自給自足で暮らすご家族と学校に通えない理由のひとつ

 

モザンビーク北部は今約6か月続く雨期の時期に入っています。この雨の恵みで作物が育ち、およそ5月前後に収穫時期になります。そして自給自足で暮らすご家族は一家総出で畑を耕します。


自分が暮らす集落の土地も売買されてはいますが、せっかくできた作物が盗まれてしまう頻度も上がってしまうことに加え、

現金収入がほとんどないご家族は、畑を所有するためのお金を手に入れることは簡単ではないので、多くのご家族は人里遠く離れた奥地に、竹などでできた簡素な掘っ立て小屋で寝泊まりし、食べ物を得るために畑を日々耕し

数か月そこで暮らすことが多い現状があります。


子供たちも1年のうち半分ほどの雨期の季節はそこで暮らし、日々くわで畑を耕したり、幼い兄弟のお世話、水汲み、薪拾いをし、収穫が終わる時期になると小学校がある集落に戻ってきます。


こういったことが、子供たちが学校に通えない原因のひとつになってしまっています。このようなケースに対してアシャンテママでは、子供たちが集落に戻ってきたときに、小学校入学支援を行うと共に、授業の遅れを取り戻すためにアシャンテママの教室を開校しています。


また小学校は出席日数が足りなくても、年度末の最終試験に合格すれば進級できるので、一人でも多くの子供たちが入学できるよう、中退することがないように、今後も支援していければと思います。


いつもご支援心から深く感謝申し上げます。


【写真】アシャンテママの教室に通う子供たち

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(0)

考えさせられた言葉

 

今期のアシャンテママの活動は、過去13年の活動を振り返りながら、運営体制の見直し等も進めています。

 

アシャンテママに通う子供たち、そのご家族、ご近所さん、地域の人々、現地政府関係者、スタッフとして活動に参加するメンバー、たまたまアシャンテママの教室の前を通りがかって声をかけてくれた通りすがりの人々、みんなが少しでも温かい気持ちになるような活動が出来るようにと思っています。

 

特に読み書きを知らずに、学校に通うことを知らずに成長している子供たちが少しでも安心して、楽しく勉強ができる場所になるようにと活動しています。

 

音信不通になっていた昔アシャンテママに通っていた子供たちが、実はもう亡くなってしまっていたなど、悲報を受け取ることも少なくありません。

 

こういった悲しい知らせを受け取るたびに、もっと何かしてあげれたことがあったのではと、悲しくとてもやるせない気持ちにもなります。

 

約16年前、エチオピアで同じ部屋で寝泊まりして数か月一緒にボランティアをしたオランダ人の女性がいます。今でも連絡を取り合う中で、アフリカの貧しい人々の話、世界の格差、理想とする社会のありかたなどの話もよく一緒にします。

 

彼女は、キリスト教のカトリックを信仰していて、彼女の兄弟たちも宣教師としてザイール(今のコンゴ民主共和国)やその他アフリカの国々などで、布教をするために人生の大半を過ごし長い間暮らしていました。

 

彼女の息子さんも、オランダ政府の農業支援関係で、10年ほどエチオピアに住み、今は3週間ごとにオランダとエチオピアを行き来する生活を続けていて、彼女も何度もエチオピアなどを訪れていました。

 

その彼女が

「私が見たり聞いたりしたアフリカのいくつかの国で貧しい暮らしをする人々は、本当にこれだけの1日の食事量でどうやって生きていられるのかと思うぐらいの食べ物しか食べることができず、水や服、火をつける薪、灯りの替わりになるロウソク一本ですら、苦労して探し続け一生を終えていく。あまりに厳しい生活で、こういった人たち子供たちの支援等はせずに、神のもとに、天国に早くいかせてあげたほうがいい気がしてしまうときがある」

とつぶやくことがありました。

 

こういった気持ちは彼女だけではなく、アフリカで知り合った先進国出身の人々からも聞くことがあり、そのたびに考えさせられました。

 

それでもアシャンテママの13年間の活動を通じて、皆様からのご支援によって救われた大勢の子供たちもいることは、大きな活動の成果です。


飢えに苦しむ子供たちをなくすこと、感染症などで短い生涯を終えていく子供たちをなくすこと、これは多くの要因が絡み合い、とても長い年月がかかることだと思いますが、

 

読み書きができるようになり、自分で本を読んだり、学校に通い知識を増やしてくれる子供たちが一人でも増えるように、厳しい暮らしをする子供たちに1日でも笑顔の日を増やすことが出来るように活動を続けられたらと思います。

 

ご支援をなさってくださる皆様に心からお礼申し上げます。

 

 

【写真】アシャンテママ教室に登録をしに来た親御さんを亡くしてしまった子供たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(5)

キッチンの写真

 

アシャンテママのみんなの家のキッチンは、家の軒下にあることが多いです。

 

朝太陽が出る前に起き、火をつけるための薪を探しに行き、乾期の時期は水を汲みにいって、火をおこして、乾燥したとうもろこしの粉をお湯で練っておかゆやシマを作ります。

 

今の時期は雨期が無事に終わりを迎え、これから8月ぐらいまで寒くて雨がほとんど降らない冬に入ります。

 

コロナウィルスの対策のため教室が休校しているので、先生たちが子供達の家を訪ねてくれていますが、マラリアにかかってしまったり、体調を崩して病院に運ばれた子供達が何人かいると聞きます。


栄養失調がひどく輸血が必要になってしまっている子もいて。


少しでも普段高価で食べることのできないけどみんなが大好きな卵やお米を食べて少しでも元気になってくれればと思います。


お見舞いにいくとみんなとても喜んでくれます。


いつもご支援本当にありがとうございます。

 

世界中で不安なことが多い日々ですが、どうか皆様も安全でありますように。

ゆっくり体を休めて夜眠れていますように。

 

 

 

【写真】子供達のお家のキッチンお料理中


 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(2)

色々な連絡

 

現地スタッフのひとりの22歳になる姪っ子さんが亡くなったと、連絡が来ました。

 

病気でずっと弱っていて入退院を繰り返し、二人の小さな子供達を残して亡くなっていってしまったと。

 

病状と経過を聞く限りHIVに感染していて、免疫がどんどん弱くなってしまっていたんだと思います。

 

私の現地の女友達のひとりも、HIVに感染していて抗レトロウィルス薬を飲んでいました。

 

彼女が別の州に引っ越してしまってから疎遠になっていたのですが、共通の友人から、彼女もエイズを発症して亡くなったと連絡がきました。

 

それから、数年前まで通っていた現地の医療学校の元クラスメート数人から連絡が入り、担任だった(30代の)先生がバイク事故で今日亡くなったという、悲報を聞きました。

 

アシャンテママの教室にも顔を出してくれたことがある先生です。まだ小さいお子さんがいる方でした。

 

医療学校の元クラスメートの子達の中には、もう亡くなってしまった子達もいますが、他のみんなは今ではそれぞれ立派に診療所や病院で働いたり、あるいは勉強を続ける道を選び、医師を目指し大学に通っています。

 

彼たちから国内北部で続く襲撃で家を追われる人々、殺されている人たちのひどい話をまた聞き。

 

こういう話を聞くたびに、安全な飲み水があって、食べ物があって、安全な眠る場所があって、寒さをしのぐ毛布があるということのありがたい現実が自分は産まれた日から今まで40年間ずっとあるということが、世界基準からみたらどういうことなのか、はっとさせられます。

 

向上心がないと言われてしまうかもしれませんが、自分に今ないものを探して不満に思ったりそのことばかりに気をとられてしまうより、自分に今あるものを大切にしてありがたいと思える人になりたいといつも思います。

 


【写真】休校前の子供達

 


栗山さやか | 日々の暮らし | comments(5)

現地を離れてしばらく経ちました。

 

半年間滞在していたモザンビーク、マラウィを離れました。

半年ぶりに家族にも会えました。

 

ちょうど別の国への引っ越しも重なり、

その作業や書類などの手続き、

ネット回線がしっかりなかったこともあり、

ブログの更新が遅くなってしまい大変申し訳ございません。

 

現地を離れてこの数週間の間に、

 

モザンビークでは、

協会の土地が勝手にまた売られてしまっていたこと、

 

スタッフの一人が夕方6時に

家に帰る道で、3人の強盗に襲われ大けがを負ってしまったこと、

(携帯電話を奪われた)

 

スタッフの家族の一人が畑で

撲殺された遺体で見つかったこと、

(作物が盗まれていた)

 

マラウィのアシャンテママの教室に通っていた

一人の女の子がマラリアで亡くなってしまったと

連絡が入り。。

 

 

娘が産まれてから、

先進国と、途上国を行き来する生活になりましたが、

どの国でも色々なことが起こり、問題は山積みで。。と思う反面、

やはり安全があることの大切さ、

1日1日生きていて、安全と食べ物のあるありがたさを感じています。

 

 

またこのブログで現地の活動のこと、子供達のこと、

変わらず書いていけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(5)

悲しいニュース

 

最近、ほぼ毎週、自分の知っている人や

スタッフの家などに夜強盗が入っていて。

 

家のドアを壊して入ってくる場合、

家の壁をたたき割って入ってくる場合。

 

今は作物の収穫の時期なのですが、

何カ月も毎日家族みんなで畑を耕して

やっと取れた作物を家に運んだ日や

作物が売れて、現金を家に持って帰った日が狙われて、

きっと後をつけられていて、寝静まった夜中に家に襲いにきて。

 

家族全員縛られひどく暴行を受け、そのうちの一人は耳を切り落とされて、

お金の隠し場所を白状するように言われ、

お金を奪われた人たち。

家の中のほぼ全てのもの、毛布やバケツ、食糧、服、

全部持ってかれ。

 

この町の中心部はお店も増えかなり発展してきたし、

以前はなかったバイクタクシーも町中にいます。

それに何より殺人がかなり減ったとほっとしていましたが、

また最近、警察官に撃たれてしまった人たちや

アシャンテママの教室のある地区の墓地で

ずた袋に入れられて足だけが出ている腐った遺体が見つかって。

 

 

日本や欧米のニュースでも頻繁に聞く

子供達へのひどすぎる虐待死のニュース。

 

それでも昔に比べればどこの国も

まだましになっているという人もいますが。。

 

前に、アシャンテママの女性たちで

何年も耕していた畑を強盗たちに奪われてしまったとき、

女性たちの身に危険が及んでは。。と

理不尽だけど諦めようと決めてみんなでとぼとぼ帰った帰り道、

ルーシアさんたちが、なぜか内戦時代の話をし始めました。

 

兵士たちは、鼻だけなたで切り落としたり、

レイプ、多くの人を殺して、

女性たちが抱っこしていた赤ちゃんをうすの中に入れて、

棒で突いて殺すように指示して

殺した後その赤ちゃんをそのまま食べることを

その赤ちゃんの母親や家族に強要したそうで、あの頃に比べればましだと。。

 

アシャンテママの教室で子供達にお料理をしてくれる

スタッフのアナさんという女性がいます。

アナさんは足を引きずって歩いているのですが、

それは、内戦時代に自分の家の前を歩いていたら

突然撃たれ、太ももに撃たれたひどい跡が今もあります。

 

その時、アナさんが抱っこしていた赤ちゃんも撃たれて亡くなり、

一緒にいたお姉さんも撃たれ亡くなって。

 

 

インド人の友人の一人が、

「そういう恐ろしいことは、何人だろうと、どの時代も人類の中で少なからず起こることだと。。ただ生まれ持って残虐性を持っていた人がもしもいるとしても、子供時代のまわりの環境の影響、何かに救われて、防ぐことができると思うよ。それにそういったことをする人は、やはり育った影響、それに今自分の周りにいる人の影響が大きいと思うよ。」と。

 

苦しい思いをしている人達、

子供達がすべての国で1日でも早く減ればと思います。

そのために今後も少しでも貢献できること考えていきたいです。

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(7)

1か月が過ぎました。

 

 

現地に戻ってきてから1か月が過ぎました。

毎日あっという間に過ぎていきます。

 

先日の夜中、私の住んでいる家の屋根に石を

投げられていて、

さびた鉄の薄い板の屋根なので音が響いて

驚いて目が覚めました。

怖くて、どうしようか悩んでいると10分ぐらいでやめてもらえました。

 

ただ今は以前とは違い、

同じ敷地内の場所に一家族が住んでいるので

叫んだらきっと助けにきてくれるので

かなり安心して夜眠れます。

 

この1か月の間に、アシャンテママで子供達へご飯を作ってくれる女性の

元旦那さんが自分の家で撲殺されて発見されて、

 

この町でも裕福で有名だった男性が

家に突然侵入してきた人たちに射殺されたと聞きました。

 

うちの外にある穴トイレの蓋が夜中に盗まれたり

スタッフの家の外にある電線が盗まれたり。

 

以前このブログにも書いたアシャンテママの畑を占領して

それからしばらく経った後、一人の女性を殺して捕まっていた

強盗たちがなぜか釈放されていました。(証拠不十分だったためか、

証人になる人がいなかったからか、警察と知り合いだからか)

拘置所からもう出てきていて。

 

一部の強盗たちは、いくつかの別の町などに移動しながら、

家を襲っているので別の町に行っている数か月の間はましになって

また戻ってくるはず。。と言う人たちもいます。

 

ですが以前よりは、殺人の件数がとても減っていると思います。

 

これからもどんどん減っていけばと思います。

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(2)

シーチキンの缶

 

 

ときどき食べるシーチキン。

 

溢れるように食べ物が売られている

スーパーなんかで今もシーチキンの缶を見かけたり、

買って食べるたびに、

モザンビークでは、シーチキンは高価だったため、

週に1回の楽しみのおかずだった頃の生活を思い出します。

 

 

最近2回短期アパートに引っ越しを繰り返し、

(まだ最終的にアパートが決まっていず。。)

一日中育児、夜泣き寝不足、アトピーもひどくなり、

新しい土地での生活、アパート探し、

モザンビーク、マラウィのスタッフとのやりとり、

現地へ行く準備、

なんだか少しアワアワしてしまっていましたが、

 

現地のみんなに比べたら

安全な場所に住めて、ご飯は食べれるし、

どんなに狭いアパートでも

最低限必要なものは全部持っていて。

 

 

先日、 モザンビークの現地のスタッフの

ミーティングで私も電話で参加して話をしていました。

 

ミーティングが終わってから、

元々アシャンテママの畑で働いていた女性たちで

今は教室で水汲みや赤ちゃんの子守りをして

働いていてくれる女性たちから

借金の申し込みがありました。

 

今の時期は、路上のマーケットで売られている野菜、主食の

トウモロコシの粉も含め、

食べ物の値段が全体的にとても上がり、厳しい時期です。

 

来月末になれば、きゅうりや、かぼちゃが収穫の時期になり

路上のマーケットに売られるようになるので、

なんとかお腹を満たせると話していました。

 

お芋もそろそろ売られる時期と話していて、

 

「お芋の収穫の時期は

まだ先なんじゃないかな。」と聞くと、

 

みんな食べ物がなくて、

お腹が空いて、まだ収穫時期には早くて、

お芋まだ小さいってわかっているけど、

土から掘り起こして食べちゃったり、

子供の新学期が始まる時期なので、ノート代が必要で、

小さくても売るために掘り起こしちゃうって話をしていて。。

 

それにお芋が大きくなる収穫の時期までしっかり待ってしまうと

その前に泥棒たちに掘り起こされて盗まれてしまうこともあり。

 

逆に泥棒達も収穫の時期より先にみんなが掘り起こしてしまう

ことを知っていてさらにもっと早い時期に

お芋もまだとても小さいのに、

掘り起こして盗んでいってしまったり。

 

一生懸命毎日畑を耕しても

あっさり盗まれて行ってしまうことが当たり前のことのように起こる日常。

 

 

もうすぐ現地へ戻る予定ですが、

今回は2か月以上滞在できればと思っております。

 

 

いつもご支援ありがとうございます。

 

 

 

写真 アシャンテママ教室のマラウィの子供達。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(2)

2019年明けましておめでとうございます。

 

 

2019年 あけましておめでとうございます。

 

日本で過ごすお正月、紅白歌合戦、年越しお蕎麦、

除夜の鐘、初詣、おせち、お雑煮とかを想像して

幸せな気持ちになっています。

みなさまどうか穏やかな元日を過ごせていますように。。。

 

 

以前に、約9年ぶりに日本へ一時帰国したときは12月でした。

 

モザンビークは夏の暑い時期だったので、

冬服をあまり持って来ずに、日本に戻ったのですが、

実家に戻ると、私の中、高校の頃の服が

たんすに入ったままでした。

 

25年ぐらい前、中学校の頃はやっていた

シャカシャカズボンなどそのまま中学校の頃なんかの恰好で

実家で過ごしていました。

(渋谷の店員時代の服は派手派手すぎて

一体、なんでこんなの着ていたのかな。。と思い

着れませんでした。派手なハイビスカス柄とか。。)


実家には私が幼稚園の頃、給食に持って行っていた

私の名前が書かれたプラスチックコップ、給食袋、

うちの兄が小学校の家庭科で縫ったクッション、

母が小学校の頃に編んだマフラーもまだ使っていました。。

(55年以上前のマフラー)

 

「もったいなから捨てられない。。」と言う母の言葉、

日本に住んでいた頃は、あまり思わなかったと思いますが、

今は、とても分かります。。

 

私が中学でソフトボール部で着ていたユニフォームや、

中学・高校の頃のジャージ、

25年経ってもチャックも壊れていないし、

素材も立派ですごいなぁと思いました。

 

モザンビークに持って帰って、プレミオとして渡しました。

簡単には穴があきそうもない、しっかりした固い素材で、

すごく気に入ってくれて、受け取れた子供達、

毎日毎日着てくれています。

 

 

写真 私の中学、高校時代のジャージ、ユニフォームなどです。。

 

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(4)

人糞が投げ込まれた時の対応

 

現地の事務所の敷地に、

ビニール袋に入った

人糞が投げ込まれたと連絡が来ました。

 

投げ込んできた隣人の家に、

投げ返そうとしたのですが、

結局、

きっとこういうことをした人を裁くのは

神様だから。。と考え直して、自分たちで処分したと。

 

たまたまかもしれませんが、

スタッフの中でイスラム教の子達は、投げ返すべきと言い、

キリスト教の子達は、神様に委ねるべきって

と意見がわかれたようで。。

 

結局最後は、

みんな、「そうだね、裁くのは神様だね。。」となったと。

 

 

この間、私も現地にいたときに、

大声をあげて道を歩く30人以上の集団がいました。

 

「あぁ、ウニャゴ(奥地にこもって行われる割礼などの儀式)から子供達が戻ってきて

そのお祝いでも近くであるのかな。。」

と思っていると、

みんなで一人で縛られた男の人をひき連れていました。

 

なんだか怖かったので、

急いでその場を離れてあとから聞いてみると、

 

あの男の人は、自転車?バイク?を盗もうとして

捕まって、これからみんなでこの犯人を燃やしにいくと。。

 

集団のみんなはプラスチックの油の空の入れ物を棒で叩いて

音を出し、大声をあげていました。(その中には子供達もいる)

集落からはなれたブッシュの中に連れて行っている途中だったそうです。

 

住んでいた頃、時々目にした光景です。

本当に燃やしてしまって焼死体が放置されていたとも時々聞きます。

 

別の遺体がそのまま放置されていて、

野犬たちが遺体を食べていたりして、

においもすごいから、移動させて穴を掘って埋めた。と

この間も聞いたばかりでした。

 

みんな、泥棒、強盗たちに心底疲れているんだと思います。

見せしめのためにやっているんだと思います。

 

 

私の友人のブラジル人の女性は、

布教(キリスト教のプロテスタント)のために来ていて、

聖書、神様の教えを広めていますが、

「何が起こっても、

どんなひどいことをされてもその人を許そう。。」と伝えています。

 

カトリックのオランダ人の友人も

 

「どんなことが起こっても、最後に人を裁けるのは神様だけ。。」

と言っていたことを思い出しました。

 


やられたらやり返したり、

暴力的に解決するのではなくて、

許す心を持ちましょうと説くことは、

 

こういった現実で生きる現地の人たちにとっては特に、

前向きに生きる糧になるのではと思いました。

 

私自身、約11年東南アフリカで

そう思いながら過ごしてきたように思います。

 

ただ何をやっても後から懺悔して神に許しをこえば許されるから、

強盗、人殺しを繰り返す人々が増えてしまうことはあってはならないと思いますが。。

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(5)
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