最近のこと。

もう3月も半ばですね。
日本は暖かくなってきたのかな。

みくし、毎日日記みたく書いてくつもりが、
家に来ている電気が弱いのか、
裸電球はつくのですが、
コンピュ一タ一は電源がずっと入らず、
かなりがっくりでした。
私のコンピュ一タ一も壊れ気味だからかもしれませんが・・。

なぜか久々に今日はしっかり電気が来ているようで
コンピュ一タ一使えて嬉しいですっ。

一緒に家借りた友達は、しばらく奥地の村に行っているので、
今は1人で住んでいます。

火をもらいにいったり、料理とか水汲み、
洗濯なんかも近所の女の子が
手伝ってくれているのでだいぶだいぶ助かっています。

夜は、外にある穴トイレにいくのは危険なので、
(強盗が待ってたりする)
家の中で洗面器トイレです・・・。

昼間でも外に干しておいた服盗まれたり、
私、家の中にいたのに、気づいたら、家の中に
誰かはいった形跡があって家の鍵、お皿とかお釜、ぞうきん、家の外の裸電球、盗まれてたり。。 
音など全然きづきませんでした・・。

現地のひとたちにも1人で住んでるなんて
強盗とか大丈夫?って心配されます。


あなた肌の色違って目立つんだから、
絶対誰か夜の見張りの人を雇ったほうがいいって
いわれますが、金銭的なこともあるし、
逆に見張りの人が強盗になったりすることもあるし、
日が沈んだら、家から一歩もでないようにしています。
なたとか斧で家の木のドア壊されたら終わりですが・・。

今は、この町のできたばかりの協会で
ボランティアしています。
まだ事務所もなくて、なんにもなくて、
自分たちで案を出しあって、
提案書をみんなで書いています。

あと週に2回、小さな学校で英語教えていて、月給3900円。
お金をいただけるなんて思ってもいなかったから、
このお金で、別の村の様子を見に行ったり、村の子で
ノ一トと鉛筆、着るものがなくて
学校に通えない子に寄付とかをしようかなって
考えています。

あと週に1度、モザンビ一クの政府の団体のかたたちが、
町のパン屋さんや、食べ物やさんから
売りものの残りをもらってきて、
両親が亡くなってしまって、
貧しいおじいちゃん、おばあちゃんと住む子供たちの家庭、
体に障がいがある貧しいかたたちに
固い小さなパン、1人ひとつ渡したり、
クッキ一1人4枚を配っています。 

いい日は、小さなコップ1杯分のお米を配給していたり、
全然十分ではありませんが、
毎月 1人に400円から1200円の
現金支給もあるときがあります。

みんな貧しくて、1日食べ物がまんの日とか、
近所のお宅をまわって主食のシマの粉、
少し分けてもらえたり、分けてもらえなかったり。
食べれるはっぱを探しにブッシュの中に入っていったり。

町に住んでるかたでも、
毎日の食べ物、お砂糖、油、せっけんなんかも
買う余裕がないおうちのかたたちとても多いです。

小さなおばあちゃんたち、この団体のかたが使い終わった
ひとつの小さなビニ一ル袋を
けんかしてみんなで奪い合っていました。

貧しい人たちのほうが
ストレスとか仕事とか将来の心配とかなくて、
幸せそうって言葉、聞いたことがありました。


昔、自分でもそう思ってたことあったと思いますが、
お金も、食べ物も、暖まる毛布も、
しっかりした家も、病気に関しての正しい情報もなくて
苦しむかたたちを
見ていると絶対そんなことはないなって
また思い、役に立っているのかどうなのかも
わかりませんが、小さなことから少しずつですが
自分なりにやっていこうって思っています。

 

栗山さやか | | comments(5)

また家を借りたこと。

前に少しいた町に半年以上ぶりに戻ってきて、
現地の友達と古いおうちを借りました。
町の中心地まで歩いて30分ぐらい。

水道なし、井戸もなし、外に穴トイレだけど、電気は通っていて、
豆電球でもやっぱり電気があるとないじゃ全然違います。嬉しいです。
夜、蚊を殺せますっ。
停電しても2,3日停電したまんまってことも減りました。

友達がテレビを持っていて
本当にひさしぶりのテレビがある生活です。(1チャンネルしかありませんが・・)

しかも、しかもずっとあったらいいなぁって
思い続けてたインタ一ネット回線、家に引いちゃいましたっ。
ねっとやさん、1時間使用料500円して、
家にひけば、使い放題じゃないですが
1日1時間だけなら月に6000円ぐらいって聞いて。
奮発しちゃいました。。 

毎月の家の家賃とほぼ同じ値段です。。。

数ヶ月前からずっと色んな良くないことが重なったりして
精神的にだいぶまいっていましたが、最近は大丈夫と思うようになりました。
コメント本当に本当にありがとうございますっ。。

去年は、毎月使えるお金を自分で決めていたんですが、
設定金額低すぎて、月末になるとすごい貧乏で、
一日の食べ物バナナ数本とクッキ一と水だけとかの日もあって、
体調もよく崩していました。

生理用ナプキンとか、シャンプ一、洗顔料とかもうずっと前にあきらめて、
最後のほうはトイレットぺ一パ一もあきらめてとほほでした。

今年は少し余裕を持とうと思っています。

パソコン壊れ気味でネット回線も切れているとき多いですが、
ブログも日記みたく
だらだら毎日ぐらいな勢いで書いていこうと思います。

栗山さやか | | comments(4)

インドの人たちの結婚のこと。

しばらく前に、大きな町にあるインド人の会社のゲストハウスに戻っていました。
大きな町にくると住んでいる
アフリカ人以外
(だいたいはポルトガル、ブラジル、インド、パキスタンのかたたち)
のかたがぐっと増えるので
そこまで色々言われたり、
差別的なことが減るのでやっぱり気が少し楽です。

しかもこの町、他の町に比べてもかなり安全で
町なかの明かりがある場所なら
夜8時ぐらいまで1人で荷物何も持ってなければ襲われずに歩けました。

しばらく会社の手伝いしながら
インド人の人たちと生活していたので
インドの結婚制度とかインドの家庭観とか
詳しくなってきました。(でもたぶん、みんなインドのちょっと中上?階級の家庭っぽい。)

インドの結婚制度、
親同士や親戚たちが相手を探し出してきて、
親同士が学歴や職業、家柄と写真チェックして
本人達は会いもせず、結婚を決めているかたがとても多いようです。
婚約しても二人でごはんも食べにいけないって言ってました。(おねーさんとか同伴すると大丈夫。)
家庭によってもっとゆるかったりもっと厳しかったりもあるようです。

花嫁さん側が花婿さん側に、何かを貢物、しないといけないようで
それが出来ない場合や貢物がふさわしくない場合は
この結婚は釣り合わないって止めになったり。

インドの花嫁殺人とかって聞いたことがあるけど、
なんだろうと思っていましたが、
その貢物が狙いで結婚して
その後すぐお嫁さん殺してしまうことだそうです。

貧しい家庭では、女の子は結婚の際にお金がかかるため、
将来を悲観して、女の子が生まれるとすぐ
ミルクやお水の中にたくさん塩を入れてそれを飲ませて
殺してしまったりすることもまだまだあるようです。

日本だったら中学生で普通に彼氏いるし、夜遊び当たり前だよーって
って言ったら今まで一回もガールフレンドも夜遊びもしたことない
結婚相手探し中の36歳のインド人の友達びっくりしていました。

お見合い結婚をしたカップルはほぼ離婚はしてないよっ
だから絶対お見合い結婚のほうがいいってインドの人友人たちは言いますが、
たぶん。。。「離婚したいんですけど、、」
なんて言う発言権ないだけなんじゃ・・・って思ってしまいました。

でもインド風の考えかたすると、逆に生涯1人の人で
自分の両親が一生懸命見つけてくれた
運命の人って感じなのかなって思いました。

インドではカーストが同じ人と結婚しなきゃいけない暗黙の了解が
まだまだ残っているようだし、人口がとても多いから大学に入るのも
会社に入るのも競争率がとても高くものすごくたいへんだと聞きました。

今はそんな厳格な家庭は少なくなってきているようですが、
この友人も子供のとき、カーストが下の子とちょっと触れただけで
すぐさま家に連れて帰らされてお風呂に入らされてたって。

インドの貧しいかたたちの話題になると、
貧しい人たちは人生楽しめているよ。
ストレスもプレッシャーもなく、
物乞いでしっかり生計立ててるから大丈夫って。。。。

自分はインド2週間しかいなかったから
はっきりと色々言えませんが、(でも、映画館座る席カーストで分けられてるって聞いた気がする、、)
路上で生活している人たち、施設の中の人たちもたくさん見たし、
インドに住んでた知り合いから
インドの貧しい方たちのたいへんさを少し聞いていたので
ちょっと複雑でした。。

インド人の友達、(結婚すること決めてから
はじめて花嫁さんと2分間電話で会話許された)
の披露宴呼ばれていってきました。

彼たちはモスリムだったから披露宴も
アルコール類一切なしで、インド人のかたたちが集まって
お祝いしました。
ウェデングドレスは真っ赤のツルツルしてそうな、モスリムの服?
で最初は顔も目も隠してて
花嫁さんが最初に入場して花婿さんを待って
花婿さんが登場して顔のベールをめくってあげて。って感じでした。
(このとき初めてお互いの顔を見るってこともあるらしいです。)


東南アフリカ、町にはインドやパキスタンの人たちが多くいます。


ずっと昔プランテーションの労働者として
アフリカに連れてこられた子孫のかたたちも多いそうです。


大きな町の食料品や雑貨屋さんはほとんど、
インドやパキスタンの子孫の方々などが経営していて
裕福な方たちです。


この披露宴、アフリカなのにアフリカの人が
たぶん1人も披露宴にいなかったような気がする。

見た目がインド人の方々ばかりでした。

インドの女の子たち、きらきらしたサリー着てて、
インドの音楽かかってて、
インドカレーでお祝いして、インドにいる気分で楽しませてもらいました。


 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(0)

都会のこと。

前に、初めてモザンビークの首都に行ってきました。
前にいた町からは大型バスで3日かかったのですが、
最近までいた町は2日で着く距離でした。

モザンビークは、長距離大型バスも中距離の乗り合いワゴンも
夜中3時出発とかのときもあって、そんな危険な時間に
バス乗り場までどうやっていくかが問題で、
でも離れた周辺の村から出てきたみんなや
町の人たちもバス乗り場のところで前日の夜から
大荷物とともに外でみんなで寝て、朝が来るのを待ったりしています。

今回私が乗ったバスは朝4時出発で、
その日は夜10時ぐらいまでだーって走って
運転手さんは宿に泊まるので
乗客のみんな70人ぐらいで、外の地べたで眠って
朝になって運転手さんが戻ってくるの待ちます。

荷物絶対盗られそうって気合をいれていたのですが、
みんなで一緒にいるので大丈夫でした。
みんなで今頃、きっとバスの運転手さん買春してるんだろうねって
話しながら眠ってました。

日中、ときどき人の乗り降りがある場所で
少しバスが止まるときに、
お手洗いしにバス降りてしげみに入ったり、
わーって大勢やってくる物売りの人たちの
持っているバナナとかニワトリとか窓から
みんな品定めしているときにさらっと泥棒たちが
バスに乗ってきて荷物をさささって持って出て行ってしまいます。

今回の移動、2人がけの座席に
3人プラス足元に子供たちが座っていたので
身動きがみんなできず、きつかったです。

でも無事首都について、
いつものことですが、アフリカのどの国でも首都に着くと
都会すぎて、びっくりして一人で挙動不審になるぐらいです。

久々の大都会で見上げるほど高いビル
(といっても10階程度だったかも・・。)
たくさんあります。みんなスーツきて
女の子たちもおしゃれでヒールの靴はいて
さっそうと歩いてます。

デパートとかジム、ネイルサロン、
スイミングプ一ル、おしゃれなカフェなんでもありそうです。

久々に全身鏡で自分の姿見て見て、
手洗いし続けて3年ぐらい着ているよたよた気味のTシャツとか
ひたすら壊れても縫って直して
履き続けてるビーサンが恥ずかしくなるぐらい。

村とかでは、自分のTシャツ破けてないのが申し訳ない気がしてたのに。

バックパッカーの宿もあって、
8人のドミ(相部屋)、ベット1泊、1000円以上するけど、
お湯の出るシャワーもあって、きれいな宿で。

モザンビークの首都危険だ危険だって聞いていたけど
そんな感じあんまりしなくて、
そこでフランスの女の子と話してたら、
その子の友達、この間、外の公園みたいなところでテニスしてたら、
いきなり足、遠くから誰かに銃で撃たれて病院にお見舞いに
行くところって。

首都育ちの現地の子にモザンビークのみんなの家に
電気がある率聞いたら、
80パーセント以上、家にみんな電気あるよって。

首都の街中にいたら、本当そんな気がします。

貧しい国っていわれている国の中でも
とても裕福なかたもいます。
大きな町にいけば、高級ホテルも
値段、日本の2倍も3倍もしたりするけど、
なんでも売ってそうな大型スーパーマーケットもあって。

お金の余裕があることがいいことばかりだとは思いませんが、
それでも食べ物や寒さの心配をしなくていいこと、
病院に行ってしっかり治療を受けれること、
学校にいけてしっかりした知識を学べること。
自分のことを心配してくれる家族がいること。

見かけるゴミ漁っている子、
通りすがりの人が食べ終わって、ぽいって捨てた小さいお肉の骨、
急いで拾ってしゃぶってる痩せた子達。
この子達はこれからどうやって大きくなっていくんだろう。

こういうことを思うたび、
自分が育ってきた環境がどれだけ恵まれていて、
お金、5円だって切り詰めてずっと生活しているけど、
こうやってまだ健康でうろうろしている自分が
どんだけ贅沢か思い知らされます。

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(4)
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