医療技術学校
昔エチオピアの施設でしばらく生活していた頃、
毎日亡くなっていく自分よりも若い女の子たちをみながら
いつか医療の勉強ができたらと思い始めて、
モザンビークで長く生活するようになってから
ここで医療の勉強がしたいなぁと思うようになりました。
ここの公用語はポルトガル語ですが、
初めて来たとき、ポルトガル語なんて
一言もわからなかったし、
ここで生活をし始めた最初の1年ぐらいは、
いつまでここに住むかわからなかったし、
ポルトガル語から英語か日本語の辞書は手に入らなくて、
自分で辞書もどきを作って、
誰かが言った言葉をノートに書き写して
暗記するようにずっとしていました。
日本を出てきてから、無職でただうろうろしている人になったから
贅沢は敵だって思って節約しながら旅を続けていましたが
ここで医療の学校に通えたらなぁって考えだしてから、
たくさんの睡眠は敵だとも思うようようにして
協会の仕事、英語教えるアルバイトの後、
夜は1人で勉強していました。
でも、眠気に負けて、まだ教科書1行も読んでないのに
そのまま机で眠って、夜中に物音や、寒さで目が覚めて
布団にふらふら入って寝ちゃったりの日も多かったですが、
それでも勉強机に亡くなった日本の親友の写真、
亡くなったエチオピア、モザンビークの子たちの写真を置いて
いつも眺めながら励まされて少しずつでもと勉強を続けました。
受験科目は生物と国語で、もちろん全部ポルトガル語で
最初の頃、出題範囲の高校生の教科書みたとき
すべての単語が読めなくて、
一体何が書いてあるのかさっぱりだったし、
本当にこんなんで試験にいつか
受かることができるんだろうかって青ざめていました。
生物は、細胞、生態、解剖からの出題で
だらけて過ごしてしまった日もたくさんあったけど、
自転車こいで勉強小屋に向っているときも、ご飯食べているときも、
ひたすらブツブツ暗記したり、勉強するようにしていました。
日本で学生だった頃、普段は全然勉強せずに、
試験前に一夜漬けで勉強したことがあったぐらいだったから
人生でこんなに長い間、勉強したのは初めてでした。。
ついに先月試験があって、もし今回受からなかったら
次の試験は2年後になってしまうのでとても怖くて、
試験問題、選択問題もありましたが
穴埋め、記述、小論文形式がでて、私にとったら
すごく難しくてきっと落ちちゃっただろうなぁって
思って落ち込んでいました。
合格発表の日、たくさんの現地の子達も
学校の外に張り出された結果発表の長い紙を見ていて
私もみんなに何、この外人?って感じで
じろじろ見られながらひとりで人だかりの中に入って行くと、
上位に自分の名前とそれぞれの科目の点数が書かれていて、
その横に合格って書かれてて、本当に嬉しくて涙が出そうでした。
試験を受ける前、お金持ち層の現地の友達とかに、
「えー試験受けるの?落ちるでしょー。
学校関係者の人に大金(賄賂)渡して
合格できるようにしてもらいなよー。」
ってさんざん言われましたが、
「自分で試験受かるように勉強頑張る」って言い続けていました。
入学願書を提出したときも、担当のかたたちに
「ここは政府直属の学校だから、外国人はだめ。」って
言われてしまいましたが
最終的には「試験合格すれば入学を許可する」って言ってもらえて。
私の受けた学科は、医療技術科で
(ここでは、病院に行ってもお医者さんの数が少なすぎて
お医者さんには見てもらえないです。
お医者さんの代わりにこの医療技術者さんたちが診察します。)
診察したり、治療したり
薬の処方箋を書いたり小さな村とかの病院の管理をしたりもする学科で、
1000人近く受けて合格者は30人でした。
出題されて運が良かったんだと思います。
ここの学校で働く人たちに合格発表のあと入学手続きしに行くと
「あなた、受かったんだねー。あっさり落ちると思っていたよ。
勉強本当に頑張ったんだねぇっ」って言ってもらえて。
海外にでる
きっかけをくれたよーこさんの本に書かれていた
よーこさんのご友人の言葉、
I neve said I can’t, if you say to yourself
that you can’t , you can’t do it..
(もし、自分に「できない」と言ってしまったら、
それは「できない」けれど、私は決して自分に「できない」とは
言っていないわ。)
私もこの言葉を紙に書き写して部屋の壁に貼っていて、
協会の仕事でも、今回の受験勉強でも、ここでの生活のことでも
もう無理かもしれないって
弱気になってしまったときいつも読み返していました。。
学校は今月から始まります。
月曜日から土曜日で朝6時半から午後5時までです。
(土曜日は基本午前中のみのようです。)
いまだにポルトガル語、知らない単語は山のようにあるし、
文法も、形容詞とか冠詞の使い方も
まだまだ怪しいですが、授業についていけるように頑張ります。
協会の仕事は、平日は一緒に働いている子に電話で連絡を
とりながらお願いして、
私は平日はお昼休憩の1時間半と夜、土曜日の午後、日曜日と考えています。
自分が何年か前からしたかった勉強ができることで1人でうかれていたら、
協会を始めた当初から通ってきていた8歳ぐらいの男の子イスフが
亡くなってしまったって連絡がちょうどきて茫然としました。。
イスフ、数週間前から具合が悪く
勉強小屋をお休みしていたのですが、
病院にも何回も連れて行き、それでも具合が良くならず、
村の呪術医さん、伝統治療師さんのところへ
連れて行ったその日に亡くなってしまったようです。
イスフの亡くなってしまった原因もいろんなことが考えられますが、
結局わからないままです。。
まだこうして生きていて、じぶんのしたいことや、したい勉強ができる
とても恵まれた自分の環境に感謝しながら
これからも毎日を過ごしていきたいです。
こういう風に亡くなっていってしまう子達を
少しでも減らせるように、協会の仕事も継続して
気持ちを引き締めて活動させていただきたいです。
協会へのご支援をしてくださって本当にありがとうございます。。
写真。 村にあったHIV、エイズを防ぐ方法が書かれた看板。
文字が読める人も圧倒的に少ないし、
こういう看板や道路標識なんかも
アルミみたいなのでできているので
タライやお鍋?とかにするためによく盗まれてしまうようです。
右にぶらさがっているのは、赤ちゃんのつるして体重測る
ところです。電気も水道ももちろんないです。。
協会の子どもたち。
勉強小屋の授業が終わった後、よくみんなで
しらみを探しあっているときの写真。
イスフもこの日みんなと一緒にいたと思います。


