村とかのこと。

東南アフリカの村や集落には
 それぞれのリーダーがいて、
 そのリーダーがすべてを決めています。

 モザンビークでは村のリーダーのおうちの
 前に赤い旗が立っています。

 村によって色々ですが、
 結婚する場合に花婿さんはやぎとか鶏をお嫁さんの家族に
 渡さなければいけなかったりもして
 それが用意できない場合、
 生まれた最初の子供はお嫁さんのお父さんや兄弟のものになります。
 その子供が4歳ぐらいになったら働き手として
 売ってしまうこともあるって聞きました。

 リーダーが取り仕切って裁判のようなものも
 しっかりある村もあるようで、
 離婚もあります。(届けとかはありませんが・・
 読み書きが出来ない人が多いのと紙代、ペン代がかかるから。)

 別れた二人に子供がいる場合、
 毎月別れた旦那さんはファリーニャ(主食のもと)や、
 お砂糖と塩を渡さなければならなかったり。

 旦那さん一人に10人までの奥さんが
 許されていたりもするそうです。

 どうして、一夫多妻が多いのかなって
 さりげなく村の男の人に聞くと、
 女の人の数が多いからだよって。。。

 一人の女性に、10人以上の子供たちも
 とても多いなって思っていましたが、
 大きな町では少しずつ少子化な考えかたに変わっていってます。

 でも、若い女の子たちと話していたとき、
 子供は6人は、産みたいな。 
 きっとそのうち1人か2人は死んじゃうから。って。

 村や小さな町では、子供は働き手になるからって考えていて
 あんまり子供の数が貧困に繋がるとは考えていない人も
 多かったように思います。
  
 エチオピアの地方の施設にいったときに、
 日曜日、管理のかたが、この地域に住む
 10代半ばぐらいの子供たちを30人ぐらい集めて、
 10代前半で子供を作ってしまうこと、
 HIVのこと、人生のあり方のようなことをみんなで
 議題を出し合って、意見出し合っていました。
 英語を話す男の子がいて、その子に、
 中絶は日本では頻繁に受けれるのか?
 宗教はどうなのか?
 眠るまえ、何に祈るのか?
 うまく説明できなくてかなり焦ってしまいました。

 病気や病気の防ぎかた、 道徳心、
 生きていくうえでの正しい知識のこと
 こういう教育とても大切って思います。

 前にも書いたおかしな情報とかうわさばっかりあって。
 HIVはコンドーム使ったからとか、悪魔に呪われたからとか。

 
前に書いた部族のしきたりみたいに

 旦那さんが亡くなったら奥さんは
 旦那さんの他の兄弟の奥さんにならなくてはいけなかったり、
 奥さんが亡くなったら結婚していない奥さんの姉妹が
 旦那さんの奥さんになったりする地域は
 マラウィやモザンビークにもありますが、

 旦那さんが亡くなってしまったら
 その旦那さんの兄弟に悪霊がとりつくので、
 その悪霊を取り払うために兄弟全員、
 亡くなった旦那さんの奥さんと順番に性交をする
 しきたりがある地域があります。

 マラウィの高校生の生物の教科書見させてもらっていたら、
 そこにも辞めたほうがいい伝統的習慣のひとつとして
 書いてありました。

 性交についても、一人のパートナーあるいは、
 重婚家庭の場合(一夫多妻)家庭内のみでの
 性交にしましょうって書かれていました。

 でもこういったことも、
 HIVとか梅毒とか他の感染病につながって
 一夫多妻の場合、みんなにうつっちゃうし、
 亡くなった旦那さんの奥さんと性交をするのは、
 旦那さんHIVで亡くなった可能性も強いし、
 その奥さんもHIVになってしまっているだろうから、
 またHIVを広げてしまう原因の一つです。

 そういうこともそうだけど単純に奥さんの立場を思うと
 やっぱり本当せつないです。。。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(4)

平均寿命について

施設の中にいると平均寿命の低さが
すごくよくわかりましたが、
施設の外にいてもそう思います。

モザンビークも平均寿命48歳ぐらいと聞きました。


「でも実際はもっと低いんじゃないかなっ」と、
モザンビークの国境の町で働くナイジェリア出身の
医師が教えてくれました。

 国内でも地域によりとは思いますが、

 私と同年代の人々は、ほぼみんなご両親をどちらか
 または両方亡くしてしまっています。
 それに必ずと言っていいほど、兄弟一人は亡くしています。
 産んだ子供も亡くしている人々もとても多いです。

 週に何回もお葬式がご近所であります。

 生活環境の悪さ、栄養不足、病気とか健康に対して
 十分な情報の少なさ、感染症の多さ、
 伝統的治療法、変なうわさ、黒魔術のこと、

 いろんなことが原因で、病気にだってとてもなりやすい現状でした。

 HIVやマラリアもとてもとても多いですが、
 医療環境の悪さもよくわかります。

 タンザニアやマラウィでは病院が無料で受けれるってことで
 あーよかったよかったって安心していましたが、
 医師の数だってとても少ないし、
 病院に必要な薬も色んな機械、
 治療に必要な器具も
 揃っているわけではなく、
 病院に運ばれてきても、なすすべがなく、

 何も出来ずに亡くなっていってしまうことが
 あると聞きます。

 今一緒に生活している家族のひとりの女の子も、
 おなかが痛いと三日間言っていて、
 病院にいって痛み止めの薬だけもらえて、
 4日目に亡くなっていってしまいました。

 こういう風に病院にいっても、
 結局何が原因で亡くなってしまったのかわからないことが
 とても多いんだと思います。

 手術も別にお金かかる場合が多く。
 地方の小さな診療所、病院では手術設備がない場合は、
 2000キロ離れた首都や更に遠くの南アフリカまで行かなければいけないです。
 でも手術代や移動費、みんなには手が届かないです。
  
 ほんの一握りの裕福な家庭のの人々が
 医療設備が整っている首都や南アフリカにいって医療を受けているそうです。

 モザンビークでは病院代5MT(23円ぐらい)必要ですが、
 23円がすぐには用意できない家庭もあります。。。
 それに病院が遠い場合は交通費だってかかります。

 それで延ばし延ばしになってやっと23円用意できたときには、
 もう手遅れだったり。

 いつものように、ビザの関係でマラウィに向かっているときに、
 トラックの荷台に乗って移動しました。


 その時に、ぎゅうぎゅう詰めになりながらとなりに座った
 まだ10代半ばぐらい女の子が赤ちゃん抱いてました。

 赤ちゃん見せてもらうと
 もう目の焦点がなくなっている感じで
 口のまわりも目のふちにもはえがたくさんたかって
 口も少し開いたまんまで、
 泣くこともできなくなっていて、
 子供の顔ではなくなっていて。
 
 これから病院に向かうのって女の子、教えてくれました。

 赤ちゃん抱いてるやせ細ったはだしの女の子も
 赤ちゃんくるんでいるぼろぼろの布も
 なんだか全部が悲しくなりました。


 以前、電車で16時間かけて一緒に移動した
 スペインの子がいった

 「ここでは人の命の重さがとっても軽いね。」って言葉、
 アフリカに長くいればいるほどいつも思います。

栗山さやか | 国などについて | comments(1)

普通の生活のこと。

また長いことみくし書けずにいました。
 少し都会的なネットやさん(といってもモザンビークレベル。。)
 写真、貼り付けれそうなので写真載せていきますね。
 カメラ、あっさり奪われるのが怖くて
 あんまり写真撮れていませんが・・。


 まだモザンビークにいます。
 しばらく、前にもいた現地のお友達の家に戻ってきています。

 一緒に住んでいる家族は、15人ぐらいなのですが、
 空いた部屋を貸家でお友達に貸しているので
 20人ぐらいでみんなでバラックと
わらぶきのお家に一緒に住ませてもらっています。

 子供たちも近所のお家にもたくさんいるので毎日わいわいして
 今はこの家族のお仕事の手伝いをしています。
 
 アフリカにもう少し残ろうって決めてなんとなく考えていたこと、 
 アフリカの普通の人たちの生活みてみたいなって思っていました。
 
 どこの国でも施設にいる子達、
 早く施設の外に出たい子、出たくない子。
 施設のみんなが具合が悪くなる前に過ごしていた生活のこと、
 みんなが施設を出た後に戻っていく生活のこと。
 
 だーって広がっている砂埃まみれの
みんなのバラックやわらぶきの家、
小さな町からも離れた村の人たちの毎日が
どういう感じなんだろうって思っていたのもありましたが、
 安全がある施設の中で
ほかの国の先進国からきたボランティアの子たちと、
一緒に過ごすのや、
 安宿に泊まって短い期間で色んな場所にいって
移動移動って前見たく一人で旅をしているのとは、
また全然違って、
自分一人で現地の子達の生活の中に
ぽつんって入らせてもらって半年以上過ぎました。

毎日いろんな良くないことばっかり起こって、
私全然だめで、現地のみんなとのことや、
 やっぱり油断できないこと、きずいたら自分の生活や
 たいした手伝いできてないけど仕事のこと、
 みんなとの関係で毎日いっぱいいっぱいになって
 しまっていました

 たくさんいる子供たちのかわいさで
 ほっとさせてもらえてますが・・。
 
 他の国の会社のお手伝い以外、
 この1年でバックパッカーの子や先進国の子に会えたの
 4、5回しかなかったなーって思いました。
 
 考えてみたらケニアを出てから1年以上、
 日本人の人に会うこと出来たの
 ジンバブエの首都にいた時の1回だけです。

 でもモザンビーク、ポルトガル領だったから
 ポルトガルの方たちも(モザンビーク生まれですが。)います。

 別の町にいったときに孤児院があるって聞いて
 何日か通わせてもらいました。

 そしたら優しそうなポルトガルの年配の女性が
 生まれたばかりの小さな赤ちゃんを暑い中あやしていて
 20年以上前から身寄りのない子供たちを
 自分の家に連れてきはじめて、
 今はしっかりした施設になっていました。

 この小さな小さな赤ちゃんのお母さんは
 精神障がいがあってレイプをされてしまって
 きずいたら赤ちゃんが出来ていて。

 孤児院に預けられる子たち、
 レイプで出来てしまった子供たちも多いです。

 ここに、10歳ぐらいのくりくりした目の女の子がいて、
 その子のうすいピンクの服に、
 小さな日本語で岡山クリニック 松下 って縫ってあって、
 寄付で送られてきたのか、
 どこかの国で中古の服で売られてたのが
 ここまでたまたま来たのかわかりませんが、
 ちょっとびっくりして、嬉しかったです。

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(1)
このページの先頭へ