犯罪のこと。

四駆の車でアフリカ大陸を旅している、欧米人の子たち何人かに
マラウィにいたとき会いました。

アフリカを車で旅していても強盗の危険も高く、
ケニアでボランティアをしていたとき、
イタリア人関係者のかたが車を奪われてその後
遺体で見つかったってききました。

強盗だけでなく国境でのトラブルや偽警官がやってきて車停めさせて、
脅して車ごと奪ったり、本物の警官ですらなにかにつけて
違法にお金の要求をしているようでした。(特にモザンビーク)

宿が一緒だった定年記念にアフリカを車で旅しているドイツ人のご夫妻がいました。

 「どうしてあんなに食べずらいのにお箸を使うのかしら。
 私いまだに上手に使えないのよ。
 私の周りでは日本食レストランにいって
 お箸を使うのがおしゃれではやっているの。」って日本の料理のこともよく聞いてきました。
 
このご夫妻も山賊にあって、貴重品すべて持ってかれてしまって、
パスポート再発行の手続きしていました。

絶対きおつけないといけないっていわれていることは、
夜は車で走らないこと。

アフリカは大体の場所、日が落ちて、月が雲に隠れちゃうと
本当に真っ暗やみになります。

道も陥没している場所、多いのでもちろん危険なのもありますが、
真っ暗闇の中、人をひいてしまって、
急いで車から出るともう亡くなっているようで、
一緒に道にいた現地の子たちが、
お金をたくさんくれれば黙っているからって。

アフリカの国で人を殺めてしまった場合、どうなるかなんて
想像もできず、ほとんどの人は、持ってるすべての貴重品や、
いわれたものすべてを渡して
その場を離れてしまうことが多いようです。

でも本当は、その現地の子たち、
亡くなった遺体をわざと置いておいたり、
車が来る直前に車の前に遺体放り投げたりして、
お金を手に入れるためにしていることのようです。

やっぱり人を殺めてしまったと思ってしまった旅行者は
ずっと黙っていて、
そこまで公にはなっていなかったようですが・・・。
警察もぐるになっている場所もあるってききました。

私は海外の警察のイメージは
モザンビークに来る前までだいぶよかったです。

 バングラデッシュからトルコのイスタンブールにエアで飛んだとき、
機内預かりの荷物の中から、荷物抜き取られちゃってて、
 早速カタール航空のカウンターに伝えると
 カウンターのトルコ人の化粧ばっちりのおばちゃんに
 その荷物あなたが本当にもっていた
 証拠がないっていわれて、盗難届け発行してくれなかった。


 バックパックの中全部中身出た状態でコンベアベルト乗ってきて
 どうみても普通の状態じゃないってわかるのに。。。
 
 無理だろうなーって思いながら、
 空港の目の前の大きな警察署にいくと
 すぐにカタール空港のカウンターに電話してくれて
 届けも発行してくれた。

 エチオピアでも夜、警察にデジカメの盗難届けもらいにいったら
 帰りは宿までパトカーで送ってくれた。

 日本にいたときも道聞いたり、
 警察の人は親切なイメージが強かったけど、
 モザンビークの警察は、現地の子も口をそろえていうけど
 お金がすき、中学生ぐらいの子達もみんな知っている。
 人を襲っている強盗の子達も、、結局警察と仲がよくて
 お金、見逃し料として警察に払ってずっと捕まらずにいたり。
 もちろんしっかり働いている警察のかたも いると思いますが、
 警察の腐敗率はほかの国と比べてもだいぶだいぶ高いと思います。

 
 何か問題があって警察にいってもお金をこっそり渡して
 それでやっと動いてくれるのが現実のようです。

 逆に悪いことした人が、お金の力で警察を味方につけているのが
 当たり前のことのようにあるようです。

 警察以外でも国境を越える時、
 荷物検査で税関の人にバック全部空けらることが
 ありますが、税関の人が荷物チェックする振りしながら
 荷物の中からなんか盗んだりもするって聞いたりもして
 しっかり見ていないといけないです。

 国境の人に意味無く賄賂を要求されたりするって聞いてはいましたが
  この間本当にされてちょっと悲しかったです。

 モザンビークでも今も多い、泥棒した人を
 みつけたらその場でその泥棒に火を、
 まわりにいた人たちがつけて
 焼き殺してしまいます。
 
 警察に連れて行っても、警察友達だったりして
 すぐ釈放されるだけだし、
 アフリカのある場所では、警察がきてくれない、
 連絡する電話がない小さな村では昔からの
 処置のひとつのようです。
 モザンビークの栄えている南部ですら、
 泥棒が路上でまわりにいた人たちに
 焼き殺されることはだいぶ多いようです。

 現地の人たち昼間でも道端で携帯電話は
 使えない町も多いと思います。
 携帯はとても高価だから持っていることがわかると
 強盗の標的になるし、
 サングラスとか、髪につけているゴムとかも
 人混みの路上のマーケットのまわりなんかでは
 ひったくられるから気おつけてって女の子たちも教えてくれました。

 臓器売買がなかなか無くならないのも、
 警察や国境のスタッフの賄賂とか汚職がすごいからだと思います。

 主に、路上のひとたち、子供たちがいなくなって
 臓器売買のために人が連れ去られていって、
 数ヶ月前も、国境で物資運搬のおおきいローリ-の後ろの蒸し暑い
 コンテナーに弱りきった人たちが10人以上乗っていて
 1週間以上、飲み物、食べ物を与えられず詰め込まれていて、
 そのローリーはタンザニアを目指していたようです。

 お金のために腎臓を1つ自分から売る人が多いって
 貧しい国では聞いていましたが
 ここでは、貧しい人たちに、
 他の国にいい仕事があるよっていって誘って、
 窓もなんもないコンテナーの中に閉じこめたまま、殺してたり、
 脱水症状や、餓死寸前で弱りきったところで
 それから臓器を取り出すようです。(心臓、肝臓とか目)

 路上の人がどんどんいなくなったのも
 このせいだってききました。

 このドライバーたちも警察に連れて行かれたけど、
 数日後に罰金50000MT(24万円ぐらい)を払って
 あっさり釈放されたってききました。

 しばらくお手伝いしているインド人の会社の人たち、
 モザンビークの地層かなんかを研究しているようで、
 よく奥地にはいっていきます。

 そのときも、ブッシュの中で、
 四駆から降りて歩いてむかっていたら、
 近くの村の人たちが歩いていて、
 その村の人たちは、インドの人たちをみると同時に
 猛ダッシュでみんな散らばって逃げていってしまって
 話きいてみると、
 モザンビークの奥地の村や集落に、
 臓器売買の商人たちがやってきて、
 村人を拉致していくことがかなりあるようで、インド人のこたちを
 その人たちと勘違いしたから急いで逃げたって教えてくれました。

 こういうことがあって家族を突然連れて行かれて、殺されて、
 荒地を何時間もかけて歩いて警察がある町にたどり着いて
 訴えてもこの国の警察が奥地の人たちのために
 動いてくれるなんて思えないし、
 
  助けてくれる場所、頼れる機関がないって
  想像もできないです。

 イギリスの友達の会社(アメリカの政府の仕事でモザンビークで開発事業してる)の手伝いしてたときに、ジョンに、

 「海外からたくさん寄付金とか援助きているのに、
 東南アフリカがなかなか変われないのはなんでだと思う?」
 ってきかれた。

 「いろんな理由があるけど、
 ねこばばする人がたくさんいるからだよ。
 政府関係者でも組織関係者でも。」って。

 HIVのお薬、毎日飲めば、普通の人のように
 生活ができる可能性がだいぶ高いお薬、
 それもたくさん国に入ってきても、上の人から少しずつ、
 自分のため、家族のため、親戚のため、友達のためってみんなが
 とっていってしまって、結局最後に、
 普通の病院に届く分は、とても少ない地域があったり。
 
 ジョンが、
「この国で生きていくのはとても難しいよ。
 公平さ、人としての権利とか、
 悪いこともお金があれば正しいことになっちゃうよ。」って。

 国の仕組みとか全然わかりませんが、
 国の体制、少しずつ変わってきていくから大丈夫って
 横で教えてくれた現地のスタッフの
 言葉どおりだといいなと本当に思います。
栗山さやか | 日々の暮らし | comments(5)

ズンナシとママのこと。


施設で会った子たちのこと、
 もう亡くなっていってしまった子たちのこと、
 毎日思い出します。
 楽しく過ごした毎日のことも思い出しますが、
 やっぱり、後悔していること、申し訳なくてたまらないこと、
 たくさん思い出します。

ズンナシという17歳だっていう女の子が上の階にいて
 下半身全体が麻痺をしていました。
 いつもたくさん汗をかいていて
 背中からお尻にかけてできてしまった、
 ひどいぐちゅぐちゅの血だらけの床ずれと
 股間の部分に腫瘍ができていました。
 
 あと、肺に痛みがあり、床ずれの手当てをするときに
 体を、横向けに動かしてするのですが、
 そのとき、肺の痛みが強いようで、
 いつも治療しているあいだ、

 「チャラカ、まだ?まだ終わらない? 
 痛いよ。痛いよー 苦しいよー。」
 っていっていて、

 「ごめんね。ごめんね。あともう少し、もう少しだから。」
 
 っていっていつも急いで腐った皮膚をメスで切り取って
薬品つけたり、汚物を取り除いていました。


 「今日も、一緒にご飯食べよう。
 ちゃらか 一緒に食べないんだったら、
 私、ごはん何にも食べないから。」って私が来るの
 よく待っていてくれました。

 ズンナシの股間から、真っ黒な塊のような血が
 たくさんでてきてしまっていて
 でも、このとき私では、どういう処置をしたら
 いいのかわからなくて、
 ドクターを探しにいこうとすると、
 ズンナシ 痛いよーって叫びながら、
 お願い、チャラカドクターは呼ばないでっていいました。
 
 私は、うん。うん。っていいながらも
 ドクターを探して来てもらいました。

 ドクターが現地のナースのプラクティスの子達と一緒にきたので
 これで安心だと思って、少し様子が気になりましたが、
 他の病室の子たちの手当てに行きました。

 午後になってズンナシの様子を見に行くと、
 ドクターは腫瘍の大部分を切り取っていて
 ズンナシは涙を流しながら、ぐったりしていました。

 ズンナシは、私を見て、

 どうして、ドクター呼んだの?
 どうしてそばにいてくれなかったの?
 って泣きながらいいました。
 
 ずんなし、お願いドクター呼ばないで。呼ばないで。
 って私に何回もいいました。

 私はわかったわかったなんていいながら、
 その子の話を聞こうともせずに待ってっていう言葉を聞き流して
 ドクターを急いで呼んできました。
 
 一瞬でも何で話きいてあげなかったんだろう。
 見たこともない男の子のナースの子達で
 心細かったし、少し怖かったのもあったのかも
 しれなかったのに。

 いつもよく話してくれるズンナシだったけど
 このときはもう話してくれませんでした。

 次の日の朝、また様子を見に行ってみると眠ってしまっていて
 また後でこようと思って、別の階でしばらく手当てをしていると
 他の患者さんがズンナシがチャラカのこと呼んでいるよって
 教えにきてくれました。

 この子の手当てが終わったらいこう、って
 何回も思いながら何人かの患者さん
 手当てしていたらいくのが遅くなってしまって、
 慌てていくと、たくさんの血を吐いて
 きれいな目開いたまま、もう固まってしまっていました。

 私がこの施設にきて少し経ったとき、
 一人の30代後半ぐらいの患者さんがいて
いつも、うーうー苦しんでいてとても辛そうでした。

 このママは、自分の名前もどこに住んでいたかも
 覚えてなかったのか話たくなかったのか、
[ママ、お名前はなんですか?]ってきいても
[しらない。わからないよ。どうして?]
って答えていました。

あるとき、ママのすぐとなりのベットにいる
女の子のところに、専門のドクターがきてくれて、
その女の子の手当ての指示をきいていました。

忙しいドクターの早口の言葉、聞き取るのに必死で
 メモしていて、でも
ママが私の白衣のはじ、ひっぱっていて、
ママ、ちょっと待っててね。ってその手、白衣からとって、
またドクターのゆっていることメモしはじめると、
また白衣、ママひっぱるから、ママーごめんね。
あとちょっと。。。 ってまた白衣から無理やりママの手とって、
何回かそうしていました。
ママがそうやって私の白衣、ひっぱるの珍しいことじゃなくて、
もう少し待っててねーっていつもの感じで思っていて
ドクターの指示がやっと終わって
ママのほう振り返ってみると
私の白衣をつかもうとしたまんまの手、だらんとベットから外にだして息ひきとっていました。

亡くなる寸前のときに、
最後の力だして伸ばした手を何回も
振り払われたママはどう思っただろう。

私、ママの顔みようともしなかった。

ズンナシも亡くなる寸前に一生懸命声を出して
私を呼ぶように伝えてくれたのに。


いろいろメッセージや、涙がでるぐらい嬉しくなるコメント
いただいて恐縮で恐縮で
でも私のとってしまった行動で
患者さんたちに悲しい思いをさせてしまったこと数え切れないです。
 

今はまた施設でのボランティアをはなれていますが、
しばらくしたらまたどこかの場所いってみようと思っています。

栗山さやか | ボランティア | comments(4)
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