生まれた国の違い。

エチオピアの施設に
マッサラートっていってまだ若い
10代半ばのお母さんがいました。

マッサラートには、
小さな赤ちゃんがいました。

本当にかわいい赤ちゃんで、
私が抱っこして
「あーかわいいかわいい。
なんでこんなにかわいいんだろーっ」て
言っていると、

「ちゃらか、お願い。その子,
ちゃらかの国に
一緒に連れていって。
会えなくなっちゃうのいやだけど、
きっとちゃらかの国の人は
みんないいひとだから、大丈夫...。」

大きな透き通った目で、
まっすぐ私をみて、
いいました。

初めてされたこの質問に
私は、泣きそうになりました。

 
「ママと離れ離れになるのよくないよ。
この子にはマッサラートずっと必要だよ。」

っていいました。
 
「わかった。迷惑にならないように、ちゃらかの
おうちで一生懸命わたし、働くから。
そうじだって洗濯だって、
ちゃらかのすきなインジェラ
毎日上手に作るから。」

何て答えていいかわかりませんでした。
 
一緒にベットに座っていたワーカーの子が
私の様子を見て、
 
「マッサラートだめだよー。
ちゃらか、
日本に帰ったら、お仕事いっぱいで忙しいんだよ。
それに日本はしゃべる言葉が違うんだよー。」
って慌てたようにいって。
 
あとからワーカーの子が、
「ちゃらか、マッサラートね、
ディスチャージするように管理の人に
さっき、言われたばかりだったんだよ。」
って教えてくれました。
 
施設をでたら、どうやって
食べていけばいいのか、他に頼る人がいない
マッサラートはきっと悩んでいたんだと思います。
 
私は、結局は、何もしてあげられない自分の
立場がよくわかって、苦しくなりました。
 
でも、次の日、
マッサラートが笑顔で、

「チャラカー私、
ここで寝泊りして働けることになったの。」
っていってきました。

行き場のないマッサラートを心配して
ワーカーの子が
管理のかたにお願いしてくれたようでした。

私はもう、ほっとしてほっとして。

この施設では、ワーカーの子が、
病気に感染してしまっったり、
病気だったことがわかったりして、
次の日には、患者さんになって
しまったりしていましたが、
患者さんの子が、
ワーカーになったりも
していることがあるって
知ってすごくすごくほっとしました。

でも結局は、自分は何もできなんだなってこと。
思い知らされました。

働く場所がない。

エチオピアでは、
会社も企業もとても少なく、
国自体の収入も本当にわずかで、

日本にいたら、どんな風にこの子たちは
過ごせていたんだろう。

どんな風な職業につきたいって思うんだろう。
そのためにしっかり学校に通って。
恋愛もたくさんして。
映画にいったり、クラブにいったり。 喫茶店にいったり。
電車に乗ったり。お買い物したり。テレビみたり。


ただ生まれた国がちがったっていうこのことだけで、
薬も手に入らず苦しむ子たち、
ボロボロの体でよたよたして、物ごいしている子たち。
 
この子たちの未来には、何が待っていて、
どこにつながっていて、逃げられない現実を
一生懸命笑顔で受け止めている
この子たちが苦しくてたまりませんでした。

私の無力さにもいつも愕然としていました。
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マラウイの南部の村

またしばらく、みくしかけずにいました。

無事に、 マラウィの南部から、
モザンビークに入国できました。

マラウイは、人口の65%が1ドル以下で
生活しているっていわれている貧しい国です。
HIVと食糧不足もとても深刻なようです。


でも現地の多くの笑顔に出会いました。

マラウイの南部の町、
とてものどかで
湖が目の前なので、
みんな服や食器を洗ったり、体を洗ったり、
魚をとったりしています。
ちょうど1ヶ月間マラウイにいましたが、
本当にマラウイの人はおだやかで、
人懐っこくて 笑って 歌っている
イメージです。

停電も毎日何回もしますが、
停電のときに真っ暗闇の
小さな町や村から
見上げる夜空は、
本当に星がたくさんできれいすぎて
とても感激します。

英語が通じるので1ヶ月いて覚えた
チェチェワ語は、
挨拶とありがとうと、
「ネネス コンゴーラ」 (星、きれい。)だけです。

数時間の停電後、
町に明かりが突然つくと、
みんな歓声を毎晩あげてます。

でも、逆に停電してしまう瞬間も
歓声をあげます。ため息まじりですが・・。
でもその後笑いもおこって、
本当にこんなに毎日停電だと、たいへんだなー
って思っていたのですが、

意外に電気がついたつかないで
わいわいしているみんなをみて
のどかだなーっいいなーって
思っていました。
村に住んでいる人たちは、
もちろんいつも電気ありませんが。。

この小さな町にきた、
旅行者の欧米人の子が1年で二人,マラリアで
亡くなったそうです。
一人は、宿の小さなシングルの部屋で
しばらく誰にも気づかれずに亡くなっているのを
数日経ってから発見されたそうです。
 
いつかかかるだろうって思って
まだかかってないマラリア、
モザンビークにはたくさんいるようで
どきどきしてます。
 
ガーナに仕事で2年行ってた、イタリア人の男の子、
「2年で15回マラリアなったよ。
慣れれば、高熱の風邪みたいなもんだよー。
発見早くないと危ないけどね、、」
って教えてくれたの思い出しました。

南部の村、その村にいくには、
近くの小さな町から
自転車タクシーにのっていくのですが、
そこで、10代後半のエマンという女の子に会いました。
 
その子のおうちに招待してくれて、
何回か遊びにいっていました。

エマンは、5ヶ月の赤ちゃんがいて、
その赤ちゃんと親戚のかたと
その子供たちと住んでいました。
 
エマンは
「マラウイのブラットタイヤ(マラウイの商業都市)に
住んでいたの。
でも赤ちゃん 出来ちゃって、
親がとても怒って、
ここにいる親戚の人と住みなさいって、
赤ちゃんの父親は、
今はどうしているか知らない。」
  
って話してくれました。 

その男の子は、
このかわいい赤ちゃんのこと知っているの?
ききたかったけど、
なんだか聞いちゃいけない気がしてきけませんでした。
 
大きなお魚、釣ってくれて、火をおこして
お料理してくれて、近所の子供たちみんなで
食べたり、遊びました。 
 
エマンの親戚の子供のひとり、3歳になる女の子、
すごくかわいらしいジョハネっていう子で、
この村にいると
子供たちが20人以上常によってきて、
私の手を握ろうと取り合いになります。
一本の手で同時に
5人の子達と手をつなぎながら
歩いたりしていました。
 
この子も私が話しかけるとすごく嬉しそうに
恥ずかしそうにしていました。
 
村から最後にばいばいするときに、
エマンがジョハネに、
「さやか、モザンビークにいくの。だから
お別れだよ」って伝えると、
うぎゃーって赤ちゃんみたいに泣き出して
私も本当泣きそうでした。
  
バイバイするとき、エマンが、
 
「私、間違えちゃったの。
私、村はすきじゃないよ。
電気も水道もないし。
早く、町に帰りたい。
私は、ここで、毎日、どうしていいかわからないの。
私大きな間違えしちゃったの・・。」

突然、なんでもあった都市の生活から、
なんにもない村の生活はきっと同じ国内でも
大きな変化で、英語を流暢に話すエマンの会話の中からも、
きっと頭が良い子なんだろうなってこともわかりました。

赤ちゃんを育てることどれだけ大変か、
日本にいるお友達や、
エチオピアでみた、まだまだ若いママたちをみていたし、
あとエマンが
水を離れたところまで汲みにいって、
重たいお水の入った大きなタライ、頭にのせて
赤ちゃん、大きな布で自分の体に
包んで背負って、暑い中、
1日何往復もしていることや、
お料理して、お掃除して、
親戚のたくさんいる子供たちの
面倒までみて、すごくたいへんなのは
数日一緒に過ごしただけですが、
わかっていました。

「間違えなんてしてないよ。エマン,毎日頑張っているよ。
エマンお仕事たくさんだけど、
こんなにかわいい赤ちゃんに出会えたよ。
きっと強くて、優しい男の子になるよ。」

っていうと、
「うん。ありがとう。 そうだね。
そうだね。 私もそう思う。」
って最後に笑ってくれました。
 
今日も、毎日たくさんの村の子供たちに囲まれて
頑張っているんだろうなって思います。
またいつか会いに行きたいって思います。

| ボランティア | comments(2)
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