色々な生き方

 

 

モザンビークの別の州で十年ほど前に知り合った
イタリア人の方が
亡くなったと聞きました。


彼はイタリアから
内戦直後のモザンビークに来て
亡くなるまで数十年、モザンビークで

キリスト教の布教に努めていました。


彼が亡くなってしまった原因は、
車の修理を修理屋さんにお願いして、
その車の少し前で立ち話をしていたら
車が突然動き出して
ひかれてしまい亡くなったと聞きました。

とてもショックでした。


奥地の村の病院で

ボランティアさせてもらっていたときに知り合った方で
とても穏やかな雰囲気を持っていました。


教会で聖書、神様の教えを説くこと以外にも、
時間を見つけては、
電気もまだ来ていない村々の小さな病院を訪ねて、

入院している人々一人一人のベットで、話を聞き、
一人ずつにそれぞれ静かに祈りを捧げていました。


苦しんでいたり、悲しんでいた患者さんたちは
とても穏やかな顔になり
一緒に祈りを捧げていて。


病気で苦しく不安でたまらない中、
彼の祈りで心が救われた方々が多くいらっしゃったと思います。


大きな活動でなくても、
彼のように、一人一人の心に寄り添うような、
色々な形のサポートがあって、
様々な生き方があるんだなと
とても心に残りました。

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(2)

友人の言葉

 

昔、協会アシャンテママを始める前、

10年ぐらい前になると思いますが、

テテ州(モザンビークの北西部)にしばらく

住んでいたことがありました。


インド人の友人の会社少し手伝ったり、

町のはずれにあった孤児院や村の診療所で

ボランティアをしていました。


このときに一緒の敷地内に住んでいた

今でも連絡を取っている

パキスタン系モザンビーク人の友人がいます。

 

この地域は、一番暑い時期、10、11月頃になると

気温が45度近くまでになっていました。


住んでいた場所は、

町中だったので電気は通ってましたが、

そんな暑いのに当時はよく停電して

せっかく貸してもらった扇風機が使えなかったり、

(使えても熱風がくるだけで意味がなかったりでしたが。。)

よく断水もしてしまっていて、

体を洗ったり、体を冷やすための

水浴びもままならず暑くてたまらない日々でした。


この友人は、イスラム教を信仰していて

イスラム教の教えの断食月のとき、


「暑くて体が干からびそうなのに、太陽が沈むまで

水も飲めないからとてもとても辛いよー。」と

よく言っていました。


彼女は家族は、代々イスラム教一家でしたが

彼女と彼女のお兄さんは飼っていた犬を

とてもかわいがっていました。


イスラム教では、犬や豚などは不浄の生き物のようで、

犬は基本、強盗泥棒対策の番犬で、

普通みんな触ったりはしないので

とても嬉しい驚きでした。


この兄さんは、

犬も暑いだろうからといって頻繁に体を洗ってあげていて

犬の頭をなでたりするような優しいお兄さんでした。

 

そのお兄さんが突然マラリアで亡くなってしまいました。


二人の両親は昔に亡くなっていて、

長いことお兄さんとずっと二人暮らしていた彼女の

悲しみはとても大きく、何て言ってあげていいか

わかりませんでした。


私が別の州に移り会えなくなっても頻繁に

電話で連絡を取っていました。


私が励まそうと電話をするたびに逆に、


「寂しいけど私は大丈夫。

さやかこそ大丈夫なの。

大きな組織からの派遣でもない外国人が一人で

現地でも貧しい層の人々と活動しているなんて、

本当に気をつけて。」といつも心配してくれていました。。

 

彼女が、


「人生はきっと一冊の本なんだろうね。

一人一人が神様から1冊の本を受け取り、

ペンだけがあって、人生を(書き)進めていくの。

何を書くのも(経験するのも)自由だけど、

消しゴムも修正液も無くて、起こったことは消せないの。」


そう言っていたことを思い出します。


この間、

「今日は、亡くなったお兄さんの命日だったんだよ」って

電話がきてふといろんなことを思い出しました。

 

 

テテ州の集落の写真

 

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(2)

何気ない言葉

 

 

数年前までモザンビークに住んでいたインド人の友人がいました。

 

 

彼はインドの裕福な家庭出身で

インドの資源会社(宝石、石炭など)で働いていて、

その関係でモザンビークに数年間住んでいました。

 

 

彼はいつも四駆の大きな車に乗り、現地のスタッフを連れて、

ブッシュの中によく資源調査のために行っていました。

 

 

その時にモザンビークの貧しい村の人たちの生活を

よく眺めていたようでいつも驚いていました。

今はインドに戻り、大きな都市にあるオフィスで働いています。

 

                                                                                                                                 

彼が

 

「ねぇ、僕たちって変な世界に生きていると思わない?

多くの貧しい子供たちは、

食べ物や水を得るためにやせ細った体で何キロも日々歩いていて、

多くのお金持ちの人たちは、食べ過ぎてしまって

ダイエットのために何キロも歩いたり。

変な世界だね。」 と。

 

 

深い意味もなくただ何気なく言った一言だったんだと思いますが、

なんだか少し心に残る言葉でした。

 

 

 

写真 モザンビークの夕焼け

 

 

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(5)

スイスに住んでいる女性

 


以前、モザンビークの首都ににいたときに
泊まっていた安宿で
スイスに住んでいるという女性と一緒になりました。

 

ビーチサンダルが壊れちゃったから
新しいのを道端で売っている子から買ったと
話していました。

 

「300円だと言われたんだけど、
でもその男の子、ボロボロの服着ていて
しっかり接客してくれて、
お釣りはいらないって700円払ったの。」

 

私と一緒に話を聞いてた欧米系のバックパッカーの人が

 

「えーそんなことしたら外国人はいいカモだと思われて、
次から外国人みたらその値段で売り始めるかもよー。」って言いました。

 

その女性は、

「しっかり接客してくれたし、チップみたいなものかな。

それに、それもしょうがないんじゃないかなって
言うぐらい所得の差があるよね。

 

私は、休みをとって飛行機に乗って別の大陸の国に行ける、

この子は、ボロボロの服を来て
道端で大切そうに数足のサンダルだけ並べて売っている。

 

私、スイスにずっと住んでいて、
仕事にもつけて何カ月か節約をすれば
旅行も行けるようになったの。

 

でももともと私も私の家族も

トルコで政府に虐げられた民族出身、
宗教を信仰していて、小さいころに難民として
スイスに受け入れてもらえて今があるの。

 

自分たちも困ったときにとても助けられたから、
だからどこかで誰かが少しでも普段より
いい食べ物、買えたらいいなぁと思って。
ただそれだけ。。」と教えてくれました。

 

私はそういうことについて
もんもんと考えてしまうことも時々ありましたが、
この話を聞いて単純になんだか心が温かくなりました。

 

 

 

写真 首都の道端

さとうきびジュース売りのかたと

手動絞り器

 

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(3)

北朝鮮の医師のみなさん

 

 

※ 知り合った北朝鮮の方々とのことを書きましたが、もしかしたらその方々が

北朝鮮に戻られた後に何か問題になってしまう可能性もあるのではとアドバイスをいただき、

以下のブログの内容のいくつかを削除させていただきました。

 

+++++++++++++++++++++++++

 

北朝鮮は1975年にポルトガルからモザンビークが独立する前から

支援をしていてモザンビークと関係がなかなか深い国の一つです。

 

今年に入ってから悪化している襲撃などに対応するため、
中国軍、ベトナム軍だけではなく、北朝鮮の軍事専門家も
モザンビークにきていると言われています。

 

少し前には、北朝鮮の外交官がモザンビークのサイの角、象牙などを
密輸をしていて捕まったというニュースもありました。

 

北朝鮮からモザンビークに派遣されている医師の方々は、
3年ごとの契約で交代で派遣されているようです。
子供は連れてこれないけど
結婚している場合は奥さんは連れてきていました。

 

北朝鮮の方々は見た目が日本人にやっぱり似ていて
アフリカの人々の中にいると、
自分にそっくりなので親近感がわきます。

 

この北朝鮮のお医者さんとその奥さんたち10人ぐらいに
初めて知り合った時の第一印象はあまりよくありませんでした。

 

自己紹介をした際、
「日本人です」と言うと

 

「君は日本人かい。 日本はアメリカの犬だからね」と
いきなり言われてしまい。。

 

みなさんの上着の胸元には、将軍様のバッチがつけてありました。

 

片言の日本語をみなさん知っていて、
「我々は〜」など知っている日本語を教えてくれました。

 

病院で実習をしていた頃、グループ全員で病院に忘れものをしてしまったときは
わざわざ医療学校まで来て、「忘れものだよ。」と持ってきてくれた
北朝鮮の医師たちもいてなんて優しいんだろうと

モザンビーク人のクラスメートたちと感動しました。

 

今回、モザンビークに来たことが、
初めての海外で、なにもかもあまりに違ってびっくりしたそうです。

 

一緒に大きなお祝いごとに呼ばれていったときも
林家パー子さんみたいに写真パシャパシャ撮っていて

モザンビークの人たちとみんなで踊ったりして
すごい陽気なご夫妻でした。

 

おいしい北朝鮮の料理を作ってくださったり、

お宅に遊びに行って私が帰るときも、いつも家の前の道まで出て、
私が自転車こいで見えなくなるまで手を振ってくれて

見送ってくれてとても優しいご夫妻でした。

 

 

今は無事に北朝鮮に戻り、
3年ぶりにご自身の子供たちに会えて、

わいわいされているんだろうなぁと思います。

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(12)
このページの先頭へ