疥癬の集団発生

 

無事に授業が再開しているマラウィ側のアシャンテママですが、教室がある村で疥癬の集団発生が最近おこり、アシャンテママに通う子供たちも14人の感染が分かりました。

※疥癬は、激しい痒みを伴う疥癬虫寄生による皮膚感染症です。

 

親を亡くし年老いたおばあさんに育てられている子供たちは、離れた場所にある診療所に行くこともままならず、痒みがひどく夜も眠れずとのことで、アシャンテママのスタッフが自転車で子供たちを診療所に運んで付き添ってくれました。

 

アシャンテママの子供たちは周辺にある7つの村々から通ってきてて、一番近い診療所まで近くて9キロ、遠い子だと14キロほど離れています。9キロは大人でも徒歩で約2時間弱、14キロだと3時間はかかると思います。

 

診療所ではかゆみ止め(抗ヒスタミン剤)の薬は処方されたようですが、疥癬の薬は在庫がなくもらえず。

 

スタッフに急遽13キロ離れた町の薬局で薬を購入して来てもらい、子供たちに投薬方法を説明して渡してもらいました。

 

家族みんなで小さな土間の藁の屋根の家に住んでいる子たちばかりなので、家族それぞれ離れて眠ることはなかなか難しいかもしれませんが、服や毛布を50度以上の熱湯で浸して洗うことを伝え、石鹸もアシャンテママに通う全員に配布させていただきました。

 

今日の時点で、14人中5人はまだ症状が出てしまっているとのことですが、残りの9名は無事完治したとのことです。

 

現地のスタッフが、ご家族の皆さんから

 

「お薬を下さったおかげです。心から感謝申し上げます。どうかしっかりお礼をご支援してくださる皆様にお伝えください」とのことでした。

 

ご支援を下さる皆様心からお礼申し上げます。

 

薬を受け取った子供たち。

 

 

 

栗山さやか | 病気などのこと | comments(4)

壊血病

 

アシャンテママの教室に数年前から、住んでいる家から近道をするために獣道みたいな道を通って往復3時間近くかけて通っている子がいました。(教室の帰りは危険をさけるためにスタッフがバイクでできる限り家まで送ってあげていました。)

 

この子は年齢の割に体は小さく、病気がちで、皮膚にできた傷もなかなか治らず。それを聞いて、何度も病院に連れて行ってもらったのですが、HIV検査対象にはならず、処方された薬(抗生物質)を飲んでも治らないと。

 

昨年、この子のほぼ音信不通状態だった父親が亡くなったと連絡がきて、それから1か月も経たないうちに今度は母親を亡くしてしまいました。特に両親を亡くしている子供たちの中には、HIVに感染している子供たちも多いので、これ以上検査を先延ばしにしてはいけないと思いました。

 

ご両親が亡くなってもすぐに食料確保のため 遠くの奥地に戻り畑を耕して生活していると聞いて、携帯電話などもちろん持っていないので、スタッフが家を何回か訪問し、近所の人たちにこの子の帰りを待っている旨を伝えてもらいました。

 

次、この子が町に戻ってきたら、必ずすぐにルーシアさん(現地スタッフ)に「病院に付き添ってもらおう。HIVの検査をしてもらってしっかり診察してもらおう」と思っていました。

 

何らかの判断で無料でできるはずのHIV検査をむげに断られたら、他の少し離れた病院には、医療学校の時の元クラスメートが勤務しているので、彼が外来の診察担当しているときに時間を合わせて診察に行ってもらおうと思っていました。

 

何か月も待っていて、やっと彼が奥地から戻り、アシャンテママの教室に顔を出してくれました。

 

ルーシアさんが彼を育てている年老いたおばあさんを訪れてお話し、病院に代わりに連れていくこと、検査をする許可をもらい、日にちを約束して後日病院に連れて行きました。

 

偶然、この日この病院で私の知り合いが外来診察担当をしていて診察をしてくれたとのことでした。

 

以前、HIVに感染してしまった他のアシャンテママの子供の診察に付き添った時に、ルーシアさんを彼に紹介したことがあったので、彼もルーシアさんを覚えてくれていました。

 

診察の際、ルーシアさんの話をしっかり聞いてくれ、HIV検査も、診断結果もしっかり伝えてくれたとのことでした。

 

嬉しいことに疑っていたHIV検査は陰性で、もう一つ心配していた欠乏症、壊血病の診断がおりました。

 

壊血病とは、現代の日本にはほとんどないとのことですが、15、6世紀の大航海時代に多くの人が船上で亡くなり恐れられていた病気で、長期にわたるビタミンC欠乏が原因。コラーゲンの生成機能をビタミンC欠乏によって失ってしまい、血管の壁がもろくなり体のあちこちで出血が生じ最後には亡くなってしまう人もいる。

 

この子と電話で私も話した時に、「昨日は何食べた?」と話の途中でさりげなく聞くと、うまく答えられず。。

 

スタッフにこの子をバイクで送っていくついでに一緒に暮らしている年老いたおばあさんに話を聞いてもらうと、この子の母親が亡くなってしまってから(父親は元々ほぼ音信不通状態だった)一生懸命畑を耕しても十分に食べる物がなくますます苦しくなってしまった。食べ物がないときは無理やりそのまま眠りにつくと。。

 

主食のトウモロコシの粉、食用油、干し魚、砂糖、果物を渡しました。合計約900円分です。こういったどうしても苦しい状態のご家庭には、今後も継続して食糧支援をしていきたいと思います。

 

いつもご支援本当にありがとうございます。

 

【写真】小学校もアシャンテママの教室も昨年3月からずっと休校ですが、配布しているプリントを頑張って続けている子供たち。そして最後の一枚はお米を受け取った女の子。

 

栗山さやか | 病気などのこと | comments(0)

今の段階のコロナウィルスの現状

 

マラウィ、モザンビークとも、今月〜来月が乾燥して寒い冬の季節です。両国とも感染者は徐々に増加していますが、両国とも今現在は、1000人以下の感染者、死亡者はマラウィ11名、モザンビーク5名です(6月23日現在)

 

検査体制なども万全とは言えない現状のようで、今後の動向が気になりますが、ポジティブな見方で言われているのは、両国とも平均年齢が約18歳前後(日本は46歳)で、若い人々が多く60歳以上の人々が先進国などに比べ少ないこと。

 

また他にも多くの感染症があり、こういったウィルスによる免疫力が強いのでは(仮説ですが)と言われていること。

 

そして肥満の人々も限られていて、糖尿病や心臓疾患を抱えている人が先進国に比べ少ないことなど。一応BCGも予防接種国です。

 

心配される見方は、栄養失調やHIV感染、特に抗レトロウィルス薬を服薬していない人々などで免疫力が弱い人が多いこと、結核、マラリアなど他の病気にかかっている人がコロナウィルスに感染した場合の懸念、清潔な水の問題、衛生面での不安、医療体制が貧弱なこと、などです。

 

少し前に、アシャンテママの活動する町の付近の集落で、イスラム教の断食期間が終わり200人以上がモスクに集まってしまっていたそうです。

 

緊急事態宣言の法令に反するので、警察が取り締まり解散するように指示を出したのですが、そこで人々が暴動のようになってしまい、そして警察官が発砲、2人が亡くなりました。

 

モザンビークのコロナウィルスでの死亡者5名(6月23日現在)、今回の緊急事態宣言の取り締まりの際に警察に殺されて亡くなった方3名(ニュースでたまたま目にした記事より)

 

モザンビークで商売をする友人たちが

 

「薬も予防接種もなくて怖いけど、60歳以上のお年寄りが多く亡くなるコロナよりも、薬があっても子供達がたくさん亡くなるマラリアとか他の感染症の方が怖くない?って今の段階では思っちゃうけどどう思う?」

 

「コロナウィルスそのものよりも、この影響で経済が滞って失業者の倍増、飢え、強盗が増えることの方が今は心配している人たちが多いのが現状だよ。今後はわからないけど」と聞いてきました。

 

感染をしてしまう人も、影響を受ける人も最小限であるように願うばかりです。

 

【写真】モザンビークの家庭訪問の様子

 


栗山さやか | 病気などのこと | comments(1)

マラリアが重症化すると

 

アシャンテママの生徒でマラリアに感染したグエマが無事に退院し家に戻れたと聞き、喜んでいたら、数日後にまた容態が悪化、立ち上がれず、嘔吐を繰り返し、意識も朦朧として横になってぐったりしてしまっていると連絡が入りました。

 

ここでは、日本のように電話したらすぐに来てくれる救急車のシステムはないので、急いでリツアン号(アシャンテママの車)で病院に運んでもらうと即入院、今回も2日連続で輸血を受け、数日前の分と合わせると合計1.5リットルの輸血を受けました。

 

一人では歩けなくなってしまったので、トイレも抱えられながらなんとか用を足していましたが、アシャンテママのスタッフに交代で1日2食栄養のある食事を病院に運んでもらい、グエマはまた無事に容態が安定して話せるまでになりました。

 

 

軽度のマラリア、発症して早期に服用開始の場合なら、飲み薬のコアルテム(アルテメテルとルメファントリーナの合剤:最近では一番推奨されている)を3日服用すれば完治しますが、マラリアが重症化してしまったときは、別の投薬が必要になります(今回グエマも最初この薬を服用し良くならず)。

 

マラリアは、マラリア原虫を持った蚊にさされるとマラリア原虫が血液中に入り肝細胞内で増殖し、多くの赤血球が破壊されます。

 

その他の合併症、腎不全、腎機能障がい、尿毒症、多臓器不全、肺水腫、低血糖、脾臓肥大、脳マラリアなどになってしまう場合もあります。

 

WHOの発表によると、『マラリアは2018年の1年間に、2億2800万人が感染し40万5千人の人が亡くなったと推定されている』とのことです。

 

早急な治療をしないと致命的な結果につながるため、子供達が少しでも具合が悪いとき、病院に一度行って薬もしっかり飲んだけど、まだ具合が良くならない場合、一緒に住んでいるご家族に説明をして、すぐに病院に連れて行ってもらうようにしています。

 

具合が悪い子達には、病院へのサポートと、栄養のある食べ物を支援させていただいています。

 

 

【写真】具合の悪い子供達に卵や油、お米の支援をしました。(次回から具合が悪い子達の写真は撮らなくてもいいから食べ物と様子だけ見に行ってあげてと伝えました。)

 

 

 

 

栗山さやか | 病気などのこと | comments(2)

アレルヤの体調

 

 

ブログの更新、活動報告が出来ておらず

申し訳ありませんでした。

 

急遽、約3か月間ほど、娘と二人暮らしを

することになり、

やらなければいけない事が多くある中で

寝不足も続き、二人とも体調を長々と崩していました。

 

自分が横たわったまま動けず、

隣で娘が泣き叫んでいるのに上手くあやせず。。。

 

やっと少し良くなってきました。


もっと健康管理しっかりしなければ。。

と自分にかつを入れました。

住んでいるアパートの中が寒すぎるので、

遂に電気ストーブを買いました。

 

買えるお金があること、本当にありがたいです。

ストーブあったかくて、つけていると幸せな気持ちになるなぁと

ストーブつけるたびにぼけっと思っていました。

 

モザンビークのルーシアさんからの連絡で

昔5年以上、アシャンテママに通っていて、最近は家族と

奥地の村で暮らしていたアレルヤという女の子がいました。

 

今回、極度の貧血で

病院でいくら輸血をしてもまたすぐ貧血になってしまって。。

心臓肥大になってしまっていると。。

 

現地の病院では、患者さんが輸血が必要な場合、

原則、輸血の血をくれる人を自分たちで探してこなければいけません。

 

ただその際に、血をあげる側が、

HIVなどに感染していることがわかったり、

その人自身も栄養失調であげることができなかったり。

 

アレルヤは、母親からHIVに感染して産まれてきた可能性が高い子でした。

父親はアレルヤがまだ小さな頃に亡くなっていました。

 

アレルヤは体の発達に問題は抱えながらも、HIVの治療を続けていました。

(HIVに感染すると様々な合併疾患になりやすいのですが、極度の貧血もそのひとつです。)

 

今回の治療を続けるために(もしかしたら別のもっと大きな病院で

治療をすることになるかもしれず)

アレルヤの身分証明書は以前にアシャンテママでサポートして取得済みなのですが、

母親の身分証明書が必要で、母親は持っていず、

母親がアシャンテママの教室を訪ねてきて。。

 

急いでその費用を援助するように伝えました。

 

アレルヤが早く良くなりますように。。

証明書の費用(約1500円)

病院代の援助や緊急の食糧支援をさせていただいています。

 

いつもご支援ありがとうございます。

 

 

 

 


栗山さやか | 病気などのこと | comments(4)

色々な出産

 

赤ちゃんとの生活が始まってしばらく経ち、

アフリカとは全然違う日々に

ふとしたときに色々考えてしまいます。

 

体調が悪くボロボロだった妊娠期間を

途中からこの安全な場所で過ごせたこと、

強盗たちが今夜来るかもしれないとびくびくせずに

今こうして赤ちゃんと夜安心して眠れていること、

毎日眠る前に感謝しながら布団に入ります。

 

アフリカで色々な出産を見てきました。

 

設備の整った病院で無事に出産を迎えられる女性もいる一方、

そうでない女性もまだ多くいました。

 

陣痛に耐えながら遠くの病院まで一人で歩いて向かう途中、

道端の草むらで出産した女性たち。

 

夜病院にいく手段がなくて

家で一人で産み落とし、

自分でへその緒を切って出産した女性たち。

 

夜中に陣痛に耐えながら、

自転車の荷台に乗って病院に運ばれてくる途中に

強盗に襲われて、ナタで切り付けられ、

肩に大けがを負いながらも必死に分娩をしていた女性。

 

12歳で出産したまだ子供のような女の子。

 

性的暴行を受けて見ず知らずの人の子を出産した女の子たち。

 

出産で赤ちゃんと共に命を落としていった女性たち。

 

出産間近で殺されてしまった女性たち。

 

私が偶然見てきた出産は、

広い世界のたった一部の人たちですが、

こういった厳しい現実に

向き合わなければいけない女性が一人でも減りますように。

 

どこで生まれても、

まだ小さな子供たちが苦しむことのが

少しでも減りますようにと願っています。

 

 

 

 

 

栗山さやか | 病気などのこと | comments(7)

クラスメート


 
 
 医療学校で一緒に勉強していた
 近くの席に座っていた女の子。

 クラスメートは、男子生徒が多くて、
 女子生徒は私も含めて
 7人しかいず
 その中でもよく話す子でした。

 卒業する少し前に
 
 「さやかー。私、病気になっちゃったよー」って。


 医療学校は、朝6時40分から学校始まりました。

 外で整列し国旗をみながら国歌を歌い(この時体は一切動かしてはだめ)

 朝7時きっかりから授業が始まります。

 
 朝9時からの15分休みに
 食堂で一人、パン1個とお茶一杯を飲むことができました。
 

 ひとりひとり、パンにジャムを塗るときに
 多く塗りたいがためにスプーンを使う人がいましたが、
 ジャムが全員分行き届くように、
 スプーンを使ってジャムを塗るのは禁止されていました。


 ナイフで薄くのばしてパンに塗ることになっていて、
 違反してスプーンを使った人は罰則として
 畑耕しの罰や、井戸の水汲みの刑があったり。

 最初の頃は、みんな食べ物のことで揉めてけんかによくなっていて
 その雰囲気が苦手で私は食堂にはいつもいかずにいました。
 
 あとその15分ももったいなくて、授業の復習したり、
 よくわからなかったところを読み返したりしていて教室に残って
 勉強していました。

 その女の子、寮生活していたから
 お腹がすいているはずなのに、
 その時間、教室の机で顔を伏せてよく眠っていました。
 
 痩せている子だったし、
 「食べにいかないの?」って心配して
 ときどき聞くと、
 「食欲ないよー」って。

 卒業してその子は別の州に配属になったのですが、
 病気が悪化していて病院勤務開始できていないと聞きました。

 私が少し前にいた州の病院に彼女が入院していると聞き、
 お見舞いに行こうと思った日の数日前に彼女の 
 具合がとても悪いと聞きました。

 お見舞いに行こうと決めていた日の早朝、電話が鳴って、
 彼女が亡くなったと連絡が来ました。

 クラスメートの中でも一番若い子で
 まだ21歳でした。
 
  
 数年先輩にあたる医療技術師のかたいつだったか

 「僕のクラスメート、卒業して最初の1年で3人がエイズで亡くなったよ。
  君たちのクラスで、最初の1年で誰も亡くならなかったらすごいことだよ。」
  って言われたこと思い出しました。

 
 国家試験合格したときに彼女、

 「やっとやっと試験地獄から抜け出せたね。本当に辛かったよ。
  卒業、ものすごく嬉しいね。」って泣きそうな笑顔で言っていました。


 卒業後、この数か月間、入退院を繰り返して

 すごく苦しんでいたと聞きました。
 

 命の長さは、幸せに比例するわけじゃないと

 聞いたことありますが
 それでもなぜなんだろうと思ってしまいます。

 どうかどうか
 彼女が安らかな場所にいますようにと願うばかりです。。


 


 









 
 
 
 
 
 

栗山さやか | 病気などのこと | comments(5)

子供たちの写真と熱帯性マラリア。

 

 


アシャンテママの子供たちの写真です。
みんな元気です。

先週、私の家からアシャンテママの教室に行く途中にある道で
朝方死体が見つかって、
若い男の子で、性器も切断されて持ってかれていて、
両目もくりぬかれて持っていかれていたそうです。

うちから歩いて5分ぐらいのところに住む男の子でした。

夜8時過ぎに暗くなってから一人で歩いている本人も
悪いってみんなは言います。

通っていた医療学校も教室の数が少なくて
助産婦科の子達は、午後2時から夜9時までの授業でした。

その帰り道に襲われてしまっている子達もいました。

中学校も高校も教室の数、先生の数が足りなくて
夜間の授業になっている学校が多いです。
(日中は小学校になっている)

治安がもっとよくなればといつも思います。

協会に新しい子供たちも入ってきました。

勉強小屋に来ていた一人の3歳の女の子、
一人で育てていた17歳だったお母さんが
突然亡くなってしまって、17歳のお母さんだった子も
お母さんはもう数年前に亡くなっていたので
20代前半のお姉さんが育てています。

この女の子、マラリアに罹ってしまっていて
辛そうだったけどしっかりお薬を飲んで容態も安定してきていました。

ここでは、特に5歳以下のまだ免疫力が弱い子達は
風邪にかかるようにすぐにマラリアになってしまいます。

重症になるとあっという間に亡くなってしまいます。

時々会っていたこの町に住んでいた私と同じ歳のブラジル人の女性、
モザンビークに来て1年少ししか経ってないのに、
1歳の女の子を残して重度のマラリアになってしまい

亡くなってしまいました。

日本にいるのと見た目も全く一緒の蚊で
マラリアに感染した蚊に刺されるとマラリアに罹ってしまいます。

発見が早くて脳マラリアなどの重症にならなければ、
3日間飲み薬を飲むだけで良くなります。

ただ治療が遅れてしまったり重症になってしまうと
あっさりと命を奪っていきます。

みなさまのご寄付で今回も
首都マプトに滞在したときに丈夫な蚊帳が買えました。

蚊は夜活発に動き出すので
蚊帳はとても大切です。

本当にありがとうございます。


写真。

アシャンテママの子供たち。







 

栗山さやか | 病気などのこと | comments(6)

お母さんと赤ちゃん。病院です。

赤ちゃんとお母さん、病院です。
栗山さやか | 病気などのこと | comments(0)

末期がんのママ

私の胸の上の部分に、
生まれたころからなのか、小さいころから
なのかやけどのあとのようなものがあります。

日本にいた頃真剣にレザーで消そうか、
刺青彫ろうか考えていました。
 
今思うとただのあざのようなちっぽけな
ことなのに、小さい頃から誰かにいわれた一言で
傷ついたりしていたので
患者さんの何を見ても驚いた顔はしないように
と決めていました。

私はこの施設にきて、
たくさん今までみたことのない
ような症状を持った患者さんをたくさんみました。
 
どんな体の奇形や、
腫瘍、何をみても驚いた顔も
手当ての際も困った顔も
絶対みせないようにしようとなんだか自分なりに
思っていました。
 
手当てしてくれる人が困ったり戸惑っていたら
手当てされているほうはもっと不安になるだろうな
って思いました。

それと、言葉が十分でない分、
表情はとっても大切だとわかっていました。

ワーカーの子が、
「チャラカー新しい患者さんがきたからきて。」
いつもの感じで、
ワーカーの子が上の階から呼びにきました。
その子と一緒に向かう途中、
 
「どんな症状のかたかな?」って尋ねると、
「うんとね、顔みせてくれないの。
外からさっききたばかりだから体洗って
服着替えるの手伝ったときも、
目から下の顔の部分、
布でぐるぐる巻きでみせてくれないの。
でも体何にもなかったよ。
どこに手当ているのかなぁ。」

そっかーと思って、
その女性のベットのところにいると、
毛布を深くかぶったままで横になっていて、
もぞもぞ動いているのがわかったので、
 
「デナニシ?シュミシュマノ?
アイズシシアンチアンママアンレン?」
「こんにちは。お名前何ですか?
痛いとこあるのかな?大丈夫だからね。」
ってきいてみると、答えてくれて、

「ちょっとみせてね。」って毛布を
めくると、やっぱり目だけの顔で、
目の下は布をまいています。
 
その布から血がしたたっているのがわかりました。
「少しだけみせてね。」ってゆって
 布をゆっくりとってみると、
口が、こういう表現が正しいのかわかりませんが、
口が壊れてしまっていました。
  
口が大きく崩れていて、
口からのどの途中までが口になっていて、
あごはないに等しく、
歯はすべて前のほうにでてきていて、
かろうじてぶらさがっているだけの状態で。
肉の塊が口の中にたくさん膨れ上がってできています。
たくさん血と膿がでてしまっていました。
唾も自分では飲み込むことが出来ず、
よだれもたくさん垂れていました。

「大丈夫。大丈夫。今からきれいにしてお薬つけるからね。」

口にでてきてしまっているかたは少なかったですが、
ひと目で末期がんの症状だってわかりました。

2年前からこの症状が少しずつ少しずつ、
進んでいったと教えてくれました。
人目をずっとさけて今まで生活してこられたのかな。
辛かっただろうなって思いました。
私はもう、このときにはドクターがみてくれないのは、わか っていました。
 
でも少しでもいいから、
ドクターにみてもらえるように、お願いしにいきました。
ドクターに少しでも診察してもらうことで
患者さんたちも
少し安心がもらえるって思っていました。
 
ドクターは、チラッとみて、
「ひどいな。」とだけいいました。
「消毒とペインキラーをあげるように。」とだけいって
行ってしまいました。

私は少しでも消毒液をつけた
ガーゼで口の中を触ると痛がる彼女に
どうすればいいのかしばらく考えて、
細い器具をつかって、
毎食後、食べかすが残らないように
きれいにしてあげて
針をとった注射器に
消毒液、薬品を注入して、
部分部分にあたらないようにするようにしました。

口からのどにかけて以外は、
動かせる体を持っていたのですが、
人目に触れることを極端に嫌がって、
1日中ずっと毛布をかぶって
トイレのときだけ、布を顔にまいたまま、
用を足しにいっていました。

何かいい案はないかなって考えて、
私たちが使っているマスクにガーゼを
プラスターで何枚かくっつけて。
そしたらすごく気にいってくれたようでした。

ごはんのときも、
一生懸命口の奥の方に運ぼうとするのですが、
食べれる量は4分の1ぐらいで残りは
口の外へこぼれ落ちてしまっていました。
飲み物もそうだったので、
ストローを探して使ってみてもらったのですが、
吸引することができずだめでした。
 
でも食べ物、飲み物を飲むとき、
下に洗面器をおいて、
ベットが汚れないようにして
きれい好きなママでした。

途中から一番すみのベットにかえてもらったので
大丈夫だったのですが、それまで
私が薬をつけている間も、
大きな布を二人でかぶり、
その中で懐中電灯をつかって
手当てしてました。
 
何度か、患者さんやワーカーの子に顔をみられて、
みんなが 「ひぃっ」って叫んでしまったり、
驚いてしまって
持っているものを落としてしまったり。
 
あんまりにみんなの表情がかわるのが、
ママにとって、
とてもつらいことだったと思います。


一度ママが私に何かはなしかけていて、
でも私には理解ができなくて、
現地の子でメディカルトレーナーの子に
通訳をお願いしようと思って
違う棟から呼んできました。
でも、彼はすぐ行ってしまいました。

「待って。」っていってもいってしまいました。

どうしたのかな?って思って
他の英語の少しわかるワーカーの子にお願いして
そのときは大丈夫だったのですが、
それからまたそのトレーナーの子にあったときに
彼が、
 
「あの日ごめんね。すっごく怖かった。
 あの場にいられなかった。」っていいました。

これから医療に携わっていく彼に
色んな感情が混ざってなんて
いったらいいかわからなくて

「正直に話してくれてありがとう。」
とだけいいました。

一人だけ患者さんの中でも
ママを気にしてくれる女の子がいました。
ママの話す言葉は、
口が十分に動かせないため、
まだまだぜんぜん十分ではない私の
アマリックの聞き取り能力では、
理解できないことが多く、
そんな時いつも助けてくれるユリガラムという
18歳ぐらいの女の子でした。

ユリガラムは、食事をママに持ってきてあげたり、
新しい布を渡してあげたり、話かけてあげたり。

ユリガラムはママの布の下の顔をみたことが
ありませんでした。

あるとき、布をはずした状態のママをユリガラムが
初めてみてしまいました。

ユリガラムは表情を変えずに、ただ部屋を
出ていって、それから暗い廊下で
「ママ、かわいそう。。」ってゆって
涙を流していました。

彼女もママの状態がひどいというのを知って
いて、みんなのリアクションもみていて、
でも彼女は 必死に自分の表情を変えずに
いてくれたのがわかりました。
栗山さやか | 病気などのこと | comments(0)
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