コンゴ民主共和国、ブルンジのかたが多いと思います。

 
 逆にモザンビークのかたも内戦のときに、隣国のマラウィやジンバブエに逃げたかたがたくさんいます。

 コンゴ人の友達も、最初は、タンザニアに逃げて、他の大勢の難民の人たちとテント暮らしを5年間して
 それからモザンビークに入国し今はキリスト教のかたたちのところでボランティアをしています。

 お昼ご飯に招待してくれて、一緒に固いパンと温かいお茶を飲みながら、
 いろんな昔の話をしてくれて、「テント暮らしたいへんだったよね。」。ってなんとなく聞くと

 「刑務所の中に何年間もいた気がするよ」と。

 1ヶ月で数キロのしま(主食)の粉(普通1ヶ月一人最低でも15キロぐらいは必要だと思います。)と
 石鹸半分と、少しの油、少しの豆が支給されるだけで。「何をするにも監視されているような気がした」と。

 「22歳から27歳までテントで暮らしていた時、そこで子供も大人もたくさん死んでいったよ。」とも。


 コンゴ民主共和国(旧ザイール)はベルギーの植民地(1885年から1908年まではベルギー国王の私有地だった)で、1960年に独立しました。

 

 公用語はフランス語、その他多くの現地の言語があり、莫大な地下資源に恵まれている国です。

 なのでその地下資源をめぐって何度も戦争が起こり、紛争は今年の2月まで続いて今でも不安定で危険な状態にあり。



 北朝鮮とか中国と友好関係にあるとのことですが、

「コンゴがめちゃくちゃになったのは、欧米諸国のせいもたくさんあるんだよ」と。

 「国際援助なんかもきてるけど、結局誰が陰でこの紛争の軍、援助してるの?どこの国が戦うための武器を売っているの?
 アフリカには武器を作れるだけの工場も知識もないんだよ。」って。
 (とても発展している南アフリカにはあるようですが)

 「コンゴは識字率もとても高いし(約80%)、教育はモザンビークとは比べ物にならないぐらいいいよ。
 モザンビークの人たちの生活は本当に貧しくて驚いていたよ。生活水準もモザンビークと比べるとコンゴはとても高いよ。
 豊富な降水量で、収穫期も年に2度ほどあり豊かな土地だよ。 紛争さえなければ、、」と。

 内戦や紛争が起こったときに、住民の人が一番怖いのは、敵とか味方とか関係なく、国の兵士の人たちまでもが家の中に侵入してきて 持っている銃やナイフで住民を殺し、家中のもの略奪、家を焼き払い、子供たちを誘拐して、戦闘のための軍の一員として育てあげてたり、女性も小さな女の子たちも性的暴行を受け。


 政府の軍も組織の軍も兵士にお給料を払わず、あるいはとても低く、兵士も生きていくために、食べるものとそしてストレスのはけ口で一般市民を襲う生活をずっと続けていたと。


 彼もしっかり大学で勉強していたのにそういう国の事情で勉強を諦めて
 自分の手に持てるものだけ持って死にものぐるいで国を出るってどういう気持ちなんだろうって思いました。。

 今でも、たくさんのコンゴの人々、難民として色んな国で生活していて、彼も何年も家族とばらばらになってしまったままで。

 彼と話す前、友達に誘われていった日曜日の教会で前のほうに立ってた彼はじめて見たとき、
 なんかこの人、大声で歌って踊ってて幸せそうだなぁってぼんやり思ってた自分こそがどんだけ幸せものでぼけっと生きているんだろうと思いました。

 自分が生まれた場所がたまたま安全な国だったこと
 自分の意志で生活できてることに感謝していくこと
 忘れちゃいけないなとまた改めて考えさせられて気づかされました。

栗山さやか | 国などについて | comments(2)

みんなの雰囲気

 

マラウィからモザンビークへ
自転車タクシー使って1人で来てから
2年以上経ちます。

最初は観光ビザで入っていたので、
6ヶ月ビザを持っていても
月に1回は出国しないといけない法律になっていて、
毎月、1回マラウィにいったり、ジンバブエ、南ア、スワジランドに
出国して入国してを繰り返してました。

ビザの問題だけじゃなくて、
モザンビーク北部からモザンビーク東部に
行くにはマラウィを通過が一般的なので、
そういうのもあり、たぶんもう30回近くマラウィに出入国してます。

イギリスの植民地で独立してから40年以上が経ち、
内戦もなかったマラウィと
ポルトガルの植民地で
長く続いた内戦もあったモザンビークでは
すぐ隣の国で両方の国とも奴隷貿易が盛んだったようですが、
国民性とか雰囲気などが全然違うと思います。


挨拶も、マラウィは握手だけですが、
モザンビークでは両方のほっぺにキスします。(しない地域もありますが・。)

マラウィで、マラウィの人が
モザンビークの人の態度やマナーの悪さに
怒っているの何回か見かけました。

マラウィの都市にバックパッカーの宿
(1ベット 550円ぐらい)があり、
そこで相部屋がたまたま一緒で知り合って一緒にご飯行ったりする欧米人の子達も
「モザンビーク北部は、強烈だよね。
よくあんなとこで一人で生活できるね。。」と何度も言われました。


「温和で優しいマラウィ人とモザンビークの人は国民性がかなり違うね。」

マラウィはアフリカのハートっと言われていて、

とても穏やかな国で旅もしやすいと、
ロンプラ(世界で有名なガイドブック)にも書いてあると聞きました。


小さな国で、イギリスの植民地であり、主要道路はきれいに舗装されていて。

 

マラウイでは、どこでも安宿にしっかり水道がある場所が多く、モザンビーク北部は井戸の場合が多く。



モザンビーク北部では、
交通事故とか人がバイクで転んだりして
けがしてるの目撃すると周りの人々が大喜びをしているのを何度も見かけ、
道端で、瓶とか使ったけんかなどみんな歓声あげてみている光景も見かけます。

道端で売春した女の子と、お金払わず逃げてきた男の人が
争っていて、女の子大泣きしているのに、
たくさん集まっている人たちそれを見ても
大喜びではやし立てていることも。。

ある暗くなりかけた夕方、
路上のマーケットのそばで、大勢のひとだかりが出来ていました。


人々が嬉しそうに歓声あげていて、怖かったので、近くまで見にいかなかったのですが、
見に行った人に後から、「何だったの?」と聞くと、
「男の人が服も全部剥ぎ取っててすっ裸の女の子をぼこぼこに殴って、髪の毛引っ張って
引きずっていったよ。」と。

「誰か警察呼んだの?誰か止めた?」って聞くと
「なんで?」と・・。

トラックの荷台や、トヨタのワゴン、
たぶん日本だと普通9人乗りまでのワゴン車ですが、
ここでは、24人でみんなぎゅうぎゅうになってバスになっています。
みんなの大切な移動手段です。

みんなでぎゅうぎゅうの移動途中、車の揺れで誰かが吐いてしまうと
まわりの人たち心配なんてせずに、怒ってるのよく見ます。

前に一度、
「どうして怒るの?」って聞くと、「汚いし臭いっ」と。

ときどき、無賃乗車をしている人々が、
自分の目的地に着いたら
飛び降りて逃げようとしたりする人たちがいます。


こういった場合、マラウィでは怒った運転手さんは、
わざのその人の目的地から離れたところで
その人を怒りながら降ろします。

モザンビークでは、
その場やブッシュの中でその人が着てる服を脱がせて
運賃代わりにその人の荷物や着てた服奪い取ってます。
ブッシュの中へ連れてかれた場合、
「きっと殴ってるよねー」と他の乗客の人たちが言ってました。

隣の国なのに、
全体的にだいぶ攻撃的な感じがますますしてきてしまっています。

他の南部の大きな都市からきたモザンビーク人の友達も


「北部の人たち、考え方とかすごい遅れてるし、マナーとかモラル全くなくて
早くここから出て、南部に帰りたい。
ここの州、南部では世界の果てって言われてるよ」と。


首都から2000Km以上離れてるからかもしれませんが。
前にロンプラ(ガイドブック)にも書いてあるって
聞いていたことを思い出しました。



でも私が暮らしている町自体は、この2年の間で徐々に発展してきて
ネット屋さんも何件かできたし、車もたくさん走るようになりました。


アフリカの人が出稼ぎで一番行きたい
アフリカの国は
ヨーロッパみたいな町の雰囲気の発展してる南アフリカです。

モザンビーク人は
アフリカの他の国の人たちからも嫌われているようで
モザンビークの人たち、
マラウィのパスポートを偽造して、
マラウィ人として南アフリカに入ろうとすることもあると聞きました。

理由は、マラウィ人のほうが仕事が断然見つかりやすいそうです。


マラウィ人やジンバブエ人のほうがまじめでまだしっかり働くって
南アフリカでも言われていて、
モザンビーク人は危険で信用できないって言われているとのことです。

去年、南アフリカで他のアフリカ人に対する差別や暴動が起きて
たくさん人が殺されてしまったとニュースが流れていました。
(原因は経済大混乱していたジンバブエの人たちが
南アフリカに入って低賃金で働くため
南アフリカ人の職が減ったのと、お給料の基準が減ったこと。)
でもなぜか多くの場合狙われたのはモザンビーク人と。

南アフリカのヨハネスブルクは世界で一番危険って言われていると聞きましたが、
南アフリカの人が言うには、
ここで犯罪しているのは南アフリカ人じゃなくて
他のアフリカの国からきた人たちと。

あと本当かなぁっとかなり疑問ですが、


「南アフリカで起こる犯罪には3分の1はモザンビーク人が絡んでる」とも。

モザンビーク北部の人たちですらモザンビーク人の90パーセントは
悪い人って言われたことも1度ではありませんでした。

知り合いの女の子たちも、

「私、友達一人もいないよ。
みんな幸せな友達を落としいれようと必死なの」って。
あぁ、でもそんな感じもするなぁって思ってしまいました。

みんなさばさばしてて、そこはいいなぁと思いますが。

でも最近、学校の授業で道徳を取り入れてる学校もあるようです。
いいことだなぁっと思います。



移動の車です。
 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

お母さんと赤ちゃん。病院です。

赤ちゃんとお母さん、病院です。
栗山さやか | 病気などのこと | comments(0)

女性のこと。

モザンビークは、
ポルトガルからの独立のときや内戦のときも
女の人たち子供の子達も銃を持って戦っていて、
たくさんの女性たちも亡くなってその慰霊の意味もあって、
4月7日は女性の日で、大きなお祝いの日です。

この日は、旦那さんや彼氏は 
布(アフリカの女性が腰に巻いて
履いてたり頭に巻いてるはではでなやつ)をプレゼントします。

モザンビークでは、一夫多妻の家庭や、奥さん以外に
たくさん彼女がいるのはとてもよくあることなので、
そこまで余裕がない男の人は、布を買ってあげられなかったり、
一人の奥さんにだけ買って他の奥さんには買えなかったり。

道端で殴り合いの喧嘩を男の人と女の人がしているところに出くわしました。


女性が
「あの女には布、買ったくせに私にも買え一」って
男の人何度も殴っていました。



毎年この日になると、
喧嘩が原因でけがをした男の人や、女の人もたくさん病院に運ばれてくるそうです。


あとそこまで大きくない町なのにも関わらず、殺人事件も
この女性の日になると毎年起きているそうです。


女の人が男の人を殺してしまったり、
男の人が女の人を殺してしまったり。

 

殺してしまった原因は「布を買ってもらえなかったから(200円ぐらい。)」が多いそうです。

怪しい薬を使ったり、黒魔術だったり、殴り殺してしまったり。


あと今年のこの日、
私が住んでいる隣の地区で男の人が殺されて発見されました。


この男の人から、たくさん殴られた奥さんが旦那さんが眠ったあと、
旦那さんの性器を引っ張って殺してしまったと聞きました。

男の人の性器を思いっきり引っ張ると男の人亡くなると。。

「それって本当?」と何人かに聞くと全員、

「本当だよ。危険だよ。男の人の性器は、心臓と一緒だから」との答えが返ってきました。

6月にある子供の日も、
旦那さんが別の奥さんとの子供にだけ何かを買ってあげたり
お料理するじゃがいも買ってあげたりして、
別の奥さんが嫉妬して大喧嘩を道端でしていたり。


この日も同じで毎年この町で殺人事件が起こると聞きます。



この町やこの周辺の村では正式に結婚している人(役所で手続きをして)は本当にまれで
ほとんどの場合みんな普通に一緒に生活したりして子供もいますが、
男性は、別の女性もいて、その女性との間にも子供がいて家を行き来していることが多いようです。

HIVが広がる理由とアフリカが貧しい原因の一つになっているんだと思います。

 

旦那さんみんなを養っていくだけの金銭的余裕はなく、
旦那さんが逃げてしまって、残された女性、子供たちとても多く、
みんな日々の生活に困っています。

女の人が一人でお金を稼いで生きていくのは
ここでは、とても難しいのでみんな一夫多妻でもいいから
少しでもお金の余裕のある人の奥さんや
彼女になりたいと言います。


でも子供ができたら男性と音信不通になってしまったり。


そしたら女でひとつで子供を育てていくのはとても難しく
売春などで生計をたてるようになってしまう場合もとてもよくあることだと聞きます。



みんなおおやけにはしないけど、
小さな村などでも、食べ物がなくてお腹がすいて、
すぐ近所や隣のうちの男の人に体売って
食べ物分けてもらう生活を続けている女性も少なくはなく。

その売春のお金も、町でおしゃれな格好している女の子達は
1回200円ぐらい。コンドームなしだと、400円。
でも他の子たちは、お砂糖一袋(80円)や主食の粉少し
をお金の変わりにもらったりしているようです。
5MT(20円ぐらい)だけだったり、殴られて何にももらえずだったり。

アフリカにある国々だけではなく、イスラム教の人々が多い国、発展途上国の国では特に
女性の立場はとても低いと言われていますが

モザンビークが国自体は他のアフリカの国と比べても、
天然資源もあり、港もあり、広大な土地で地理的にも恵まれていると思うのですが、
いつまで経っても貧しい苦しんでいる人たちが減らない理由、
きっとこういう昔から変わらない女性の立場の低さが
あるのではと思います。

うちの近所のお宅です。

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(3)
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