イスラエルのこと。

 

スワジランドでイスラエルの男の子と一緒になって
一緒に移動していました。

イスラエルに前に行ったとき、
パスポートにアラブ系の国のスタンプあると入国審査で
すごい色々聞かれるよって
聞いていて、確かに色々聞かれました。


このときあったどこかの国の男の子も
アフガニスタンに行ったことがあって、
6時間ぐらい待たされた上に
荷物さんざん調べれたけど
無事入国できて喜んでいました。

逆にイスラエルのスタンプがあると
アラブ系のいくつかの国は、
入国拒否されて入国できません。

首都のジョルサレムと少しガザ地区にいっただけでしたが、
一箇所の旧市街の中に、
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の
聖地があって

ユダヤ教の格好した男の人たち
黒い服装に黒い長い帽子でこめかみのとこの髪の毛
伸ばして三つ編みのように縛っていました。
ここの髪の毛は神様と
つながってるから滅多に切らない?とかなんとか聞いたような。。

イスラエルは男の子は3年、女の子は2年
 全員に兵役の義務があって拒否した場合、
特別な刑務所に入れられるって前に聞いていました。

普通高校卒業したら、兵役に数年行って
それから大学に入ったり就職したりするようです。

兵役が無事終わった後に、数ヶ月バックパッカーで
アジアにいったりする子が増えているとのことでした。

どこに配置されるかにもよるみたいですが、
ほぼ全員女の子も男の子も
銃の使いかたと戦車の運転を覚えるって聞きました。

確かにイスラエルの美人な女の子たち、
しっかりネイルの手入れ+お化粧もしつつ、
軍服に大きい拳銃かついで町なか歩いてたなぁって思いました。

パレスチナの問題いつまで続くのかなって聞くと、
たぶん、ずっと終わらないよ。って。 小さな国なのにねって。

ガザ地区に住んでいるかたたちは、
そこから出る許可をとるのはとても難しくて
ガザ地区内の病院環境もいいとはいえないと思うよって
言っていました。

日本はいつ出来たのってはじめて聞かれて、
ちょっと戸惑いました。

イスラエルはイスラエルが出来て
今年でちょうど60年経ったそうです。

 

栗山さやか | 国などについて | comments(4)

スワジランド

しばらく移動を続けていて、
今は南アフリカから、スワジランドと言う、
アフリカの中で一番小さな国にきました。

もしかしたら、いつか被害にあってしまうかもと思っていた
銀行カードコピー、
ほんの数日滞在していた南アフリカでやられてしまっていたようです。


口座内にあったお金を、知らない間に誰かにたくさん引き出されてしまい、
ショックでくらくらしながら、
急いで日本の銀行に電話できる場所を探しました。


現地の警察の証明書もらわないといけないと気づき、警察に行って、
そしたら警察の方々がすごく親切でしっかりしていて本当に驚き嬉しかったです。


モザンビークや、周辺の国々を、何回も出入国をしていて、
モザンビークの警察の人々の恐ろしさ(もちろん人によると思いますが。。)
行ったら危険な場所ってイメージを警察署には持ってしまっていたので、
スワジランドはどうなんだろうって思って
一瞬、警察署行くことを悩みましたがとても素晴らしい対応をしていただき感動しています。


モザンビーク北部では残念ながら、警察のかたに
道端で突然止められ、荷物検査されて、
「これをくれ。」と言われたり、
荷物検査してあげた代請求されたり、
現地の多くの人々も「警察が泥棒だから気をつけて」と言います。

以前、知り合いのインド人のおうちにも泥棒が入って
家中のもの全部盗まれてしまい警察を呼んだら

「犯人を追跡するためのガソリン代が必要です」と言われ
次の日、

「犯人は南アフリカとの国境沿いにいて
ガソリン代がまたかかるので」とまたガソリン代請求してきて、
それからその後も警察の人が電話をしてきて。。


様々な理由で、お金の請求が延々と続いて、
結局犯人捕まらず。。


犯人を捕まえるために、警察に大金を払っただけの結果になり。


そのインド人の友達、「警察を呼んだのが大きな間違いだった」と
とても後悔していました。

この間、モザンビークを出国するときに乗った大型のローカルバスに
友達のコンゴ人の旦那さんがたまたま乗っていました。


大きな町に入る手前、
警察の検問で警察の人がたくさん
バスに乗り込んできて、
そしたら旦那さんのコンゴ人の弟さん

何も悪いこといもしてなくてしっかり有効期限のビザ所持していたのに
警察の人に無理やり連れて行かれてしまって。。

残された旦那さん大きな声で、
「どうしてこの警察はこうなの?」と
叫んでいました。

こういう場合、以前、ソマリアの子たちから聞いたことがありましたが、
恐ろしい拘置所にいれられ、
数日後に高額な釈放代を請求されることがあるって聞きました。。

本当に理不尽だと思います。

今泊まっているスワジランドのバックパッカーの宿にも
モザンビークへ行く場合の注意点って張り紙があって、

 

「マラリア、地雷、警察官」と書いてあって納得してしまいました。



隣の国マラウィは、

「行きたい場所などわからなくなったら警察に聞くといいわよ」と言い、
警察のかたもとても親切です。

 

 

 


スワジランド、


HIV感染率の割合が世界で一番高い国と
聞いたことがありました。


「国の50パーセントの人がHIVポジティブなんじゃないかしら」と
現地の看護師、施設を管理しているかたに聞きました。


ですが、識字率80パーセントもあり、
HIVの薬もしっかり服用しているかたも
他の東南アフリカ諸国に比べてとても多いとのことです。

スワジランドの人々、とても親切で
みんな一生懸命働いているイメージです。

首都には、大きなショッピングモールもあり、
移動のバスから見る風景、

道はどこもきれいなアスファルトで舗装されていて、
パイナップル畑、きれいな畑。


荒れた土地はほとんどなかったような気がしました。

スワジランドの王様は、奥様が16人いるそうです。


王様の前でたくさんの女の子たちが毎年一回ダンスをして、
その中から王様が選んで新しい奥様にするとのことです。


そういえば、昨日、宿で1年ぶりの日本の人だと思い

挨拶をしたら中国出身の方で、日本出てからはじめて
中国人バックパッカーに出会いとても感激しました。


 

栗山さやか | 国などについて | comments(1)

電気のこと。


  村のみんなのお宅は電気はないです。

電気は、村だけじゃなくて町に住んでいる子でも 
電気を引く工事と
毎月の電気代高くて電気ないお宅多いです。

何年前に書かれた本か忘れてしまいましたが、
電気がある家庭、モザンビークでは
10パーセントから15パーセントって読んだ気がします。

現地の人たちもそのぐらいかなぁって言っていました。

町で電気があるところにいてもしょっちゅう停電したりもします。
私もろうそく倒れたりして、
2回ぐらい火事になりそうでした。

1回はそばにあった物が燃えちゃっただけでしたが
2回目はベットのふちにろうそく置いてて
うとうとしちゃってなんか異様に暑いって目が覚めて
そっこー髪の毛の火思わずそばにあった水入れの水で消して
枕は井戸の水ダッシュで汲みにいって。
枕全焼と自分の髪の毛少し燃えただけですみましたが。

1週間で1本のろうそく、
家族みんなで大切に少しずつ使っていたり、
余裕のない村のお宅は、ろうそくもなく
夜になると村のみんなで大きな火をおこして
そのまわりでおしゃべりしたり、暖まったり。

村では時計もないおうちがほとんどです。
太陽が出る前に起きて、木の枝や幹を集めにいったり、
離れた場所まで水汲みみんなでにいったり、
畑を耕したり。川へ洗濯とお風呂にいって。
豆やはっぱ、とうもろこしでお料理して。
村の集まりなんかもあって。
小さな子供たちや病気の家族のお手伝いをして。
太陽が沈んだら晩御飯食べて眠って。

火の事故で病院に運ばれてくる人たちとても多いです。
一度、この村の病院でけがの手当していたときに、
胸からお腹全部にかけてひどいやけどを負った
2歳ぐらいの男の子が運ばれてきました。

やけどでぐちゅぐちゅの部分みてみると、
何か黒い、髪の毛のようなものが
たくさんくっつけてあってて、
お母さんに聞いてみると、
自分の髪の毛刈って貼り付けたって
いいます。

昔からの治療法を信じているかたたちも多く、
魔術医さんたちもまだまだいるようで
病院よりもそっちを信じているかたたちもとても多いです。

黒魔術もみんなみんな信じています。

さんざん待ってやっと診てもらえたお医者さんに一言、
わかりません。って言われてしまったり。
マラウィに行って手術を受けてくださいって言われたり。

みんなには別の国に行くためのパスポート代も、
交通費もとても無理があります。

お医者さんでもこの症状は
黒魔術で呪いをかけられたからって診断したりするって聞きました。

この村の病院でも、けがややけどに塗る薬が一切なく、
ただお水できれいにしてガーゼと包帯は
あったのでそれを巻くことぐらいしかできませんでした。

管理のかたに聞いてみると
大きな町の病院が送ってくれるの待っているのよ。
って教えてくれたので、
大きな町に戻ってすぐ、
ついでにここの町の孤児院の皮膚の感染症に
かかってしまった子たちを連れて
病院にいって、薬すぐ送ってもらえるようにそのこと
薬剤師さんに伝えました。

無事、薬村に届いているといいです。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(0)

村の病院のこと。

前にしばらくモザンビークの奥のほうの村にいました。

マラウィとの国境の近くの地帯で、
大きな古い教会と学校と病院がまとまってあって、
川もすぐそばに流れていて、乾期の時期でしたが、
川にお水もしっかりあって、
みんな洗濯したり、体洗ったり。

ここの村のかたたちは、農作業をして生活しています。
お店やごはんやさんはありませんでしたが、
路上のマーケットが週に2回開かれて、みんな採れた作物や
やぎや豚は力がいるのでその場で殺して売っていたり。

一回、サッカーの試合が村のただっぴろいところであって
周辺の村の大勢のみんなが見に来ていて盛り上がっていました。

みんな一生懸命応援していて、楽しそうでいいなぁって見ていたら、
けんかが始まって、なぜか数人の男の人たちが
すっぽんぽんになって、100人以上の人たちが転がっている石の投げあいになって、
結局最後はみんな叫びながら散らばって逃げてました。

それでも、みんなの雰囲気、のどかな感じで
気候も涼しい地域でした。

ここらへん一帯の村のかたたちがくる病院で
少しだけお手伝いしていました。

入院患者さん以外にも、
出産を控えたお腹の大きな女の子たちも寝泊りしていて、
その姉妹の子たちも一緒に寝泊りして赤ちゃん産まれるのを一緒に待っていました。

ときどき、男の子がバナナやさとうきびなんかを持って
お見舞いにきて相手の女の子と二人で
仲良く近くの川まで散歩に出かけていたり。

寒い朝はみんなで木の枝とか幹集めて火を囲んで暖まったり。

ここの病院では、
産まれた赤ちゃんの体重を量ったり、
赤ちゃんに破傷風なんかの予防接種もしっかりやっていて。

前に一度、小さな町の病院にいったとき、
薬の入っている大きなビンに薬と一緒に
蟻もいっぱい入ってたけど気にせず
薬渡していたこともあって
こういう小さい場所の病院やクリニックの衛生状態
どうなんだろうって思っていたのですが、
ここの病院は小さいけど新しい診察室も作ったばかりで
清潔な感じもしました。

ここも一夫多妻の家庭が多いなぁって思います。
コンドーム、週に2回開かれる路上のマーケットでも見かけず
まだまだ普及してなくてみんな知らないんだろうなぁって思いました。
でもここの病院で無料で配る処置はじめていました。

ここでも診察のときに年齢を聞くと年齢を知らないかたも多く、
50歳ぐらいの女性が、笑顔で18歳ですって答えたりして
なんかかわいらしいなぁって思います。

ここの病院であったことまた少し書いていこうと思います。

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(2)
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