アレルヤの体調

 

 

ブログの更新、活動報告が出来ておらず

申し訳ありませんでした。

 

急遽、約3か月間ほど、娘と二人暮らしを

することになり、

やらなければいけない事が多くある中で

寝不足も続き、二人とも体調を長々と崩していました。

 

自分が横たわったまま動けず、

隣で娘が泣き叫んでいるのに上手くあやせず。。。

 

やっと少し良くなってきました。


もっと健康管理しっかりしなければ。。

と自分にかつを入れました。

住んでいるアパートの中が寒すぎるので、

電気ストーブを買いました。

 

買えるお金があること、本当にありがたいです。

ストーブあったかくて、つけていると幸せな気持ちになるなぁと

ストーブつけるたびにぼけっと思っていました。

 

モザンビークのルーシアさんからの連絡で

昔5年以上、アシャンテママに通っていて、最近は家族と

奥地の村で暮らしていたアレルヤという女の子がいました。

 

今回、極度の貧血で

病院でいくら輸血をしてもまたすぐ貧血になってしまって。。

心臓肥大になってしまっていると。。

 

現地の病院では、患者さんが輸血が必要な場合、

輸血の血をくれる人を自分たちで探してこなければいけません。

 

ただその際に、血をあげる側が、

HIVなどに感染していることがわかったり、

その人自身も栄養失調であげることができなかったり。

 

アレルヤは、母親からHIVに感染して産まれてきた子でした。

体の発達に問題は抱えながらも、HIVの治療を続けていました。

 

今回の治療を続けるために(もしかしたら別のもっと大きな病院で

治療をすることになるかもしれず)

母親の身分証明書が必要で、母親は持っていず、

母親がアシャンテママの教室を訪ねてきて。。

 

急いでその費用を援助するように伝えました。

 

アレルヤが早く良くなりますように。。

証明書の費用(約1500円)

病院代の援助や緊急の食糧支援をさせていただいています。

 

いつもご支援ありがとうございます。

 

 

 

 


栗山さやか | 病気などのこと | comments(0)

日本のNPO法人アシャンテママ設立致しました。

 

 

本日は、

日本のNPO法人アシャンテママ設立のご報告をさせてください。


以前、このブログの
NPO設立申請のご報告」でお伝えさせていただきましたが、
今月、無事に認証され登記が完了致しました。


応援、ご支援、ご協力をいただいた皆様に、

深くお礼申し上げます。


登記名は「特定非営利活動法人アシャンテママ」です。

代表を引き受けてくださったのは、福田淳さんです。


2009年に現地でNPOを立ち上げてみようと思ったとき、

当時、福田さんが代表をされていた

ソニーデジタルエンターティメントさんで、

私のブログを携帯配信してくださいました。


その際に配信料を受け取らせていただき、

私の貯金と合わせて、現地NPOを立ち上げることができました。

その後も、何年もお散歩会を皆様と開いてくださり。。


そして顧問は、

ずっと応援してくださる

坂之上洋子さんにお願いすることができました。


私はもともと、よーこさんの著書に勇気づけられ、

大勢いるファンの一人だったのにも関わらず。。


また理事のお一人の安本圭佑さんは、よーこさんのご友人で

お散歩会を開いていただくときに、手配やご準備など、

多くのことをいつも笑顔で引き受けてくださるかたです。


今回アシャンテママの公式サイトも作ってくださっています。

また後日お知らせさせてください。


その他、NPOの構成員としてご協力いただいているのは、

何度もお散歩会を開いてくださっている幹事の皆さま、

私の高校時代の先輩でいつもご支援くださる野中久彰さん

そして私の地元で発足していただいた応援会の方々です。

(全ての方のお名前をここに書きたかったのですが、

ご了解を得ていないので、今回は控えさせてください。)

 

昔、渋谷のショップ店員で派手な格好をして生きてきていて、

国際貢献や途上国について勉強したこともなく、風来坊で

たまたまアフリカに辿り着いただけの者を信頼してくださり、

ずっとご支援してくださる皆様に心から深くお礼申し上げます。


アシャンテママの活動は、

モザンビークが2009年10月から、マラウィは2016年8月から、

それぞれ現地NPOとして続けさせていただいてます。

そして日本では任意団体として8年間活動してきました。


今でも、始めた当初から変わらず、自問自答したり、

様々な葛藤があったり、多くの反省を繰り返しながらの毎日です。


ですが、このたび、

日本でNPO法人アシャンテママ設立をさせていただき、

よりいっそう精進して活動を継続していけたら、

と思っております。


温かいご支援、いつも感謝の気持ちでおります。

今後ともどうかよろしくお願い致します。

 

写真 モザンビークの2校目の子供達

栗山さやか | 協会《アシャンテママ》 | comments(2)

モザンビークの家の窓

 

 

モザンビークに住んでいた頃の写真の中に、

自分がいつも眠るときにみていた壁と窓の写真がなぜかあって、

(確か窓の外に猫がいてその姿がかわいくてたまたま撮った写真)

当時のことを思い出しました。

 

現地の貧しい人たちのわらと泥の家は、窓すら作れないことが多いです。

ガラス代や安全のための鉄の棒を取り付けるのもお金がかかるし、

下手に窓があると泥棒や強盗たちが入ってきてしまうからです。

 

住んでいた町はそこまで小さな町ではなく人口も多かったし、

その中で夜中に家に泥棒や強盗が来るのは

一晩あたりきっと数軒だったと思います。

 

なので確率的には強盗が来る確率を考えるとそこまで高くなかったのです。

 

ですが、うちのすぐ近所に住む人の家に強盗が入ったり、

夜中叫ぶ人の声が聞こえたり、

銃を発砲する音が時々聞こえたり、

(うちの近くに刑務所、拘置所があって

そこで脱走する人に向けて見張りの人が脅しで時々発砲していた)

近所で殺人が何回かあったり。昼間首絞め強盗にあったり。

近くで遺体が見つかったり。

 

この窓の写真を今回、たまたま見つけて、

今夜こそ強盗たちうちに来るかも。。と怯えながら

眠りについていた日々を思い出しました。

 

戦争や内戦がある場所で暮らす人々は、

もっと比べ物にならないほどの恐怖の日々だと思います。

 

今は、現地を離れて暮らしていて、

朝まできっと何事もなく安心して眠ることができると、

当たり前のように布団に入れる生活が

とれほど貴重でありがたいことなんだろうと思っています。

 

 

日本にいたときに、ある人に、

「神様や宗教を信じている人ってどうなんだろうって思う。」って

言われたことがあって、

 

あぁ、きっと平和な場所にずっといることができると

そういう風な感じに思う人も多いのかなと思いました。

 

私も海外に出るまでは

そこまでそういったことを深く考えたことがありませんでした。

 

平和がない場所や理不尽なことが起こる場所、

何かが起こってしまっても

どこに頼っていいのかわからないような場所では、

どうすることもできなくて、

藁にもすがるような気持ちで

みんな一生懸命神様に祈ったり、

普通の日常があることに神様に感謝をします。

 

そういう信仰や神様と共に生きる人々を色々な国、

特にアフリカ大陸に入ってから間近で見てきて、

色々なこと、人生観とか哲学的なことを含めて教えてもらいました。

 

また時々そういったことも書いていきたいです。

 

世界の全ての場所で

怖い思いをせずにみんなが夜眠れていますようにと

思います。

 

 

写真 

 

昔、フィリピン人の親しい友人ヘレンが家の壁が監獄の壁みたいだからと、少しでも気分が明るくなるようにと塗ってくれたオレンジ色の壁。

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(2)

お昼ご飯のメニュー

 

朝、アシャンテママの教室に行くと、

兄弟に連れられて一緒に来ている3,4歳の

小さな子供達も校庭にいます。

 

お昼ご飯を食べる前は、

みんなじっと座っているか

横たわっている子も時々います。

 

体調が悪いのかな、眠たいのかなと聞いてみると

お腹が空きすぎて。。。と。。

 

お昼ご飯を食べ終わると、

みんな大きな声を出して、

元気に飛び跳ねたりして遊びだします。

 

小さい子たちが空腹のまま我慢して眠る夜もあったり、

お腹が空き過ぎて

夜中に目が何回も覚めてしまう夜もあると聞きます。

 

温かいご支援心から感謝申し上げます。

 

写真 おかずの干した魚 それぞれの協会の子供達。

お昼ご飯中。みんな食べている間は集中していてとても静かです。

みんなの大好きな卵のおかずのお昼ご飯

 

みんなの大好きな卵

 

栗山さやか | モザンビークとマラウィの教室 | comments(3)

ルーシアさん。

 

アシャンテママで働く私と同年代のルーシアさん。

 

ルーシアさんは、約8年前に、

アシャンテママの女性たちの教室に通ってきていたひとりでした。

 

ルーシアさんがアシャンテママの教室に通っていたとき、

いつも同じボロボロの服を着ていて、はだしで、

やせ細った体に、やせ細った赤ちゃんを抱えていました。

 

しっかり住む場所がなく、母乳も出ず、薄汚れた哺乳瓶をいつも持って、

その地域で物乞いのようなことをして歩いていた女性、

と聞いていました。

 

元々近くの村に住んでいて、今まで6人出産したけど、

1人は産まれてすぐ、他の4人は、2歳ぐらいになる前に

次々と死んでいってしまって、

最後にひとりだけ残った赤ちゃんと暮らしていたそうです。

 

この赤ちゃんがお腹にいる頃に旦那さんも亡くなり、

なんとか生まれた、赤ちゃんも弱ってきてしまって、

今までの子供たちのように死んでしまわないように、

この町の病院に来るために、急いで自分の村を出てきたと。

 

栄養失調、感染症などで弱ってしまって痩せこけた赤ちゃん、

入退院を繰り返していて。。。

 

村までの病院の診察に行き来する乗合ワゴン、トラックの荷台(バス)に乗れるほど

お金は持ってなく、町の知り合いの家などを赤ちゃんと二人で、

転々として、水汲みや薪割り、その人たちの家の家事をして、

崩れそうな泥とわらの小さな家に住まわせてもらっていました。

 

ルーシアさん自身も8歳ぐらいの頃に、もう両親が亡くなって、

親戚の家に引き取られて育てられた女性です。

 

女性の勉強会がある朝、

冷え込みが厳しい寒い冬の朝でも、ルーシアさんは、

誰に言われたわけでもないのに、一番に早く来ていました。

 

そしてわらの勉強小屋の周りを、

自分で木の枝を集めて作ったほうきで掃いてくれていて、

ゴミを拾ったり、

水汲みなどもいつも自然と手伝ってくれていました。

 

それに、他に困っている女性たちのことを、

いつも気にかけている優しい気持ちを持っているなぁと、

日々接する中で思っていました。

 

当時、アシャンテママのスタッフは、

数人の高校に通う女性たち(と言っても私より年上だったり)

同年代の子たちを雇っていました。

 

ですが、このスタッフの女性たちは、

アシャンテママの教室に通う貧しい女性たちと挨拶するときに、

「呪いをかけられそうだから握手したくない」と嫌がったり、

その他の言動に諸々不安に思う点があったので、

逆にルーシアさんに働いてもらったらどうかな?

と思い始めました。

 

ルーシアさんは、子供の頃、小学校4年までは学校に通ったことがあって、

少しだけポルトガル語が話せて、

自分の名前や簡単な単語なら読み書きができる女性でした。

性格もとてもまじめで、正直で優しくて。

 

ルーシアさんが住まわせてもらっていた家族と

うまくいっていないと聞いていて、

そんな時、ルーシアさんが寝泊りしていた小屋に強盗が入り、

ルーシアさんは、暴行を受け、赤ちゃんも壁に投げつけられて、

持っていたお豆なんかを強奪されたと聞いて。。。

 

それを聞いて、すぐにお見舞いにいきました。

 

受けた暴行がひどすぎて、立てなくなって寝たきりのままで

薄暗くて狭くて、湿ったような土の上に

布だけひいた小さなぼろ小屋に

赤ちゃんと横たわっていました。

 

 

ちょうどその時期に、

アシャンテママの教室を移動しなくてはならなくなり、

急遽みんなでわらの教室を解体して新しい土地を見つけ、

新しいわらの教室を作りました。

 

そこには、小さな家もあって住む人がいたらいいなと思っていて、

ルーシアさんに聞いてみると「ぜひ住ませてほしい」と。。

 

それが、もう7年前ぐらいのことです。

 

今でも変わず、アシャンテママの教室の場所に住みながら、

リーダーになりしっかり働いてくれています。

 

アシャンテママの教室がない日でも、

お腹がすかせた子供達が教室に来たり、

親せきの家に預けられていて、

家にいると暴力やひどい言葉を浴びせられている子供達が、

教室に自然に集まってきていて。

 

ルーシアさんはいつも自分の食料をみんなに分けていて、

「アシャンテママの予算からそういう子供たちが来たら

食費として使っていいからね。。」と伝えても、

使わずに自分の食べ物を分けてあげていてばかりで。

 

誰かが病気で寝込んでいると聞けば、

いつも気にかけてお見舞いに行き、

水汲みなんかなんでも手伝ってあげていると、

他の人たちからいつも聞きます。

 

悲しい現実が多い場所でルーシアさんの存在に

みんなものすごく救われていると思います。

 

仕事のうっかりミスのことや、

あーでもないこーでもないと、色々話すこともありますが、

現地を離れて暮らす私自身、お金の管理を含め、

ルーシアさんの存在にとても助けられています。

 

数年前、彼女の唇に炎症があり、ずっと治らずにいて、

もしかしたらと思い、検査を受けてみたらどうかな。。と聞いて、

彼女も「受けたい」と言って、病院に付き添いました。

 

結果、HIVに感染していることがわかりましたが、

ルーシアさんは、他にも感染がわかって落ち込む女性たちに、

温かい言葉をかけて、とても前向きで。

 

ルーシアさんに知り合えて私も多くのことを彼女から学びました。

彼女の存在がとてもありがたいです。

 

何年も一生懸命働いてくれていて、感謝するとともに、

色んなことを乗り越えてきたルーシアさんが

幸せであることをいつも願っています。

 

 

写真

 

畑で働いてくれていた女性へ、お給料の支払いをしているルーシアさん(ピンクの服)

 

 

子供達へプレミオの日、手を振るルーシアさん(右下)

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(7)

子供たちのおうちと台所の写真

 

 

アシャンテママの子供たちのおうちの写真です。

 

きれいに片づけられた台所。

 

 

 

 


栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

パオリーノのお父さん

 

先月、現地にいたときに、

パオリーノ(男の子)のお父さんが

病気で寝たきりになってしまっていると聞いていました。

 

一度、パオリーノがルーシアさんに、

「アシャンテママの教室に粉ミルクはありますか」と

聞いてきたと。

 

ルーシアさんが、「病気のお父さんにあげたいんじゃないかな。

一緒に様子見にいこう」と言って、一緒に尋ねました。

 

このお父さんは、昔大工さんをしていて、

アシャンテママの教室の子供達が使っている木でできたベンチを

作ってくれた人です。

 

おうちを訪ねると、外でゴザにぐったりして

横たわっていて痩せ細ってしまっていました。

 

とても具合が悪そうで、

会話の中で、「何も食べる気がしないけど、

病院で、粉ミルクでいいから飲むように言われたけど、

でもお金が無くて買えなくて、、」と横たわったままの体制で

弱弱しいかすれた声で話ました。

 

ここの貧しい人にとったら牛乳、粉ミルクはとても高価で

全く買うことができない人が多いです。

 

 

帰り際に粉ミルクや食料などを買えるように

お金を渡そうとルーシアさんと話し合いました。

そしたらパオリーノはすぐに粉ミルクを買いにマーケットに行って。

 

早速、あったかいミルクを作ると、

お父さん、おいしく飲めて、「これで体の具合が良くなりそうだ」と

喜んでいて毎日飲んでいるとパオリーノがとても喜んでいたと聞きました。

 

そのお父さんが亡くなってしまったという

悲しい連絡が来ました。

 

家もすぐ近くだったのもあったのですが、

夜中の12時に、家族とルーシアさんに知らせに来たと。

 

 

いつも気にかけて何度もお見舞いに行ってくれていた

ルーシアさんの気持ちにも感謝して、

お父さん想いだったパオリーノのことを

みんなで心配しています。

 

 

 

 

写真

 

子供たちのノートをチェックするルーシアさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(0)

休まずに通っていた女の子

 

 

ルーシアという12歳ぐらいの女の子。

3年前からアシャンテママの教室に通い始めた子です。

 

9歳ぐらいだった当時は、

まだ学校に通ったことが今まで一度もない子で。

 

小学校に通えるように手続きを手伝い、

3年経った今は、無事に小学3年生になりました。

 

いつも全く休まず、アシャンテママの教室に通ってきていて

読み書きも公用語のポルトガル語もだいぶ覚えて、

これからも楽しみな女の子でした。

 

お母さんはいたのですが、

とても貧しく離れた村で畑を耕していたため

何年も別々に暮らしてて、

親せきに預けられて育てられていました。

 

前日まで元気にしていたルーシアが

その日の夜に「頭が痛い」と言って、

次の日には亡くなっていったと連絡が来ました。

 

亡くなった理由は不明だそうです。

 

12年の人生。

 

人によってはどんなに貧しくても、

12年も生きたから良かったと

思う人もいるかもしれません。

 

他の誰かの人生を自分の価値観で測ったり、

比べることは、良くないことだと

わかっていますが、

 

それでも、なんでなんだろう。。といつも思ってしまいます。

 

病気の予防や、

体調を崩したらまず病院にいくことをいつもみんなに伝え、

アシャンテママで働いているルーシアさん

(偶然おんなじ名前です。)が、

病院代がない子たちには、

病院代、薬代を渡してサポートをしています。

(確認のために後日レシートを持ってきてもらっています。)

 

ただそれでも、失われていってしまう命はあって。

 

 

モザンビークで一緒だったインド人の友人の一人が、

 

「亡くなっていってしまう子がいる現実はとても辛いけど、

アシャンテママの活動で、

救われて今も生きている命もあるってことも

忘れないでね。」と言ってくれ。。

 

 

ルーシアがどうか今は、

天国で安らかに過ごしていますように。。

それを願うばかりです。。

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(4)

アジャラ

 

アシャンテママの教室には、

遺児の子たち、体に障害を抱えていたり、

HIVと共に生きる子供達も通っています。

 

2つ目のアシャンテママの教室に通っている

アジャラという名前の12歳ぐらいの女の子がいます。

 

お父さんとは、もうずっと会っていず、

遠くの畑を耕す貧しいお母さんを助けながら生活しています。

 

2つ目の勉強小屋をこの集落で始めるときに、

アジャラは、お母さんに連れられてきました。

 

アジャラのお母さんは、

 

申し訳なさそうに、

「うちの娘は、聞くことも話すこともできないけど

それでもここに通わせてもらえますか」と聞いてきました。

 

アジャラは、生まれたときから耳が聞こえず、話すこともできず、

学校にも通ったことがなかった女の子でした。

 

アシャンテママに通い始めてから3年以上が経ち、

今では、読み書きがとても上手になりました。

 

他の子供たちもアジャラがわかるように、

ゆっくり話したり、手を使って

話をしています。

 

アジャラは、

1日も休むことなく楽しそうに

通ってきています。

 

 

 

写真の左の女の子がアジャラです。

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

プラスチックの椅子

 

 

プラスチックの椅子は、1つ約900円ぐらいして

アシャンテママに通う子供たちの家庭水準では

とても高価なもので、持っているご家庭はほとんどいないです。

 

みんないつか持てたらと憧れている物の一つでもあります。

 

持っているご家庭でも、

割れてしまってもしっかり縫ったりして使っていて。

 

物、私も大切にしようと改めて思いました。

 

 



栗山さやか | 日々の暮らし | comments(0)
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