マラウィ滞在の夜


マラウィの南部の村にあるアシャンテママの教室に滞在

しているときは、教室に泊まります。
暑い時期は、蚊がでるので教室内にテントを張って

テントの中で眠っていました。


冬の時期は、朝晩はここでも冷えて、蚊もいないため
テントの設置も面倒なので、布を一枚引いて眠ります。
コンクリートの床に眠るため固くて何度も夜中目が覚めますが、
数日間だけなので全く問題ないです。

 

安全に眠れるだけで充分と思っていましたが、
今回はなんと、スタッフの一人が
家から薄いマットレスを持ってきて貸してくれて。。
ありがたかったです。


電気がない村ですが、夜は月が出ているときは、
月明りがあたりを照らしてくれます。


夕方5時に授業が終わって、スタッフと話したりしていると
すぐに暗くなってきます。


ろうそくの明かりで、焚火で温めたお湯をバケツにいれて
体を洗って、月明りの中、教室の外でご飯を食べます。


夕ご飯を食べていたら、
近くに住むアシャンテママの子供達も集まってきて、
夕ご飯を分けようとするとみんな断ります。


みんな晩御飯食べたのかな?と思っていると
私が食べきれず残したお皿の中の残りを見て、
「もうお腹いっぱいなの?」と聞いてきて、
「うん。」と答えると、
10人以上いた子達で一斉に手を洗いに行き
みんなで一つのお皿を囲って急いで食べ始めました。


あぁ。。もっと多めに夕飯用意すればよかったと
思いました。


あとからスタッフの一人が、
「私が夕飯食べているときに、食べたいというと、
きっとくれようとして、
私が満足に食べれなくなるから断ったんだよ」と。


モザンビークに帰る最後の夜、
みんながまた来て、歌を歌ってくれました。


英語の歌で、
「私たちはバイバイと言うけど、でもそれは、

永遠のバイバイじゃないよ。」と。。


マラウィのこの村のアシャンテママの子供達は、
週に3日、それぞれ周辺の7つの村に住む、

遺児や障害を抱えた子供達、

120人から190人が日々通ってきています。


マラウィの子供達からの伝言です。
「アシャンテママの教室に通い、勉強ができ、お昼ご飯も食べることができて、とても嬉しくて、ご支援を続けてくださる皆様にどうぞお礼を伝えてください」

と。。


ご支援を下さる皆様、心から感謝申し上げます。

 

 

写真1 夜、英語の歌を歌ってくれている子供達。

寒い時期は、普段は腰に巻く布が上着になります。

 

▼写真をクリックすると YouTubeで動画をみていただけます。

 

写真2 マラウィのアシャンテママの子供たちです。

 

 

栗山さやか | マラウィでの活動 | comments(2)

マラウィへの移動

 

 

しばらくマラウィ側のアシャンテママの教室に行っていました。

無事に戻ってこれて一安心しています。

 

 

写真

マラウィの国境までの風景

 

 

 

 

栗山さやか | マラウィでの活動 | comments(2)

土地のリーダー

 

アシャンテママの2つ目の教室がある土地のリーダーは

1つ目の教室の土地のリーダーとは違い、

とても気さくな印象がありました。

 

最近、お会いしていないので、

また挨拶にいかなければと思っていたのですが、

突然、亡くなったと連絡が入りました。

 

私も失礼のないように、現地の女性たちと同様、

肌の露出を控え、髪の毛も布で隠して、

寒い日、ルーシアさん達とお葬式に参列しました。

 

この集落中の何百の人々、別の村々のリーダーたちも多く集まり、

みんなで見送りました。

 

深緑色の布に包まれた棺は、男性のみが長い列を作り、

棺をみんなの手でできるだけ高く上げ、

高く上げたままの位置で順番に手渡して前の人に渡し、

渡し終わった人はまた列の先頭まで行き棺を受け取り、

数キロ離れたお墓までみんなで運びます。

 

イスラム教なので、女性はお墓まで行くことは許されていず、

男性のみがいくことができます。

 

人々から聞いた話ですが、

約60年前?(あるいはもっと昔)までは、いくつかの村々では、

土地のリーダーが亡くなると、

その村で一番美しい容姿の12歳ぐらいの女の子たちが4人が選ばれ、

リーダーの遺体の4すみに配置され、そのまま生き埋めにさせられた村や、

 

別の村では、村で一番美しい少女が選ばれて、

深く掘られた穴の中に生きたまま座り、膝の上に亡くなったリーダーを

乗せて後ろから抱きかかえるような感じで生き埋めにさせられたそうです。

しっかりリーダーを守って死のお供をするようにだったそうです。

(当時、この国を植民地支配していたポルトガル人に

そのことがばれてしまい禁止させられたそうです。)

 

 

この集落でアシャンテママの教室を始めたとき、

お金を払って、井戸を掘ってもらったのですが、

その井戸を掘った人は、このリーダーの甥でした。

この甥がリーダーを殺したそうです。

 

自分の母親が病気になったのは、

このリーダーが黒魔術をかけたからだと言い、

殺してしまったそうです。

 

その後、この甥もリーダーを殺された集落の人々から集団リンチに合い、

町の病院にベットの柵と手を手錠でつながれたままの状態で

入院しているそうです。

 

2つ目のアシャンテママの教室を作るときに快く

受け入れてくれた土地のリーダーのご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

写真 2つめの教室から見える景色

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(3)

こどもの日のお祝い

 

自分の誕生日を知らない子たち、

誕生日を祝う余裕のないお家の子供達ばかりなので

 

みんなにとったら年に1日、

こどもの日がとても大切なお祝いの日です。

 

奥地の畑に働きにいっている子供達もいたので

普段よりも少ない人数でしたが、

1羽の鶏を22人で分けて

8羽を177人でいただきました。

 

鶏とタライいっぱいのサラダ、みんなの大好きなお米を

モザンビークの2つの教室に通うみんなで

食べさせていただきました。

一皿約67円のごちそうでした。

 

家では、たとえひとかけらでもほぼ鶏なんて高価なもの

(卵ですら難しい)みんな食べれないので、

みんなとてもとても喜んでいました。

 

ご支援を下さる皆様

いつも本当にありがとうございます。

 

 



 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

悲しいニュース

 

最近、ほぼ毎週、自分の知っている人や

スタッフの家などに夜強盗が入っていて。

 

家のドアを壊して入ってくる場合、

家の壁をたたき割って入ってくる場合。

 

今は作物の収穫の時期なのですが、

何カ月も毎日家族みんなで畑を耕して

やっと取れた作物を家に運んだ日や

作物が売れて、現金を家に持って帰った日が狙われて、

きっと後をつけられていて、寝静まった夜中に家に襲いにきて。

 

家族全員縛られひどく暴行を受け、そのうちの一人は耳を切り落とされて、

お金の隠し場所を白状するように言われ、

お金を奪われた人たち。

家の中のほぼ全てのもの、毛布やバケツ、食糧、服、

全部持ってかれ。

 

この町の中心部はお店も増えかなり発展してきたし、

以前はなかったバイクタクシーも町中にいます。

それに何より殺人がかなり減ったとほっとしていましたが、

また最近、警察官に撃たれてしまった人たちや

アシャンテママの教室のある地区の墓地で

ずた袋に入れられて足だけが出ている腐った遺体が見つかって。

 

 

日本や欧米のニュースでも頻繁に聞く

子供達へのひどすぎる虐待死のニュース。

 

それでも昔に比べればどこの国も

まだましになっているという人もいますが。。

 

前に、アシャンテママの女性たちで

何年も耕していた畑を強盗たちに奪われてしまったとき、

女性たちの身に危険が及んでは。。と

理不尽だけど諦めようと決めてみんなでとぼとぼ帰った帰り道、

ルーシアさんたちが、なぜか内戦時代の話をし始めました。

 

兵士たちは、鼻だけなたで切り落としたり、

レイプ、多くの人を殺して、

女性たちが抱っこしていた赤ちゃんをうすの中に入れて、

棒で突いて殺すように指示して

殺した後その赤ちゃんをそのまま食べることを

その赤ちゃんの母親や家族に強要したそうで、あの頃に比べればましだと。。

 

アシャンテママの教室で子供達にお料理をしてくれる

スタッフのアナさんという女性がいます。

アナさんは足を引きずって歩いているのですが、

それは、内戦時代に自分の家の前を歩いていたら

突然撃たれ、太ももにひどい撃たれた跡が今もあります。

その時、アナさんが抱っこしていた赤ちゃんも撃たれて亡くなり、

一緒にいたお姉さんも撃たれ亡くなって。

 

 

インド人の友人の一人が、

「そういう恐ろしいことは、何人だろうと、どの時代も人類の中で少なからず起こることだと。。ただ生まれ持って残虐性を持っていた人がもしもいるとしても、子供時代のまわりの環境の影響、何かに救われて、防ぐことができると思うよ。それにそういったことをする人は、やはり育った影響、それに今自分の周りにいる人の影響が大きいと思うよ。」と。

 

苦しい思いをしている人達、

子供達がすべての国で1日でも早く減ればと思います。

そのために今後も少しでも貢献できること考えていきたいです。

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(7)

リツアン号

 

2015年に 

1つ目の教室から歩いて2時間かかる

町から少し離れた集落に2つ目の教室を作りました。

 

ただ人気のない道を通っていかねばならず、

そこの道で日中でも襲われる人々もいて、

必ず、スタッフ数人で移動するようにしていましたが、

バイクや自転車で移動するたびにびくびくしながら

通っていました。

 

以前にもブログに書かせていただきましたが、

ご支援してくださる【リツアンさん】と、

私の地元の近く、静岡県掛川市の【アトムさん】という

車販売修理屋さんから、多大なるご協力をいただき、

モザンビークまで中古車を送ってくださいました。

 

その車の名前が「リツアン号」です。

2016年に受け取り今も大活躍しています。

 

リツアンさんのモットーは「辞めるための派遣会社」で、
転職を成功させるために経由してもらって、

自分に合った職場を見つけ、

みんなに幸せになってほしいというお考えで、

経営理念も《いきいきと働く人を増やす会社》です。

ぜひブログを読んでいただけたらと思います。

 

社長の野中さんが書いたおすすめなブログ

「派遣会社を設立した理由」 

「やりたいこと」

 

普段は、ガソリン代ももったいないので、

徒歩、自転車やバイク移動が主ですが、

モザンビークからマラウィなどの長距離の移動や、

重たい荷物、セメントや、レンガ、木材を運んだり、

病気の子供達を病院に連れて行ったり。

 

車なんてそんな贅沢をしていいのか、、

と悩んだのですが、リツアン号のおかげで、

活動範囲を広げること、そして時間の短縮、

安全の確保にもなっています。

 

今後も大切に大切に使わせていただきたいです。

 

 

木材を運ぶリツアン号

 

 

マラウィへ向かう道

ルーシアさん(左)とフィロメーナさん(右)


 

2つ目の教室

子供たちのお母さんとお話し合いをした日の写真


 

雨期の時期は2つ目の教室までの道がとても悪く、

いつも通れるかびくびくしますが、

リツアン号は頑張ってくれています。

 

悪路にはまってしまった他の車のヘルプに行った時の写真。

 

栗山さやか | お礼 | comments(2)

食べ物を持って帰る子達


アシャンテママの教室のお昼ご飯。

 

イスラム教の日中断食の時期は、
みんな日が沈んでから食べるように、
お昼ご飯を持って帰りますが、
時々そういうとき以外でも、
体調が悪い兄弟に持って帰るという子たちもいます。

優しいなぁと思います。


あとは、一気に食べちゃうのはもったいないから
夜に食べるという子もいます。

(食中毒等心配なので暑い時期は禁止、寒い時期でも
なるべく控えるように伝えていますが。。)

 


私の現地の滞在期間が、9月上旬までになりました。

 

皆さんからいただいている大切なご寄付、
困っている子供達の今、未来の力になるように、
と日々思っております。

 

写真:お米を家族に持って帰る子



栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(5)

ゆうちょ口座に関するお問い合わせ


先日、アシャンテママのホームページのほうに、
「ゆうちょに振込みたいけど以前の口座は使えませんか?」
というお問い合わせをいただきました。

 

このたびはご寄付の件でお問い合わせいただき、
ありがとうございます。

 

返信させていただきましたが、

メールが戻って来てしまいましたので、

こちらに書かせて頂きます。

 

NPO法人設立前に使っていた、
ゆうちょ口座「アシャンテママ日本支部」もお使いいただけます。

応援会のホームページに掲載しております。

 

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

栗山さやか | アシャンテママ | comments(2)

イスラム教の断食月

 

もうすぐ、イスラム教の断食月が終わります。

モザンビークのアシャンテママの教室に通っている子達は

イスラム教の子達が多く(2つ目の教室の子達は全員イスラム教)

アシャンテママに通っている子供達も6歳ぐらいから大半の子たちが

日の出から日没まで水を飲んだり、食べ物を一切口にしません。

 

この約1か月間、太陽が沈んで薄暗くなると

みんな近くのモスクに急いで行ってお祈りをしてから、

やっとお水を飲んだり、トウモロコシ粉のおかゆなどを食べます。

 

断食する理由は、色々あると思いますが、

働いている女性の一人は日中断食する理由を、

 

「断食しないと自分が死んで

土葬された後に土の中で月明りもない真っ暗闇の中で

ずっと過ごすことになるけど、

断食すれば、神が光を下さるから」と。

 

「日本ではしないの?」と聞かれ、

「宗教にもよると思うけど、しない人が多いかな。」と答えると、

 

「でもアシャンテママの活動を支援してくれている人たちは大丈夫。

ここの貧しいうえに更に遺児の子達、病気の子達、

障がいを持っている子達をずっと助けているから。

神様はとても喜んでいると思う。」

 

「支援してくれている人たちは亡くなった後、土の中に埋められても、

きっと空だって飛べちゃうよ。天使みたいに。」

 

断食月が明けるのは明後日のようでみんなわくわくしています。

 

写真 アシャンテママのお昼ご飯、

みんなお皿やプラスチックの袋に入れて

大切に家に持ち帰って夜に食べます。

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

自習している子の写真

 


教室の休み時間に書き取りをする子たち。

 

 

アシャンテママ 二つ目の教室に通うファルッキは、

ご両親を亡くしている男の子です。

 

 

 

アシャンテママ ひとつ目の教室に通うテルマは、

父親を亡くした女の子です。

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)
このページの先頭へ