無事に退院できたジョージ

 

モザンビークの2つ目のアシャンテママの教室に通っている

ジョージと言う男の子がいます。

 

両親は、もう亡くなっていて、小さなわらと土の家に

おばあさんと弟と暮らしている子です。

 

12歳のジョージもHIVに感染していることがわかり、

抗HIV薬を毎日服用しています。

 

ジョージがずっとアシャンテママの教室を休んでいて、

奥地に畑を耕しに行っていると聞いていたのですが、

奥地から戻ってきてもずっと具合が悪いと家族が伝えに来ました。

 

お家を訪ねると、

外のボロボロのござの上にジョージがつらそうに横たわっていて、

体にハエもたくさんたかっていて。

 

2か月ぐらいずっと具合が悪くて、

食べ物もほとんど食べれず、やせ細りもう一人で歩けなくなってしまっていて。

 

8−10キロ離れていてる

町の中心部にある大きな病院で診てもらう必要があることを伝えても、

一緒に暮らしているおばあさんは、

大きな病院は怖がってなかなか連れていきたがらず、

なんとか説得して、リツアン号で急いで緊急病棟に運ぶとすぐに

重度のマラリアにもかかっていて輸血が必要と。

 

ここでは病院の血液のストックがなくなってしまわないように、

輸血が必要な患者さんの家族が必要な分だけの献血を

すぐにし、輸血をするシステムです。

 

家族がHIVも含め何かの感染症や、栄養失調などで輸血する人が見つからない場合、

誰でもいいから献血してくれる人を探してその人にお金を払うことが一般的です。

 

今回、ジョージの場合も輸血してくれる家族が見つからず、

私が献血しようと病院に向かうと、近くの村からいとこが来て献血してくれて

2度目の輸血を無事に受けていました。

 

入院中、ジョージと泊まり込みで付き添っているおばあさんたちに食事を運び、

ジョージは、3度の輸血も受けて、徐々に体調が回復していき、

しっかり話せて、食事もでき、歩けるようにもなりました。

そして約2週間の入院のあと無事に退院出来、今では

またアシャンテママの教室に元気に通っています。

 

おばあさんに、「もしあの時、大きな病院に連れていかなかったら

きっとジョージはあのまま死んでいたと思う。」と

とても感謝されました。

 

 

ご支援をくださる皆様本当にありがとうございます。

 

 

 

写真 休み時間にも遊びながら勉強する子達

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

子供達のお布団

 

 子供達の眠っているお布団。

 

 竹でできたベットで眠っている子、

 わらが中に詰まってまわりをずた袋何枚もで縫い合わせたマットのようなもので

 眠っている子達(ずた袋もたくさん買うにはお金が必要でみんなが持てるものではない)もいますが、

 

 多くの子供達は、電気のない家で地面にそのままござやずた袋をひいて毎晩眠り、

 雨期の時期は、わらの屋根から雨漏りして水のたまった地面を避けて

 みんなで固まって横になり。眠っているとネズミが手足を血がでるまでかじってくることもあり。

 今夜もどうか強盗たちが来ませんようにとお祈りしながら眠りについたり。

 

 子供達が亡くなってしまう高い原因のマラリアにだけは

 せめてかからないように、休まず通った子達には、蚊帳を渡させていただいています。

 

 みなさまのご支援心から感謝申し上げます。

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(2)

6年前の壁のお名前とご寄付をくださる皆様

 

約6年前に、
1つ目のアシャンテママの教室を、
わらの小屋からレンガの教室に立て直させていただきました。

 

その建設費用は、クラウドファンディング Readyfor を通じて

ご寄付を下さった皆様のおかげです。

 

ご寄付(一定額の)を下さった22名様のお名前を、
子供たちと教室の壁に彫らせていただきました。

 

今でも、子供達とわいわいしている教室の中で

ふと、壁に彫られた22名様の一人一人のお名前を眺めるたびに、
じーんと涙が出そうになります。。

 

以前のように、突風でわらの屋根が吹き飛ばされることなく、
ひどい雨漏りで子供達もずぶぬれで、わらの教室のすみに

みんなでかたまって寒くて震えることもなく。。

 

6年経った今も変わらず、
遺児の子供たちのために教室を続けることができていること、
みんなが変わらずこの教室に通い勉強を頑張っていること

 

そして、ご寄付を下さった皆さまは、
今はどのようにお過ごしになっていらっしゃるのだろう?
お元気で過ごされているだろうか。と思い浮かべながら、
本当にありがたい気持ちでいっぱいになります。

ありがとうござます。

 


アシャンテママにご寄付をお振込みいただいたり、
昨年末よりNPOのホームページでお願いさせていただいている
CONGRANT(継続ご支援)のほうにも、
23名様ものお方がご登録くださいました。

深く深くお礼申し上げます。

 

現地のスタッフや子供たちには、
「この教室は日本にいる善意を持った方々が、
一生懸命働かれたり、なんとか節約してくださったお金で、運営させてもらっていて、
でもいつか教室を閉めないといけない日が来るかもしれない」と、
アシャンテママを始めた頃から言い続けています。

 

それが、今もまだ続けられていて。。

 

通っている子供たちには、
「みんなが大人になったら、みんなそれぞれの道に進んで行くけど、

いつか今度は困っている子供達を助けてあげれる側になってね」
とも伝えています。

 


アシャンテママの教室を支えて下さる方々には、

深く深くお礼申し上げます。

 

 

写真 

教室に自分の兄弟だったり

面倒を見ている親せきの子供だったり連れてきて、

みんな上手に面倒を見ています。

 

 



 

栗山さやか | お礼 | comments(1)

フォーブスジャパンさん9月号 

 

フォーブスジャパンさん9月号 の「私のコア」というページと、

同じくWEB版の「あなたのわくわくはなんですか?」のサイトに、

ガングロギャルからアフリカの星に。貧困地域で多国籍チームを率いるリーダーの献身 のタイトルで、掲載していただきました。

※WEB版のほうは5月の掲載です。

 

素晴らしい方々の中に、

私までなぜか載せてくださっている。。。

 

支えて下さる皆様あってのことで、

恐縮で、ありがたい気持ちでいっぱいです。。

 

いただいているご寄付を、

ご寄付を下さる皆様が考えるような使い方ができているだろうか、

現地の方々にとって、最善な使い方をさせていただいているだろうか、

日々、活動をしながら考えています。

 

小さな頃から様々な苦境に立っているここの子供達の

生活に笑顔が増えるように。。亡くなってしまうことがないように。。

子供達の未来の可能性が広がりますように。。と願いながら活動を続けさせていただいています。

 

 

 

ご支援してくださる皆様に心から感謝申し上げます。

 

 

 

 

栗山さやか | お礼 | comments(0)

エシュペランサと美樹ちゃん

 

数年前からアシャンテママの1つ目の教室に通っている

15、6歳のエシュペランサという女の子がいました。

 

今回、彼女が妊娠していることを聞いていました。

 

ここでは、早くに妊娠をしてしまう子たちが多くいますが、

この赤ちゃんの父親と、しっかり結婚したり、あるいは一緒に暮らす子たちは少ないです。

 

食べるものが十分に無かったり、服などが欲しくて、

近所に住む男の人たちに食べ物や服をもらったりして、

その代わりとして体を求められ、応じてしまい。。。

 

妊娠がわかったら、お腹にいる子供ごと拒否されることが

ここではとても多いです。

 

エシュペランサの場合もそうでした。

大きくなったお腹を布で隠すようにして、

アシャンテママの教室にも変わらず休まず通っていました。

 

元々口数のとても少ない子で、

「体調はどう?困ったことはないかな?」

と時々、聞いていました。

 

もっとしっかり話を聞いてあげればよかった。。と

今になってとても悔やんでいます。

 

先日、エシュペランサ、夜中に出産して、

その次の日に赤ちゃんを残して亡くなってしまった、

と連絡が入りました。

 

あまりの突然のことで。。

数日前にはいつも通り一緒に教室で過ごしていたのに。。

 

エシュペランサ自身、7歳ぐらいの頃に母親を亡くし、

精神疾患を患っていた父親とも疎遠になり、

ずっと祖母に育てられていて。

 

お葬式に参列しました。

 

彼女をずっと育ててきた痩せたおばあさんにご挨拶すると、

「家でも口数のとても少ないエシュペランサが、

あなたのことを時々話してくれた」と

教えてくれました。

 

「マナさやかに赤ちゃんが産まれたんだって。

女の子だったんだって。いつか連れてきてくれて

見せてくれるんだって。楽しみ。。」

 

「アシャンテママに休まず通ったから服がもらえたよ。嬉しい。」

 

「今日は鶏とじゃがいもをみんなで食べたよ。美味しかった。」って。

 

電気もなく窓もない暗い家の中で、

布に包まったエシュペランサの産まれたばかりの

小さな赤ちゃんをこのおばあさんから渡され、

「名前を決めてあげてほしい。あなたの国の名前をつけて。」と。

 

ある方々にお願いして、

「美樹ちゃん」とお名前を付けさせていただきました。

 

美樹ちゃんは母親(エシュペランサ)と、

祖母(エシュペランサのお母さん)を亡くしているため、

曾祖母のこのおばあさんに育てられることになりました。

 

ここでは、父親の名前が子供の苗字になるのですが、

父親に拒否されてしまった美樹ちゃんの苗字は、

母親の名前になりました。

 

父親の身分証明書(戸籍のようなもの)がないと、

美樹ちゃんの身分証明書の発行が難しくなるのですが、

私も登録所に行って事情を説明して、

受け取ることができました。

 

エシュペランサが安心できるように、

これからも美樹ちゃんの成長を見守り続けていけたらと思います。

 

写真

お祈りをするように手をしっかり組む美樹ちゃん。

今は冬で寒い時期なので、この帽子や、

暖かい服を渡させていただきました。

 

 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(9)

マラウィ滞在の夜


マラウィの南部の村にあるアシャンテママの教室に滞在

しているときは、教室に泊まります。
暑い時期は、蚊がでるので教室内にテントを張って

テントの中で眠っていました。


冬の時期は、朝晩はここでも冷えて、蚊もいないため
テントの設置も面倒なので、布を一枚引いて眠ります。
コンクリートの床に眠るため固くて何度も夜中目が覚めますが、
数日間だけなので全く問題ないです。

 

安全に眠れるだけで充分と思っていましたが、
今回はなんと、スタッフの一人が
家から薄いマットレスを持ってきて貸してくれて。。
ありがたかったです。


電気がない村ですが、夜は月が出ているときは、
月明りがあたりを照らしてくれます。


夕方5時に授業が終わって、スタッフと話したりしていると
すぐに暗くなってきます。


ろうそくの明かりで、焚火で温めたお湯をバケツにいれて
体を洗って、月明りの中、教室の外でご飯を食べます。


夕ご飯を食べていたら、
近くに住むアシャンテママの子供達も集まってきて、
夕ご飯を分けようとするとみんな断ります。


みんな晩御飯食べたのかな?と思っていると
私が食べきれず残したお皿の中の残りを見て、
「もうお腹いっぱいなの?」と聞いてきて、
「うん。」と答えると、
10人以上いた子達で一斉に手を洗いに行き
みんなで一つのお皿を囲って急いで食べ始めました。


あぁ。。もっと多めに夕飯用意すればよかったと
思いました。


あとからスタッフの一人が、
「私が夕飯食べているときに、食べたいというと、
きっとくれようとして、
私が満足に食べれなくなるから断ったんだよ」と。


モザンビークに帰る最後の夜、
みんながまた来て、歌を歌ってくれました。


英語の歌で、
「私たちはバイバイと言うけど、でもそれは、

永遠のバイバイじゃないよ。」と。。


マラウィのこの村のアシャンテママの子供達は、
週に3日、それぞれ周辺の7つの村に住む、

遺児や障害を抱えた子供達、

120人から190人が日々通ってきています。


マラウィの子供達からの伝言です。
「アシャンテママの教室に通い、勉強ができ、お昼ご飯も食べることができて、とても嬉しくて、ご支援を続けてくださる皆様にどうぞお礼を伝えてください」

と。。


ご支援を下さる皆様、心から感謝申し上げます。

 

 

写真1 夜、英語の歌を歌ってくれている子供達。

寒い時期は、普段は腰に巻く布が上着になります。

 

▼写真をクリックすると YouTubeで動画をみていただけます。

 

写真2 マラウィのアシャンテママの子供たちです。

 

 

栗山さやか | マラウィでの活動 | comments(5)

マラウィへの移動

 

 

しばらくマラウィ側のアシャンテママの教室に行っていました。

無事に戻ってこれて一安心しています。

 

 

写真

マラウィの国境までの風景

 

 

 

 

栗山さやか | マラウィでの活動 | comments(2)

土地のリーダー

 

アシャンテママの2つ目の教室がある土地のリーダーは

1つ目の教室の土地のリーダーとは違い、

とても気さくな印象がありました。

 

最近、お会いしていないので、

また挨拶にいかなければと思っていたのですが、

突然、亡くなったと連絡が入りました。

 

私も失礼のないように、現地の女性たちと同様、

肌の露出を控え、髪の毛も布で隠して、

寒い日、ルーシアさん達とお葬式に参列しました。

 

この集落中の何百の人々、別の村々のリーダーたちも多く集まり、

みんなで見送りました。

 

深緑色の布に包まれた棺は、男性のみが長い列を作り、

棺をみんなの手でできるだけ高く上げ、

高く上げたままの位置で順番に手渡して前の人に渡し、

渡し終わった人はまた列の先頭まで行き棺を受け取り、

数キロ離れたお墓までみんなで運びます。

 

イスラム教なので、女性はお墓まで行くことは許されていず、

男性のみがいくことができます。

 

人々から聞いた話ですが、

約60年前?(あるいはもっと昔)までは、いくつかの村々では、

土地のリーダーが亡くなると、

その村で一番美しい容姿の12歳ぐらいの女の子たちが4人が選ばれ、

リーダーの遺体の4すみに配置され、そのまま生き埋めにさせられた村や、

 

別の村では、村で一番美しい少女が選ばれて、

深く掘られた穴の中に生きたまま座り、膝の上に亡くなったリーダーを

乗せて後ろから抱きかかえるような感じで生き埋めにさせられたそうです。

しっかりリーダーを守って死のお供をするようにだったそうです。

(当時、この国を植民地支配していたポルトガル人に

そのことがばれてしまい禁止させられたそうです。)

 

 

この集落でアシャンテママの教室を始めたとき、

お金を払って、井戸を掘ってもらったのですが、

その井戸を掘った人は、このリーダーの甥でした。

この甥がリーダーの頭をトンカチで何度も殴って殺したそうです。

 

自分の母親が病気になってしまい、この甥が、

クランデーロ(呪術師さんだったり伝統治療師だったり)に行くと、

「このリーダーが黒魔術をかけたからだ」と言われ、

殺してしまったそうです。

 

その後、この甥もリーダーを殺された集落の人々から集団リンチに合い、

町の病院にベットの柵と手を手錠でつながれたままの状態で

入院しているそうです。

 

2つ目のアシャンテママの教室を作るときに快く

受け入れてくれた土地のリーダーのご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

写真 2つめの教室から見える景色

 

栗山さやか | 色々な国の人々 | comments(3)

こどもの日のお祝い

 

自分の誕生日を知らない子たち、

誕生日を祝う余裕のないお家の子供達ばかりなので

 

みんなにとったら年に1日、

こどもの日がとても大切なお祝いの日です。

 

奥地の畑に働きにいっている子供達もいたので

普段よりも少ない人数でしたが、

1羽の鶏を22人で分けて

8羽を177人でいただきました。

 

鶏とタライいっぱいのサラダ、みんなの大好きなお米を

モザンビークの2つの教室に通うみんなで

食べさせていただきました。

一皿約67円のごちそうでした。

 

家では、たとえひとかけらでもほぼ鶏なんて高価なもの

(卵ですら難しい)みんな食べれないので、

みんなとてもとても喜んでいました。

 

ご支援を下さる皆様

いつも本当にありがとうございます。

 

 



 

栗山さやか | モザンビークでの活動 | comments(3)

悲しいニュース

 

最近、ほぼ毎週、自分の知っている人や

スタッフの家などに夜強盗が入っていて。

 

家のドアを壊して入ってくる場合、

家の壁をたたき割って入ってくる場合。

 

今は作物の収穫の時期なのですが、

何カ月も毎日家族みんなで畑を耕して

やっと取れた作物を家に運んだ日や

作物が売れて、現金を家に持って帰った日が狙われて、

きっと後をつけられていて、寝静まった夜中に家に襲いにきて。

 

家族全員縛られひどく暴行を受け、そのうちの一人は耳を切り落とされて、

お金の隠し場所を白状するように言われ、

お金を奪われた人たち。

家の中のほぼ全てのもの、毛布やバケツ、食糧、服、

全部持ってかれ。

 

この町の中心部はお店も増えかなり発展してきたし、

以前はなかったバイクタクシーも町中にいます。

それに何より殺人がかなり減ったとほっとしていましたが、

また最近、警察官に撃たれてしまった人たちや

アシャンテママの教室のある地区の墓地で

ずた袋に入れられて足だけが出ている腐った遺体が見つかって。

 

 

日本や欧米のニュースでも頻繁に聞く

子供達へのひどすぎる虐待死のニュース。

 

それでも昔に比べればどこの国も

まだましになっているという人もいますが。。

 

前に、アシャンテママの女性たちで

何年も耕していた畑を強盗たちに奪われてしまったとき、

女性たちの身に危険が及んでは。。と

理不尽だけど諦めようと決めてみんなでとぼとぼ帰った帰り道、

ルーシアさんたちが、なぜか内戦時代の話をし始めました。

 

兵士たちは、鼻だけなたで切り落としたり、

レイプ、多くの人を殺して、

女性たちが抱っこしていた赤ちゃんをうすの中に入れて、

棒で突いて殺すように指示して

殺した後その赤ちゃんをそのまま食べることを

その赤ちゃんの母親や家族に強要したそうで、あの頃に比べればましだと。。

 

アシャンテママの教室で子供達にお料理をしてくれる

スタッフのアナさんという女性がいます。

アナさんは足を引きずって歩いているのですが、

それは、内戦時代に自分の家の前を歩いていたら

突然撃たれ、太ももにひどい撃たれた跡が今もあります。

その時、アナさんが抱っこしていた赤ちゃんも撃たれて亡くなり、

一緒にいたお姉さんも撃たれ亡くなって。

 

 

インド人の友人の一人が、

「そういう恐ろしいことは、何人だろうと、どの時代も人類の中で少なからず起こることだと。。ただ生まれ持って残虐性を持っていた人がもしもいるとしても、子供時代のまわりの環境の影響、何かに救われて、防ぐことができると思うよ。それにそういったことをする人は、やはり育った影響、それに今自分の周りにいる人の影響が大きいと思うよ。」と。

 

苦しい思いをしている人達、

子供達がすべての国で1日でも早く減ればと思います。

そのために今後も少しでも貢献できること考えていきたいです。

 

 

栗山さやか | 日々の暮らし | comments(7)
このページの先頭へ