強盗に入られないためのドア

 

先日、ルーシアさんが近所の路上マーケットに行ったときに

知り合いの10歳ぐらいの女の子をみかけたとき、

女の子の顔がひどく腫れてしまっていて。

 

どうしたのか尋ねてみると、

夜中に強盗がやってきて、家族みんなで暴行を受けたと。

 

強盗たちは、斧でドアを壊してはいってきたようで、

銀行からおろしてきたお金を出すように要求したそうです。

 

その日の昼間、確かに家族の一人が

町中にある銀行からお金をおろしていて。

 

昼間、銀行から後をつけられて、

夜中になるのを待って入ってきたようでした。

 

強盗たちは銃も持っていて、

命乞いをして、命だけは助けてもらったそうですが、

ひどい暴行を受け、家族の何人かは病院に入院していて。

 

この10歳の女の子ですら一緒に暴行をうけてしまって。

 

恐ろしい思いをした、

ご家族みなさんが早く完治しますようにと

思っています。

 

 

アシャンテママのお金の管理をしてくれている

ルーシアさんたちも、

どうか危険な目に合ってしまわないようにと

いつも願っています。


 

写真は、

アシャンテママの教室の敷地内に住んでくれている

ルーシアさん、ルーシアさんの親戚の子供達が

眠る部屋です。

 

ドアを斧で壊されてしまわないように、

鉄格子をつけさせていただきました。

 

これがあるだけでだいぶ

安心するといっていました。

 

来月現地に行くとき、頑丈なタイプの南京錠を

こっちで買って持っていきたいと思います。

現地に着いたら、

安全対策の強化ももっとしっかりしていきたいです。

 

いつもご支援ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

お正月にお米を渡したときの動画と写真

 

お正月、

みんなの大好きでみんなにとってはとても高価な食べ物のお米、

一人3コップずつ渡させていただきました。

 

みんなとてもとても喜んでいたそうです。

 

雨期に入ったこの時期は、

家族に連れられて町を離れ、

遠く離れた村やブッシュの中で

畑を毎日耕して生活をしている子供達が多いです。

 

その子たちには、町に戻ってきたら

渡させていただきます。

 

温かいご支援、心から深くお礼申し上げます。

 

 

※動画です。音がでるのでご注意ください。

 

 

 


 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(1)

畑の犯人たちのその後

 

 

以前に書いた畑を占領してしまった強盗集団。

 

その中の数人と現地に行ったときに話し合いましたが、

結局アシャンテママの畑は諦めたことを書かせていただきました。

 

畑の土地問題(続き)

 

 

ある夜、この強盗たちは、

ある女性がたまたま一人で家にいた日を狙って

強盗に入り、泣き叫ぶ彼女に暴行を加え、

マットレスなど家財道具を奪っていったそうです。

 

その家から物を奪って逃げていったとき、

この女性は、気丈にも外に出ていき、

彼たちの名前を叫んだそうです。

 

逃げる途中にその声が強盗たちの耳に入り、

その女性のとこに大激怒して引き返し、

さらに暴行を加え

殺してしまったそうです。

 

近所の人たちは全て聞こえていたけど、

怖くて助けに出てはこれなかったと。

 

その同じ夜、また別の家にも入り、物を盗んでいって

でもその被害男性は、生き延びて

すぐ次の日に被害を警察に訴えたそうです。

 

警察も彼たちの家に行き、盗んだものがあるのを確認し、

殺された女性が彼たちの名前を叫んでいたことも近所の人から聞き、

彼たちは警察に捕まったそうです。

 

具合の悪いアレルヤの様子を

見に行った帰りに、ルーシアさんも

ちょうど、アシャンテママの教室の前を警察に連行されて連れていかれる

彼たちをみたそうです。

 

殺されてしまった女性が不憫でなりません。

 

強盗集団の全員が捕まったわけではないこと、

もしかしたら全員すぐに釈放されてしまうかもしれないこと、

他にも強盗をする人たちはいるので、

ルーシアさんたちの身の安全もとても心配です。

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

子供たちのノートの写真

 

モザンビーク政府の学校では、

小学校から学年によって進級テストがあります。

テストに合格しないと落第制度で

かなりの子供達が落第してまた同じ学年をやり直します。

 

 

アシャンテママで政府の小学校への入学援助サポートをして、

今年から通えるようになった子達の多くは、

自分の家族で誰も公用語(ポルトガル語)が話せず

読み書きもできないご家庭の子達が多いです。

 

まだまだポルトガル語でのやりとり、

読み書きは難しくて

ゆっくりゆっくり覚えていっています。

 

もう何年もアシャンテママに通っている子達は、

この進級テストを受ける必要がないぐらい優秀で

担任の先生から「受けなくても良い!」と言われ

そのまま進級できる子達もいます。

 

勉強が得意な子もそうではない子も、

みんなが勉強を続けられるように

できる限りサポートしていければと思います。

 

いつだったか誰かに、

「かわいそうだと思って、

 ずっと子供達をサポートしているんですか?」

と聞かれたことがありました。

 

その時、なんて答えたのか覚えていないのですが、

多分、12年前エチオピアで医療ボランティア、

モザンビークの病院や、アシャンテママの何人かの子供達、

たくさんの若い子たちの短い人生が終わっていく姿をみて、

「もしも自分がこの子だったら。。」と思って、

それが今も続いているただそれだけのような気がします。

 

ありがたいことに皆様からのご支援で活動も続けられていて。

 

心から深く感謝致します。

 

 

 


栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

ルーシアさん。

 

アシャンテママで働く私と同年代のルーシアさん。

 

ルーシアさんは、約8年前に、

アシャンテママの女性たちの教室に通ってきていたひとりでした。

 

ルーシアさんがアシャンテママの教室に通っていたとき、

いつも同じボロボロの服を着ていて、はだしで、

やせ細った体に、やせ細った赤ちゃんを抱えていました。

 

しっかり住む場所がなく、母乳も出ず、薄汚れた哺乳瓶をいつも持って、

その地域で物乞いのようなことをして歩いていた女性、

と聞いていました。

 

元々近くの村に住んでいて、今まで6人出産したけど、

1人は産まれてすぐ、他の4人は、2歳ぐらいになる前に

次々と死んでいってしまって、

最後にひとりだけ残った赤ちゃんと暮らしていたそうです。

 

この赤ちゃんがお腹にいる頃に旦那さんも亡くなり、

なんとか生まれた、赤ちゃんも弱ってきてしまって、

今までの子供たちのように死んでしまわないように、

この町の病院に来るために、急いで自分の村を出てきたと。

 

栄養失調、感染症などで弱ってしまって痩せこけた赤ちゃん、

入退院を繰り返していて。。。

 

村までの病院の診察に行き来する乗合ワゴン、トラックの荷台(バス)に乗れるほど

お金は持ってなく、町の知り合いの家などを赤ちゃんと二人で、

転々として、水汲みや薪割り、その人たちの家の家事をして、

崩れそうな泥とわらの小さな家に住まわせてもらっていました。

 

ルーシアさん自身も8歳ぐらいの頃に、もう両親が亡くなって、

親戚の家に引き取られて育てられた女性です。

 

女性の勉強会がある朝、

冷え込みが厳しい寒い冬の朝でも、ルーシアさんは、

誰に言われたわけでもないのに、一番に早く来ていました。

 

そしてわらの勉強小屋の周りを、

自分で木の枝を集めて作ったほうきで掃いてくれていて、

ゴミを拾ったり、

水汲みなどもいつも自然と手伝ってくれていました。

 

それに、他に困っている女性たちのことを、

いつも気にかけている優しい気持ちを持っているなぁと、

日々接する中で思っていました。

 

当時、アシャンテママのスタッフは、

数人の高校に通う女性たち(と言っても私より年上だったり)

同年代の子たちを雇っていました。

 

ですが、このスタッフの女性たちは、

アシャンテママの教室に通う貧しい女性たちと挨拶するときに、

「呪いをかけられそうだから握手したくない」と嫌がったり、

その他の言動に諸々不安に思う点があったので、

逆にルーシアさんに働いてもらったらどうかな?

と思い始めました。

 

ルーシアさんは、子供の頃、小学校4年までは学校に通ったことがあって、

少しだけポルトガル語が話せて、

自分の名前や簡単な単語なら読み書きができる女性でした。

性格もとてもまじめで、正直で優しくて。

 

ルーシアさんが住まわせてもらっていた家族と

うまくいっていないと聞いていて、

そんな時、ルーシアさんが寝泊りしていた小屋に強盗が入り、

ルーシアさんは、暴行を受け、赤ちゃんも壁に投げつけられて、

持っていたお豆なんかを強奪されたと聞いて。。。

 

それを聞いて、すぐにお見舞いにいきました。

 

受けた暴行がひどすぎて、立てなくなって寝たきりのままで

薄暗くて狭くて、湿ったような土の上に

布だけひいた小さなぼろ小屋に

赤ちゃんと横たわっていました。

 

 

ちょうどその時期に、

アシャンテママの教室を移動しなくてはならなくなり、

急遽みんなでわらの教室を解体して新しい土地を見つけ、

新しいわらの教室を作りました。

 

そこには、小さな家もあって住む人がいたらいいなと思っていて、

ルーシアさんに聞いてみると「ぜひ住ませてほしい」と。。

 

それが、もう7年前ぐらいのことです。

 

今でも変わず、アシャンテママの教室の場所に住みながら、

リーダーになりしっかり働いてくれています。

 

アシャンテママの教室がない日でも、

お腹がすかせた子供達が教室に来たり、

親せきの家に預けられていて、

家にいると暴力やひどい言葉を浴びせられている子供達が、

教室に自然に集まってきていて。

 

ルーシアさんはいつも自分の食料をみんなに分けていて、

「アシャンテママの予算からそういう子供たちが来たら

食費として使っていいからね。。」と伝えても、

使わずに自分の食べ物を分けてあげていてばかりで。

 

誰かが病気で寝込んでいると聞けば、

いつも気にかけてお見舞いに行き、

水汲みなんかなんでも手伝ってあげていると、

他の人たちからいつも聞きます。

 

悲しい現実が多い場所でルーシアさんの存在に

みんなものすごく救われていると思います。

 

仕事のうっかりミスのことや、

あーでもないこーでもないと、色々話すこともありますが、

現地を離れて暮らす私自身、お金の管理を含め、

ルーシアさんの存在にとても助けられています。

 

数年前、彼女の唇に炎症があり、ずっと治らずにいて、

もしかしたらと思い、検査を受けてみたらどうかな。。と聞いて、

彼女も「受けたい」と言って、病院に付き添いました。

 

結果、HIVに感染していることがわかりましたが、

ルーシアさんは、他にも感染がわかって落ち込む女性たちに、

温かい言葉をかけて、とても前向きで。

 

ルーシアさんに知り合えて私も多くのことを彼女から学びました。

彼女の存在がとてもありがたいです。

 

何年も一生懸命働いてくれていて、感謝するとともに、

色んなことを乗り越えてきたルーシアさんが

幸せであることをいつも願っています。

 

 

写真

 

畑で働いてくれていた女性へ、お給料の支払いをしているルーシアさん(ピンクの服)

 

 

子供達へプレミオの日、手を振るルーシアさん(右下)

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(7)

子供たちのおうちと台所の写真

 

 

アシャンテママの子供たちのおうちの写真です。

 

きれいに片づけられた台所。

 

 

 

 


栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

パオリーノのお父さん

 

先月、現地にいたときに、

パオリーノ(男の子)のお父さんが

病気で寝たきりになってしまっていると聞いていました。

 

一度、パオリーノがルーシアさんに、

「アシャンテママの教室に粉ミルクはありますか」と

聞いてきたと。

 

ルーシアさんが、「病気のお父さんにあげたいんじゃないかな。

一緒に様子見にいこう」と言って、一緒に尋ねました。

 

このお父さんは、昔大工さんをしていて、

アシャンテママの教室の子供達が使っている木でできたベンチを

作ってくれた人です。

 

おうちを訪ねると、外でゴザにぐったりして

横たわっていて痩せ細ってしまっていました。

 

とても具合が悪そうで、

会話の中で、「何も食べる気がしないけど、

病院で、粉ミルクでいいから飲むように言われたけど、

でもお金が無くて買えなくて、、」と横たわったままの体制で

弱弱しいかすれた声で話ました。

 

ここの貧しい人にとったら牛乳、粉ミルクはとても高価で

全く買うことができない人が多いです。

 

 

帰り際に粉ミルクや食料などを買えるように

お金を渡そうとルーシアさんと話し合いました。

そしたらパオリーノはすぐに粉ミルクを買いにマーケットに行って。

 

早速、あったかいミルクを作ると、

お父さん、おいしく飲めて、「これで体の具合が良くなりそうだ」と

喜んでいて毎日飲んでいるとパオリーノがとても喜んでいたと聞きました。

 

そのお父さんが亡くなってしまったという

悲しい連絡が来ました。

 

家もすぐ近くだったのもあったのですが、

夜中の12時に、家族とルーシアさんに知らせに来たと。

 

 

いつも気にかけて何度もお見舞いに行ってくれていた

ルーシアさんの気持ちにも感謝して、

お父さん想いだったパオリーノのことを

みんなで心配しています。

 

 

 

 

写真

 

子供たちのノートをチェックするルーシアさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(0)

休まずに通っていた女の子

 

 

ルーシアという12歳ぐらいの女の子。

3年前からアシャンテママの教室に通い始めた子です。

 

9歳ぐらいだった当時は、

まだ学校に通ったことが今まで一度もない子で。

 

小学校に通えるように手続きを手伝い、

3年経った今は、無事に小学3年生になりました。

 

いつも全く休まず、アシャンテママの教室に通ってきていて

読み書きも公用語のポルトガル語もだいぶ覚えて、

これからも楽しみな女の子でした。

 

お母さんはいたのですが、

とても貧しく離れた村で畑を耕していたため

何年も別々に暮らしてて、

親せきに預けられて育てられていました。

 

前日まで元気にしていたルーシアが

その日の夜に「頭が痛い」と言って、

次の日には亡くなっていったと連絡が来ました。

 

亡くなった理由は不明だそうです。

 

12年の人生。

 

人によってはどんなに貧しくても、

12年も生きたから良かったと

思う人もいるかもしれません。

 

他の誰かの人生を自分の価値観で測ったり、

比べることは、良くないことだと

わかっていますが、

 

それでも、なんでなんだろう。。といつも思ってしまいます。

 

病気の予防や、

体調を崩したらまず病院にいくことをいつもみんなに伝え、

アシャンテママで働いているルーシアさん

(偶然おんなじ名前です。)が、

病院代がない子たちには、

病院代、薬代を渡してサポートをしています。

(確認のために後日レシートを持ってきてもらっています。)

 

ただそれでも、失われていってしまう命はあって。

 

 

モザンビークで一緒だったインド人の友人の一人が、

 

「亡くなっていってしまう子がいる現実はとても辛いけど、

アシャンテママの活動で、

救われて今も生きている命もあるってことも

忘れないでね。」と言ってくれ。。

 

 

ルーシアがどうか今は、

天国で安らかに過ごしていますように。。

それを願うばかりです。。

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

アジャラ

 

アシャンテママの教室には、

遺児の子たち、体に障害を抱えていたり、

HIVと共に生きる子供達も通っています。

 

2つ目のアシャンテママの教室に通っている

アジャラという名前の12歳ぐらいの女の子がいます。

 

お父さんとは、もうずっと会っていず、

遠くの畑を耕す貧しいお母さんを助けながら生活しています。

 

2つ目の勉強小屋をこの集落で始めるときに、

アジャラは、お母さんに連れられてきました。

 

アジャラのお母さんは、

 

申し訳なさそうに、

「うちの娘は、聞くことも話すこともできないけど

それでもここに通わせてもらえますか」と聞いてきました。

 

アジャラは、生まれたときから耳が聞こえず、話すこともできず、

学校にも通ったことがなかった女の子でした。

 

アシャンテママに通い始めてから3年以上が経ち、

今では、読み書きがとても上手になりました。

 

他の子供たちもアジャラがわかるように、

ゆっくり話したり、手を使って

話をしています。

 

アジャラは、

1日も休むことなく楽しそうに

通ってきています。

 

 

 

写真の左の女の子がアジャラです。

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

兄弟の子守り

 

幼い兄弟がいる子たちの中には

その子たちの面倒を見ながらも 

アシャンテママの教室で勉強をしている子たち、

家に帰っても、小さな兄弟の面倒を

亡くなったお母さんの代わりにする子たちもいます。

 

みんなまだ自分もお母さんに甘えたい年頃なのに。。

 

ある友人に、

「支援活動をもう数年している。」と言ったとき、

「わたしには理解できない、何のために?何で?」

と聞かれたことがありました。。

 

様々な厳しい現実を見たり、

こういう頑張る子たちを見るたびに、

できる限り活動を続けていくことができたらと思っています。

 

支えてくださる皆様、心からお礼申し上げます。

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(0)
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