無事にモザンビークの町に到着しています。

 

 

無事にモザンビークのアシャンテママの教室が2つある町に着いております。

 

一番安かった航空券、

日本からマラウィの都市の空港に着き

約260キロを離れたモザンビーク国境まで移動しました。

 

国境からこの町までの150キロの道は、

まだしっかり舗装されていず、ぼこぼこ道で、

それでも乾季の時期だったら

3時間ぐらいで着く距離です。

 

でも今の時期は、思った以上に

大雨で道がひどい状態になっていて、

車が泥にはまり、

人里離れたブッシュの中で2日間過ごさなければ

いけなかった人たちがいたり、

無事に着いた人たちも、

朝4時に出て、着いたら夜の7時過ぎで

15時間かかってしまった人たちがいたり、

ひっくり返った車がそのまま放置されていた話などを聞き、

車で向かうのは、やっぱりやめたほうがいいと聞いた人にみんなに教えてもらいました。

 

急遽、国境から45キロほど離れた電車が走っている村まで行くことにしました。

国境からこの村までの道は、ガタガタ道が45キロなのですが、

大雨で道がドロドロで、泥にはまって動けなくなってしまうか、

ハンドルがとられて事故になってしまいそうで、

大雨の中2時間半以上の間、乗っていたみんなで

神様に祈りながらやっとの思いで村に着きました。

 

電車は、2、3日に1本だけあるので、

乗り遅れたらどうしようとハラハラでしたが、無事に駅に到着し、

なかなか来ない電車を待ち(2時間半の遅れ)、

電車で5時間半かけてやっと

協会のあるモザンビークの町に着きほっと一安心です。

 

協会のみんな、子供たちに無事に会えとても嬉しかったです。

 

貴重なここでの時間、やるべきことをしっかりやり、

みんなとの時間、大切にしたいです。

 

 

いただいておりましたコメントの返信も

遅れてしまっていて本当にごめんなさい。。

必ずご返信致します。

 

 

写真。電車の駅。

 

まだ電気が通っていない村にある駅です。

 

電車の中で長い銃を肩にかけた警察官たちが

何回も往復してくれていましたが

目の前で泥棒が捕まっていて

怖そうな警察官たちが乱暴に電車から引きずりだしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | | comments(4)

昔の日記帳


  エチオピアの施設で生活していたとき、 
 夜になって仕事が終わって、ボランティアのみんなで
 眠ってた部屋に戻ってきて、
 シャワーはひとつしかなかったから
 みんなで順番待ちして使っていました。

 その待っている間とか、
 朝いつも5時過ぎに起きて1人で語学の勉強しているときに
 ついでに日記をそういえば書いていました。

 エチオピアからモザンビークまで南下してきたときに
 バックパックに押し込んであったから、本当にぼろぼろの日記帳ですが、
 たまたま昨日出てきてあぁーと思って寒くて布団にもぐりながら
 昨日の夜読み返してみました。

 アフリカに来る前のオマーンに
 なんと日本の100円ショップ(確かダイソー?)があって
 どうやらそこで買った日記帳だったみたいで

 オマーン人の人たちが
 イエメンなんてオマーンより
 100年以上遅れてるださい国だって教えてきて
 逆にイエメンにいたときは、イエメン人のひとが
 オマーン人なんて野蛮な人たちって話してきて、
 やっぱり隣の国同士はどこもあんまり仲良くないんだなぁって
 思ったこととか、現地の見知らぬ人に優しくされてじーんとしたことか、
 ふらふら旅をしている罪悪感みたいなこととかも書いてありました。

 エチオピアにイエメンから来て
 泊まってた売春宿から1人でドキドキしながら乗り合いワゴンに乗って
 エチオピアの施設に初めて行った日のことのことも書いてあって
 もう5年近く前のことになるんだなぁって懐かしかったです。


 今は朝の7時前で
 今日も太陽が出てなく、かなり寒い朝です。
 揉めに揉めている協会の畑の土地問題で
 土地のリーダーたちとの話し合いに今から行ってきます。

 日本はこれから暑くなる季節ですね。 
 避難所で生活されているかたたちへの
 暑さ対策は大丈夫なのかなと思っています。
 どうか今年の日本の夏は涼しい夏でありますように。。



 写真。
  
  2,3枚目。
  他のお宅の穴トイレです。
  

 1枚目。私の家の穴トイレ。
 (セメントで固めてあるいいタイプです。)
 前の家の穴トイレより穴が大きいので
 穴から排泄物がはみ出す心配がないので嬉しく使ってます。
 
  
 ですが、夜は家の外に出ると危険だから毎晩
 家の中で使っている洗面器トイレ、
 大のときや下痢のときに使うと
 やっぱりいまだに悲しい気持ちになるので
 お金かなりかかってしまいますが、
 今、家の中にトイレを作ってもらおうとしています。
 
 家の中にトイレなんてすごい贅沢な気がして
 本当にいいのかなって思ってしまいますが、
 やっぱり完成が楽しみです。。












栗山さやか | | comments(0)

旅で知り合った日本のかた。


  今回のお散歩の会(山登り)には、

 昔、イエメンから一緒にエチオピア行きの
 夜中の飛行機に乗ったかたも
 参加してくださっていたようです。


 写真を見てすぐにわかり、
 あれからもう5年近くになるんだなぁって懐かしかったです。

 彼たちとはイエメンの宿で知り合って、
 エチオピアに着いてからの宿探しも
 大荷物のバックパック背負いながら
 一緒にして。

 私はエチオピアの首都について
 観光は全くせずすぐ1人で施設に向かって
 それなのに、いまだに私の存在覚えてくれたんだなぁって
 嬉しかったです。

 ありがとうございます。

 
 このとき、乗った飛行機はイエメン航空だったのですが、
 乗客が全くいず、貧乏バックパッカーにとっては、
 飛行機で出される食事はすごく豪勢に感じて
 楽しみの一つなのに、
 このとき、出された食事が干乾びた薄いパンだったことが
 すごい衝撃的で、さすがアフリカ行きの
 フライトだなぁって思ったこと
 思い出しました。

 よくアラブの国とかからアフリカに入る飛行機は
 強制送還された手錠つけれたアフリカ人と一緒になるって
 聞いたことがあって恐ろしいなぁって思っていましたが、
 今いる町でも、手錠つけられた犯罪した人たちが大人数で固まって
 機関銃を持った見張りの
 警察官のひとたちと時々道歩いています。


 すれ違うとき、じろじろ見られたりして心の中でひぃーとか
 思ってしまいます。。


 昨日もうちから歩いて1分ぐらいのお宅に強盗が入り、
 3人のかたがカタナで襲われて、2人は重傷で病院にいて
 1人のかたは亡くなっていってしまいました。


 隣の部落でも家の中で殺された男の人が発見されて
 お腹を切られて腸を出されてたって。


 夜見回りしてくれていた警察官の人も先月、
 道端で殺されて発見されました。


 うちのそばに刑務所が2箇所あります。

 脱走する人たちに向かって見張りの人たちが
 脅しのために拳銃を発砲していて
 最近また拳銃発砲する音を夜中にときどき聞きます。

 協会の女性たちでも、数人のかたたちは
 家族を強盗の被害で亡くしています。

 
 どこの国にいても危険なことが起こってしまうのは
 変わりないのことと思いますが、 
 どうか少しでも安全がある場所が
 世界中で増えてくれますようにといつも思います。



 協会の子供たち。
 
 政府の学校へ送り出すとき(3枚目の写真)
 みんな見えなくなるまで手を振ってくれて
 幸せを感じる瞬間です。。







栗山さやか | | comments(0)

国境でのこと。

 

アフリカにきてからもエチオピアから陸路で移動してきて、
あとビザの関係とかもあって
国境を越えることがたくさんあります。

いつも国境で色んな人たちをみます。

去年、他のアフリカ人に対しての暴動が
南アフリカで起こったとき、
大型バス何台も南アフリカから
荷物まとめて逃げてきたアフリカ人の人たち、

大型ローリーの後ろに50人以上の人たちが隠れて
密入国しようとしてばれて引きずりおろされてたソマリアの人たち、

なぜかその場で捕まって連行されていった人たち、

私が国境で怖いのは、賄賂です。
特にモザンビーク側、色んなことにけちつけて罰金払わせようとしてきます。
モザンビーク大使館でしっかり発行してもらったビザの書き方がおかしいとか、
パスポートの写真と顔が違うとか・・。

インド人の友達もパスポートの顔と別人だっていわれて、
お金むりやり払わされたって聞きました。

マラウィ側でも2回だけあって、
乗り合いワゴン、自転車タクシー、トラックの荷台、8回ぐらい乗り継いで
やっと国境まできたと思ったら、

「何回もマラウィに入国するのは違法だから罰金払わないとだめ!」とか、
「マラウィに入国したら3日以上は
 マラウィからでちゃいけない法律があるから罰金!」とか、
 「俺に違法の仕事して欲しいの?
違法の仕事をさせるからにはお金払わないといけないよ。」って。

そのときはまだマラウィに日本大使館出来てなくて、
国境で電話もないし、
どこに連絡していいかわからないし、捕まったら最悪だし。

こういう人たちとは、仲良くなることが一番です・・。

でも今はマラウィ、賄賂とか汚職にすごく厳しくなってきたみたいで
そういうのほとんどなくなったよって
マラウィに住むアメリカ人の友達も言っていました。

南アフリカの国境では、
もし、イミグレーションで、違法にお金を請求されたら、
すぐにここに電話をするように対策の張り紙が
たくさん張ってあって
さすが南アフリカーしっかりしているなぁっ思いました。

先月、日本大使館に書類の手続きに行ってきました。
大使館のかたにとったら
個人旅行者や個人で滞在している人たちは、
少しやっかいな対象になるって聞いてたから、
年に一度、日本大使館に行く機会があるとき、
いつも緊張してたけど、
すごく親切に対応してくださって感動しました。

モザンビークには30人ぐらい青年海外協力隊のかたがいるみたいです。 

私のいる州は日本人私だけなので安否確認のために
時々連絡をくださいって言ってくださって。
今年に入って日本のかたに会えたの2人目です。
やっぱりなんかほっとします。


栗山さやか | | comments(3)

最近のこと。

もう3月も半ばですね。
日本は暖かくなってきたのかな。

みくし、毎日日記みたく書いてくつもりが、
家に来ている電気が弱いのか、
裸電球はつくのですが、
コンピュ一タ一は電源がずっと入らず、
かなりがっくりでした。
私のコンピュ一タ一も壊れ気味だからかもしれませんが・・。

なぜか久々に今日はしっかり電気が来ているようで
コンピュ一タ一使えて嬉しいですっ。

一緒に家借りた友達は、しばらく奥地の村に行っているので、
今は1人で住んでいます。

火をもらいにいったり、料理とか水汲み、
洗濯なんかも近所の女の子が
手伝ってくれているのでだいぶだいぶ助かっています。

夜は、外にある穴トイレにいくのは危険なので、
(強盗待ってたりする)
家の中で洗面器トイレです・・・。

昼間でも外に干しておいた服盗まれたり、
私、家の中にいたのに、気づいたら、家の中に
誰かはいった形跡があって家の鍵、お皿とかお釜、ぞうきん、家の外の裸電球、盗まれてたり。。 
音とか全然きづきませんでした・・。

現地のひとたちにも1人で住んでるなんて
強盗とか大丈夫?って心配されて、
あなた肌の色違って目立つんだから、
絶対誰か夜の見張りの人を雇ったほうがいいって
いわれますが、金銭的なこともあるし、
逆に見張りの人が強盗になったりすることもあるし、
日が沈んだら、家から一歩もでないようにしています。
なたとか斧で家の木のドア壊されたら終わりですが・・。

今は、この町のできたばかりの協会で
ボランティアしています。
まだ事務所もなくて、なんにもなくて、
自分たちで案を出しあって、
提案書をみんなで書いています。

あと週に2回、小さな学校で英語教えていて、月給3900円。
お給料いただけるなんて思ってもいなかったから、
このお金で、別の村の様子を見に行ったり、村の子で
ノ一トと鉛筆、着るものがなくて
学校に通えない子に寄付とかをしようかなって
なんとなく考えています。

あと週に1度、モザンビ一クの政府の団体のかたたちが、
町のパン屋さんや、食べ物やさんから
売りものの残りをもらってきて、
両親が亡くなってしまって、
貧しいおじいちゃん、おばあちゃんと住む子供たちの家庭、
体に障害がある貧しいかたたちに
固い小さなパン、1人ひとつ渡したり、
クッキ一1人4枚を配っています。 

いい日は、小さなコップ1杯分のお米を配給していたり、
全然十分ではありませんが、
毎月 1人に400円から1200円の
現金支給もあるときがあります。

みんな貧しくて、1日食べ物がまんの日とか、
近所のお宅をまわって主食のシマの粉、
少し分けてもらえたり、分けてもらえなかったり。
食べれるはっぱを探しにブッシュの中に入っていったり。

町に住んでるかたでも、
毎日の食べ物、お砂糖、油、せっけんなんかも
買う余裕がないおうちのかたたちとても多いです。

小さなおばあちゃんたち、この団体のかたが使い終わった
ひとつの小さなビニ一ル袋を
けんかしてみんなで奪い合っていました。

貧しい人たちのほうが
ストレスとか仕事とか将来の心配とかなくて、
幸せそうって言葉きいたことあったし、
昔、自分でもそう思ってたことあったと思いますが、
お金も、食べ物も、暖まる毛布も、
しっかりした家も、病気に関しての正しい情報もなくて
苦しむかたたちを
みていると絶対そんなことはないなって
また思って、役に立っているのかどうなのかも
わかりませんが、小さなことから少しずつですが
自分なりにやっていこうって思っています。


栗山さやか | | comments(5)

また家を借りたこと。

前に少しいた町に半年以上ぶりに戻ってきて、
現地の友達と古いおうちを借りました。
町の中心地まで歩いて30分ぐらい。

水道なし、井戸もなし、外に穴トイレだけど、電気は通っていて、
豆電球でもやっぱり電気があるとないじゃ全然違います。嬉しいです。
夜、蚊を殺せますっ。
停電しても2,3日停電したまんまってことも減りました。

友達がテレビを持っていて
本当にひさしぶりのテレビがある生活です。(1チャンネルしかありませんが・・)

しかも、しかもずっとあったらいいなぁって
思い続けてたインタ一ネット回線、家に引いちゃいましたっ。
ねっとやさん、1時間使用料500円して、
家にひけば、使い放題じゃないですが
1日1時間だけなら月に6000円ぐらいって聞いて。
奮発しちゃいました。。 

毎月の家の家賃とほぼ同じ値段です。。。

数ヶ月前からずっと色んな良くないことが重なったりして
精神的にだいぶまいっていましたが、最近は大丈夫と思うようになりました。
コメント本当に本当にありがとうございますっ。。

去年は、毎月使えるお金を自分で決めていたんですが、
設定金額低すぎて、月末になるとすごい貧乏で、
一日の食べ物バナナ数本とクッキ一と水だけとかの日もあって、
体調もよく崩していました。

生理用ナプキンとか、シャンプ一、洗顔料とかもうずっと前にあきらめて、
最後のほうはトイレットぺ一パ一もあきらめてとほほでした。

今年は少し余裕を持とうと思っています。

パソコン壊れ気味でネット回線も切れているとき多いですが、
ブログも日記みたく
だらだら毎日ぐらいな勢いで書いていこうと思います。

栗山さやか | | comments(4)

モザンビークの写真です。


写真撮影の許可がいただけたマラウィとの国境近くにある、病院の患者さん親子です。横になったままのことが多かったですが、この日は少し元気そうで写真撮らせてもらいました。

アフリカのほとんどの子供たちは、水汲みと薪集めなど、暑い中毎日何往復もして一生懸命働いています。

みんなの大切な移動手段です。モザンビークでは馬車タクシーみかけたことなくて、他は自転車タクシーか村では牛車タクシーもとても大切です。

町から少し離れたところにある100人以上の
子供たちがいる孤児院の朝ごはん風景です。出産のときに
お母さんが亡くなっていってしまって預けられる子達がここでも多いようです。
時々、親類のかたが会いにきてくれたりとかもしてそういうときはみんなすごくすごく嬉しそうでした。
栗山さやか | | comments(0)

モザンビークの写真です。











栗山さやか | | comments(2)

アフリカの女の子たち。

アフリカの女の子たちは、
やっぱりとっても強くてたくましいと思います。

どんだけ悲しい思いをして、
いろんなこと乗り越えているんだろうって思います。

アフリカを旅していて泊まる安宿は、ほぼ売春宿です。
どんなに小さな町でも
ぼろぼろの売春宿はあって、
そこで働く女の子たち。
私よりも全然若そうな子たちだらけです。

私は一生懸命お客さんたちと交渉している女の子たちをたくさん
見かけながら、旅を続けてます。

夜中に悲鳴が聞こえたり、
体を売ったお客さんにずっと貯めておいた売上金
持って逃げられちゃったり、
親友だと思っていた子にお金全部盗られちゃったり。
それでも毎晩、がんばっている子たち多くて、
生きていくため、家族を養っていくため、今日のごはんのため。

学校に行きたいから、学費や教科書代のためにがんばる子たち。
病気にだってなりやすいから薬代だって必要になる。

私がもしアフリカに生まれていたら間違いなくそうしていると思う。
収入が無い。お金が家に1円もない。
売るものもない。食べるものもない。
まだ小さな兄弟たちがいる。
これがどういうことになるか。
貧しい国にくるまで考えもしなかった。

アフリカにいても私はご飯を買うお金も宿に泊まるお金も
旅をできるお金もまだあって。

せっかく旅しているんだから楽しんだほうがいいよ。
ってよく言われます。同じように旅している子たちからも
現地の子からも。売春をしている子達からも、これ食べるー?
日本遠くて寂しくないですか?この国楽しめてますか?って。

アフリカに来る前、ボランティア、
してみたいなっていう気持ちはあったけど
アフリカで一人でいるなんて絶対ありえないし、
病気も怖いし、どこも汚そうだし、
南京虫にやられて肌汚くなるのやだし、
すぐ襲われそうって思っていたのが本当のところで、

ずっと旅していて、あんまり色んな国のみんなが優しくて
いつかどっかで恩返ししたいって勝手に思って、
アフリカのことを聞いたりして
アフリカに来ようって決めたときも
3週間だけエチオピアでボランティアして、
それから最長でも2ヶ月で
アフリカは危険だから離れようって決めてました。

今はこうして、まだアフリカにいてボランティアをしたり、色々みさせてもらったり、
現地の会社手伝ったり、現地の子たちともたくさん話しをして、
いろんなことが少しずつ見えてきて、
逆に、自分ではきずいてなかった
自分のこととかもわかってきて、何やっているんだろうって
情けなくなって。

それでもやっぱりいつも思うことは自分と貧しい国に生まれた子達の違い。
そんな風に思ってもきりがないのかもしれないけど

私がアフリカに生まれていて、私みたいな発展国からやってきた
フラフラ適当に旅をしている子をみたら私はどう思うんだろう。

エチオピアでもほかの国でも自分の体を売ってでも
一生懸命生きていこうとしたのに
苦しんで苦しんで亡くなっていってしまった子たち。

病気でぼろぼろの体で自分で立つこともできなくて
施設に運ばれてきた子。
ぎりぎりまで体売ってったってきいて、こんな状態の体で
どうしたらお仕事できるんだろうって。

結局なんだかんだいっても
何にもわかっていないのは自分かもしれないなって。
生きていくってどういうことなんだろうっていつも思います。

栗山さやか | | comments(3)

失明している子たち。

 エチオピアで失明している人をたくさんみかけました。
 施設の中だけではなく、外を歩いていても失明した物乞いのかたも
 子供たちもたくさんいます。

 失明した家族をつれて、物乞いをしている
小さな4、5歳ぐらいの子供たちよくみかけました。
 
今いるモザンビークでも、ちらほらみかけます。
お父さんもお母さんもお姉さんらしき子も失明してしまっていて
その3人を小さな男の子が引き連れてゆっくり一列に並んで
歩いていました。

目の見えなくなってしまう原因は、たくさんあると思いますが、
細菌感染や栄養失調からくる場合がアフリカではとても多いと思います。ほかの国にいたら防げるはずのことなのに。。


エチオピアの施設にいたときに新しい患者さんがきました。
ユリガートってゆって16歳だといいました。
その子は、施設にきたばかりのとき
二日間ずっとベットに横になっていて
眠っちゃっているのかな
手当てが必要かなって思って話しかけてみると、
両目の黒目の部分が、白くなって飛び出しており、 
あっ両目ともみえてないんだなって思いました。
 
 顔をみてみると、ほっぺから首のまわり全体にかけて
 ただれたのようになっていて血と膿と皮もめくれてしまっています。
 皮膚結核の症状がでていました。

 その子は、たどたどしい言葉を話す私を最初はすごく
 警戒して困惑したかんじでした。
 
 毎日、手当てをしていくうちに少しずつ話すようになってきて 
 日本という国を知らないユリガートは私の髪の毛、顔を触るのが
 すきでいつも触っていました。

 こっちの子はエチオピアのこともあんまりしりません。
 村出身の子たちは、自分の村のこと以外のことはあんまり知る機会が少ない子が多いです。
 もちろん外国のことも地球ってこともまったくしりません。

 目のみえないユリガートは、ただ言葉が同じでない人
 としか思ってなかったと思います。

 手当ての後に、耳そうじしてあげていたら
 ユリガードの目から涙が出ているのがわかりました。
 
 ユリガードどうしたの? どこか痛いの?
 ってきくと、

 私、病気にもなっちゃった。 私何にも見えないのに。 
 っていいました。
 
 私は、彼女の目がよくなることは難しいこと
 ドクターからきいていました。

 ただハグをしながら大丈夫だよっていうことしかできない私のそばで、
 それをきいていた、違う施設から移ってきたばかりの10代後半ぐらいの子が、

 「 あのね、 違う施設にもこの施設にも
 もっともっとすごく体、めちゃくちゃなひとや、 たくさんたくさん
 毎日痛い思いしている人がたくさんいるんだよ。 まだまだ
 ユリガードは健康なほうだよ。 私も足ないよ。
 でも悲しくないよ。」

 って太ももまでしかない自分の足をじっとみて言いました。
 
 それをきいていたユリガードはそれから少し変わりました。

 たくさん笑うようになったし、顔も自分で洗えるようになって
 お手洗いも自分ひとりで行く努力をはじめました。

 なんだか少し大人になったようなユリガードに
 感動しました。
 
 ユリガートは前まで、手当てのとき以外
 ほかの子と二人で交互の向きに寝てつかって
 いる小さなベットに体を小さくしてじっとしている毎日でした。

 でも、施設のそばの教会に行くことは患者さんも
 許されていたので、夜6時半から始まるアドレーション(礼拝のようなもの?)
 には手当て、その時間抜け出せれたらときどき連れて行ってあげていました。

 そのアドレーションではクリスチャンのかたたちが
 歌を歌ってその歌を聴くのがユリガートは大好きなようでした。
 夕方になるとベットのすみに座って黒いプラスチックの靴をしっかり履いて
 私が迎えにくるのをうれしそうに待っていてくれていました。

 ときどき、手当て一区切りつかなくて、教会につくともう
終わる5分前だったりして「あー遅くなっちゃって本当にごめんねっ」って
謝ると 「チャラカと教会までの道、
手をつないであるけるだけで嬉しいの。だから気にしないでね。
 今日はいつもより寒いねー。」
ってくっついてきて。

私がほかの患者さんと病院に朝からいっていて、
施設に戻ってくるのが遅くなると、ユリガートと同じ病室の子達が
「チャラカー、ユリガードがチャラカが今日はこないって朝から
ずっと泣いていてたいへんだよー」って教えてくれて。

いつもそっと近づいて声、男声にしてユリガードっていかつく呼ぶと
嬉しそうに「チャラカーチャラカー」って私の手握って。

他の患者さんともたくさん仲良くなって、他の患者さんも
手をひいてゆっくり日なたぼっこにつれていってくれるようになって。

施設のみんなびっくりするぐらい優しくて、
一人2粒づつ支給されたみんなにとって貴重な貴重なキャンディや
小さなバナナ一本だけ支給されたとき、みんな大好きなのに
具合の悪そうな子にあげたり、私にまでくれようとして。

大勢いる寝たきりの患者さん同士、
助けが必要だけど声がでない子や、吐いてしまっている子
仰向けのままだと吐しゃ物で窒息死してしまうから、
患者さんみんなで私やワーカーの子に
「あの子今吐いちゃってるよーいってあげてー」
って教えてくれたりいつもしていて。

私はいつもどうしてみんなこんなに苦しくてどうしようもないのに、
この優しさはどこからくるのか、家族というものを知らない子も多い中、
誰が教えてくれたのか、不思議にも思い、とても嬉しく思っていました。
栗山さやか | | comments(0)
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