町並みです。

今いる町のみんなの住む地帯の写真です。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

写真です。

お母さん、背中にも病気の赤ちゃん背負っています。
お母さんと5人の子供の写真です。  さつまいも売って生活しています。一山4円です。  4円で買えるもの、小さいバナナ1本か、飴玉二つとかです。。
今日のみんなのごはんって見せてくれたお料理してるさつまいものおなべ。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

今現在しているボランティア協会

 
 今ボランティアしている協会は、
 現地で新しくできたばかりの団体です。

 

 最初の3ヶ月は、
 私ともう一人の現地の男の子だけしか集まらず
 色々意見言い合いながら提案書書いていました。

 それを大きな力のある組織(ユニセフとか、FHI, Oxfam, CAFOD とか)に送ることを繰り返しています。

 首都から大きな組織の現地の人が来て、時間作ってもらって
 提案書の話をしたりしても、
 あとで夜、その人のホテルの部屋に一人で来るように
 連絡が入ったり・・。 危険だからもちろん行きませんが。
 なかなか難しいです。。。

 他の一緒にボランティアしている現地の子達は、
 食料確保の為に、自分の家族の畑を耕しに遠くの村で暮らす時期もあり、
 やっぱり現地の子達にお金一切なしのボランティアは厳しいのかなと思いました。

 
 みんなの家にだって電気はないし、子供をひとりで育てている女の子もいました。



 それでも徐々にみんなしっかり集まってくれるようになって、
 土曜日は近くの小学校に入り込んで教室使わせてもらって、
 平日の集まりは外の木の下で集まって、みんな学校が終わった後に集まるので
 夕方寒い時間、みんなで震えながら外で意見出し合ってます。

 私は今までエチオピアから南下して下がってきて、ずうずうしくいろんな組織や
 協会見させてもらったり少しだけお手伝いしたりしてきました。

 お金持ちの外国から寄付されて当然みたくなってる雰囲気、
 寄付でいただいたお金の使い込み、嘘の報告書で済ませて援助金を受け取っている団体。


 
 援助機関での人たちの1ヶ月のお給料が
 現地の人の平均年収の何倍も支払われているところ。
  (お医者さんの何倍のお給料だったり、州知事さんより高い場合も。)
 いろんな悪い流れにもうずっと長い間なっている団体。


 私が色々言える立場じゃないですが、
 うーんどうなんだろうなって思うことがよくありました。

 

 いい組織だなぁって思うところももちろんありましたが、
 悪い例もたくさん見てきました。

 もうここで働くの限界って言って、
 自分の国へ帰っていった先進国の子達も見てきました。

 今働いている協会、
 他の現地の友達にそんな若い子たちだけのところでどうなの?
 話し合ってばっかで何が出来るのって聞かれます。
 
 でも私には新鮮で、自由にみんなの意見が言えて、
 お金もまったくないので誰も使い込んだりしないし、
 みんなみんなボランティアなので、本当に興味がある子だけが集まってくれるし。
 今はみんなで色々調べたり勉強するときなんじゃないかなって思っています。

 週末は朝7時半に集合して、ポルトガル人の裕福なかたが経営している
 農場にいって農業のいいやり方を教えてもらって、
 あと、片道8キロある村の生活を調べに言って来ました。

 ブッシュの中をひたすらみんなでその村に向かって歩いて、
 村のかたのおうちにいろんな質問をして回って、生活の状態をみさせてもらって。

 砂埃で寒くて雨も降っていましたが、みんなで町に帰る長い帰り道、
 今日はよく歩いて、色々わかったねっていって話しながら帰って嬉しかったです。

 貧しいひとたちの生活、やっぱり目につくのは、
 年老いたおばあちゃんと、小さな孫たちだけの家庭。
 あとお母さんとたくさんの子供たちだけの家庭。

 みんな畑を耕して生活していますが、ひとりでたくさんの子供たちの
 食べ物、服、病院へのお金、学校でのノート代と鉛筆代、
 無理があります。

 この日も雨が降っていてとっても寒くて、
 はだしのみんなの足が寒そうで寒そうで。
 みんなみんなぶるぶる震えいていて。

 本当寒いからきっとみんなあったかい紅茶でも
 飲んで暖まりたいのに、
 (こっちで言う紅茶はお湯とお砂糖のみです。紅茶の粉とか紅茶パック売ってますが
 買う余裕がないおうち多いです。)
 お砂糖すらもみんな買えなくて。。飲めないです。。

 今日のみんなのごはんって見せてくれたお料理してるさつまいものおなべ。

 お母さんと5人の子供の写真です。
 さつまいも売って生活しています。一山4円です。
 4円で買えるもの、小さいバナナ1本か、飴玉二つとかです。。

 どうすることが一番ダイレクトに本当に貧しくて困っている人たちの
 手助けできるか、手助けするだけじゃなくてその人たちの毎日にちょっとでも
 何か気持ち的に張り合いがでるようなこと。。と思っています。

 

栗山さやか | ボランティア | comments(2)

ここに住む外国出身の人々

 モザンビークにいる外国人(モザンビーク人以外)
の友達たくさんできてきました。

そこまで大きくない町だから、外国出身の人々は、あんまりいないのかもしれないと思っていたし、
前にこの町にしばらく滞在していた時も、全く知り合わなかったですが、
大勢いるわけではないけど、最近知り合うようになってきてました。

色んな外国から来てモザンビークに住んでいる人たち、
国籍によって仕事内容が分かれているように思います。

大きなお店経営している、ポルトガル、インドや
パキスタンの子孫のひとたち。


商売をしているタンザニア、ナイジェリア、カメルーンの人たち、
宝石売買しているマリ人の人たち(香港やタイなんかに住んでる)

 

英語教師をしているマラウィやジンバブエの先生たち。

フランス語教師のコンゴの先生たち(難民申請後、教師の仕事を得た人たちもいる)

 

そのまま難民としてきていて、農業を営んでいたりお店を持っているコンゴ、ソマリアの人たち、
奥地ででハンター(象とかライオンとか)をしてる南アフリカの白人の人々。


数人いる欧米人、ブラジルの方々はキリスト教の布教のためです。

アジアは、中国人の写真屋、雑貨店を経営している3人。
私立の学校の先生をしているフィリピン人の2人。
モスクワでモザンビークの人と知り合って18歳のとき結婚して
モザンビークにきたロシア出身の女性。


みんなと友達になって情報交換したり、色々な話をします。
モザンビークでの生活のこと、
それぞれの国のこと。
別の国で生活していくということ。

バックパッカーしてた頃、
1年以上、自分の国に帰ってない人に会うと
すごいなぁって思っていましたが、
私もきずいたら3年半以上日本に帰らずに月日は流れ。

 

ですが、こうやって知り合った別の国の人たちは18年、帰ってないかたたちもいます。
(コンゴ、ソマリア出身の人々)

モザンビークに入ってから
日本人に会える機会があるのは、1年に1回行くか行かないかの日本大使館に行ったときの
5分間ぐらいの事務的な会話だけっていうとみんなにびっくりされます。
(3ヶ月前、色々あって拘置所で捕まっていた日本人に会いましたが。)
海外が長くて、何年も自分の国に帰れない人はたくさんいるけど
よく自分の国の人が一人もいない環境で平気だねっと驚かれます。
自分の国の言葉忘れてきてるんじゃないのって。

でも最近知り合ったこのロシア人の女性は、
8年前に一度ロシアに家族に会いに帰って
それから電話かけても家族とつながらなくなってしまい、

もうずっと家族と連絡が取れてないと。


家族に会いにモザンビークからロシアへ帰るには
飛行機代がとても高額で、
今度いつ帰れるかわからないっといいながら、ご家族の古びた写真、
ソビエト連邦を感じる写真たくさん見せてくれました。
お兄さんは、戦車の前で軍服着てました。

もしかしたらロシアの同じ州に住む知り合いがEmailアドレスを
持っているかもしれないから。と言い、来週、
うちのコンピューターでEmail 送ってみようって話しています。
写真も撮って添付できたら。。と思います。 

彼女、前に赤ちゃんが生まれて3日目で亡くなってしまって。
まわりのモザンビークの人たちとのご近所づきあい
上手くいってないみたいで、
きっとあの人たちに黒魔術をかけられて殺されちゃったの。。と。



いつも当たり前のようにみんなの会話の中に出てくる黒魔術。

 

黒魔術は、本当に存在するのかなと聞くと、
ロシアではなかったけど、きっとここではあるよ。って。
ここにいる部族の人たちは本当危険って。

来週、彼女のご家族と連絡取れるといいです。

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(3)

コンピューターを遂に買ってしまったこと。


私のコンピューターの調子がずっと悪く、
この町にある電気屋さんに修理に出しました。


前は少し使えたのに電源も入らなくなって返されて
あとで現地の友達に聞いたら、
「電気屋、直すふりしてコンピュータ一の中の部品
盗んだりするからたぶんそれだね・・。」と。。


修理代請求されなかったことはよかったですが。。



今住んでる町は、2年以上前はじめてモザンビークに入国した時にも滞在したことがある町です。

この2年の間に
きれいな銀行、お店もできて、走っている車の数も増えた気がします。


まだ信号とかそういうのはなくて砂埃ばかりですが、
植民地時代に作られたアスファルトの道もまだ残っているのもありますが、

徐々に発展している気がします。


スーパーマーケットも2軒あり、
日本いたときよく食べてた、
プリングルスが売っていて嬉しく思いました。

 

奮発して購入してしまおうかと思いましたが、
値段見たら1100円・・。

 

中国の小さいインスタントラーメンもあって、
あぁ、食べたいなぁって値段みたら300円・・。

いつか本当に落ち込んで
どうしようもなくなったとき購入したいです。。

コンピュータ一などを販売している電気屋もあります。
電子レンジも売られていて、とてもおどろきました。
使ってる家庭はみたことありませんが。

こういったお店は、インド人、ポルトガル人(あるいはその子孫)の
裕福な家族が経営しています。


コンピューター、デスクトップの大きなタイプですら、
15万円以上して、ラップトップは20万円ぐらいから。


きっと、合計6時間ほどかけて、乗り合いワゴン乗り継いで着く
マラウィの都市に行けばもっと安く手に入ると思います。

思い切って、清水の舞台から飛び降りるつもりで、
中古のコンピュータ一をジンバブエのかたから買いました。


すぐ壊れてしまわなければいいです。

 ここは南半球なので今は冬の季節で寒いです。 
 太陽がほとんど日中も出ず、雨も少し降ります。
 気温は低くて5度ぐらいですが、
 暖房器具とかないし、
 家、隙間風ばかりなのでとても寒く感じます。。
 

 ねずみも寒いからか家の中にたくさん入ってきます。。家の中にいても手かじかみますが、
 料理した残り火で毎晩暖まれてます。
 
 暖まるための火を起こすにも、炭や薪が必要です。
 近くのブッシュの木とか木の枝は、
 土地の持ち主のかたがいるので、
 みんなマーケットでお金を出して買うか、
 遠くのブッシュまで探しに行って
 頭に乗せて運んでこないといけないです。

 明かりも、一本30円もする白いろうそくは、
 貧しい家庭のみんなには高くて手が出ないので
 夜はみんな明かりなしの生活が多いと思います。


 何か物など探したいときは、
 数本のわらに火をつけて
 わらが燃え尽きちゃう前に急いで探すそうです。

 私の家には、毛布も、上着も靴下もあるし、
 火をつける炭も薪もあります。


 こんなに寒い夜に、大雨期ときに
 崩れてしまったまんまの家に住んでる貧しい近所の人たちは
 どうやってこの寒さしのいでいるんだろうって思います。
 

 外にいる子達はどんな気持ちで毎晩外で眠っているんだろう。。

 今ボランティアしている協会、
 提案書を大きな組織にたくさん提出していますが、
 なかなかいい結果が得られず。。。

 

 住所も電話番号もないできたばっかで
 木の下の外が私たちの事務所で。。


 地元の人からは、あの人たち木の下で
 いつもかたまって座っていて怪しいと思われてそうですが。。



 頑張りたいです。
 
 今いる町のみんなの住む地帯の写真です。

栗山さやか | ボランティア | comments(3)
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